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魔王を倒した俺は3年前に別れた幼馴染に会いに行く

 __勇者による魔王討伐の成功。


 ほんのふた月前に告知された建国以来の吉事にノーザン王国の国民は湧きたっていた。


 大陸で最も魔物の活動が活発とされている南部に位置する王国は、古くから魔物の襲撃と切っても切れぬ歴史を歩んできた。小さな村一つ作るにしても、何重もの堀を作り、堅固な城壁を張り巡らせなければ、一月も経たずに村民全員が魔物の腹の中に落ちるような危険地帯。それでも大陸中央から追いやられてやってきた建国期の民は、たくさんの同胞の血にまみれながら、何とか国家としての基盤を作り、他国からもののふの国と謳われるほどの強健な国を造り上げてのけた。


 ただ、そうはいっても平和な他国と比べてこの国の魔物による犠牲者は段違いに多かった。幼い頃から自衛の術を教え込み、村人全員が兵としての能力を兼ね備えていたとしても、少し運が悪ければ、一夜にして滅ぶこともありうる。そんな環境に嘆くことはあれど、仕方がないものだと自らに言い聞かせながら、人々は生きてきた。だが、その運命を変える出来事が起きたのが3年前のことだ。


 その日、首都の神殿の巫女姫は一つの託宣を受けた。


『ノーザンの地を魔の住処に変える魔王。それを討つものが東の村に現れた』


 この託宣に宮中は騒然とした。大陸南部が魔物の群生地帯となっている原因。それが魔王と呼称される存在だというのは国民であれば誰しもが知っている事実である。あらゆる魔物を産み落とし続け、狂暴性を付与する魔王を討伐すれば、ノーザン王国の魔物の被害は治まるのではないか、というのは建国当初から声に上げられつつも未だ誰も為し遂げることの出来ていない夢物語である。その理由は純粋に魔王が強力すぎるからだ。国家は今までも数多の魔物の根源に挑もうと何度も試みたが、失敗が二桁を超えたあたりで誰もその案を提案することはなくなった。誰しもが願うが、決してかなうことのない夢ほど辛いものはない。いつしか魔王討伐とはノーザンの宮中にとっての禁句となっていた。そんな人々の諦観を託宣は真っ向から打ち破ったのだ。


 それから宮廷からの使いが国中のあらゆる村を駆け巡った。性別も年齢も問わず、あらゆる人物の能力を測り、それと思われる人物を必死で探し回った。そうして、一月経った頃、王の前につれてこられた若者の名をアルスという。それまで何人ものそれらしいと思われる人物をつれてこられては確信が持てず、断定を保留していた王はアルスを見るやいなや託宣の人物は彼以外に考えられないと思うようになった。それだけアルスの持つ能力は図抜けていた。


 当代最高の魔力を持つ巫女姫。百戦負けなしの風来の剣士。ノーザンの名門家の最高傑作と呼ばれる魔法使い。王の盾と呼ばれる秘中の一族の麒麟児。王はあらゆる戦力をアルスの元にかき集め、最後の魔王討伐は行われた。そして託宣から3年経ったとある日、首都の広場に集められた国民達の前で王は直々に発表した。


