ACT26 紅の女賊
「正義が通らぬなら、全てを無にして滅ぼしてくれよう!」
ダンに論破され、激昂したラファ・アリエルが叫んだ。
ラファは、懐から赤銅色の呼び子を取り出した。
ラファ・アリエルが、呼び子を吹いた。鋭い呼び子の音が、周囲に響き渡った。
「これを見よッ!」
ホーン・アストレア側にも、切り札があった。
閉ざされていた西門の巨大な門扉が、きしみながらゆっくりと開いた。
霊廟で対峙する双方に、大きなどよめきが走った。
西の扉から突入してきた騎馬は、五十騎余り。全身を覆う黒金の甲冑姿の騎士が、騎乗している。
騎馬が旗竿に掲げた旗と盾についた鷲の紋章は、ザネッティ家のものだった。
「ちっ、ザネッティが裏切り者だったのか」
馬車の後方を守っていた儀仗兵の一人が、儀礼用の帽子を脱いだ。そこには、ボルト師範の次男、ジン・ボルトの厳しい表情があった。
「サキ姫! こいつらは、俺達で倒すしかないぞ」」
剣術に優れたジン・ボルトとはいえ、馬上の騎兵と徒歩でまともに立ち会うのは不利だった。
広場に、ザネッティ軍が割って入ってきた。ヴァンダール側の退路をふさぐため、東の門の前に展開する。
全員が、馬上用の携帯用の小型の弩を手にしていた。五十以上の弩から放たれる矢の全てを防御することは、ジン・ボルトとサキの腕前でも不可能だった。
まして、国王側の騎兵は馬車を守る数騎にすぎない。
ザネッティの裏切りに、王家側の軍勢に衝撃が走った。
「これで、形勢が逆転したな!」
ラファ・アリエルの勝ち誇った声が、霊廟に大きく響き渡った。
(おかしい!)
大刀を構えて、ダンの前に立ったサキの脳裏に疑問が芽生えていた。
サキが疑問に持ったのは、ホーン・アストレアが何も反応を示さないことだった。
アストレア王国滅亡時の攻防戦の傷がもとで、言葉を失っているという触れ込みだが、それにしても無反応すぎる。
ホーン・アストレアが何かを命令し、それをくみ取ったラファ・アリエルが言葉で命令を下すのはわかる。
だが、ホーン・アストレアは、何も反応を示さない。
黒金の甲冑に身を固めたホーン・アストレアは泰然自若として、両足で大地を踏みしめて立っている。そこには殺気も感じられないどころか、全ての感情を殺しているようにさえ見える。
だが、その甲冑の中でうごめく何かの気配は、サキの感覚に警戒を促すようなものだった。
ザネッティ側の騎士が構える弩を見せ恐怖感を植えつけるように、ラファ・アリエルが意図的に間を置いた。
「撃てぃ!」
ラファ・アリエルの声に応じて、ザネッティの軍勢が動いた。一斉に、携帯用の弩を持ち上げた。
(来る!)
サキは、反射的に大刀を構え直した。
サキ自らが、盾となる構えだった。
自分が射られても、国王陛下の替え玉に扮していた父親のダンを護る覚悟だった。
ダンが持つ神官の杖では、同時に飛来する数十発の矢に対抗できるはずがない。
◆
携帯用の弩から、五十を超える必殺の矢が放たれた。
「何ぃ!」
ラファ・アリエルの驚愕の声が、霊廟中に響き渡った。
(えっ? 何が起きた?)
