ACT20 妖魔の腕
「だからぁ! あたしはあそこが苦手だって、前々から何度も言ってるでしょ!」
幽霊屋敷と呼ばれるリシャムード屋敷までの道すがら、サキのぼやきが止まらない。抵抗も虚しく、サキはリュードとシェルフィンによって、渋々引きずられてきた。
サキは助けを求めるように、静かに背後を歩くシェルフィンに視線を移した。
「シェル姐さぁあーん……」
「陽の高いうちは、大丈夫よ」
シェルフィンが、クスッと笑った。シェルフィンは、サキのオバケ嫌いを承知している。リュードと違って、サキを脅かして喜ぶような趣味はない。
「だから、なんで幽霊屋敷に行かなきゃなんないのよぉ」
サキの抗議に、リュードが苦笑を浮かべた。
「そうは言っても、今回の騒動の行き着く先を見通すには、幽霊屋敷が必要なんでね」
「必要?」
「うん……あんまり気が進まないんだが、幽霊屋敷にいる妖魔共の能力を借りる」
「!」
驚愕のあまり立ち止まったサキは、大きく息を飲み込んだ。
妖魔とか怪異現象と滅法相性が悪いサキでも、幽霊屋敷に漂う妖しい気配ははっきりわかる。霊力が皆無に近いサキでさえ、何かやばいシロモノがすみついているのが感知できるぐらい強い気配だった。
サキの目には見えないが、あの屋敷の中にはとんでもない妖魔が両手足の指じゃ数え足りないぐらいうろうろしている。
「あんまりにも危ない代物なんで、リシャムード屋敷に封印されてるからなぁ……屋敷の外に持ち出すのは、俺でもさすがに気が引ける」
シェルフィンが怪訝そうに、小首を傾げた。シェルフィンの動きに応じて、腰まで届く長い黒髪が揺れた。
「リュード、あんたは、幽霊屋敷に封印されてる妖魔がなんなのか知ってるのかい?」
「うん、屋敷の敷地に何が転がってるのかは、シーナから鍵を預かった翌日に一通り見て回ったからな」
リュードは、この屋敷の当主ゼノン・リシャムードの娘のシーナ・リシャムードから屋敷の管理を任されている。
サキは、探るようにリュードの横顔を見あげた。
「怖くないの?」
「なんで? ちゃんと封印されてるし、あの屋敷の中じゃ大人しいもんだぜ」
このリュードの感覚にだけは、サキはついてゆけない。
妖魔と聞いただけで、オバケ嫌いのサキはへたり込みそうになる。
だが、リュードは『人の迷惑にならなきゃ、隣に居ても気にしない』という、常人とズレた感性を持っている。
幽霊屋敷の門扉を、リュードは開いた。重苦しい金属の軋む音と共に、黒い鉄格子の扉が開いてゆく。
「あれ?」
サキは、いつにないざわめきを感知した。屋敷にうごめく何かの気配が、いつもと違う。
庭園内のあちこちにたたずむ異国の石像が、その向きを変えている。
以前来た時は、この石像は屋敷の方を向いていたはずだったが、今日は正門の方に向いている。
(どーせ、またリュードのイタズラよ)
以前に、リュードから聞いた石像が動き回るという話を思い出したが、暇を持て余しているリュードが、庭園内の模様替えしたんだろうと、サキは無理矢理な理屈で自分を納得させた。
そうでも思わなければ、怖くてやってられない。
「リュード? 前に来た時より妙な気配が強いわよ」
「ホントだ、何があったのかね?」
立ち止まったリュードが、庭園を見回して小首を傾げる。
「何か、妖魔達がざわついてるな」
「ちょっとぉ、やめてよ!」
「姫さんの来訪を、歓迎しているのかね」
「またぁ! あたしを怖がらそうとしてんでしょ?
石像が、勝手に動くはずがないじゃないの!」
そう言ってから、サキは一瞬動きを止めた。
(あっ! 参道広場の神将像!)
