ACT09 囚われの"蛍火"
薄暗い牢獄は、石組みの頑丈なものだった。
かび臭いよどんだ空気に不快な湿気が混ざり、長居したいような環境ではない。
高い位置にある明かり取りの窓も、頑丈な鉄格子がはまっている。窓から脱走するどころか、手が届かない高さに加え、窓の鉄格子を何とかしないとならない。
唯一の出入り口は、青銅で補強した分厚い樫材の扉で、道具がなければ偸盗術を駆使する"蛍火"といえども脱獄は難しい。その扉にも看守が内部をのぞく小さな窓が開けられ、食器を差し入れる開閉式の穴が低い位置に開けられている。
壁面には、垢で汚れた毛布がいくつも折りたたんで積み重ねている。そこには質素な寝台すらない。
三十人が詰め込まれる広い牢獄に、二十人近くの男達が座り込んでいた。
そこは、刑部府での処分が決まらない未決囚が、集団で寝起きする雑居房だった。何をするでもなく、ひたすら静かに処分を待ってしゃがみ込んでいる。
「なぁ、シンバ……おかしくないか?」
傍らにしゃがみ込んだ初老の男が、小声で囁いた。
シンバと呼ばれた男は、四十過ぎの小柄な男だった。
「何がおかしい?」
シンバが、聞き返した。声を掛けた初老の男と同様、静かな牢獄内でも周囲の他人にも聞こえないような囁き声だった。
小声で尋ねた男は、"蛍火"仲間内ではシャモンと呼ばれる。シャモンは、閉ざされた牢獄の扉に探るような視線を送った。
「俺達がここに放り込まれて、もう一月近い……だが、何の沙汰もなしだぞ」
「刑部府が、俺達の処遇にもめてるんだろ?」
「もめる? 俺達はさっさと盗人としての罪を認めたんだから、すぐにでも処遇が決まるだろうさ。
労役刑なのか、むち打ちなのか、追放なのか……盗人だが誰も殺めちゃいないから、それほど重罪にはならんはずだ」
「シャモン、そいつはどうかな? マーレ王国と俺達"蛍火"のつながりがバレてたら、そう簡単にはゆかんだろう」
「確かに、マーレ王国には傭兵として雇われていたが、雇い止めをくらって、新しい雇い主に頼まれた通りに忍び込んだって、全員が供述したんだ……それだけじゃ、マーレ王国の密偵として裁けないだろう。もし、そんな疑いがあったら、今頃俺達は水責めか何かもっとひどい目に遭わされてる」
そう言って、シャモンと呼ばれた初老の男は、微かに顔をしかめた。
ここに捕らえられている男達は、"蛍火"と呼ばれる盗賊達だった。
不思議なことに、この大部屋にとらわれている連中は、全て"蛍火"の面々だった。集団で盗みを働き捕まった罪人を、一箇所にまとめておくことは普通ではあり得ない。常であれば尋問の時に、口裏を合わせないように分散して拘束するのが鉄則だった。
捕まった時に、形ばかりの尋問があったきり、この大部屋に送り込まれてそれきり放置されている。
マテオ・エクトールが"蛍火"をマーレ王家から借り受け、九宮飛星陣の魔法陣に従って、呪術の杭を打ち込む仕事の途中で王家の近衛兵達に遭遇し、格闘の末に全員が捕らえられた。
だが、マテオ・エクトールが死んだ今となっては、"蛍火"とマーレ王国のつながりを示す証拠はない。
「だが、何の沙汰もないのはおかしい……ここに放り込まれた時も、取り調べさえ、形ばかりだったぞ」
「そう言えば、そうだな……ここに飼い殺しかい?」
シンバが話を打ち切ろうとした時、シャモンの手がシンバの腕をしっかり掴んだ。
「シンバ、お前は賢い……だが、俺の経験と勘働きも信じて欲しい」
「シャモンがそう言うなら、きっとそうだろうな……何か、裏があるってこったな?」
「うむ……何か、きな臭い。
根城に使っていた砦島も、監獄跡といい……王家の施設にもぐり込んで盗賊を働いたら普通ならただじゃ済まないはずなのに、おとがめなしで単なる盗賊として裁くってのは、いくら平和ボケしてるヴァンダール王国でも、そんなに甘くないはずだ」
「!」
二人の密談は、突然廊下で響いてきた物音でさえぎられた。
衛兵の甲冑の金属が触れ合う音だ。だが、巡回にしてはその音が大きい。ガチャガチャと鳴る金属音の響きからすると一人二人ではない。
「ほうら、来た……取り調べか、判決かな?」
つぶやいたシャモンが慌てて口を閉ざし、シンバから少し離れた位置に座り直した。"蛍火"は牢屋の中では、極めて従順な姿勢を崩さない。ひたすら逃走する機会を狙って、その一瞬までその隠された牙を剥くことはない。
バタンという音と共に、監視用の小窓が開いた。薄暗い牢獄内に、廊下からの篝火の光が差し込む。
廊下側の様子は逆光になり、うかがい知れない。
「囚人達は、扉から離れろ!