『勇者アルスと彼の元に集いし戦士たちによって魔王討伐は為された。今この時より、我が国の民が魔物の襲撃の恐怖に怯える時代は終わりを告げた!』


 そして、その発表を裏付けるようにノーザン王国での魔物の被害は激減した。人々は抑えていた鬱憤を晴らすように活発に交易を始めるようになり、

 人も物品も3年前の何倍もの速さで行き来するようになった。そんな国民たちの中で今最も議論が交わされている噂があった。


 __勇者アルスが戦いを共にした仲間の内の誰かと婚姻を結ぶらしい。




「あそこがアルスの産まれ故郷か! 長閑で良いところじゃないか!」


 俺の隣で馬に跨る青年が邪気のない笑みを浮かべて声を上げた。その笑みに嘘は無く、純粋に友人の故郷を訪れる喜びを表現しているのが伝わってくる。


「辺鄙っていってくれてもいいんだぜ。自分で言うのもなんだけど何もない場所だからな」

「お前の故郷だろ? それだけで十分特別だろうが。それに俺は昔から旅して回ってるからこういう村は好きだ。何度も世話になってるからな」


 魔王討伐に参加する前は根無し草の剣客として活動してきたダイモンは昔を懐かしむように言った。ダイモンが帰郷に着いてくると言い出した時は少し迷ったが、その反応に俺はほっとした。首都の箱入り娘として過ごしてきた巫女姫たちだったらこうはいかなかっただろう。元はただの村人でしかなかった俺のことを彼女たちは少し過剰に英雄視している。悪い反応をされるとは思わないが、期待を裏切ってしまうのは忍びなかったところだ。


 いつも魔物の襲撃に備えて固く閉じられていた懐かしい門は全開で開け放たれていた。3年前にはあり得なかった景色に時代の変化を感じる。門の前に立っていた村人が俺たちの存在に気づき、大きく手を降っていた。あそこにはいつも門番が立っていたものだが、今日の彼らの役目は異なるものだろう。俺が今日帰郷する旨を伝えた文呼んで、村長が気を利かせたのだ。


 彼らは村中に響き渡りそうな大声で俺の帰還を告げた。途端にわらわらと懐かしい顔ぶれの人たちが村の入口に集まってくる。


「おかえり、アルス!!」

「ただいま、おじさん」


 隣家に住んでいたおじさんに俺は笑顔で挨拶を返す。懐かしさに胸が暖かくなりながら、俺はこの場に最もいて欲しい存在の姿を探す。


「おい、アルス。例の子は?」

「……ここにはいないみたいだ」


 気を使われないように微笑みは絶やさない。だが、視線はここにはいない人物を探し続けていた。ここに帰ってくると決めた時、俺は誰よりも最初に彼女の顔が見たいと思ったのだから。


 人波の奥から村長がやってきたのを見て、俺はこの場での再会を諦めた。故郷に帰るという建前でやってきたのだから、物事には順序というものがある。俺の心情を察してかダイモンは持ち前の明るさで率先して歓迎してくれる村人の相手をしてくれていた。


 何も焦る必要はない。物理的な距離としがらみのせいで文すら交わすことの出来なかった3年間と違い、彼女は今この村にいるのだから。


 魔王を討伐し勇者と呼ばれるようになった俺は、3年前好きだった幼馴染の女の子に会いに来たのだ。




「帰って来てくれて嬉しいぞアルス。少し背が伸びたか?」

「どうかな。鍛えたから身体が大きく見えるのかも」


 テーブルの向かいに腰かけた父の顔がこちらが恥ずかしくなるくらい喜色に溢れていたものだから、俺の返事は少しぶっきらぼうなものになった。母が厨房でお茶を入れてくれているこの景色は随分と懐かしいものだった。


「3年間どうだった」

「死ぬほど大変だった、なんていうとざっくりしすぎかな。まあとにかく慣れないことばかりで苦労したよ。特に最初の頃なんか宮中のマナーなんて全く知らないのに王様に謁見することになって、いつ不況を買うか冷や冷やしてた」


 首都にも訪れたことのない父にはあまり現実感のない話だろうに、少しも嫌な顔をすることなく父は俺の話を聞いてくれた。村に帰ってきてからずっと村人たちからの大げさなほどの歓待を受けてきたが、ここにきて俺はやっと帰ってきたということを実感することが出来た。


「小さいころからお前は特別な奴だと思っていたが、ここまで大きなことを成し遂げるとはなぁ。今でも少し寂しい気持ちだが、これからはもっと遠い存在になるんだな」

「これから?」

「ああ。噂はここまで届いているぞ。お前、結婚するんだろ」


 父の口から出てきた話題に反射的に苦い表情になるのをぎりぎりで堪えた。噂は辺境のこの村にまで伝わっていたらしい。


「確かに王様から結婚相手を決めろと言われてるよ」


 魔王討伐を果たして、しばらくしてとある日、王様と二人きりで晩餐を食す機会があった。その日に言われたのだ。曰く、今や国家の英雄である俺の身柄にはこの国の誰よりも箔がついている。そんな俺と婚姻関係を結べば、今後の貴族社会で大いに有利に立ち回ることができると考えている貴族が多数いる。俺が下手な相手と結婚することで新たな争いの火種を産むことを避けたい、といった旨だ。


