ACT19 正義の暴走
リュードとサキが酒楼老虎に到着した時、老虎奥の窓辺にたたずむシェルフィンが、何か手紙を読んでいた。
いつもの藍色の木綿の上下を身につけた質素な姿だが、それが年齢不詳な美しさを際立たせている。
「あら、お姫さん……探索は順調かしら?」
紙片から目線を外し、シェルフィンがサキの方を見た。細長のまなじりの中で、褐色の瞳が考え深げな色を浮かべている。
サキに対するシェルフィンの受け答えは、いつもの柔らかい調子だった。だが、シェルフィンが漂わせる気配がいつになく険しいことに、サキは気がついた。
怒り方は、人によって大きく異なる。サキが怒ると火炎のような気配を発散させるが、シェルフィンはサキと真逆だった。
シェルフィンが怒ると、その場の空気が冷たく感じられる。
そして、今の老虎の店内には、ひんやりとした空気が漂っている。
「シェル姐さん、何かあったかい?」
リュードの声に、シェルフィンが手紙を畳んで懐にしまった。
「何かって?」
「いつになく、姐さんの御機嫌が悪そうだ……あんまり良くない知らせを受けた、って顔をしてる」
リュードが、サキでも聞きにくいことをはっきりとシェルフィンに尋ねる。
「大したこっちゃないわ……さっき、調べ物の答えが届いてね」
シェルフィンがそう言って、小さくため息をついた。滅多に感情を見せないシェルフィンが憂鬱そうな表情になるのだから、かなりの大事らしい。
「調べ物?」
「この間の、マテオ・エクトールが九宮飛星陣を使って、王都の結界を破ろうとした件の後始末さね……どうも、腑に落ちないところがあったから、シドニア大陸中の天狼に声をかけて探ってもらってたのさ」
思わず、サキはリュードと顔を見合わせた。
「まただ……また、マテオ・エクトールの名前が出てきた」
途端に、シェルフィンの褐色の瞳が鋭く光った。
「リュードの方も、かい?」
「うん、それでシェル姐さんにお伺いを立てようと老虎に来たら、こっちでもマテオ・エクトールの影がちらついてた」
サキが、手短に先程の廃屋での出来事を話した。
「これが、その時に出てきたんだけど……これを、シェル姐さんに見てもらいたくって、老虎に急いで駆け込んだの」
机上に並べられた紙切れよりも、皿の破片にシェルフィンの表情が強ばった。
「なるほどねぇ……確かに、死んだはずのマテオ・エクトールの亡霊がちらつくわねぇ」
シェルフィンが、不愉快そうな表情を浮かべた。
「マテオ・エクトール……黄泉からも、追い出されたのかしらねぇ」
シェルフィンが懐から先程の手紙を取り出し、ぽんと机上に放り出した。
それは、分厚い手紙だった。十数枚に渡る紙にぎっしりと小さな文字が並んでいる。サキの知らぬ、異国の文字だった。
「マテオ・エクトールがこの都から姿を消してから、シドニア大陸のどこに隠れ潜んでいたのか、小さな噂話まで拾い集めてもらったんだけどねぇ……どうやって、死んだはずの人間が生きてたのかはともかく、生きていたとすれば逃亡生活を助けた奴がいると踏んで調べたら、案の定だったわ」
「奴は、どこに隠れてた?」
「最初は、北のノール王国に出没して、それから数年はあちこちに出没してたけど……最後に確認されたのは、マーレ王国さ」
「ノール、バンケン、ルドー、マーレ……全部、ヴァンダール王国と仲が悪い国ばかりだな」
その異国の言葉を読めるのか、手紙に目を通していたリュードがつぶやいた。
「最後の十年は、マーレ王家の食客か……だが、その間もちょろちょろとヴァンダールに出没して、このレグノリアに潜んでた形跡がある、か。
そうすると、あの打ち捨てられていた農家がマテオ・エクトールが隠れ家にしてた場所ってことかな……“傾国の皿”の偽物を焼いていたのが、あそこってことか……こいつは、失敗作で放り出した奴かな」
