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2026年 8月5日 水曜日 17:51
椅子の軋む音がワイン室に響いた。
峰は約束の時間から大幅に遅刻している人物に対して若干の苛立ちを募らせながら、背もたれに体重を預けた。
「遅いですね、古森先輩」
「何でも大学でやらなきゃいけない作業があるとかで遅れるとは言ってたけど」
「にしたって待ち合わせから一時間以上待たされてるじゃねーか」
「……私も暇じゃないんだがな」
その場に居る全員の口から不満の声が漏れると、誠は溜息を吐きアモンはそれを見て笑った。
「うーん、あと少し待って来なかったら今日は──」
アモンの笑いを受け流しつつ、誠が提案の言葉を口にしようとしたその時。
「いやー皆お待たせっス、遅れて申し訳ないっスよ」
ワイン室の入口が開き、大仰な荷物を持った古森が謝罪の言葉を告げながら現れた。
「あっ、古森さん」
「んもー、遅いですよ古森先輩」
「ほんと悪かったっス、ちょっと色々なデータの取り纏めをしていて……っとこの人が?」
何度も軽く頭を下げながら古森が全員が座っている円卓に近づいていく。
彼は全員の顔を見た後、自らに背を向けながら椅子にもたれ掛っている峰を見て、ゆっくりと誠に尋ねた。
「はい、この人が──」
「初めまして、私は峰千方。啓……お前達が戦った峰京子の姉だ」
「は、話には聞いてたっスが色々名前があるんスね……自分は古森大洋っス、今後ともよろしくっス」
峰は自己紹介を終えると右手を差し出し、古森もそれに応じて二人は軽く握手を交わすと彼は空いている席へと座った。
「さて、それじゃ全員集まったみたいだし情報交換を始めよう」
「全員? あれ、もう一人公安のおじさんが居るって聞いてたっスが……」
誠の全員と言う言葉に古森は首を傾げた。
「おじさんは今日はそっちの仕事があるみたいで不参加なんだよ」
「なるほど了解っス、んじゃ情報交換始めるっスか……って言っても誠君から旅行先であった出来事に関しては粗方聞いてるっスけどね」
「なら話は早いな、そちらの改めての自己紹介がてら私達が富山に行っていた間に何をしていたのか説明してもらっても?」
「他の皆もそれでいいっスか?」
教師らしく、場を支配し始めた峰に驚きながら古森は残りの三人の顔を見る。
「風呂を覗いて山城とアタシに何発殴られたのかも教えてやったのか誠?」
「だからあれはおじさんが間違えただけで俺は……」
「痴話喧嘩は後にしろお前達、気にせず話し始めてくれ」
晶の嫌味に誠は困った表情を向けながら反論する。
だが直ぐに峰が制止をし、古森はそれを見て苦笑しながら話し始めた。
「まず自分は帝都大学に通いながらこの間手に入れた資料の解読を試みていたっス」
「資料?」
「前回改心させた帝国銀行の頭取だった会田、この男の異界の中で自分が偶然見つけたものっス」
少し誇らしげに言うと、古森は地面に置いた荷物の中から人数分の紙束を取り出すとそれを全員に手渡した。
「中身は単なる非合法な取引に関する裏帳簿だったんス」
「非合法な取引? それってどういう取引なんですか、古森先輩」
「あー……その、簡単に言うと人身売買……とかっス」
「えっ……」
思いがけない言葉を聞き、古森に質問をした花の動きが止まった。
古森は言いにくそうな顔をしていたが、少しずつ言葉を続ける。
「しかもその人身売買で売られていたのはその……誠君達が改心させた色山の異界で魂を抜いた女性達……だったみたいっス」
「そ……そんな……」
場を重苦しい雰囲気が包んだ。
花は悲しそうな表情をしながら、顔を俯け持っていた資料を強く掴む。
