帰り道が退屈だから
「悪魔が居るとしても、こんな田舎でなにをするんだって思うよな」
友人の言葉に僕は頷いた。
「たしかにね。もっと都会に行って、政府の要人にでもとりついたほうが絶対に、多くのことができる。十歳の女の子にとりついてもなにもできない」
「そうだよな! 大体あいつ、目立ちたがりなんだ」
彼が云っているのは、三ヶ月前から学校を休んでいる女子児童のことだ。半年前の授業中に突然、血のまざったものを吐き出して、白目をむいて倒れ、痙攣していた彼女を、僕ははっきり覚えている。それから彼女は週に一回だけ登校していたのだけれど、三ヶ月前にまた倒れてから、学校に来なくなった。
今日、学校は噂で持ちきりだった。彼女が悪魔祓いをうけたというのだ。
ここも田舎だけれど、また別の田舎の町へ、親と一緒に行って、三ヶ月かけて悪魔を祓った。偉いひとが、悪魔は居なくなったと云った。だから、週明けから彼女は、学校へ戻ってくる。
「俺、あいつ、きらいだな」
彼は顔をしかめた。「来なくてよかったのに」
「そういうことを云っちゃあ、だめだよ」
「だけどさ……」
彼はいいよどんで、結局口を噤んだ。僕は彼が、彼女を苦手にしていて、こっそりといやがらせをしていたのを知っている。彼は誰にも気付かれていないと思っているみたいだけれど。
「彼女が来たら、あたたかく迎えよう」
「……ああ」
「なんだい? いやなの?」
「だって、悪魔だなんてさ。そんなの嘘に決まってるのに。悪魔なんて居る訳ないじゃないか?」彼は鼻に皺を寄せる。「あいつ、また目立つつもりだ。倒れたのだって目立ちたいからなんだ。目立って、心配されたいだけだよ」
「ひとに迷惑はかけてないんだから、いいじゃないか」
「迷惑だよ、凄く。嘘吐きはよくない筈だろ。俺らがちょっと冗談を云っただけでも先生は怒るのに、あいつが悪魔に憑かれてたって自慢をしたって、きっと怒らないぜ」
「そんなことはないと思う」
「そう?」
「そうだよ。きっと、そういう話はしてはいけませんって云われる」
「それはいやだな」
「なにが?」
彼は突然走り出し、僕はそれを追った。彼は、村外れの橋の、欄干に飛びのって、危ういバランスで立っている。
「危ないよ」
「俺がここから落ちたら、悪魔に憑かれてるって云われるかな」
「云われない。男の子がばかなことをしたって思われるよ」
「どうして俺らがなにかすると叱りつけられて、あいつは目立てるんだ? どうしてあいつの悪魔の話は嘘だって叱られないんだ? 嘘に決まってるのに、先生がそう云わなかったら、あいつはほんとのことを云ってるってことになる」
「僕らにはどうしようもないよ」
安心なことに、彼はすぐに欄干から降りた。
並んで橋の上を歩く。古い石造りのもので、最近修繕された。建築技術の発達で、昔よりももっとずっと頑丈になったそうだ。
「目立ちたいというのは、悪いことじゃないだろ」
「……そうかな」
「僕だって、注目されたいし、いろんなひとに顔や名前を知られたいよ。僕の噂をしていないかなって思うこともある。誰かが僕のことを話していないかなって」
「ほんとか?」
頷く。
彼は、どことなく、ほっとしているように見えた。
橋の向こう、道が分かれるところで、僕らは立ち停まる。「なあ、俺、あいつのこと無視するよ」
「君がそうしたいなら、そうしなよ」
「でも、意地悪はしない」
「意地悪?」
小首を傾げると、彼は肩をすくめた。はずかしそうに目を逸らす。
「ほんとのこと云うよ。俺、あいつに意地悪してたんだ。あいつの鞄に水をかけたりとか……」
「あれ、君の仕業だったのか」
「ああ。お前には云うけど、でも誰にも云うなよ。子どもみたいではずかしいからさ。あいつに謝りたくもないし」
本当はずっと前から知っていたけれど、知らなかったふりで、頷いた。彼は安堵の息を吐く。
「あいつのこときらいだから、関わらないようにする。無視するんだ。でも意地悪するのはやめる。意地悪したらあいつ、誰かから注目されてるって思うかもしれない」
「それは、ありそうな話だね」
「だろ。だから、もう、無視だ。完全に無視する」
彼は晴れ晴れした顔で頷いた。「ありがとうな。お前と話すと、大体、解決方法が見付かるんだ。お前のおかげでばかなことしないですむ。お前がいなかったら俺、ケーサツに捕まってるかもしれない。お前、神父さまみたいだな」
僕らは大声で笑い合い、手を振りながら別の道へと走っていった。
麦畑の畷を歩いていく。僕は彼が気付かずに云った皮肉に、まだ笑っている。
彼女が本当に悪魔に憑かれていたとしたら、その悪魔はまだ姿を消していないだろう。
悪魔祓いに意味はない。あれは、精神的な不安を和らげる為のものであって、本物の悪魔を追い払う力はない。十字架や聖水や、聖なる祈りも、なにも効力はない。
悪魔が田舎の十歳の女の子にとりついて意味はあるか、と云われたら、あると答える。
悪魔は主への忠誠心をぐらつかせる為に、そんなことをする。年端もいかない女の子がもの凄い形相でのたうちまわるのを見れば、主の力を疑う人間は確実にあらわれる。
それに、彼のようなひとも居る。どうしてなんの権限もない女の子にとりつくのか、と考える、理性的な人間だ。
彼のような人間は、悪魔の存在を信じなくなる。なにかの精神疾患だと思って。
悪魔を信じないと云うことは、主も信じないと云うことだ。
「おい!」
振り返ると、彼が走ってくる。僕は立ち停まる。
「どうしたの?」
「この間かりた本、返すよ」
「明日でいいのに」
「いや……面白かったから、別の、読みたい」
「ああ」
彼から差し出された図鑑をうけとる。彼はどうやら、一回家に帰って、すぐに出てきたらしい。
彼の家には何度か行ったことがあるが、彼の母親からは大変感謝された。僕と友達になってから、彼は成績がよくなり、以前は目もくれなかった本を読むようになった。僕の影響だそうだ。
「じゃ、家へ来る?」
「いい?」
「うん。今日、母さんがケーキを焼いてくれてる筈だよ。母さんはいつも、僕が三人くらい居ないと食べきれない量を焼くんだ」
「やった!」
彼は嬉しそうに笑って、走り始める。僕も走った。
しばらくすると、どちらも疲れて速度をゆるめる。「ねえ」
「うん?」
「さっきの話だけどさ」
彼は振り向いて、首を傾げた。
「もし、君の友達に悪魔が居たら、どうする? そいつが、一緒に帰ろうよって誘ってきたら?」
彼は笑った。
「そうだな。お前がいいって云うなら俺はなにも云わないよ。どうせ、悪魔なんて居ないんだから」
実際には彼は、帰り道が退屈だから同じ方向の子が増えて嬉しいと云ったのだ。