 そして王様が提案したのが魔王討伐時の仲間の誰かと結婚することだ。貴族の誰も文句は言えないし、民心としても治まりが良い。中でも王様としては巫女姫と結婚することを望んでいるようだった。俗世との関わりが薄い出自である彼女は最も角が立たない相手だからだ。美人で能力もある彼女と勇者の結婚は確かに、誰にとっても素晴らしい縁談に見えた。俺の意思を除けばだが。


「そうかそうか。そうなったらますます遠い存在になってしまうな。噂されているお方たちはわしでも耳にする高貴な出自の方ばかりだからな」

「……父さん、俺は」

「家のことや村のことなら気にせんでもいい。お前が高貴な方々と結ばれることには皆誇りを感じているのだ。この村の血がお貴族様の家に迎えられる誉は今後ずっと語り継ぐことのできるほどの栄誉だからな」


 俺が結婚することを信じて疑わない父の姿に俺は言葉を続けるのを止めた。


「……うん。どうなるかはわからないけど、何か決まったらすぐに知らせる」

「あまり焦る必要はないぞ。この焦れている時間も良いものさ。最近は良い知らせばかり聞くものだから、少し怖いくらいなんだ。メアリーの結婚もうまく決まりそうだというからな」

「……今なんて言ったんだ?」」


 聞き捨てにならない言葉を聞いて俺は思わず、身を乗り出しかけた。俺の心境を知らない父は笑みを浮かべて言った。


「メアリーだよアルス。お前と小さいころから仲が良かったあの娘だ。お前が首都に行ってしまってしばらくは塞ぎこんでいて中々相手が見つからなかったが、ようやく結婚が決まるみたいだ。まだあの娘と会っていないのなら、会って祝福してやるといい」

「……メアリーが、結婚するのか」


 頭が混乱していた。

 そういうこともあるかもしれないと考えないようにしていたが、いざ聞かされるとそのショックは想像以上のものだった。


「……少し外に出てくる」

「ああ、ゆっくりこの村の景色を目に焼き付けるといい」


 朗らかな父の言葉に俺は笑みを返すことが出来なかった。




 メアリーは子供が少ないこの村の中で唯一歳が近かった少女で、俺たちは物心ついた時からずっと一緒に育ってきた。遊ぶ時も悪戯して怒られる時も一緒で、親同士の仲も良かったものだから、ほとんど家族ぐるみの付き合いをしていた。村の誰もが俺とメアリーは結婚するのだと思っていた。実際に父からそういう話も上がってきていて、その時俺は迷うことなく了承した。俺自身彼女意外と結婚する未来などあり得ないと思っていたのだ。


 俺の足は自然とメアリーの家に向かっていた。まだ心の整理はついていないし、どんな風に話したらいいかまるでわからないが、とにかく彼女に会いたいと思っていた。


 彼女の家が見えてきた。当たり前だが、昔のままだ。いざ目の前にすると緊張が襲ってきて、俺は一呼吸置かなくてはならなくなった。だが、その時、扉が内側から開いた。中から現れたのは若い男だった。


 心臓が跳ねた。知らない男だ。家の中にいる誰かに向かってにこやかな笑みを浮かべている。うちのような狭い村で顔の知らない人間はいない。新たな顔ぶれが加わるパターンと言えば、行き場のない旅人を受け入れる時か、近隣の村からの移住者くらいだ。そしてそういう場合、大抵は婚姻が絡んでくる。