リュードが、皿の破片をひねくり回した。割れているとはいえ、その表面に九宮飛星陣の文様がくっきり浮かびあがっている、ただ、実際にマテオ・エクトールと戦った時に目にした皿とは違い、その文様にむらがある。
「でも、マテオ・エクトールは、どうして王都レグノリアの霊的障壁を破ろうとしたんだろ?」
サキが、首をひねった。結局、マテオ・エクトールが何を狙って王都レグノリアに挑戦してきたのか、サキには理解ができていない。
「マーレじゃ、軍師の真似事してたみたいだねぇ……そもそもの発端は、ヴァンダール王家の黒歴史からだけど」
いったん、言葉を切ったシェルフィンが真正面からサキを見つめた。シェルフィンの褐色の瞳が、いつになく鋭い眼光を放った。
いつもの穏やかな酒楼老虎の主人としてではなく、天狼の総帥としての厳しい表情に、反射的にサキの背筋がぴんと伸びた。
「世の中には、善と悪があるわ……でも、本当はどちらにも"正義"という大義名分があるの。
もう、かなりの昔話になっちゃうんだけどね」
そう前置きをしてからシェルフィンが語り始めたのは、王族に連なるサキも聞いたことがない『正義の暴走』という王都レグノリアの黒歴史だった。
それは、悲しい物語だった。
「今から三十年以上も前……アストレア王国が滅びる少し前から、このシドニア大陸にある諸国の中に、ある思惑を持った人々が一つの結論に到ったの」
シェルフィンの言葉が、淡々と続く。
いわく、いくつもの国家に別れ、群雄割拠して互いが争っている場合ではない。諸国が連携して一つの巨大な王国を建国すれば、戦争はなくなるはずだという結論だった。
太古に起きた天変地異がなければ、元々の一つの国であり続けていたはず。このシドニアの大地に、いくつもの小国が乱立して小競り合いを繰り返していては、文明は停滞したままだろう。
その考え方は、間違いではない。
だが、千人いれば千の考え方がある。今の世の中が変わらないことを望む保守的な考え方も、また間違いではない。
このシドニア大陸の諸国を一つの国にまとめ上げようという統合派の方が、少数派だった。いくら大きな志を掲げ、声をからして訴えても、意見は一つにはまとまらない。
「正義ってのは、人の数だけあるわ」
シェルフィンの言葉が、サキの脳裏に響いた。
「巨大な帝国を創り上げれば、争いのない世界が待っている……そう考えた権力者達は多いわ。最初は、『争いのない平和な世界を創りたい』って、高潔な志だったんだろうけど……世の中は、そんなに単純に出来ていないのさ」
世の中は、その世の中に生きる全ての人々の利害が、複雑に絡まっているものだった。その利害関係があるから、いくつもの小国が生じてきたのが、このシドニア大陸の歴史だった。
「太古から、人は何一つ進歩しちゃいないわ……歴史書をひもとけば、そんな欲望の醜い争いは、山ほど記録されているもの」
アストレア、ヴァンダール、マーレを統合すればシドニア随一の国家が誕生する。そうすれば、北の強国ノールにも対抗できる。
そして、ノールさえ倒して統合できれば、戦乱もなくなる。そう考えたのがマテオ・エクトールや、あちこちの一部の王族達だった。
「マテオ・エクトールが王都レグノリアに姿を現したのは、三十年以上も前の事さ。
お姫さんも知ってのとおり、ヴァンダール王国は国の規模の割に兵力がないわ。リシャムード家、シェフィールド家、アンガス家とか有力な諸侯が王都を護る形で、ヴァンダール王家としての直属の兵力は微々たるもの。聖教の中心地としての神殿があるからこそ、それでも国の安定が保たれているのさ」
「……」
サキは無言で、シェルフィンの次の言葉を待った。
確かに、ヴァンダール王国は版図の広さと比べて、動員できる軍事力は極めて少ない。
