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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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サイコファンタジー

他人の靴

作者: 文字列

 車窓に無機質な街並みが流れて行く。ほの暗いビル、マンション、一軒家……他、コンビニやスーパーマーケット、飲食店が建ち並ぶ辺りは、そこだけが「こっちを見ろ!」と云わんばかりに、不自然に明るく浮かび上がっている。それら建築物は、無論細かな違いはあっても、そしてどんなに意匠を凝らしたつもりでも、いずれ大まかには大差ない、没個性的な代物である。皆同じであるはずなのに、集まれば調和を欠き、雑然として、それでいて混沌とまではいえない、鈍色のLimbo。血の池地獄の方がまだ風光明媚といえそうだ。

 眺めていても暗い溜息しか出ない。だからといって、他に目を向けて面白いものはない。私はこのようにして帰路を耐える。朝起きに耐え、仕事に耐え、そして帰りついては、生に耐える。うっかり死なないように生き続けるのに精一杯の有様、五里霧中の魂、私はずっと「どうすればいい?」と心中に問い掛けているが、未だ答えは返って来ない。

 七階でエレベーターを下りて左を向くと、少し奥に私の部屋がある。

 玄関の前に靴が置いてあった。それは左足だけだった。赤黒いハイヒールの左だけが、扉の方を向いてちんまりと佇んでいた。

 私は、刃物で切った指先に玉のように溢れる血を思った。あれは愛おしいものである。身体から離れまいとして、表面張力を駆使し、重力に抗っているのだ。

 従って、その血を想起させるハイヒールも愛おしいと思った。

 当然、この靴は怪しいものに他ならない。しかし、見た瞬間にはもう虜になってしまっていた。

 そうして、これを靴箱に仕舞った。

 妙にやりきれない気持ちになっていた。風呂を沸かす間、アブサンの砂糖水割りをショットグラスに作って、ベランダで一杯やった。寒風が頬を刺す。しかし、部屋で暖房を焚けばよいものを、わざわざ凍えながら酒を飲むのも楽しい。氷河期ごっこというわけだ。

 この部屋はマンションの七階にあって、ベランダの真下には駐輪場が、その奥には、なんの為かはよく分からないが、そう広くはない雑木林のようになった土地がある。こうして酒を飲んでいると、飲み干したグラスをあの雑木林に向けて投げ飛ばしたい衝動に駆られることがある。中空に放物線を描き、縦横斜めに回転しながら飛んでゆくグラス――宙に浮かぶそれに気付いた眼差し、素知らぬ顔、洗濯物、駐輪場の波打った屋根、そこにおとなしく収まった自転車、無為な木々、それらを順に反射し、万華鏡のような光を放ちながら飛んでゆくグラス――夢を見るようにその光景を眼前に描く。あるいは、飛んでいるのは私自身かもしれない。

 そういう衝動を耐えきれないと思った頃に部屋に戻ると、大抵風呂が沸いている。

 一応、私も女である。湯舟に浸かるのは、何かと美容に良いらしい……と聞いて、浸かってはいる。だが、癒されるとか、疲れが抜けるとか、そういう感覚はない。ただ茹でダコになる、という感じ。素面ではそういう感じ。だから予めアルコールを摂っておく。そうすると、酔いが湯に溶け出す感じがして、これならば確と心地よい。世の風呂好きの連中は体内でアルコールか何か生成しているのか? それを毛穴から排出して喜んでいるのか?

 ふと、天井にある、点検口というのか、正方形の蓋が少し開いているのが目に入った。気味悪く思ったが、きっと、先日の強風の際にずれたのだろうとすぐに考え直した。というのも、私はいつでも風呂場の戸とベランダの戸を換気のために細く開けている。そこへ強い風が吹き込めば、風の逃げ場はこの点検口か、頼りない、小さな換気扇しかないのである。なるほど、風の強い日にバタバタとうるさいのは窓ガラスばかりではなかったようだ。私はそっと蓋を戻してから、身体を洗った。

 それからは、ひとり饗宴である。この外に楽しいことがないのだから、仕方がない。弁当屋のしょーもない弁当貪って、アブサン注いで、ヘッドホンつけて、至高のノイズに傾聴する。