全員、壁に向かって両手を首の後ろで組んで座るんだ!」
扉の近くに潜んで脱走を狙う者がいないか、衛兵達は十分な警戒をしている。
シンバ達は、衛兵の不興を買わない程度にのろのろと背後を向いて座った。傍目から見れば、長い拘禁に疲れきった無気力な姿に見えるのも、シンバ達の芝居だった。
いくら偸盗術に優れる"蛍火"といえど、これだけの衛兵が警戒している中、正攻法で脱走を試みる度胸はない。
背後で、扉が開いた気配がした。
「入れ!」
衛兵の鋭い声が響いた。
暴動や脱走を警戒し、完全武装の数人の衛兵達の気配が扉の向こうに感じられる。
後ろ手に縛られていた綱が解かれ、一人の男が尻を蹴飛ばされて牢屋の中に転がり込んできた。
「新入りだ……仲良くするんだな」
再び、背後で扉が閉ざされた。
錠前が再び施錠される、きしんだ音が響いた。
シンバ達は、のろのろと扉の方に視線を移した。
放り込まれた男は、縛られてしびれている腕を振ったりもんだりしながら、周囲を油断なく見渡していた。
薄暗い牢屋の内部に視界が馴れてくるまで、この男は無言だった。
さりげなく男の顔を見たシンバの片頬に、微かな驚きの色が走った。
「よぉ、シンバ……久し振りだなぁ」
男の方もシンバの存在に気が付いて、小声で親しげに話しかけた。
それは、"蛍火"がよく知る男だった。
「ジルドか……」
「覚えてもらえてて、幸いだぜ」
「半年ぶりか……マーレじゃ、世話になった」
新しく牢獄に放り込まれてきたのは、マーレ王国ではジルドと名乗っていた。マーレ王国の指令を"蛍火"に伝えていた伝令役の男だった。
「貴様がヴァンダール王国にもぐり込んでいるとは、知らなかったな……何か、ヘタを打ったか?」
「まさかぁ……俺がヘタを打つものか」
ジルドが苦笑を浮かべ、シンバの隣に座り込んだ。
「"蛍火"の面々も、全員無事で何よりだ」
「嫌味を言いに来たのか?」
「おいおい、助けに来てやったのに、つれない返事だなぁ」
ジルドと名乗った中年の男の言葉に、シンバの片方の眉がぴくりと動いた。
「助けに?」
「お前達が、ヘタを打って捕まったって聞いたんでな……こんなところに埋もれさせちゃもったいないから、さっさと脱獄させてやろうかってね。
わざと流れ者の無宿人に化けて、ちゃちな微罪でわざと捕まって……ここに放り込んでもらったんだ。
うっかり……別の牢屋に放り込まれたら、ちょっと面倒だったがな。
ちょっとは感謝しろよ」
ジルドと名乗る男は、昔から常に陽気だった。だが、その褐色の眼は少しも笑ってはいない。
「どうやって、逃げ出すんだ?」
「牢獄の役人を、何人か買収してある」
「!」
「あの御方の力を、軽く見るんじゃないぜ。
万が一、お前らが失敗したとしても……まぁ、失敗したんだがな……ちゃんと、次の手を打っていたって訳さ。
だから、俺様は別行動でこの都に入って、あんたらの動きを監視してたんだ」
「ほう……そいつは、用意周到なことだな」
「マーレに雇われた"蛍火"……なぜ、ただの盗賊扱いで未決囚として放置されてるのか……全ては、あの御方のお力だ」