 男はちょうど家から出てくる時だったようで、中の人物に軽く会釈して家から離れていった。俺の足は縫い留められたように動かなくなった。メアリーに婚約者がいたことは先ほど聞いたばかりだが、実際に目にするとこうまで心が乱れるとは思わなかった。だが、それでもこのままメアリーに会わないという選択肢だけはあり得なかった。


 意を決して、歩みを進め、扉をノックすると内側から声が返ってくる。


「どうしたんです? 忘れ物でもしたんですか?」


 扉を開けて出てきたのはメアリーだった。俺が記憶より随分髪が伸びているが、紛れもなく俺が恋焦がれた少女だった。目を見開いて驚く彼女に俺は努めて明るく見えるように言った。


「久しぶりメアリー。3年ぶりだね」


 その首元にまだ何もかけられていないのを見て、俺は少しほっとした。




 案内されるままメアリーの家に入ると、そこには静寂が横たわっていた。この家には今彼女以外誰もいないようだった。


「久しぶりに帰ってきたのに出迎えてもくれないなんて酷くないか?」

「ごめんごめん。色々忙しくて」


 茶でも出そうとしているのかメアリーは厨房に向かっていてどんな表情をしているのかわからない。俺の脳裏に先ほどの若い男の顔が過ぎった。穿ちすぎだとわかっていても悪い想像を止められない。このままでは思ってもいない言葉が飛び出してしまいそうだ。俺は一つ深呼吸して無理矢理に心を落ち着けた。


「髪、随分伸びたな」

「大人なんだからもっと女性らしくしろってお母さんに言われたの。どう? 似合ってる?」

「そこそこだな」


 本心を隠して無難な言葉を返す。昔のショートカットの方がメアリーらしくて好きだったが、今の自分にそんなことを言う権利はないように思えた。


「そこは嘘でもすごく似合ってるよっていうところでしょ。相変わらず女心のわからないやつ」

「お前に適当なこと言ってもすぐバレるだろ」

「まぁね~。アルスは昔からわかりやすいから」


 メアリーが笑いながら、僕の前に茶を置き、そのままテーブルに腰かけた。


「おい、だらしないぞ」

「べっつにいいじゃん、アルスしかいないんだし。取り繕う必要ある?」

「いや、ない。どうせ言うことなんて聞かないだろうと思いながら言ったからな」

「じゃあ何で言うのよ、あんたは私のお父さん?」

「まあ、親父さんと変わらないくらいには一緒に育ったな」


 他愛のないやり取りにメアリーは笑みをこぼした。先ほど俺たちの間にあった奇妙な緊張感のようなものは薄まった気がした。


「アルスがいなくなってからは大変だったんだから。今まであんたっていう最強の護衛がいたから楽に遠出出来たのに。この3年間狭い村でずっと内職ばかりさせられてたのよ」

「危険だから女衆は普通は外に出ないものなんだよ……ついてきたがるお前がおかしいんだ」

「だって草原を駆け回るのって最高に気持ちいいじゃない。男衆ばかりずるいわ。まあ、でもどこかの勇者様が魔王を倒してくれたおかげで今は自由に外に出れるようになった訳だけど」


 メアリーが悪戯っぽく俺を流し見た。髪が伸びているせいが、自分の知っている彼女よりも大人っぽく感じられて俺は目をそらした。


「止めてくれ。メアリーにそれを言われるとなんだか馬鹿にされたような気になる」

「なんでよ。10歳の頃おねしょして泣いてたのを慰めて一緒に隠してあげたあの男の子が随分出世した、なんてこと思ってないわ」

「おい、マジでやめろよ馬鹿。それを言い出したら、お前が木から落ちて村までおんぶして運んでやった時、背中でわんわん泣いてたのを俺は覚えているぞ」

「……うん、この話はやめましょう」

「それがいい」


 いやいやするように首を降るメアリーに俺は笑った。


「まーでもアルスが魔王退治の勇者っていうのは今でも信じられないわ。あんたが首都に連れていかれた時はどうせすぐに人違いだったって帰ってくると思ってた」

「……俺もできればそうしたかったさ」


 村を出る時のメアリーの姿を思い出す。俺の胸にしがみついてずっと泣き顔を隠していたのに、よくこんな台詞が言えたものだ。俺だってあの時、心底村を出たくなかった。ようやくメアリーと結婚できるかもしれないという大切な時期だったのだ。だが、王様に呼び出されて王国の未来の話を任されていったいどうやって俺にそれを拒否することが出来たというのか。