矢に貫かれることを覚悟したサキは、突然の予期せぬ出来事に戸惑った。
ラファ・アリエルの合図と同時に、弩を持った連中が一斉に向きを変え、ラファ・アリエル達の方に向けて矢を放っていた。
ホーン・アストレアの護衛が、次々に矢傷を負う。
かろうじて矢を戦斧で弾き、ラファ・アリエルが叫んだ。
「ザネッティ! ここに来て裏切ったか!」
だが、ザネッティの旗印を持つ騎士の兜の奥から流れてきたのは、涼やかな笑い声だった。
ラファ・アリエルの顔色が変わった。
「貴様! 何者だっ?」
馬上の騎士は、ザネッティではない。
何者かが、ザネッティに化けている。シュルクーフのゼラーもろとも、ザネッティ側の全員が偽者に入れ替わっていた。
「野郎共! 掛かれ!」
ザネッティの鎧に身を固めた何者かの大声が、霊廟に響き渡った。肺腑をえぐるような大声に反応し、偽のザネッティ軍が一斉に鬨の声をあげて広場ホーン・アストレアの護衛に向けて突進した。
騎兵の数なら、ホーン・アストレアの護衛の方が少ない。
形勢が、再度逆転した。
「ラファ・アリエル! いや、アルバ・クロフォード! 久し振りだねぇ!」
アルバ・クロフォードは、レグノリアでは隠していた自分の本名を呼ばれ、思わず驚愕の声をあげた。
「貴様は何者だ!」
馬上の騎士が、ゆっくりと兜を脱ぎ捨てた。
朱色の覆面で、両目以外の素顔が覆われている。覆面の中、圧倒的な熱量を放つ青い双眼がアルバ・クロフォードをにらみつけている。
「忘れたとは、言わせないよ! 何度も煮え湯を飲まされた奴の声忘れるほど、耄碌しちゃいないだろ?」
ティオ・ザネッティに化けていたのは、マオだった。
「貴様……」
ザネッティが憎々しげに、紅の覆面のマオをにらみつけた。
「ザネッティが、全部白状したよ……ヴァンダール国王陛下を襲撃し、マーレがヴァンダール王家を乗っ取ろうという計画は、二十数年前に叩きつぶしたはずだけど、懲りずにまた企んでいたとはね。
失敗した計画に固執するのは、アルバ・クロフォードの悪い癖さ」
アルバ・クロフォードの記憶に、その声と姿が蘇ってきた。それは、何度も煮え湯を飲まされた宿敵だった。
「その覆面は……まさか、紅の女賊!」
「久し振りだねぇ、マーレの軍師ともあろうものが、ラファ・アリエルなんて死人の名前に変えて、こんなところに出没してるとはね……」
「ふん、アストレアの荒野でのたれ死んだとばかり思っていたぞ」
気を取り直したアルバ・クロフォードが、ゆっくりと長柄の戦斧を手にした。
戦斧の石突きを大地に突き立てた瞬間、アルバ・クロフォードの身体が空中を舞った。空中で身体を丸めて一転するなり、馬上にその姿があった。
正体を見抜かれた動揺から、一瞬で立ち直っている。
「今日こそ、決着をつけてやる! ゆくぞ!」
騎馬が、大きくいなないた。
「望むところだよ!」
マオが、自分の騎馬を鞭打った。
二頭の騎馬が、互いの真っ正面に鼻面を向け、勢いよく走り出した。
双方とも、正面衝突を避けようともしない。
騎馬がすれ違う時、刃が噛み合い火花を散らした。速度を殺さずに交差した二頭の馬が十数間を置き、再び対峙する。
実力は互角だった。
互いの得物も、同じ長柄の戦斧だ。
今度は、互いの背後を取り合うように、二頭の騎馬が巴を描いた。猛犬が、互いの尻に噛み付こうかという軌跡を見せる。
(えっ? この声音は……母様?)
