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序章 新式の弩

 昼間というのに、周囲が妙に薄暗い。

 陽の光をさえぎるほどの深い霧の中だった。いや、霧ではない。どこからか流れてくる白煙が、周囲に渦巻いている。

 かろうじて白煙を透かして見える野原の向こうで、微かに何かが動いた。

 草むらに伏せていた人影が、ゆっくりと立ちあがる。

 朱色に塗った装甲に全身が覆れた、いかめしい甲冑姿だった。兜についた面頬に覆われ、その素顔も見えない。

 左手に大きな盾、右手に大剣を携えた完全武装の重装歩兵だった。

 背の高い雑草さえぎられ、その上半身しか見えない。

 甲冑姿が、ゆっくりと横へと移動する。だが、周囲を警戒しているのか、その動きは不規則で遅い。

 刹那、風が唸った。

 何かが、大気を切り裂いた。

「!」

 鈍い音が響き渡った。

 騎士の長槍に匹敵するような長い矢が、甲冑に命中していた。

 矢羽根は、盾の外側で止まっている。

 だが、左手の大きな盾を貫いた矢は、甲冑の頑丈な胴までを貫き、矢尻が背中まで抜けている。

 大きな矢に縫いつけられた甲冑は、倒れもせずその場に立ったままだった。

 その時、大きな太鼓の音が周囲に響き渡った。

「撃ち方、止めーっ!」

 武衛府を束ねる、カイ・ボルトの大声だった。

 ボルトは王家の剣術師範の立場だが、普段はヴァンダール国王の目と耳となって、『雷の旦那』というお忍び姿で王国内をうろついている。だが、今のカイ・ボルトの姿は、武衛府の正式な装束だった。

「煙を止めろ! 火を消しておけ!

 これじゃあ……こっちまで、いぶられちまう」

 ボルトの傍らに控えていた武衛府の講武堂の若者が駆け出し、練兵場の風上側で煙をあげていた焚き火を消し始める。野戦の時に横風を利用し、戦場に煙幕を張るための焚き火だった。

 待つほどのこともなく、すぐに煙が薄れて周囲が明るくなってきた。

「ご苦労だった……本当に、重装歩兵が動いているように見えたぞ」

 ボルトが、レビンとキーラの兄弟をねぎらった。

 滑車と綱を使って甲冑を移動させたとはいえ、完全装備の標的を生身の人間のように動かすのは、かなりの労力が必要だった。

 大矢に貫かれた甲冑の中身は、生身の人間ではない。

 天狼の工匠が作った、木組みのカラクリ人形だった。いくつもの綱を引いて操作することで、人間のように手足を動かすことが出来る。

「標的を回収しますか?」

 ボルトの傍らに控えていたベリアが、小声で尋ねた。

 ベリアとジェムは、すっかりボルト師範の手足となって働いている。

 かつて、カーバンクルという霊石に宿った"暗闇の聖者"の怨念に操られていた時のような鬱屈した表情は消え、生き生きとしている。彼らの更正に一役買ったボルト師範は、彼らに何かと役目を与えているのも、彼らにとっては良い効果を与えている。

「標的は、もう少しそのまま固定していてくれ……もう一発試したいから、少し左に向けて、こっちに正面を向かせてくれ」

「かしこまりました」

 ジェムが、キーラとレビンに指示を出し、矢に貫かれた甲冑の向きを変えさせる。

 足元から遠く離れた甲冑に向けて、地面に何本もの細い綱が張られていた。

 講武堂の若者の中でも怪力の持ち主の、キーラ・トロムとレビン・トロムの兄弟が綱を引っ張った。

 百間も遠くで、朱色の甲冑が再び動いた。大きな矢に貫かれていながら、まだ生きているような動きだった。

 そんな、講武堂の若者達の姿を傍らでながめていたサキの口元に、微笑みが浮かんだ。かつて、刃を合わせた連中だが、立ち直りすっかりたくましくなった。以前のように、見通せない自分の将来に不満を抱き不遇を拗ねていた姿はどこにもない。