「旅の間メアリーがいなくて俺も随分困ったよ」

「え? 一体何に?」

「俺が朝弱いの知ってるだろ。疲れた時の翌日は全然起きなかったから、よく仲間に呆れられていた。村にいた頃みたいにお茶を飲めば目が覚めると思っていたんだけど全然効かなかったんだ。どうやら俺はお前の淹れてくれるお茶じゃないと目が覚めないらしい。刷り込みみたいなものかな」

「刷り込みってあんた……私がいつもあんたに飲ませていたのは目覚ましの効能のある薬草で淹れたハーブティーよ。首都でも評判の安価で買える奴」

「え?」

「もしかしてあんた私が淹れたお茶だから起きられたとか思ってた? あはははは! そんなわけないでしょ!」

「……嘘だろ」


 メアリーは腹を抱えて笑い転げた。メアリーはやはり自分にとって特別なのだと感傷に浸っていた記憶がある俺は、込み上げてくる羞恥に天を仰いだ。


「ひぃー笑ったわ。やっぱりあんた真面目ぶってるけど間抜けよね」

「……何も言い返せない」


 目じりに浮かんだ涙をぬぐいながら、メアリーは俺を見た。


「いつまでここにいるの?」

「決めてないよ。ただ一週間後には首都に戻らなくちゃいけない。王様に呼ばれてる」

「……ふーん、もう魔王は倒したんでしょ? アルスに一体何の用があるのよ」

「魔王を倒してからも色々と忙しいよ。いろんな貴族に挨拶回りみたいなことをさせられている。俺に用はなくても勇者としての外聞みたいなものがあるらしい」

「……そう。まあそうか。アルスはもうこの国の英雄だものね」


 メアリーは遠くを見るような目で俺を見た。初めて見る表情で俺は戸惑った。


「私、今度結婚するの」


 この部屋に入ってからずっと切り出したくても切り出せなかったことが唐突にメアリーの口をついて出た。


「そ、そうなんだ」


 先ほどまであれだけあけすけに話ができたというのに、当たり障りのない返しをすることしか出来ない。動揺する俺とは対照的にメアリーは淡々と言った。


「相手は隣村の男の人。代々林業を生業にしてる家の人みたいで、村人からの評判も上々よ。行き遅れの私にはもったいない相手だってお母さんが喜んでた」


 メアリーは母の姿を想像したのか薄く微笑んだ。だが、先ほどまでの笑みとは違うような気がした。ずっと一緒にいたのに俺は今メアリーが何を考えているのかわからない。


「アルスも結婚するんでしょ?」

「……お前も噂を聞いたのか」


 噂話に精通しているわけでもない父が知っているのだ。メアリーが聞いていないわけもなかった。


「いろんな噂を聞いたわよ。で、実際のところ誰と結婚するの? 幼馴染なんだから教えてくれたっていいでしょ?」


 メアリーは悪戯っぽく笑いながら俺に問いかける。俺はこのまま流れに任せて進んでいはいけない気がした。だが、思考とは別に口は勝手に言葉を紡いでいた。


「多分、巫女姫様になるよ」

「なんだ、おおかたの予想通りでつまらないわ」

「人の結婚に酷い言いぐさだな」

「あはは、ごめんごめん、嘘よ。おめでとう。アルスがあの巫女姫様の旦那になるなんて私も鼻が高いわ」


 お互いに微笑んでいるのに、昔話をして縮まったかのように思えた距離がずっと遠くに離れてしまった気がした。だが、その距離をどうやって埋めたらいいのかわからない。


「お互い、幸せになりましょうね」

「ああ、そうだな」


 今の俺とメアリーの間には薄い皮膜のような壁があるように感じられた。結局、その後は会話がまるで弾まなくなって、息苦しさに俺はすぐに彼女の家を出た。


 茫然としたまま歩いていると、道の向こうから良く見知った顔がやってきた。