「兵力が足りないから傭兵とかも使うし、あちこちの諸国から流れてきた軍師とか、将軍とかが食客として王家に出入りしていたのさ。
その中で、アーヴィン家に食客として滞在していたのが、マテオ・エクトールさ。魔道士でありながら、魔道嫌いのヴァンダール王家にどうやって取り入ったのかまでは知らないけど、多芸だったから魔道じゃなくて絵画、音曲、詩歌とかの芸術の才能で入り込んだみたいね。
でも、本当にアーヴィン家が欲しがったマテオ・エクトールの才能は、軍師としてだった」
「軍師?」
「ありとあらゆる分野で一級品の才能を示したマテオ・エクトールは、軍略にも造詣が深かったわ……確か、手書きで軍略書も書き記してたって話だったから。
でも、マテオ・エクトールの本心は違った……アーヴィン家に食い込んで、シドニア大陸の諸国統一という壮大な夢を吹き込んだのさ。
それに、アーヴィン家の若い総領息子ジェド・アーヴィンが賛同しちゃってね」
「……」
サキは、言葉も出ない。今まで、王都レグノリアの中に生まれ育っていながら、聞いたことがない話だった。
だが、シェルフィンの言葉は続く。
「自分が、ヴァンダール国王に即位すれば、他の諸国との統合が可能だって考えて……でも、ヴァンダール王家での王位継承権は一位ではなかったから、自分が即位するには邪魔な存在が何人もいた」
「王位継承権が、上位の存在?」
「そうさ……」
シェルフィンが、ヴァンダール王国の秘された話を語ってゆく。
「ヴァンダール王国は、ヴァンダール王家だけのものじゃないわ。政治の表に立つのが、ヴァンダール王家。でも、それを支えるために縁戚関係を結んだ諸侯にも、王位継承権はあるのさ」
「王族って呼ばれる諸侯の事?」
「そう……ヴァンダール王家の世継ぎが途絶えた場合、リシャムード家、シェフィールド家の順に各家の長男がヴァンダール家に養子に入って、ヴァンダール王家を継ぐ事になっているわ……アーヴィン家は、その下の王位継承権だったわ」
「うちの方が、上位?」
サキは驚いた。シェフィールド家が王族だということは承知していたが、序列三位の家柄とは知らなかった。
「まさか、自分の存在がこの国でどれほど大きいのか、お姫さんは知らなかったのかい?」
サキの無頓着ぶりに、シェルフィンが呆れた顔をした。
「だって……王位継承権なんて興味もなかったし、そもそも天狼との"約定"を受け継いだ時点で、王族の地位なんて捨てる覚悟だったしぃ……」
サキは、正直に自分の無知を認めた。
自分が、王位継承権を持っていることなど興味もなければ、面倒な政治などなおさら興味がない。
だが、自分の思惑とは無関係で、血筋というものは存在している。
さらに、シェルフィンの話が続く。
「ヴァンダール王国にも、シドニア大陸の統合派は何人もいたし、そのまとめ役となったのがアーヴィン家……アーヴィン家がヴァンダール王国の王となれば、マーレとアストレアとヴァンダールという三つの王国を統合することが出来るわ」
「でも、王位継承権ではアーヴィン家は序列四位だから、すんなりと王位に就くのは望み薄……ってこと?」
「そう。だから、力ずくで王位継承権を得よう、って間違った方向に流れたの」
統合派は、己の考えが正義だと信じている。その正義感による行動が暴走してゆき、目的を達するためには力による制圧も辞さないという本末転倒が起きてしまった。
「自分より上の王位継承権を持ってる連中が消えれば、自動的に自分が王位継承出来るはず……ヴァンダール皇太子を暗殺できたとしても、残るリシャムード家はレオナ姫の騒動で王位継承権は放棄してるから、シェフィールド家の長男が消えてくれればいい」
「ええっ? うちの長男って……まさか、あたしの父様?」
サキの声が、驚きに裏返った。
「そのまさかさ……まずは、ダン・シェフィールドを亡き者にする必要があった」
