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MEMORIES

作者: 長井カツヤ
掲載日:2023/07/12

出張のために空港で買った本は、自分の人生と酷似した自叙伝だった。驚きながら読み進めると、自分が億万長者になることや、台湾出張までの出来事が書かれている。



5分で読めるミステリーです。

 

 空港ロビーの手荷物カウンターにスーツケースを預け、私はショルダーバッグから搭乗券を取り出した。


「ん? あれ?」


 今朝、バッグに入れたと思った本がない。チケットは顎に挟んで、せわしなく中を探してみた。


「──しまった。やはりない」


 機内で読む予定の本を、うっかり家に忘れてきてしまったようだ。


「うーん、まいったな……」


 近頃は推理小説にはまっている。趣味の本だから、仕事に支障があるわけではないが、ドジな自分に唇を噛んだ。

 私は首筋を撫でながら空港内のコンコースを見渡した。

 仕方がない、どこかの店に寄って代わりに読む本を買おう。とてもじゃないが四時間ものフライトに、ただ座っているだけなんて退屈過ぎて気が滅入ってしまう。私は急ぎターミナルにある書店へと向かった。


 まるでなにかに引き寄せられるように、その本を手にとった。

 装丁は赤一色だ。

 おもてには題目であろう『MEMORIES』とだけ印字されている。帯はついていなかった。お馴染みの宣伝文句は見られない。

 裏表紙をみた。安くはない。本は二千八百円している。それでもとくに中をめくるでもなく、私は謎めいたその本に好奇心が湧いた。時間を潰すには程よい厚さで、なかなか読みごたえもありそうである。

 一期一会ともいうし、このインスピレーションを信じよう。私はレジカウンターに向かった。その本を衝動買いしてしまった。


 時計に目をやりながら、急ぎ足で戻ってきた。

 だが、私が搭乗する便は、整備不良のため遅れが出ているという。

 空の旅というものは時間通りにはいかない。これも常に想定しておかなければならない。天候にも左右され、過去、何度も足止めを食らっている。

 電話して、現地のスタッフに遅れる旨を伝えた。念のため本社にも連絡を入れておいた。出張が多い私にとっては慣れたものである。こんな時はジタバタしても始まらない。

 私はラップトップを開いた。この空いた暇な時間を利用して、やりかけの仕事を片付けることにした。


 結局、定刻より二時間も遅れ、旅客機は出発した。

 

 水平飛行に落ち着き、私は眼鏡をかけた。

 むろん先程買った本を読むためだ。

 すぐに読書に没頭し、先入観も予備知識のないまま読み進めていくと、これはある人物の自叙伝であることが分かった。


 生誕から『私(主人公)』は、両親の愛情をたっぷり受け、すくすくと丈夫で明るい男の子に成長していく姿が書かれている。

 そう言えば、うちの高校生の息子にも、こんな時代があった。かわいくてかわいくてたまらなかった。

 小学生にあがった。足が早く、運動会ではいつも一等賞。中学生では陸上部に所属し、長距離走のランナーとして全国大会にも出場している。


 そしてこの頃、初恋と失恋を同時に経験。

 同じ陸上部の先輩で、走り高跳びの選手だ。それは美しい少女だった。バーに挑む真剣な眼差しと、背面飛びによって細身のしなやかな体線とが、少年の心に虹をかけた。練習はうわの空だった。ついては棒立ちとなり、たおやかな姿に見惚れてしまった。彼女に対する憧れは日に日に膨れ上がっていき、少し話すだけでも感激と喜びが胸に広がった。

 しかしその幸福は長くは続かなかった。

 彼女の転校により、無理やり恋心は引き裂かれてしまったのだ。余りにも残酷過ぎる。青い日々は一瞬でモノトーンに変わってしまった。彼女と会えなくなり、一晩中泣き腫らした。

 思春期のやりきれない心境が、赤裸々につづられている。やけに私はこの少年に共感し、自分のことのように切なく、また懐かしい気持ちで胸がいっぱいになった。


 青春時代は学業そっちのけで陸上部の練習に励み、大学はスポーツ推薦で、かねてからの念願であった駅伝強豪校への進学が決まる。

 奇妙な偶然もあるものだなと関心を持ち、さらに興味深く読み進めた。


 大学では青年の夢が叶う。

 選手として箱根駅伝の出場を果たす。だがその叙述に目が釘付けになった。

 レース中、低体温症にかかり敢えなく失速。チームが積み上げてきた順位を落とし、仲間が待つゴールを気力で目指すが、やがて意識を失い力尽き倒れてしまう。

 ──なんてことだ。これではまるで私と同じじゃないか。

 目を真っ赤にし、いたたまれず胸が押しつぶされそうになった。あの過去は忘れようとしても、忘れることができない。生涯消えることがないしこりとして、いまなお私の人生に暗い影を落としている。

 

 いったい、なんだこの本は──?