「おう、アルス!! 例の子には会えたのか?」

「……ダイモンか。今ちょうど会ってきたところだ」


 ここまで付いてきてくれたダイモンは俺の事情を知っている。どんな顔をすればいいのかわからず、俺はあいまいな表情を浮かべていただろう。


「そうか……その顔を見るにあんまりいい結果じゃなかったみたいだな」

「はは、なんかみっともないな。ここまでついてきてくれたのに良い報告が出来なくてごめん」

「んなこと気にするんじゃねぇよ。3年も離れてたんだ。すれ違うことだってあるだろ。むしろここまで想い続けてきたお前の情の深さが俺には羨ましいね」


 眩しそうに俺を見るダイモンの表情はなんだか大人びて見えた。

 3年間という期間は俺とメアリーの間の気持ちを変えてしまったのだろうか。


「ま、嫌なことは忘れろ。お前は英雄の勇者様だろ。首都に戻れば、どんな美女もより取り見取りだ。女のことは女で忘れるに限る!」

「そういうもんかな」

「余裕余裕。あ、でも首都だと巫女姫様にバレたら厄介だな。よし! 帰り道は大きく迂回して帰ろう。良い歓楽街がある街を知ってるんだ!」

「こういう時だけやたらと頼りになるなお前……」


 ダイモンの明るい気性に俺はようやく笑みを浮かべることが出来た。




 久方ぶりに横たわる自分のベッドの感触は、俺の眠気を誘うのにまるで役立ってはくれなかった。先ほどまでやたらと騒がしいダイモンと一緒にいたから気を紛らわすことができたが、こうして目を閉じて静寂に耳を済ませていると、どうしても昼間のメアリーの言葉を思い出してしまう。


『私、今度結婚するの』


 彼女の声で自分以外の男と結ばれる宣言を聞くのは、想像を絶する苦痛だった。考えてもみれば当たり前の話だ。この小さな村社会では結婚適齢期を迎えた女性はすぐに結婚して子を残すのが当たり前とされている。逆にいつまでも結婚しない女性には風当たりが強くなる。方々を飛び回っていた俺と違ってメアリーはずっとこの村で過ごしていたのだ。いつまでも俺の帰りをまっていてくれるなんていう期待を抱くことの方が虫のいい話だった。だから、こんなにも心がかき乱されるのは俺の心の準備が足りなかったという他ない。


 俺はベッドから起き上がり、肌着に上衣を羽織った。眠りにつけばましになるだろうと早めに床についたが、ぐるぐると胸の内を暴れ回る感情のせいで少しも眠れる気がしない。この狭い部屋の中で悶々としているよりは外の空気を吸った方が幾分かマシだった。


 夜の空気は澄み渡っており、少し寒いくらいだった。だが、そのくらいが煮詰まった頭には心地よい。村人がいないのを確認して俺は適当に歩き出した。


 村内の構造は昔と変わっていなかった。よくメアリーと二人で水を汲みにいった共用の井戸や、悪戯をしたらいつも鬼の剣幕でどやしてくるおじさんの家も変わらずそこにあった。


 俺が巫女姫と結婚したら、この村に帰ってくる機会はずっと減るだろう。相手の立場を考えても、彼女は神殿の仕事から離れられない。そうなったら俺は神殿の警備兵にでもなるのだろうか、いや王様あたりが特別な仕事を斡旋してくる可能性の方がよほど高そうだ。だが、どんな未来にしても、俺とメアリーの道が再び交わることはないように思えた。


 首都からの使者がやってきたとき、俺が自分の能力を隠すなり、逃げ出すなりしていれば未来は変わっていたのかもしれない。国民は魔物の脅威に怯える日々が続くだろうが、俺はメアリーと一緒になることが出来た。魔物がこの村にやってきたとしても、全て蹴散らして彼女を守り切る自信がある。