 カート・ウィッターズというノイズミュージシャンによる、デモニック・パルスというアルバムだ。怒涛のハーシュ・ノイズに恍惚とする。思えば、このCDを手に入れられたのはかなりラッキーだった。とある大型中古書店に二千円で陳列されていたものだった。後になってネットオークションを覗いてみたら、ウン万円の値がついていた。マニア価値の分からない古本屋は重宝すべきである。

 私はほとんど毎夜これを聞いている。そして夜毎新たな(聞き逃していた)音を見出している。私はきっとこのアルバムで一生遊べる。ちょうど、クラシック音楽のファンが、楽団ごとの微妙な演奏の違いを楽しむように。

 集中力が高まると、一種の瞑想状態に陥る。言語化不可能な情緒が胸に押し寄せてくる。そして、知らぬうち、ヘッドホンを着けたまま、テーブルに突っ伏して眠りに入っている。

 ……そのはずなのだが、朝、いつもそのまま眠ってしまったと思って慌てて起きると、実際はベッドに収まっている。ベッドに入った記憶はないが、ちゃんと寝ているのなら何でも良い。安心(?)して、仕事に出掛ける。

 私の仕事は、ポスターやカタログのデザインを作ることだ。これらは公序良俗に則した、当たり障りのない見た目かつ、目立つものが望まれる。本当に、金にならなければ誰がやるものか、といった仕事だと思う。

 いわゆる3Kでは勿論ないが、うまい報酬なしでは耐え難いものがある。歯に衣着せず言えば、どうでもいいのだ。自分がつくるものに心を奪われたことはないし、自分がつくったものを誇らしく思ったこともない。

 私は、どうでもいいものについて考え、悩み、つくり上げている。手にある技能からして、私にはこれしか職にできないのだが、苦行である。かといって、特段作りたいデザインがあるわけでもない。何のために生きてるんだろう、と考えることすらある。

 因みに、私は職場では真面目かつ堅実に仕事をこなすという評判だ。実際、そういう風に働いているし、確実なものを着実に作り上げている。一方では、社内での扱いは私と同程度であるくせに、その中身は実に稚拙な、素人然とした仕事をする者もいる。真面目な奴ほど損をするということだ。頑張る値打ちを感じるか? とはいえ、せめてもの誇りとして、あまりいい加減なことはしたくない。プライドなくしては、却って耐えられない。

 私はデザイナーとしては「当たり障りなく良い感じの見た目」専門になってしまっていて、それ即ちハネない。貶されず、褒められもせず、注目にも値しない、アノニマス。

 別の事務所で働くことは考えていない。というより、美しい広告デザインを手掛ける事務所にも何度か勤めたが、結果、自分の対象への無関心を痛感したというだけだった。

 要するに、ここが私の頭打ちということでもある。この小さなデザイン事務所のいちデザイナーというのが最高位なのだ。私の社会的地位がここから上がることはもうない。 

 そしてまた流れ行く鈍色の風景を眺める。私は何を感じ、何を思って生きればいい? 風景は答えない。ただ逆光に身を潜めるのみ。

 改札口に、ベビーカーを携えた女が立っていた。やけに幅広なベビーカーだと思ったら、双子が横に並んで乗っていた。見たところ、二十代半ば――私より五つほど歳下らしかった。時折ベビーカーに乗った赤ちゃんをあやしながら、誰かを待っているようだった。

 私は近くの自動販売機で缶コーヒーを買って、それをちびちび飲みながら様子を窺った。やはり、彼女が待っていたのは、夫だった。二人とも、蛍光灯に照らされて、幸せそうに笑っていた。見ている方では涙の滲むほどに、幸福そうに、二人してベビーカーを覗き込んでいた。

 私は――? 郷愁と羨望の入り混じった感情でそれを見ていた。私を見ていた両親と、将来私が見るかもしれない子を、同時に見た。涙の込み上げる思い、という外に形容のしようがない、不可解な感情に襲われた。

 私は両親に甘やかされたいのだろうか? 子供が欲しいのだろうか? そのどちらも否定したい、否定したいが、し切れない。今、きっと無気味な形相であの親子を見つめている。歯を食いしばり、眉間に皺を寄せ、微笑した目で。

 さっさとコーヒーを飲み干し、家に走った。

 今日も靴があった。左足だけだった。それは、口にファーの着いたブーツだった。このような靴を履いていた頃、私は荒れていた。荒れていた、というのは、性的にである。多く語るつもりはないが、そういう人もきっと少なくないと思って、自分の中ではそう納めている。