「山城には悲しい事実だろうが裏の世界ではよくある話だ」
「おまっ……自分の教え子によくそんな事言えるな!」
「では悲しみに包まれて哀悼の意を表していれば良いのか? 大事なのは──」
「その事実を受け止めて、こんな事をもう起こさせない様にすること……ですよね?」
峰の言葉を誠が補完し、彼女は首を縦に振った。
「そうだ、例え信じられないような出来事があったとしてもそれをまずは飲み込むことが大事だ」
「そう……ですよね、うん、私もう大丈夫です! 古森先輩、続けてください!」
「ならいいっスけど……でその裏帳簿に書いてあった扱ってる商品には人だけじゃなくて薬の名前も載ってたっス」
「薬ぃ? よくある麻薬とかかよ?」
「いや、それが聞いた事の無い名前だったんスよね」
薬と言う名前を聞き、晶がいの一番に反応した。
「アタシは結構薬の名前にゃ詳しいんだ、言ってみな」
「玖珂、もしかしてお前違法な薬物を……」
「やってねーっての、アタシはヤクと犯罪はしねぇって決めてんだよ!」
「ふむ、それなら安心した」
「えーっと、それで薬の名前なんスけど……ゴルミって名前っス」
その名前を聞き、晶は首を捻った。
「ゴルミぃ? んだそりゃ、グミの間違いじゃねえのか?」
「手渡した資料にも書いてあると思うんスけど、確かにそう書いてあるんスよ」
「えーっと……この4ページの所か」
誠は資料をぺらぺらとめくり、その名前を発見した。
そのページにはリープリヒ製薬日本支部と言う会社から色山プロダクションへ薬が届けられている事とその金額が書かれていた。
「えーと金額が一十百千万…………億!?」
「一本の単価がおよそ2億、そいつが取引された本数は累計で──」
「500本以上……一体何に使ってたんでしょうか?」
「分からないっスが多分ろくでもないことだとは思うっス」
「このリープリヒ製薬と言うのはどこの会社だ? 社名からして日本ではなさそうに見えるが」
書かれていた金額はこれまで高校生の彼等が関わる事の無いような金額であり、峰以外の全員が目を丸くする。
そんな中、峰は疑問に口を出すとそれに答えたのは意外な人物だった。
「えーと、それは確か……」
「ドイツが本拠地の製薬会社だな、ただ仕事としてヤクを作ってるってだけじゃなく軍事部門とかきなくせぇ部署が結構あるはずだぜ」
「…………」
全員が、晶の答えに驚き再び目を丸くした。
だが晶は彼らの反応が不服だったのか、不満そうな顔をして全員を見た。
「……んだよ」
「あっ、いや、その……晶がそう言う事を知ってるのが意外で……」
「マコト正直に言ってやれ、喧嘩と牛丼の事以外で知っていることがあったのは驚きだとな」
「テメェ喧嘩売ってんな? よーし、上等だ!」
「ククク、普段の言動が雑だからそうなるのだ」
円卓の上に乗っていたアモンへ晶は腕を伸ばすが、悪魔は直ぐに誠の頭の上に退避し彼女を嘲笑った。
「でも実際驚きっス、日本だと結構マイナーな会社なんスが……どうしてそんなに詳しいんスか?」
「あ? そりゃ────」
古森の質問に晶は言葉を詰まらせた。
その表情はとても言いたくなさそうだが、しかし言うべきかと葛藤をしているのが誰の目からも明らかだった。
「その……玖珂先輩、何か言いたくない事なんですか?」
「そういう……訳じゃねぇ……んだけどよ」
「話したくないなら無理に話さなくても大丈夫だよ晶」
誠の言葉を聞き、晶はもう少しだけ葛藤すると口を開いた。
「……アタシの親父がそこに勤めてるんだよ、部署とかの話はちいせぇ頃に聞いたんだ」
「玖珂先輩のお父さんって製薬会社勤めなんですか? 凄いじゃないですか!」