ふと、神殿の参道広場の石像が三体整列していた一件が、サキの脳裏をよぎった。
途端に、サキは不安になった。
わざわざ幽霊屋敷の石像を動かしておいて、サキをリュードが驚かせようと仕組んだとは考えにくい。いくらイタズラ好きのリュードでも、そこまで手の込んだことはしないはずだった。
だが、幽霊屋敷の中に足を踏み入れた途端、サキの不安が的中した。
「あれ? リュード?」
「どうした?」
「屋敷の中の、模様替えした?」
「いいや? 放ったらかしだが?」
「ここ、ひとつだけ武具がないんだけど? 前に来た時は、長柄の戦斧が飾られてたはずよ」
ホールに並んだ武具の一つが消えていることに、サキは気が付いた。だが、リュードは全く気にもしていない。
「そうは言われてもなぁ……歴代の当主が使ってた武具が、何十と並んでるからなぁ」
リュードが、肩まで伸びた黒い髪の中に片手を突っ込んでかき回して、改めて暖炉の方を眺めた。
「ここに棲みついてる妖魔共の数は、両手両足の指を足した数より多いんだぜ。
毎日、員数をいちいち確認してられるもんか」
「あのねぇ……シーナから、この屋敷の管理を頼まれてるんでしょ?」
「この屋敷じゃ、調度が勝手に動き回るのは、別に珍しくもなんともないんだが」
「!」
サキが、悲鳴を飲み込んだ。
リュードの言葉は、まるで屋敷の調度が生きているような口ぶりだった。
「酔っ払って寝てると、廊下を誰かが歩いた物音がしたり、気が付いたら椅子の位置が変わったりは毎晩のことなんでなぁ」
「リュード! 大概にしなさいっ!」
たまりかねたシェルフィンが、リュードを叱り飛ばした。
「ほら、お姫さんが怯えてんでしょ!」
途端に、リュードの弾けるような笑い声が響き渡った。サキは、自分がからかわれていることに気がついた。
「リュードの、馬鹿ぁあ! またいつもの作り話でしょっ!」
サキの罵声を背中に浴びたリュードが、大きく肩をすくめ大広間に通じる扉を開いた。
かつて、リシャムード一族がこの屋敷に棲んでいた時には、食堂として使われていたであろう大広間の大机に、シェルフィンが持参した王都の精密な地図が拡げられた。
王都レグノリアの建設には、失われて久しい太古から叡智を受け継ぐ天狼達が関わっている。
高度な建築技術を持つ天狼が作成した地図は、詳細な方位と縮尺で王都全域が精密に描かれている。
その地図に描かれた王都の要所要所に、位置を示すための銅貨が置かれてゆく。
「マテオ・エクトールがこの間使った、九宮飛星陣の魔法陣じゃないわねぇ」
銅貨が描く図形を眺めながら、シェルフィンが微かに小首を傾げた。シェルフィンの頭の動きにつれて、長い黒髪が揺れる。
「前回マテオ・エクトールが九宮飛星陣を描こうとした海賊島、監獄跡、呪いの杭が打ち込まれていた商家……今回の事件の発端になった弩が盗まれた練兵場、鳴らないはずの護国の鐘が鳴った古い鐘楼、神殿の参道広場、さっきの危うく焼き討ちにされそうになった空き家……うーん……本当に脈絡がないなぁ」
銅貨を並べて、少し離れた場所から、地図の全体をリュードが眺め渡した。
リュードが懐を探り、拾い集めた割れた皿の破片を納めた布包みを引っ張り出した。やはり、それはマテオ・エクトールが残した九宮飛星陣の魔法陣の意匠と酷似していた。
サキは、海賊島でのマテオ・エクトールの無惨な最期の姿を思い出し、薄気味悪そうに眉根を寄せた。間違いなく、マテオ・エクトールはリュードの"骨喰"に切り裂かれて死んだし、サキとリュードが丁寧に弔ったのも確かだった。
「ちょっとぉ……こんなもんを使って、何をするのよ?」
「地図から何か読み取れると思ったが、今回は九宮飛星陣を描いちゃいないな。しゃぁない……やっぱり、腕にお伺い立ててみるかな」
「腕?」
サキの問いは、リュードに無視された。