 ブーツを靴箱にしまってから、今日も今日とて、慣習通りアブサンをあおり、風呂に入った。いつかこの風呂場で心臓が破裂することだろう。急いでぬるいシャワーで身体を冷やし、洗いにかかった時、ふと、また点検口の蓋がずれているのが目に入った。内心ぞっとしない思いで、徐ろに蓋を戻した。こう二日連続となれば、のぞきや盗撮の疑いも持ち上がってくる。あの蓋の奥に這入れば、屋根裏の散歩者よろしく他人の生活を覗き見ることができるというのか。そんなことはできない造りになっていると信じたいが……。

 それもこれも、湯上がりのアブサンとノイズの手にかかればどうということはなかった。のぞき魔のごとき小心者が直接手を出すことはまずないだろうし、盗撮だったとして、あの位置からでは湯気で曇って何も映らないだろう。だいいち、物音ひとつしなかったのだから、誰もいなかったと見ていいだろう。

 いつものごとく深酒するにつれ、意識は沈降する。夢現判然とせぬ境界で、あの女を思い返す。今日見た、ベビーカーの女と、私という女と、臭いこと。

 人はどういう形であれ愛情を求めるものだ。ものを知らない時分は性愛と愛情を勘違いする。私はそうだった。だが次第に他人の体温を嫌悪するようになった。自分の居所を性愛に求めた反動だろう。

 真の愛情というのは、恐らく、真っ当な両親が子にかける愛なのだろう。意識的でなく、畢竟演技的でもなく、享受する方でも同じ愛で応えずにはいられない愛、何なら、肉体すら不要で、この世界のどこかに存在さえしてくれればよいという充足感、私は知らないが、この世に無くはないに違いない。この愛が成り立つかどうかは、お互いの性格に依存するところが強いのかも知れない。つまり、相性が合わなければ成り立たないということだ。本人の性格次第では、この世のどこかに何人いるかも分からない相性の良い相手を血眼で探し回らなければ、その真の愛は見つからない。たとえ豚のように見えようと、愛を嗅ぎ回り求めることは悪ではない。誰にでも愛し愛される権利はある。つまり☓☓のまねごと(女の強み)もその一環ということもある。……とここまで語ったはいいが、私自身、愛し愛される相手が見つかったかというと、却って厭人癖が強まった次第であった。

 翌日もちゃんとベッドの上で目覚めた。うんざりして久しい、物憂い一日がまた始まる。ドアを開ける直前から、もう帰りたいと考えている。駅のエスカレーターで、ビルの入口で、化粧を直す鏡の前で、面倒な案件を頼む上司の前で、いつでも帰りたいと考えている。かといって、帰っても何もない。

 幸せって、なんじゃらほい? その日の夜はデートの約束があった。年末、忘年会の三次会――仲の良い先輩と二人の――で行ったバーで声をかけてきた男との約束だった。

 仕事をいいところで切り上げ、繁華街の駅前で男と落ち合った。その男の容姿は印象に残っていない。描写に値しない。

 向こうに声をかけられるまで、改札前を何度か往復した。「俺のこと、覚えてなかったの?」だとか言っていた気がする。この男は恐らく愛の探求者ではない。性欲の奴隷だ。

 男は、手始めに高級そうな食事処に行き、それから私に声をかけたバーに行った。その時の会話については何も覚えていない。ただ私は後悔していた。未だ乙女的な幻想を捨てきれていない気がして、自分に失望した。

 それから男は私をホテルに誘った。私はそれをとりあえず了承した。

 この男、飲食費は全て払ってくれたが、もう少し金の遣い方を考えた方がいい。相手が私であることを加味すれば、風俗の方が安上がりに、もっと値段なりの女を、それも確実に抱けるはずだ。あえてそうしないのは、この男なりの遊び(ゲーム)なのだろうか。

 孤独を持たない、絶望を知らない、つまらない、無垢なるこの男の唯一の取り柄たる性欲を試そうと思いついた。途中、化粧品を探すふりして薬局に入り、カミソリなどを買った。

 ホテルの部屋に入って、まず、男を拒否し、言いくるめて、先にシャワーを浴びさせる。その間に、急いでカミソリとヘアピンをこすり合わせて軽く刃を潰しておく。

 三分経つか経たないかのうちに、男がシャワールームから出てくる。目の前には、小さな刃を持った女がいる。女が言う。「家のしきたりで……ヤる前に、“血の契り”を交わさないといけないの」

