ACT10 簡単な仕事
「おかしいな」
暗闇の中、シンバの傍らからシャモンの小さなつぶやきが聞こえた。余人には聞き取れないような、かすれた小声だった。"蛍火"達の会話は、特殊な偸盗術の鍛練を積んだものだった。対象の人間には明瞭に聞こえるが、その近くにいても他人にはほとんど聞き取れない。
「簡単すぎる。
話が、出来過ぎてるんだ……こりゃ、口封じにバッサリってのもあるぞ」
「まぁ、警戒しておこう」
「シンバ! もうちょっと、真面目に人の意見に耳を傾けろ」
「わかってるさ……まったく、シャモンは口うるさい」
シンバが、片頬に苦笑を浮かべた。決してシンバとシャモンが対立しているわけではない。むしろ、シンバとシャモンは偸盗術の師弟関係にある。
シャモンは、先代の"蛍火"の首領だった。シンバが跡目を継いだのを機に隠居するはずだった。だが、マテオ・エクトールから頼まれた仕事にシャモンは不審を抱き、現役に復帰したようなものだった。
「いいな、気を抜くな……ジルドは信用がならん」
確かに、シャモンが疑念を抱くような簡単な仕事だった。
忍び込んだ先が王城地区の武衛府だったことを除けば、ジルドに頼まれた仕事は、偸盗術に優れる"蛍火"でなくても出来るような簡単なものだった。
脱走の手助けの代わりにジルドから頼まれた仕事は、いくつかの錠前を破る程度だった。
既に、狙いの品物は目につく場所に置かれていた。
唯一の難題は、目的の獲物が大きいという事だけだった。
重い大きな獲物を数人がかりで担いで運ぶのは、どうしても目立つ。ましてや、荷馬車を使えば物音ですぐに番兵に見つかってしまう。
だが、それの解決策を"蛍火"は持っている。
武衛府の広い練兵場に隣接する倉庫から、ある物を盗み出すだけの仕事で、侵入路も脱出路もあらかじめ確保されていた。
暗闇の住人の"蛍火"にとっては、夜陰に紛れてそれを盗み出すことなど児戯にも等しかった。
運河の船着き場で、脱獄の手助けをしたジルドが待っていた。
首尾良く戻ってきた"蛍火"を確認すると、満足そうに手振りで運河を示した。
水面には、牢獄からの脱走にも使った小船が浮かんでいる。喫水が低く船底も平らな台船と呼ばれる運河用の運搬船だった。荒れた外洋では使えないが、運河や河川のような所では重宝される。
運河での荷物運びに使われる、少し大きい艀だった。
盗品と"蛍火"達を収容すると、運河に浮かんだ小舟が、ゆっくりと水面を滑るように動き出した。
船を操る水夫も、指揮を執るジルドも終始無言だった。
船の積荷には、暗色の布が被せられ暗闇に紛れている。"蛍火"達も、その布の陰にもぐり込み、外からはその姿はうかがえない。
運河が巡らされた王都レグノリア内の移動は、船の方が便利だった。
運河から河口の港湾地区へと船が滑り込むのに、さほどの時間もかからなかった。
ジルドと"蛍火"達を下ろし、船は再び暗闇に包まれる運河へと消えてゆく。
「さぁ、隠れ家に行こうじゃないか」
ジルドが、囁いた。
そこは、港湾地区の倉庫が建ち並ぶ区画だった。
倉庫と倉庫の間に狭い道が縦横に走っているが、倉庫街は真夜中では人気はない。
「もともと、昼間でもそれほど人通りはないんだ……この周辺は、使われなくなった廃倉庫ばかりの地区だからな」
ジルドが、自慢げに囁いた。
「あの御方が身元を隠して、この区画を丸ごと買い取ったのさ……だから、誰もここをうろつくことはないのさ」
「俺達を隠すにしては、大げさな歓待ぶりだな」
「なーに、種を明かしたらがっかりするだろうけどな。