一番驚いたのは、サキだった。
紅の覆面姿の女賊の声は、間違いなくマオだった。失踪したはずのマオがどうしてここに姿を現したのか、何故このような姿をしているのか、サキには理解できない。
だが、そんなサキの意識を敵に集中させたのは、傍らのジン・ボルトだった。
「こっちは、ホーン・アストレアが相手だ!」
騎馬戦から視線を切った武衛府のジン・ボルトが長弓を引き絞り、ホーン・アストレアの黒々とした甲冑に狙いを付ける。王家の剣術師範のカイ・ボルトの次男のジンは、剣術だけではなく弓の腕前も群を抜いている。
弓の弦が鳴った。
弩よりも張力が弱いとはいえ、ジン・ボルトが引く強弓はかなりの強さだった。
放たれた矢が、立ち尽くすホーン・アストレアを襲う。
刹那、ホーン・アストレアの喉元のマントの留め具で霊石が赤黒く輝いた。
「何ぃ!」
矢傷も負わずに、その場にたたずんでいたホーン・アストレアが、突然動いた。先制攻撃の時も何本かの矢が当たったはずだが、ホーン・アストレアが身にまとった黒金の甲冑は、矢を弾くほど強靱な装甲だった。
予備動作も見せずに、軽い身のこなしを見せる。横っ飛びで矢をかわしていた。
そのまま、きびすを返すと駆け出した。
(早い!)
サキは、その身のこなしに驚いた。頑丈な甲冑に身を固めていて、あの素早さはサキにも信じられなかった。
人とは思えぬ素早さで、霊廟の奥へと駆け出した。
(逃げる? それとも、何か狙いが?)
サキの逡巡を断ち切ったのは、ダンの声だった。
「サキ! 急いで奴を追え! 奴こそが、霊廟を穢す張本人だ!」
ホーン・アストレアが駆けて行く先には、石組みの頑丈な霊廟の扉がある。
霊廟の地下には、歴代の王族の遺体が埋葬されている。
何が狙いかはサキにはわからないが、ホーン・アストレアの行動が不吉な結果を生むことが直感でわかった。
サキは、ありったけの強さで石畳の床を蹴った。
◆
逃げるホーン・アストレアの足元へ、何かが飛んだ。
誰かが、ホーン・アストレアの足を止めようと、石礫か何かでサキを援護してくれている。
驚くべきことが、サキの目の前で起きた。
ホーン・アストレアが振り向きもせずに、真横に飛んだ。
(あいつ、背中に目があるの?)
ホーン・アストレアは、意外な動きを見せて石礫をかわす。
立て続けに飛ぶ石礫や矢を、振り向きもせずに次々に左右に跳んでよける。
だが、その援護のおかげで、ホーン・アストレアとサキの距離が一気に縮まる。
(誰か知らないけど、助かったわ)
石礫を放っている何者かに感謝しつつ、サキはホーン・アストレアとの距離を詰める。
(奴の狙いは?)
ホーン・アストレアの動きに、気まぐれにしか感じられない緩急が生じた。
(こいつの行動……絶対に、何かを狙っている)
まるで追跡するサキなど眼中にないような、ホーン・アストレアの動きだった。
不意に、サキの脳裏に幻視が映し出された。
昨日のこの霊廟の広場で見た、白昼夢の幻視が蘇ってきた。
『相変わらず、この都は落ち着きがないわね』
影法師の思念の声が、サキの脳裏で反響した。
影法師の思念に突き動かされるように、サキの身体が勝手に反応する。
(そうか、奴の狙いはこの王都の衰退だわ)
サキは、何かわからぬ禍々しい思惑に気が付いた。
霊力が皆無で聖教の教えにうといサキでも、先祖の供養が必要だということは理解できる。
歴代の王族の遺骸が眠る霊廟を穢すということは、王家に対する恨みだった。このヴァンダール王国を守護している霊的な防御の一つを破るには、墓を掘り返して何らかの呪いを掛けるという狙いだろう。
霊廟の前で、ホーン・アストレアの足が止まった。
霊廟の地下へとつながる鉄の扉を開こうとするが、頑丈に施錠された扉が軋んだだけだった。
さらに、力を込めて扉ごと引き剥がそうとしているホーン・アストレアの背中に隙が見えた。
『あっちを直すと、こっちに響く……姿あるもの、いつかは滅ぶ道理とはいえ、ガタがくるのがちょっと早すぎるわ』
再び、昨日の白昼夢で聞いた思念の声が、サキの脳裏に響いた。
サキは、その思念の主の正体が直感でわかった。その思念の主は、明らかに毎夜のようにサキの夢に出て刀術の課題を与える影法師……レオナ姫のものだと、サキは信じて疑わない。
サキに夢の中で矢留の試練を課したのも、この騒動を見通してのことだろう。それがなければ、盗まれた新式の弩の大矢にサキは対抗する術もなくやられている。
(まだ、王都を滅ぼさせるわけにはいかない!)