 男は啞然とする。

「アメリカの小説とか映画なんかに出てこない? 親友同士が、こう、指先を切って、傷口を合わせる……」

「それくらいなら……」男はたじろぎつつも刃に手を伸ばしかける。女はそれを逃れて、続ける。

「ウチは、そうじゃなくて……指だと軽いんだって、ひいおじいちゃんが言ってた。指くらいなら、昔の鎌を使った草刈りなんかでいくらでも切るし、何なら切り落とすこともあるし。ウチは、貞操にうるさいんだよ。だから、ウチは手首なんだよ。手首を切って、勇気と覚悟を量るんだって。ホラ、見て、この傷、騙された痕。深ければ深いほどいいんだって。本当は、お医者さんを隣に据えてしなきゃいけないことなんだけどね。じゃあ、ここに包帯置いておくから、シャワー浴びてる間に手首切っといてね」

 こうホラを吹いて、シャワーを浴びに行く。出てくると、ほら、男はいない。女のたわごとを信じてか、信じずとも馬鹿らしくなったか、ザコはこうして逃げて行く。どうせ性欲しかないんだから、見上げた性欲であってほしかった。本当に手首を切り裂いていれば、私もまた手首を切り裂き、身体を差し出すつもりだったのに。なんと他愛もない、時間の無駄。もう幻想は捨てようと何度決意し、何度自分で自分を裏切ったか。もう止そう……とはいえ、笑いが止まらない。男を逃げ出させ、全裸で笑う女! この瞬間だけは、自分を好きだと言っても許される。

 今晩は、使い古されたスニーカーが置かれていた。これも、左足だけだった。白を基調とし、深い緑色の、波濤のようなうねるラインが左右対称に入っている。

 スニーカーを靴箱にしまい、ふと気になって風呂場の天井を確認した。今日も蓋がずれていた。もしかすると、ベッドに潜り込む前、記憶のない間に、何らかの理由でここを開けているのかもしれない。蓋はまた戻しておいた。

 遠くで救急車とパトカーのサイレンが鳴り響いている。事件か事故か、分からないが、どこかの誰かが傷つけられたことは確かだ。その人は今、どんな痛みに呻き、どんな思いで助けを待っているのだろう。治るケガならばいくらでもすればいい。治るケガであれば……。

 私は着替えもせずに玄関に座り込み、靴箱に並んだ三足の靴を眺めた。右手の中でさっきのカミソリを弄んでいる。痛みを感じる。

 玄関以外の照明は消えていた。ベランダを見遣る。結露した窓に、遠い高層マンションの灯りが滲んでいた。右手を握る。痛い。

 この三足目のスニーカーは、私の中で一番古い記憶だった。中学生の時分だ。これより前のことは覚えていない。おかしいかもしれないが、記憶にないものは仕方がない。私はこの頃に自傷を憶えた。『ブーツの時代』末期に、代替としてノイズを見出した。

 スニーカーを履いていた当時、私は陸上部に所属していた。陸上部を選んだのは、ただ体を動かしたかったからに過ぎない。この頃は、自分でも訳の分からぬ衝動を抱えていた。だから、とにかく体を動かす長距離走がやりたかった。しかし、種目選びのテストで最もマシな成績が出たのは砲丸投げだった。よって私は投擲競技の選手になった。それからの記憶は、断片的な、否定と拒絶、それに始終する。

 最初にマシな成績を出したのが砲丸投げだったからといって、それが優秀だったわけでも、伸び代があったわけでもない。顧問の方針としては、マシなところを褒めて伸ばすつもりだったらしいが、私にはそれが屈辱的に感じられた。しかも、褒めて伸ばすとはいえ、ダメな部分はしっかり指摘してくる。無論、この態度が指導者として間違っていないことは、今なら理解できる。しかしそれは、相手が優秀な選手だった場合に限る。当時は否定としか受け取れなかった。付け加えて、勉強の方でも、三年生になってから、どうやら志望校の合格は厳しいとなった。ここでもさんざ否定された。誰からともなく、否定に次ぐ否定。向こうとしては、合理的な判断に基づいた、可能性の高い進路を提示していたに過ぎない。だがこちらとしては、拒絶に次ぐ拒絶、最終的に、元の想定とは大きく異なる専門学校に進んだ。私は、無意識に周囲の優秀な同級生と自分を比べて、知らず知らずの内に劣等感や無価値感を育てていた。専門学校を進路に選んだのは、誰もそこへ進学しなかったからに他ならない。