あの御方が、別の目的でこの区画を使う予定なんだが、それまでまだ間があるので、お願いして拝借しただけさ……だから、宿代を払えなんてケチな話じゃない」
ジルドは、上機嫌だった。
普段から陽気な男だが、特に今夜のジルドは機嫌が良さそうだった。
そして、そこが"蛍火"の首領シンバの感覚を、微妙に刺激する。
ジルドに案内されたのは、一軒の倉庫だった。
人の気配はない。
無人の廃倉庫の扉には、封印代わりに細長い木材を交差させて釘が打ち付けられている。
「おい、こいつをはがしたら中に忍び込んでるのがバレるぞ」
「大丈夫だよ。見かけは封印しているように見えるが、ちゃんと細工して出入りできるように板を打ち付けてあるのさ」
ジルドが、扉の取っ手を引いた。
交差している木材ごと、あっさりと扉が開いた。
「手の込んだ細工だな……」
「お前達が、また捕まっちゃ困るからな」
ジルドが、手探りで燭台に火を灯した。
燭台の蝋燭の小さな炎に照らされ、倉庫の内部が暗闇の中に浮かびあがった。
倉庫のはずが、内装は大きく改められ、民家の居間のような板張りになっている。内装工事したばかりなのか、まだ真新しい木の香が漂っている。
「一日二日は、外が騒々しくなるから俺が迎えに来るまで、外出しないで静かに隠れててくれ。
しばらくは火を使わなくても済むような、食料を用意してある……牢屋の食事に比べりゃ、ずっと豪華だぜ」
辺りを見回すと、倉庫の片隅に食料と飲料が積まれている。干し肉とチーズや、パンや果物が無造作に篭に入れられ、葡萄酒の樽と、清水の入った大きな壷がいくつか並んでいる。
「ここは、中から閂を下ろしてしまえば、外側は無住の廃倉庫にしか見えない……護民官は、入って来るもんか」
そう言い置いたジルドは、屋敷から出ていった。
◆
ジルドと呼ばれる男は、のんびりと倉庫街を抜けてゆく。その身のこなしは、夜風に吹かれて酔っ払いがそぞろ歩きしているように見えるが、不思議なくらい足音がしない。
ジルドが歩みを止めたのは、先程上陸した港湾地区の波止場の一角だった。
陸に引き揚げられた小舟が、波止場にいくつも並んでいる。その物陰の一つで、何者かの気配が動いた。
「予定通りか?」
何者かが、物陰からジルドに声をかけた。辺りをはばかるような、警戒した小声だった。
ジルドが、クスッと笑った。
「全員が、倉庫に入った。
気が緩むのは、もう少し深夜だろう」
「こっちは、手はず通りだ」
「なら、今夜中に始末をつけろ……あの御方が指揮を執る。それまで、一人も逃がすんじゃないぜ」
ジルドが言い捨てて、運河の方へと通じる小道を歩き去る。
しばらくして、物陰から人影がわき出てきた。
姿を現したのは、片頬に斜めに走る鈍色の刀傷が残る凶暴そうな面構えのたくましい男だった。
それは、今朝方に神殿前の参道広場でアストレアの皇太子を襲撃に失敗し、姿をくらましたシュルクーフのゼラーだった。
二、三日潜んでいれば、"蛍火"を迎えに行くというジルドの約束は守られなかった。
それどころか、手早いことに、その日の深夜に事件が起きた。
その夜、港湾地区の廃倉庫街で、一軒の廃倉庫が炎上し、崩壊してしまった。
◆
王都レグノリアの人口は十万を超える。その気になれば、護民官の目をごまかして二、三日紛れ込むことはたやすい。
炎上した廃倉庫の中に消えたはずの"蛍火"は、ジルドに仕掛けられた罠を見破り逃げおおせていた。
夜が明けるには、まだ早い。もう二刻ほどしないと、陽は昇らない。
"蛍火"の首領を務めるシンバが、樹上で腕を組んで考え込んでいた。
焼き討ちから逃れここに潜んでから、シンバは終始無言だった。
「シンバ、これからどうするつもりだ?」
くぐもった小声が流れた。