サキは、ホーン・アストレアの狙いを悟った。
手段はわからない。だが、地下にある納骨堂の中に、何か不穏な妖魔でも放たれたら、ヴァンダール王国の霊的守護が崩れてしまう。
影法師の思念に突き動かされたのか、サキの身体が勝手に動く。
(今!)
サキが、跳躍した。
空中で、サキの大刀が輝いた。
背後から、ホーン・アストレアの甲冑の背中に斬りかかる。
(!)
だが、ホーン・アストレアの反応も早かった。
まるで、背後に目があるような鋭い感覚を持っている。
振り向きざまに鞘から大剣を抜き放ち、サキの一撃を防いだ。
ホーン・アストレアの大剣とサキの大刀の刃が、火花を散らした。
(こいつ、只者じゃないわ)
サキは、警戒を強めた。
これだけの大剣を、軽々と使うだけではない。
全身を黒金の甲冑に身を固めている上に、身のこなしが恐ろしく軽い。
ホーン・アストレアが、無言で大剣を構えた。
刃身が厚く、長い大剣の刃が青黒く輝く。
黒い甲冑の素顔を隠した面頬の奥で、双眼が赤黒い輝きを見せた。
(まるで、人じゃないみたい)
ホーン・アストレアから流れてくる気配は、激しい憎悪だった。
終始無言なのが、余計に不気味さを漂わせている。
(人がここまで激しい憎悪の気配を、発散できるものなの?)
警戒したサキが、間合いを少し開いた。
ホーン・アストレアが漂わす憎悪の気配は、双眼の色で嫌でもわかるが、奇妙なことにそれ以外の感情の起伏も、呼吸の動きも読めない。
ホーン・アストレアの次の動きが、予想もつかない。
ホーン・アストレアの大剣とサキの大刀が、何合か激しく打ち合わされた。
決着はつかない。
サキの大刀術は十年に渡る夜通しの鍛練で、その技量は並々ならぬ域に達している。
それに対抗できるのだから、ホーン・アストレアの技量も並ではない。奇をてらった剣捌きではない、単純なものだった。だが、その早さが尋常ではない上に、恐ろしく重い衝撃を発揮する。
《邪魔するな!》
サキの脳裏に、ホーン・アストレアの激しい憎悪の思念が流れ込んできた。
大剣の切っ先が槍のように突き出され、サキの喉元を遅う。
とっさにサキが身をすくめ、かろうじて必殺の一撃をかわした。
空を切ったホーン・アストレアの大剣が頭上で軌道を変え、サキの頭上から振ってきた。
反射的に、サキが大刀でその刃を受ける。
再び、膠着状態に陥った。
(えっ?)
つばぜり合いの中、急にホーン・アストレアの大剣の重さがゆるんだ。とっさに、サキは大刀を跳ねあげて大剣を頭上に弾き、後方に飛び退いた。
(急に、戦意が消えた?)
ホーン・アストレアの喉元で赤黒く輝く霊石の輝きが、急激に減じている。
苦戦を強いられたサキだが、なんとか膠着状態へと持ち込めた。
(絶対に、おかしいわ!)
何か、手加減をされている感覚だった。戦意が感じられたり、感じられなくなったり強弱の波がある。
戦う時に、感情が揺れ動くことは普通はない。
(人を相手にしている感覚がない)
それでいて、時々憎しみのこもった鋭い攻撃に変わる。その強弱に、サキは翻弄されていた。
刃が噛み合い激しい火花が散った瞬間、サキの大刀の柄頭に埋め込まれた宝玉が紅く光った。
突然の感覚の変化に、サキは戸惑っていた。