 主観としては、否定された記憶を基に他者を拒絶するようになった。対して、客観的には、ただ単なる反抗だった――思春期に限った反抗期と思われたことだろう。実際には、それこそが“私”であった。私がとるべきだった行動、最も平和的な解決方法が何であったか、それは知る由もない。

 私は当時、極力静かに耐え抜こうとした。それでも耐え難い時は人に愚痴も言ったが、無意味な同情か、そうでなければ相談相手各々にとって現実的と思える解決策を提示されただけだった。それは満足のいく回答ではなかった。その結果、誰にも悟られることなく心を病んだ。親にすら――そもそも二人は私と対等になろうとしなかった――この悩みは伝わらなかった。しんじつ、私は救済されたかった。いかなる方法によってかは依然不明だが、どうしても救済が必要だった。

 そうして自傷に走った。私が自傷していたことを知る者は一人もいない。バレたい願望もあったが、私にそれほど深く興味を持つ人間がいなかった。傷痕すら誰も見ていなかった。

 念の為に断っておくが、自分に自傷経験があるからといって、自傷を肯定することはない。理由は単純に、傷痕が残るし、他人にとって気味が悪いからだ。

 他者による否定から逃げた先にある自己否定、その結果が自傷だと思う。そもそも自己肯定感の堅固な少年少女は、余程劣悪な環境に放り込まれない限り自傷など必要としない。一般に、嫌な体験を浄化する手段は自傷以外の何かだろう。その何かを持たない私のような人間が自傷に走るハメになる。

 そして、拒絶に走りもする。拒絶は孤独を深めるだけだった。友達も離れて行った。これがイジメに発展しなかったのは、唯一の幸運だったか。尤も、これは想像に過ぎないが、もし当時イジメに遭っていれば、いじめっ子の一人くらい何とかして殺害していた、少なくとも殺そうとはしたことだろう。明確なイジメがなかったのは、どちらかというと関わらない方がいい奴だと思われていたからかもしれない。

 意図せぬ否定によって拒絶し、孤独に至る。普通、周囲からこのプロセスは見えない。世の教育者は、目立たず、且つ「大丈夫」「何でもない」を繰り返す子供にこそ注意すべきだ。

 今は、拒絶と自傷はかなり大人しくなったが、完全に自分の中から消えたわけではない。拒絶に関しては言わずもがな、自傷の方も、未だにカッターナイフ等の手頃な刃物は暗証番号式の金庫に仕舞ってある始末だ。これは、衝動的に丁度良い刃物に触れない為の対策だ。

 つまり、今夜は非常にまずい。右手の中で弄んでいるカミソリをどうしようか、必死に考えている。だが、右手は既に血まみれで、袖の肘のところに血が溜まっていた。何故かしら、私はこれを自傷とは呼ばない。刃物を扱う際、誤って指を切るのと同じ感覚でいる。事後思い返せば自傷に他ならないが、この時はただこの刃物をどうすべきか考えをめぐらせていただけだった。

 また救急車のサイレンが聞こえる。私もあれに乗るか? 赤い光線が瞼の裏にちらつく。

 気がつくと、ベランダのカーテンの隙間から細く射し込む日を浴びて、血にまみれていた。もう昼過ぎのようだ。いつの間にか眠っていたらしい。カミソリを持った手が足元にあって、ふくらはぎが少し切れていた。腕は、長袖を着る季節で助かった、といった酷い有様だった。

 カミソリは、コンビニで食べ物を買うついでにパッケージごと新聞紙に包んで捨てた。

 泣き晴らした後のような清々しさを感じた。激しい自傷の後は、心は浄化されているものだ。といっても、傷はヒリヒリ痛むし、絆創膏からあふれた血が服にへばりついたりして、結局イラつくので、やはり自傷は良くない。それに自分で自分にカタルシスを与えても、自己嫌悪がある以上いずれ吐き気をもよおす。自己愛と自己嫌悪の相克だ。

 その日は土曜日で、仕事は休みだったので、ザッと部屋の掃除をした後は寝転んで呆として過ごした。元気な日なら、レコードショップや書店を見て回ったりするが、今日は久々の自傷によるダメージが大きかった。気怠い。