 ジェムが傍らの大きな木組みの(いしゆみ)に取りつき、位置を変えた標的の甲冑に向けて台座の位置をわずかに修正する。

 ヴァンダール王家の紋章が刻まれた大きな台車に据えつけられているのは、サキが見たことがないような巨大な(いしゆみ)だった。移動用の車輪が取りつけられた(いしゆみ)の台座の大きさは、雄牛一頭分くらいの大きさがある。

 攻城用の投石器と、作動原理は同じだった。違うのは、大石を飛ばすのか、巨大な矢を撃ち出せるかだけだった。

「サキ姫は、これをどう見る?」

 サキの視線を感じたのか、ボルトが振り向いた。

 新式の(いしゆみ)の試射にサキを招待したのは、ボルト師範だった。

 神殿警護官のサキには、このような兵器を身近に見る機会は少ない。そして、ボルトの本音は(いしゆみ)の試射よりも、立ち直ったベリア達の姿をサキに見せたかったのかも知れない。

「矢が届く距離は?」

「二百間は充分に狙える……城壁の上に据え付ければ、もっと遠距離でも狙えるだろうな。

 長弓よりも遠くから撃てるのは、こいつの強みだ」

 本体が大きいだけに、使うのも巨大な(いしゆみ)にふさわしい大矢だった。傍らに、騎士の長槍並の長い矢が並んでいる。

「こんな長槍みたいな矢が飛んでくるのは、敵にとっては厄介ね」

 サキは、自分が狙われたことを想像し、怖そうに首をすくめた。不意討ちで、こんな矢がどこからか飛んできたら、とても避けられない。

 だからこそ、王家の(いしゆみ)と投石器は厳重に管理されている。

「弦の巻きあげに時間が掛かるのが、唯一の難点だがな」

 人力で引けるような弦ではない。

 サキが体重を掛けて引っ張っても、銅線を撚って作られた強靱な弦はほとんど動かなかった。

「だから、カラクリ仕掛けなのね」

「錨を巻きあげるのと、理屈は同じだがな」

 巨大な巻きあげ装置に、柱のような腕木が十文字に渡されている。

 歯車と複雑な梃子で、弦を引く仕掛けだった。

 ベリアとジェムが大きな腕木に取りつき、巻きあげ機の腕木を回してゆく、軋んだ音が響いている。

 それに応じ、(いしゆみ)の弦がゆっくりと引き絞られてゆく。

「準備出来ました」

「よし、全員射界から退避!」

 ボルト師範の大声に、標的の周囲にいた講武堂の若者達が慌てて退避する。こんな破壊力を見せられたら、(いしゆみ)の射界の中に立ちたい奴はいない。

 遙か太古、このシドニア大陸には聖王室と呼ばれる高度な文明があったという伝承が各地にある。人が神の域に迫ろうかという時、神の怒りに触れたのか、人の浅知恵が文明の制御に失敗したのか、大異変が起きた。炎の嵐が七日七晩吹き荒れ、人々は文明の全てを失った。

 だが、生き残ったわずかばかりの人々は屈しなかった。

 千年を経て、再び文明を築き直している。今は、そんな時代だった。

 人が空を自由に飛び、指一つで全てが出来た夢のような時代は遠い昔の話で、今は人力で全てをやらなければならない。

「撃てぃ!」

 逆鉤が外れる大きな音が、(いしゆみ)から響いた。

「うわっ!」

 サキは、思わず小さく身をすくめた。

 (いしゆみ)から放たれた矢が、恐ろしい勢いで飛翔した。

 大気を切り裂き、長槍のような矢が飛ぶのをサキは見送った。

 遠くで、金属が割れるような衝撃音が響いた。

 標的として丸太で作ったカラクリ人形に着せた甲冑の頭部を、二本目の巨大な矢が真正面から貫いている。

「遠距離からの、王都防衛戦には使えるがな」

 ボルトがつぶやいた。平和に慣れた王都の武衛府の中で、ボルトだけは何事かが起きた時に王都をどう守るのかを考えている。

 ヴァンダール王国の国境沿いの隣国の状況を見ると、平和に見えている世の中も、水面下では様々な争いの種が隠れている。

「いかんせん、連射速度が遅すぎる。

 二の矢が準備できる前に、騎兵が突入してくる……それなりの数を揃えないと、野戦には使えないな。

 だが、使い方によっては恐ろしい威力がある」

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