「でも……父様が、生きているってことは……」
「流血沙汰のお家騒動が、この王都レグノリアで勃発しちゃったんだけどね……結果は、大失敗。
全ての陰謀が露見して、マテオ・エクトールが自害して決着したことになってるけど、その陰謀に露見したアーヴィン家は当主が幽閉……数年後に亡くなったって噂話を聞いてるけど、自害か何者かによる毒殺なのかはわからないわ」
「……」
サキには、沈黙するしかなかった。
王家の黒歴史は、サキの想像以上に根深い。
水面下での権力争いや、王族が引き起こしたゴタゴタはこの百年で十指を越えるのだろう。
サキの困惑した表情を見て、シェルフィンが苦笑を浮かべた。
「まぁ、これが現実だわね……人々が同じ空間で生きる以上、欲のぶつかり合いは避けられないわ……お姫さんのシェフィールド家みたいに、権力欲がない方が珍しいわね」
シェルフィンの話は続く。
シドニア大陸中の諸国を統合するためには、反対する者を力尽くで排除することも辞さない。その考え方は、正義の実現ためには犠牲もいとわないという誤った考え方へと暴走していってしまったという。
「正義の実現のためには、多少の流血も辞さないってね……でも、血を流すその当事者達にとっては、たまったものじゃないわ。
自分の目的を達成するには、邪魔な者達を始末しても許される?
ならず者が、金のために自分以外の誰かが犠牲になってもいい、という考えと何ら変わらないわ……しかも、国の規模でそれを実現しようって言うのは、さらに騒ぎが大きくなっちゃうもの。
過去の戦乱の歴史から、人は何も学んでいないってことね」
「……」
「王家の中のお家騒動だから、その時はうちら天狼は一切関わらなかったし、今回も関わる気がなかったんだけどねぇ……でも、それが本当に良いことなのか、ちょっと悩ましいねぇ」
シェルフィンが腕を組んで、少し考え込む素振りを見せた。
「今回の件は、リュードとお姫さんが組んで動くのを黙認しようと思ってるんだけど……リュード、あんたはどうしたい?」
「まぁ、マテオ・エクトールの亡霊がさまよい出てきた以上、捨てては置けないかな?
王都レグノリアの霊的防御が破られたら、俺達天狼も迷惑する」
リュードの言葉に対して返ってきたのは、シェルフィンの長いため息だった。
「わかったわ……マテオ・エクトールが墓場から出てきた以上、天狼も関わらざるを得ないわね」
王都レグノリアに住み暮らす天狼の総帥のシェルフィンが決断したということは、天狼が『約定』に基づき、サキに協力してマテオ・エクトールの亡霊と対峙することを意味する。
シェルフィンが懐を探り、銅貨を六枚引っ張りだした。
「リュード、ちょいと占っておくれ」
銅貨を受け取ったリュードが、微かに驚いた表情を浮かべた。
「シェル姐さんが、占いに頼るのも珍しい……何を占えって?」
「占って欲しいのは、今回の騒動の落とし処だね……うちら天狼が動くことで、どんな影響が生じるのか見当がつかないからねぇ」
シェルフィンの言い分は、サキにも納得が行く。
王家のお家騒動には一切関わらない方針を堅持している天狼としては、それがどれだけの騒ぎになるのか神経質にならざるを得ない。
「また、漠然とした願いだなぁ」
リュードが、銅貨を弾いた。
そして出てきた神託は、サキには意味が皆目わからない漠然としたものだった。
「条件付きの卦だなぁ……上空から鷹が襲ってくる。その鋭い爪を避け得れば、災いが吉に転じる……鷹が何を意味するかで解釈が代わるし、誰がそれを避け得るのか?」
リュードが、肩まで伸び放題の自分の黒髪に手を突っ込んで、乱暴に引っかき回した。
そして、シュードが口にしたのは奇妙な言葉だった。
「しゃあない、リシャムード屋敷の知恵を借りるか」