リュードは、大広間に隣接する扉を開き、その奥に通じる控えの間のような場所に首を突っ込んだ。
待つほどのこともなく、リュードが古びた箱を持ち出してきた。
三尺四方ほどの長さのある箱が、机上に置かれた時、鈍い金属音が響いた。木箱ではなく黒金で出来た頑丈な箱だった。黒さびの浮いたその箱は、その角にも補強の頑丈な鋼の枠がはめ込まれている。
金蔵にあれば、宝箱と錯覚しかねない頑丈さを持っている。
「何よ、それ?」
不吉な予感を覚えたサキが、思わず箱から距離を開いた。
霊力が皆無に等しいサキにでも、箱から漂っている怪しげな気配が強く感じられる。
間違いなく、この箱の中にはろくな代物は納められていない。
大きな木の机の上に、リュードがその古ぼけた箱の他に古ぼけた羊皮紙の分厚いつづりを置いた。
「リュード? それは、何?」
サキが、強く尋ねた。
分厚い革表紙の中に羊皮紙を束ねて綴じたものは、昔見た魔道書を思わせるいかついものだった。長年、羊皮紙を足したようで、羊皮紙の色合いもまちまちだった。
「これは、リシャムード家の代々の当主が妖魔を捕まえてきた時の記録だよ……何世代にも渡って書き足してあるが、詳細ないきさつまで書いてあるんだ」
羊皮紙に記された文字も、サキでは判読できないような古語で書かれている。
「どんな妖魔が、どこに居て、どうやって捕まえたのか……読むと面白い」
「そんなものに、興味を示さないでよぉ」
サキは、露骨に眉根を寄せた。今すぐにでも、この場から逃げ出したい気分だった。
「こいつは、呪具の使い方まで書き残してある」
「呪具ぅう?」
サキは、リュードの重々しい言葉に思わず釣り込まれた。
「リシャムード家の代々の当主が使っていた、妖魔封じの道具箱さ」
「!」
驚愕に凍りついたサキを無視して、リュードが箱についた錠前に、鍵を差し込んだ。
重い金属音が響き、鍵が回った。
リュードは、厳かな仕草で箱の蓋をゆっくりと開いた。
恐怖より好奇心が勝ったサキの視線は、箱の内部に釘付けになっている。
箱の中にはいくつかの仕切りがあり、見たことがないような奇妙な品物が整然と並んでいる。
硝子や瑠璃の壷や、銀の短剣、様々な霊石が輝いた。
リュードは、その中から片手に収まる程度の瑠璃の壷を出して、机上に置いた。次から次へと箱の中から古ぼけた硝子状の素材の器がいくつか出てきた。
「リシャムード家の代々の当主は、方術まで使いこなしてたのか……」
リュードが、感心したように嘆息した。
「リュードは、それを知ってるの?」
「うん、こいつは妖魔を封印するための呪具だ……もっとも、しがない占い程度の方術しか使わない俺は、触ったこともないけどな」
リュードは、その瑠璃の壷を傍らに移した。
「こいつは、妖魔を閉じ込めるためのもんだ。護符で封印してないとこを見ると、未使用みたいだな」
立ち上がったリュードが、大広間の片隅にある棚を開けると、様々な壷が並んでいて、そのいくつかは、護符が貼られている。
「この屋敷の代々の当主があちこちから集めてきた妖魔達が、ここに封印されて眠ってる」
サキは恐怖から、声も出ない。
もしも、何かの弾みに護符が剥がされて蓋が開いたらどうなるのか、サキは想像もしたくない。
「まぁ、この屋敷にはこいつら以上にやばい連中がゴロゴロしてるから、大丈夫だろ……庭の妖魔共に共食いされないように、隔離されてるんだ」
リュードは、恐ろしいことをこともなげに言う。
傍らで硬直しているサキに目もくれず、リュードはさらに箱に手を突っ込んだ。
「今回使うのは、こっちだ……」
黒い布きれに包まれた長細い二尺ばかりのものが、机上に置かれた。
「!」
サキが、おそるおそる布きれの隙間から中身を見た。
「?」
それは、枯れ枝のように見えた。
「きぃやぁああああっ!」
布きれの隙間から覗いた物体の正体を悟った瞬間、サキの悲鳴が屋敷中に響き渡った。