 ……私は誰かを愛で包み込みたいし、同時に自分も包み込まれたい。特定の嗜好において、自分は人間一人寵愛するだけの愛情は持っているつもりだ。いわば結婚願望が私にも出てきたのだろう。いや、析出というべきか。しかし、現状、私は暖かさとは縁遠い。凍った心を溶かすぬくもりとは縁遠い。まず愛を示すべきは私の方なのかもしれない。私の方から誰かに愛を注ぎ、その誰かにあたたかい愛を注ぎ返してもらう。やがて互いに愛を注ぎ合うようになる。無論これは真正の愛でなければならない。それには拒絶を克服し、相手の好意を信用する必要があるが、今の所、克服だの信用だのどころか、それを緩和する方途すらない。

 こういう考えに心が染まり、耐え難くなって、思わず窓を開け放つ。一月の冷気が押し寄せ、吐く息が白く濁る。アイアン・メイデンに抱きすくめられたかのようだ。傷痕から再び血の溢れる思い、これこそが生きた心地。Viva chionophile!(寒冷嗜好万歳!)全裸になって、アブサンを呷ろう。そして、ノイズに脳髄を任せよう。これは紛うことなき拒絶である。我が人生に対する拒絶である。だがこれは、甘美な拒絶である。これは、こうして今まで精神的に生き残ってきた私のやり方だ。

 現代は精神的な生き残りゲー厶を強いられている。誰がより強かなサイコかを競い合っている。

 そのまま衝動的に凍死するつもりでいたが、何とか医者にかかる必要もなく生き残った。その日の最低気温は二度くらいだったらしい。しかし屋内だったということもあってか、指の感覚が少しなくなった程度で済んだ。

 何もしない日曜日だった。夜になって、漸く落ち着いた。景気づけにカップラーメンを食べて、それから、早目に床に就こうと思ったが、やはりノイズを聞かずに眠るのは魂が拒否した。なれば、再び魔酒を並々と注ぎ、愉楽の悪夢を遊ぶ可し。

 ――其処では、私は神と対等な立場を誇る魔王であつた。神が民を苦難に拠つて試すのを横目に見乍ら、私は思つた。何故神は善良な者を試すのか? 何故思索の末に破戒を選ぶ者に、諭すでなく、罰を与へるのか? 神が民に望むのは、奴隷や傀儡になることではなゐか? 私こそ神である可きだ。現在の神など、自作の粘土人形を虐めて遊ぶ幼児に過ぎない。私が真に民を救ふ者になる。私は神に闘ひを挑んだ。だが簡単に打ち破られ、地底に封印された。しかしどうだ、この地底の居心地の良さは! 怜悧な闇、無言の大気、窒息する孤獨、零としか言えぬ此処、此れこそ私の居る可き場所、私は神とは違ふ、私は闇黒を、無を、渾沌を許容する。私は創造主に成り代わる存在ではなく、闇の救済者だつたのだ。

 目を覚ませば天井を見つめていた。いつも起きる時間より少し早い。とりあえずシャワーを浴びる。腕の傷が痛む。

 結局、靴を履く頃にはいつもと変わらない時間になっていた。ドアを開いた時、外でドアに何かがコツンとぶつかった。例の、左足だけの靴だと思った。廊下に踏み出してから、鍵を掛けるついでにそっと見下ろしたところ、やはり靴が、左足だけ転がっていた。それは、私の靴ではなかった。五人戦隊のヒーローものの、子供靴だった。きっと靴底を押せばプゥと鳴るだろうが、今は手に取る気にならない。それはそのままにしておいて、会社に急いだ。

 午前を何事もなく過ごし、それから昼休み、外で昼食を済ませて戻ると、連絡用掲示板の前に何人か集まって何やら話していた。起業四年目にして初めての社員旅行が企画されたらしかった。場所は、某温泉地。案内を書いたA4用紙の隣に、四つ切りのアンケート用紙が何枚か束ねてピンで留められている。それに出欠と名前を書いて専務に提出すればいいようだった。

 私は「欠」に丸をつけて専務のところに持って行った。専務はオーナーの妻で、容姿は少し派手だが、所謂お局さんという嫌な女ではなく、言動から人情に厚い性格を感じさせる人物だった。つまり、「欠」に丸をつけて提出すれば、執拗な追及を喰らわせられるのは予想されるところだった。彼女は「どうして、絶対楽しいから、行こうよ」と鼻息荒くまくし立てた。心からそう言っているのは理解に難くない。こちらがどう濁そうと、冠婚葬祭に関わる外せない予定なしに参加しないのは理解できない、といった風に食い下がるのも、それが本心なのだから仕方がない。ともかく、かなり楽しみにしているのはよく分かった。