「なるほどな……何かの力が働いて、俺達の尋問がうやむやになったわけだ」
「それだけじゃないぜ。お前達は金で雇われただけってことにして、全部、雇い主のマテオ・エクトールに罪を被せるだけの力があるのさ」
ジルドは饒舌だった。
"蛍火"以外がいない牢内とはいえ、軽々しく口にするような内容ではない。
「そいつは、感謝しないとな」
「ただし、一つだけ条件がある」
「条件?」
「脱獄の手助けをする代わりに、もう一働きして欲しい。
なーに、あるものを盗み出すだけだ」
「いつ?」
「脱獄したその日のうちに」
「!」
「手はずは整えてある……あと必要なのは、実際に忍び込める能力のある連中だ。
ついでに、お前達の隠れ家も用意してある……護民官の本気の捜索なんざ、せいぜい三日ぐらいだ。隠れ家に潜んで警戒の眼が緩んだら、そこから出て、堂々とマーレへ戻ればいい」
「そう簡単に行くかな?」
シンバが、わずかに眉をひそめた。
話が、こっちの都合が良いように出来すぎている。
シンバの不審な表情を気にせず、ジルドが話を続ける。
「このレグノリアの都の外周にある城門は、もう何十年と開けっ放しだ。城門を閉めたり、検問を厳しく出来るのは三日ぐらいだ……それ以上やると、都への物流が止まっちまうからな。
城門の警備が手薄になったら、すぐに知らせてやる」
「そう簡単に、この都から出れるとは思えんが……」
シンバの言葉に、ジルドが思わせぶりに片目を閉じて見せた。
「そんなもん、簡単だ……この都の官吏だって、金次第で動く奴はいくらでもいる」
「……」
シンバが、静かに腕を組んで沈黙した。その様子を、周囲の"蛍火"が無言で見守っている。"蛍火"の束ねはシンバだった。シンバが決断すれば、"蛍火"の連中はそれに従う。
「よかろう、その取引に応じる……決行はいつだ?」
「今夜だ」
「!」
さすがに、シンバも驚いた顔を見せた。短期間に事を起こす場合、準備が難しい。よほど用意周到に事を進めないと、必ずボロが出て失敗する。
だが、ジルドはシンバにお構いなしだった。
「夕食を届けに来た牢番が、不思議なことに錠前をうっかり閉め忘れる手はずだ。
そして、その後ここの牢番達は昼夜の当番引き継ぎがある。牢屋の外にある詰め所で、交代引き継ぎする時間がほんの小半刻ばかりあるんだ。
そして、またうっかり北の通用口だけ施錠が忘れられている。
次の牢内の見回りがあるのは、朝一番だ。
脱獄が発覚する前に、俺達は牢屋の外へ出て、そのまま一仕事して隠れ家に消えるって算段だ。
まさか、脱獄したその日のうちにお前達が、盗人をするとは思ってないだろう。明日の朝には王都中が大騒ぎになって、お前達の捜索どころじゃなくなるぜ」
「なるほどな……だが、ヴァンダールの官吏はうっかりが多いな」
シンバの言葉に、ジルドが思わせぶりな笑顔を見せた。
「金で作った、うっかりだ。決して、不思議な偶然が重なる訳じゃない」
そして、ジルドが計画した通り、その夜のうちに"蛍火"が牢を破って、夜陰にその姿を消した。