それは、乾燥した人の腕だった。
人の腕、ではない。
長く鋭い爪、節くれ立った長い指は、人の腕と呼ぶには禍々しすぎる。第一、腕が銀鱗に覆われている人間などはこの世にいない。
虚空を掴むかのように五本の指が折れ曲がり、今にも掴みかかってきそうな禍々しい気配を漂わせている。
古ぼけた年代物の箱の中には、来歴の記された書き付けも残されていた。
「大昔、この屋敷の当主が戦った妖魔の腕だってさ」
リュードが、恐ろしいことをさらっと口にする。
かつて、リシャムード家の当主が妖魔と戦った時に片腕を切り落とされた妖魔が、リシャムード家の当主と取引したという。
もう人へ迷惑はかけないと、妖魔が約束した。命を救ってもらう代わりに、魔力を帯びたその腕を代価として差し出す。
当時のリシャムード家の当主は、その奇妙な取引に応じた。
そして、その妖魔の行方は杳として知れない。残された妖魔の腕だけが、リシャムード家に残された。
リュードが、異国の言葉で何やら呪文を唱え、皿の破片を鉤爪状に折れ曲がった手に触れさせた。
枯れ果てて硬直した手が、微かに動いた。リュードがサキを脅かそうと、わざわざ枯れ木を削って細工したような、精緻な作り物の腕などではない。
「ひっ!」
サキの恐怖が頂点に達したのか、悲鳴も出ない。
大きな机の反対側、妖魔の腕から一番遠くに避難したサキは、その腕から目が離せない。
リュードには恐怖という感覚がないのか、極めて落ち着いている。
リュードが、そして腕の半ば開いた手に証拠の品を握らせる。枯れた手の外側からリュードが軽く叩くと、枯れた手が証拠の品をしっかりと握りしめた。
「嘘ぉ……」
サキは、半分涙目だった。出来れば、この場から逃げ出したい。だが、恐怖からサキの身体が動かない。
「この腕に宿った魔力は、近い未来を見通せるって話だが」
「リシャムード家の有名な妖魔退治伝説の一つね……確か、うちら天狼も協力したはずだわ」
シェルフィンは、驚いた素振りも見せない。
サキの視線は、動くはずのない手に釘付けになったままだった。恐怖のあまり、目をそらす余裕もない。
妖魔の腕が、皿の破片をしっかりと掴んでいる。
リュードは、腕の中程に結びつけられた革紐の端を掴んで腕をぶら下げた。
皿の破片を掴んだ腕が、革紐で水平に吊られている。天秤の要領で、リュードがその腕を目線まで持ち上げた。
「願わくば、この皿の破片が生み出す災厄の場所を示したまえ」
リュードのつぶやきと共に、腕がゆっくりと水平に回転を始めた。
地図の上、リシャムード屋敷がある場所の上に腕を吊すと、腕がゆっくりと回り、ある方向を指し示して静かに停止した。
「東の方だ」
リュードは腕が指し示す延長線上に、銅貨を置いた。
地図の上あちこちに吊した腕の場所を変えるたびに、腕の指し示す方向が変わる。
妖魔の鉤爪のような長い指は、依然として九宮飛星陣の皿の破片をしっかりと握りしめている。
再びリュードが地図上に腕を吊すと、ゆっくりと腕が水平に回り始めた。
そして、ゆっくりと動きを止める。
「どっか、ある場所を示してる」
サキは恐怖を忘れ、妖魔の腕が指し示す先を凝視した。
「南西ね」
シェルが銀貨を置いた。銀貨と銀貨の間に目印の細い紐が渡された。
「お次は、神殿か」
神殿の上に腕を移すと、再び腕が揺れて回り始めた。
「奴等が出没した場所から、探るのさ」
いくつかの銀貨を結んだ線が重なった場所に、瑠璃の壷が置かれた。
そして、腕が指し示すある一点を探し当てた。
地図上のその上に腕を吊した途端、腕が激しく回転を始めた。
「ここだ」
「!」
サキは、大きく息を飲み込んだ。
そして、その場所が何を意味しているのか、サキの頭が理解するまで沈黙が続いた。
妖魔の腕が反応した一点は、ヴァンダール王家の霊廟だった。