 私は専務の言葉を遮って、腹をまくり、スカートを軽く押し下げた。

「タトゥーがあるので、温泉には入れません。一人だけ温泉に入らないで、お部屋のお風呂を使うのも変だと思うので、今回は参加を見送ります」

 彼女は一瞬目を丸くして固まったものの、すぐ後には、「そんなの気にしなくていいから、ホラ、みんなの親睦を深めるのが目的だから、ネ、それに、そんなキレーなイレズミ、見せびらかしたって恥ずかしくないよっ。だいたい、男性とは裸の付き合いなんてできないし、関係ないって、アハハ」などと早口に、かつ子供を宥めすかすようにほき出していた。結局、無理矢理「出」に丸を付けさせられてしまった。

 私の下腹部に入っているタトゥーは、かなり邪悪な類のものである。中央に鎮座するのは、エリファス・レヴィの手になる有名な「メンデスのバフォメット」を模した図柄、その周囲には、バフォメットを囲む円形の有刺鉄線、それに群がる無数の赤い目のギンバエと、その幼虫たる蛆が彫られている。蝿、蛆、有刺鉄線がバフォメットを円形に囲み込んでいるという図柄である。これは、遠目には、有刺鉄線が薔薇の茎に、蝿の目が薔薇の蕾に、蛆は舞い散る花びらか何かに、バフォメットはそれらに囲まれた何かの偶像に、といった美しい絵にも見えないことはない。

 専務の「キレーなイレズミ」という言葉が嘘でなければ、彼女には恐らくそう見えていた。もしくは、蝿やバフォメットを視認できたとしても、何を表すかは分からなかっただろう。無知の功名とでもいおうか。バフォメットなどそのへんのオバサンが知っている類の代物ではないのだから。

 帰り着いてまず、玄関前に転がっている子供靴が目に入った。朝、ドアにぶつけたそのままだった。私は今日一日かけてこれの思い出を記憶から捻り出していた。

 これは弟が履いていたものだ。

 自分に弟がいたことなどすっかり忘れていた。私の弟は……、私が中学か小学校五、六年生か、そこら辺りで死んだはずだ。弟は小学校低学年だったと思うが、いくつだったかは判然としない。

 今日、はっきり分かった。私の記憶は異常だ。今まで、うっかり自殺しないように生きることに必死で、過去を振り返る余裕がなく、気づかなかった。自分の出身地がわからない。周辺の風景は何となく思い起こせるが、町名、出身校名、はては県名すらわからない。実家の近くまで行けば思い出すはずだが、地名を覚えていないのだから、近くも何もない、行きようがない。いや、思い出せるはず、知っているはずだ。あそこから来たのだから、帰り方も知っていなければおかしい。そうだ、どうしても思い出せないなら、本籍地入り住民票の写しや戸籍謄本を確認すればいい。それで済む話、これはいつでもできる。そうか、少し安心した。

 私は子供靴を靴箱に置いて部屋に入った。今日はどこか自宅が他人の家のように感じる。まるで、ついさっきこの世に産み落とされたかのような気分だ。

 気を取り直すつもりで、たまにはスピーカーで、いつもと少しだけ違う音楽をかけることにした。アンニュイ・オブ・ベルフェゴールというタイトルのこれは、カート・ウィッターズとmODnn )(ムーン) というドローンメタルバンドのコラボレーション作だ。カート・ウィッターズのハーシュノイズ、ドラムループ、呪文のような音声素材と、mODnn ) の容赦ない地を這う重い持続音が合わさり、聴く者の眼前に極上の地獄の音像を顕現させる。

 冷静に聴けば、お互いの強力な音同士がケンカして、若干弱め合ってしまっているような印象を受けないでもない。しかし、それは音量を上げることで簡単に解決できる。そう、ツマミを捻って……。

 弟のことはほとんど覚えていない。顔すらわからない。ただ、近所の河川敷で、打ち上げられて干乾びた魚を好んで踏み砕き、ホームレスの畑から野菜を盗んだ、そういう記憶が、アルバムのページを繰るように、断片的に追想される。なるほど、弟は、野良犬に食い殺されたような気がする。野良犬、といっても、恐らくはホームレスが飼っていた犬だろうから、本当の野良犬ではないのかもしれない。