 だが、俺は首都に行って勇者になることを選択した。この国のためだとか自分に言い訳をすることは出来るが、本当のことから目を逸らすことは出来ない。俺は王様からの期待や、誘いを断った時の失望の予感に負けて、メアリーを後回しにしたのだ。きっとメアリーならわかってくれると、そう言い訳して。


 自分が勇者になったからこそ救えた命があることは知っている。だから選択が間違っていたわけではない。ただ、俺は後悔している。メアリーが傍にいない日々を過ごして、どれだけ自分の中で彼女の存在が大きかったのかを思い知った。魔王を倒してすぐに帰郷を願い出たのは、俺が耐えられなかったからだ。彼女に会って、3年前の間違いを帳消しにしたかった。


「俺が勇者じゃなかったなら……」


 思わず口から出そうになった言葉を飲み込んだ。だが、それは3年間ずっと抱えていた想いだった。これは運命なのか、と何度も天に問いかけた。だが、その答えを返してくれるものは存在しなかった。


 一度深呼吸した。結局、何をしても感傷的な気分になるなら、諦めて部屋に戻ろう。そう思った時、いつの間にか自分が懐かしい場所まで足を運んでいたことに気づいた。


「はは、メアリーのことばかり考えていたからこんな場所に来てしまったのかな」


 目の前に大樹が聳え立っていた。樹齢何年なのか想像もつかないほどの大きな木だ。ここには思い出が二つほどある。一つは昼間メアリーと話した思い出だ。もう一つは、父からメアリーとの結婚をするのはどうかと言われてはしゃぎ切った自分の、思い出すのも恥ずかしい青臭い記憶だ。


 この国では結婚を誓った男女が互いにペンダントを交換する風習がある。俺はまだ結婚が確定したわけでもないのに、ここでメアリーにペンダントを渡したのだ。


 話を聞かされていないメアリーが目を白黒させていたのを覚えている。そこで俺は認識に齟齬があることに気づいて、でもいまさら後戻りは出来ず、彼女に告白した。彼女からの返事は貰えていなかった。翌日に首都から使者がやってきたのだから。


 メアリーと再会した時、彼女の首元に他のペンダントが無かったのに安堵した。それと同時に彼女が俺のペンダントを付けていてくれることに期待していた自分がいたことにも気づいた。