 

 伝記とはいえ他人事には思えず、ますますこの人物から目が離せなくなった。

 突然機体は傾き乗客の騒ぐ声がした。だがその声は意識の外にある。本に集中するあまり、外野は遠くなっていた。


 健康食品メーカーに就職し、主に営業畑を歩き、粘り強い交渉と持ち前のフットワークから販路拡大に貢献。はかばかしい働きをみせると、異例の出世により若くして支店長を任され、これを機に交際中の女性とも結婚。得意先で知り合った五つ歳上の姉さん女房だった。 

 実績の見返りに給料はあがった。またそれがやる気に拍車をかけ好成績に繋がる。人柄もよく人望もあって、誰からも信頼されている。社内はもちろん取引先でも、確固たる地位と評価を築き上げた。

 結婚から一年後には長男が生まれた。続いて長女、次男と子宝にも恵まれ、幸せな家庭の真っ只中にいる。

 公私共に充実し、まさに絵に描いたような順風満帆な人生だ。

 そこまで読んで私は怖くなった。

 酷似しているなんてものじゃない。これは私の人生そのものだ。郊外に庭付きの家を購入し、飼いはじめたペットの犬種まで同じなんてはなしがあるだろうか。

 これは単なる偶然で済まされるような問題じゃない。まるで自分の履歴書を読んでいるかのようだ。


「ではあれは、あれも載っているのか」


 乗客の目もはばからず、私はつい大声を出してしまった。

 友人の勧めで購入したバイオベンチャー企業の株が、予想外の値上がりをみせ、現在は買った値の五倍で推移している。だがもう二年動きはなく、これが高止まりか、下がる前にいち早く売り抜けるべきか、私はずっと悩んでいた。

 ──よし、あった。書いてあったぞ。

 そのくだりを見て、私は目が飛び出しそうになった。

「な、な、七百倍ー?!」

 本を持つ手がぶるぶる震えた。すぐさま立ち上がって、棚の荷物からラップトップを持ち出し確認してみた。

 間違いない──。見たこともない数字が並んでいる。 

 こんなこともあるのか、いきなり私は億万長者だ。驚きのあまり呼吸が止まりそうになってしまった。


 飛行機は激しく揺れた。

 何度もピッチングを繰り返している。しかしもはやその揺れさえ、夢心地の時間だった。

 ──いいぞ、これは私の自伝だ。

 しかも人生のバイブルになるかもしれない。

 もう夢中で本を繰る手が止まらない。

 昨年より私は営業本部長に昇進し、海外躍進を視野にアジア各地を歴訪している。

 記述は台湾出張まできた。ようやく自叙伝は、この現代に追いついたのだ。従ってこれから読むストーリーは未来ということになる。

 喜びが吹きこぼれそうだ。

 残りページを察するに、まだまだたっぷりと余生が残っている。億万長者となった今、どんなバラ色の将来が待ち受けているのか期待に胸がふくらんでいた。

 やけに周囲は賑やかだが私には関係ない。前途洋々たる人生は、すべてこの本の中に詰まっている。

 はやる気持ちを抑え、私はついに未来の頁をひらいた。


 ──え?!


 と直ぐに次のページもめくってみた。

 さらにその次、また次と。

 ない。何も書いてない。

 真っ白だ。以降は全部白紙である。


「まさか、これで終わり──?」


 その時、女性の悲鳴が耳朶を打った。

 顔をあげると客たちが一箇所に固まっている。

 私はなにごとかと席を立ち、客たちが集まる方に向かった。群がる背をかき分け、窓の片隅から外が見えた。


「そ、そんな……」


 私は顔色を失った。

 翼にあるエンジンが火を噴いて真っ赤に燃えている。


 意識がぐるぐると走馬燈のように・・・・

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― 新着の感想 ―
[良い点] 本作も文句なしに面白い。 また文章も贅肉が削がれ、キビキビとしていると思います。 ある程度オチは先読みできるとはいえ、一気に最後まで牽引する力がありますね。
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