 きっと、こうだ。弟はいつものように野菜を盗みに行った。無許可で拓いた違法な畑なら窃盗も罪に問われない、後ろめたいものはチョロい、というのが弟の考えだったのだろう。しかし、違法な畑には違法な防御が施されていた。時折作物が無造作に引き抜かれていることに気づいたホームレスが、狂暴な犬を放したのだ。そして弟は犬に見つかった。もしかしたら、最期のとどめはホームレス自身が石か何かを振り下ろしたのかも。頭蓋骨が正面から割れて誰かわからなくなった顔、困惑するホームレスの肩、その脚の間で吠える血に染まった犬の鼻、それを橋の上から眺める私の手の甲、そんな光景が瞼の裏に描かれる。弟はちょうど橋桁と橋脚の影が直角を描くところに大の字に倒れていて、磔刑に処されているかのようだった。

 と、まあ、これは憶測に過ぎない。しかし、私に弟がいたことは、記憶によれば確からしい。この戦隊モノの靴を履いていたことも、きっと。

 こんな靴を履いていた頃に死んだのか、私の弟は。犬に囓られ、顔を割られて。

 ……。

気がつけばスピーカーの前に正座して地獄を聞いていた。しまった、と思った。音量が大きすぎるんじゃないか? これでは近所迷惑だろう。それに、どうせスピーカーの前から動かないのなら、ヘッドフォンを着けた方がいい。スピーカーで聴く意味が無い。

 一時停止ボタンに指をかけたその時、胸ポケットの中で携帯電話が震えた。背の画面には会社の後輩の名前が表示されていた。二つ折りの携帯を開き、受話ボタンを押した。

「先輩、イレズミ入ってるんですか」

「……あぁ」

「今度、見せてくださ……」

 仲が良いと言えるのかどうかもよくわからない人物からの軽口だった。通話状態のまま、携帯を直角に折り曲げ、スピーカーの前に放り出しておいた。

「風呂でも入るか」

 立ち上がりながら独り言ちた。私が独り言なんて、珍しい。

 風呂場の戸を開くと、汚い紐のようなものが目に入った。汚物じみた黄色の、気持ち悪い半透明の紐だった。それが少しずれた天井の蓋の隙間から、十センチほど垂れ下がって、小さく揺れていた。頭上から何か物音がする。

 私は、そのぬらっとした紐を掴んで、思い切り下に引っ張った。蓋のところで何かがつっかえ、派手な音を立てた。見上げると、隙間から、一つの大きな瞳が睨み返してきた。私は素早く片手で蓋を跳ね上げ、同時に反対の手で勢いよく紐を引っ張った。

 かたいものが胸に当たって、壁や浴槽の縁にぶつかりながら、私の手からぶら下がった。それは、まだ産まれたての男の子だった。額に皺を寄せ、口を逆三角形に開き、両手を胸の前に、膝を腹の前に、そして腹からは臍の緒を生やした、しかし目を見開いた、嬰児だった。

 嬰児は声も立てず、もぞもぞ動いた。私は臍の緒を引っ張り、それを抱き上げた。湿っている。嬰児は私を見詰めていた。生臭い奇妙な悪臭が鼻をつく。底知れぬ穴が空いたかのような、光ない瞳が私を見ている。嬰児を抱く腕が震えはじめ、それはすぐに腰や首にも伝わった。揺れる腕の中、嬰児はガラスのような冷たさで私を見返す。私は焦点が合わなくなるほど目を見開いていた。

 私を見るな。

 ベランダに駆け出し、嬰児を投げ飛ばした。嬰児は駐輪場の上を飛び越え、向かいの雑木林の木の枝に引っ掛かった。あれはやがて鴉が貪り、蝿が分解し、小さな骨は地に落ち、誰にも見つからないだろう。

 私は、弟を殺したのかもしれない。


〈掲示板〉

上の用紙を703号室のドアポストに入れた方、または心当たりがある方は703号室山田までご連絡ください。2月10日までに連絡がない場合、警察に届け出ます。

2013.01.28 山田美枝

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[一言] 不思議な感覚に陥り、妙に心地良い、それでいて少し気持ち悪くなるような感じでした。 おもしろかったです。
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