 ぼうっと大樹を見つめているとその根にきらりと輝くものがあるのに気づいた。近づいてみてみるとそこには見覚えのあるペンダントが落ちていた。


「これは……」


 確かに俺がメアリーに渡したペンダントだった。

 俺はそこを見つめたまま、しばらく動くことが出来なかった。なぜなら、落ちているペンダントは二つだったからだ。

 二つともまるで汚れがなく奇麗に手入れされている。捨ててからそう時間が立っていないようだ。誰がここに捨てたのかなど、問うまでもないことだった。


 俺は二つのペンダントを拾い上げた。

 瞳に焼き付けるようにそれを見つめてから、強くそれを握りしめた。


 俺が彼女と結ばれるために必要なものは運命などでは無かった。

 遅まきながら俺はようやくそのことに気づいた。




「どうしたの、アルス? こんな朝っぱらから」


 翌朝、俺はメアリーを大樹の下に呼び出した。まだ寝ぼけ眼をこすっているのが、可愛らしいが、俺は彼女が完全に目覚めるのを待ってはいられなかった。


「メアリー、君の落とし物だ」


 3年前俺が渡したネックレスを懐から取り出すと、メアリーはわかりやすく動きを止めた。ネックレスを差し出す手に、彼女の手は伸びてこない。


「……それ、あなたに返すわ。いつまでも私が持っていていいものじゃないでしょ」

「わかった。じゃあ返してもらう」

「うん。それがいいわ」


 メアリーが薄く微笑んだ。これで3年越しの告白の返事は返ってきたことになる。俺は振られたのだ。


「話はこれで終わり?」

「いや、まだだ」


 不思議そうに首を傾げるメアリーに近づくと少女は身体を硬直させた。


「ちょっ……」

「動かないで」


 メアリーから離れると彼女の首元にはペンダントが光っていた。なんだかんだで彼女の首にこのネックレスがかけられているのを見るのは初めてだった。


「メアリー、もう一度君にこのネックレスを送らせてくれ」

「なんで……」

「俺の気持ちはここを去る前と少しも変わっていないよ」


 メアリーは泣きそうなようにも、怒っているようにも見える表情で俺を見上げた。


「なんで、なんで? ……あなたと結婚したい人はたくさんいるじゃない。みんなただの村人の私なんかとは首都の高貴な人たちよ」

「そうだな、光栄なことだ」

「昔と今じゃ違うのよ。あなたは私の幼馴染じゃなくて、王国の勇者様なの。あなたを必要とする人はたくさんいるわ」

「うん、知っているよ」

「私はもう婚約しているの。あなたは目立つ人なのに人の婚約者に求婚するなんて周りに何て言われるかわからない」

「それでも、君に受け取ってほしいんだ」


 俺を見つめるメアリーの瞳が揺れた。それから苦しそうに唇を噛み締めて、彼女は俯いた。


「3年前、俺は王国のために君と離れることを決めた。ずっとあの決断を後悔してた。だから今回こそは他の何を天秤にかけられても君を選ぶよ」

「……もう、なんでよ」


 表情は見えないが、メアリーの声は掠れて濡れていた。


「奇麗な思い出のまま終わらせようって思ってたのに、なんでそんなこと言うの」

「俺は思い出のまま終わらせたくない。この先もメアリーとの思い出を一緒に作っていきたいんだ」


 俺はメアリーに両の腕を伸ばした。彼女は抵抗せず俺の腕の中に治まった。


「……アルスがいなくなって私悲しかったの」


 ゆっくりと俺の腰に細い腕が回るのを感じた。その力は少しずつ強くなり、やがて苦しいくらいに俺の体を締め付けた。


「ずっとあなたと結婚するのが夢だったのに、なんで引き離されなくちゃいけないんだって思った。離れてからもいろんな噂を聞いて、アルスが私のことなんて忘れてもっと魅力的な人のことを好きになってるんじゃないか、ってずっと不安だった。アルス意外と結婚なんてしたくないのに、お父さんとお母さんのことを思ったらどうしたらいいかわからなかった。このままアルスが戻ってこなかったらどうしようって。アルスの口から私以外の人を好きだって言葉を聞きたくなくて、あなたに会うのが怖かった」

「うん、ごめん」

「どれだけ待ったと思ってるのばかぁ!!」


 声は完全に涙声になっていて、聞いているだけでも俺の胸が苦しくなった。涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げて、メアリーは俺を見上げた。


「ねぇ、アルス。もう一つのペンダントも持ってるんでしょ。出して」


 言われるまま懐から取り出すと、メアリーはそれを掴み取った。それから睨むような目で俺を見ると顔を赤くして言った。


「恥ずかしいから、目を閉じてて。あと背が高いからかがんでよ」


 表情が見れないのは残念だと思いつつ、俺は言われるがまま目を閉じた。首に触れる感触が緊張したように震えていて、そのぎこちなさに俺は思わず笑った。


「な、なに笑ってるのよ! 慣れてないんだからしょうがないでしょ!」


 それから幾分か乱暴になった手つきが離れると、首元に微かな重みを感じた。俺はようやく手にした幸せに、目の前の少女を強く強く抱きしめた。


 それから首都で勇者アルスの結婚の噂はたちまちに立ち消えた。勇者が表舞台に立つことはなくなり、魔王の存在と共に勇者の存在も過去の時代の逸話として人々の話題に上ることはなくなっていった。だが、各地の酒場では勇者と彼の帰りを待つ幼馴染の物語が吟遊新人によっていつまでも謳われるようになった。



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