あちこちの樹上に、人影がうずくまっている。"蛍火"が逃れた場所は港湾地区にほど近い防風林の樹上だった。緑の葉が生い茂った常緑樹の樹上を、わざわざ見上げる通行人はまずいない。
「マーレへは、戻れないな」
シンバがつぶやいた。
「我ら"蛍火"は、マーレに踊らされたわけだ……」
「まぁ、我らを捨て石にするつもりだったんだろうが……全ての罪を被せて、口封じにかかってくるとは、少し腹が立つな」
ジルドが立ち去った直後、シンバは、"蛍火"の面々に手振りで無言の指示を出し、倉庫の各所を丹念に調べ始めた。
シャモンが指揮する数人は、高い梯子に登り二階や天井裏を調べ始めた。
シンバは、残った数人と手分けして一階のあちこちを探り、隠し扉や隠し部屋がないかを確認する。
最初に、廃倉庫の内部に不審を抱いたのはシンバとシャモンだった。窓という窓が釘で固定され、内側から開かないようになっていた。
"蛍火"が生き延びたのは、この用心深さだった。消して尻尾を掴まさない"蛍火"が後れを取ったのは、ただ一度。
それは、マテオ・エクトールの命令に従って、杭をあちこちに埋めた仕事の時だけだった。気に入らない仕事を押しつけたあげく、あれこれ余計な口出しするマテオ・エクトールとの不和がなければ、あの時も仕事に失敗しなかったはずだった。
屋根の上から隣の倉庫に渡り、複数の倉庫の屋根を飛び越え終わった頃に、覆面姿の一団が廃倉庫を取り囲んだ。そして、四方から倉庫に向けて火矢が放たれた。
シャモンが、倉庫の天井裏から屋根をはがして逃げ道を確保していなければ、間違いなく炎上する倉庫からは逃れられなかった。
炎上する廃倉庫の炎に照らされ、襲撃者の指揮を執る男の素顔を見て、シンバは全てを悟った。
ジルドが『あの御方』と呼んだ、マーレ王国の軍師アルバ・クロフォードだった。
「シンバ、どうする?」
「ふん……おめおめと逃げるのは、我ら"蛍火"の主義に合わんな」
「だが、多勢に無勢だぞ……ジルド、アルバ・クロフォードだけならともかくも、我らは王都レグノリアの護民官からも追われる立場だ。
この地に、我らの味方してくれるような連中がいるものか。たとえ、味方がいたとしても、信じてはもらえまいよ」
「味方か……」
シンバが、いったん沈黙した。
シンバの次の言葉を待つかのように、気配が沈黙した。
沈黙を守っていた"蛍火"の仲間達が、シンバの長い沈黙にじれた。
再び口を開こうとした刹那、しばらく考えていたシンバが、やっと口を開いた。
「いや、頼みの綱となる人物は……一人だけ、心当たりがある」
「本当か?」
シンバが口を開くのをためらっていたのは、『どうやって連絡を取るのか』につきる。
「マイア・オーセリア・アストレア様におすがりするしか……」
「!」
シンバがもらした一言に、暗闇の中にいくつもの動揺が走った。
「マイア様か……まだ、このヴァンダール王国の王都に?」
シンバの補佐役を務める最年長のシャモンが、言葉をゆっくりと切って確認の問いを発した。
「恐らくは……いらっしゃる場所はわかってはいるが、この都で大きな騒動を巻き起こしてお尋ね者になった我らが、押しかけるわけにはゆかぬ。
たとえ、運良くマイア様とお会いできたとしても、我々はマイア様のご厚情を断って出奔した身……今更、お許しになるとは思えない」
シンバの言葉に、ためらいの響きがある。
「だが、早くお知らせしなければならない……我々の身の安全もお守り頂きたいが……アルバ・クロフォードが暗躍していることがわかった以上、このレグノリアの都でアストレアと同じ悲劇が起きるのを黙って見逃すわけにもゆくまい」