「けっ、凄くもなんともねぇよ……アイツは頭がちょっと良いだけの腰抜け野郎だ」
「玖珂先輩、お父さんの事を悪く言っちゃ駄目ですよ」
「あぁ?」
両親の事を悪く言う晶に、花が苦言を呈する。
すると晶の表情が見る見る間に不機嫌になっていく。
「やめておけ山城、玖珂には玖珂の事情がある」
「うっ、そ、そうですね……すみません玖珂先輩」
「いや、アタシも悪かった……ちょっとアイツの事になるとイラついちまうんだ」
「まぁ何やら深い事情があるみたいっスが……とりあえずリープリヒ製薬ってのは今彼女が説明した通りっス」
「正体不明の薬か……他にはどんな場所に流れてるんですか?」
誠は再び資料と睨めっこを開始しながら、古森へ問いかける。
「うーん、帳簿に載ってるのは後は陸上自衛隊位っスねぇ……それでも数としては極少数っスが」
「陸上自衛隊にシキヤマの会社……ふむ、どうも引っかかるな」
アモンは誠の頭の上から資料を覗き込みながら呟いた。
「このどちらもが悪魔を利用した何らかの作業を行っていた、人間の魂を抜いたり悪魔と人間を融合させたりな」
「石動市で閼伽井と玖珂が戦った兵器の事か、ふむ……確かに少し気になるな」
「古森先輩、他に帳簿で怪しいところは無かったんですか?」
花の問い掛けに古森は首を横に振った。
「後は色んな会社や政治家にお金を送金したりどーのこーのってのが大半っスね、あぁでもその製薬会社が怪しいのは間違いないっス」
「どうしてですか?」
「資料の6ページ目を見て欲しいんスけど……このリープリヒ製薬から運命会に薬が流れてるっス」
「おわ、マジだ……運命会って本当に名前が書いてあるぜ……普通こういうのって名前隠すもんなんじゃねえの?」
「異界に隠してある裏帳簿だし、そこら辺は適当だったのかも……」
古森の資料には確かに運命会と書かれたページの切り抜きが張り付けられており、全員が呆れた顔でそれを見た。
「ククク、何にせよその会社が怪しいのには変わりないな」
「あぁ、次の調べる先は決まった」
アモンの言葉に誠は頷くと、続いて全員の顔を見た。
「次の調査対象はリープリヒ製薬日本支部、これでどうだろう」
「自分は反論はないっス、そうなるだろうとは思っていたっス」
「私も大丈夫です!」
「異論は無い、無いが……」
峰は肯定しながら、晶を一瞥した。
その視線の先では苦悶の表情を浮かべた晶が座っていた。
「晶?」
「アイツが居る場所には正直行きたくねぇが……仕方ねぇか、アタシも構わねぇよ」
「なら決まりだ、早速明日から調査に入ろう」
「オッケーっス、日本支部は学生による会社の見学とかも許可してるみたいっスから適当な名前で見学の申請しておくっス」
「げっ……会社の中に入んのかよ」
晶はうんざりした顔をして落胆し、全員がそれを笑った。
「では見学の日取りが決まるまでの間にお前達を鍛えるとするか、この異界は丁度それにおあつらえ向きのようだからな」
「そうですね、じゃあ日程の調整は先生と古森さんにお任せします」
「了解っス、んじゃあとりあえず今日は解散っスかね」
「ですね、三木おじさんには僕から報告しておくので……皆今日はお疲れ様」
誠が頭を下げると、全員が頷き帰り支度を始める。
「んじゃ帰るかぁ、飯どっかで食ってくかなぁ……山城は飯どーする?」
「あ、私は家に帰ってお婆ちゃんの分を作らなきゃならないので……すみません」
「私も学校に戻って少し仕事をこなしてくるとしよう」
「いやテメェは誘ってねぇよ……残りの二人は?」
晶からの誘いに古森と誠は互いに顔を見合わせ、頷いた。
「自分は別に良いっスよ、どうせ帰っても一人っスからね」
「あぁ、俺も一緒に行かせてもらうよ」
「よっしゃ、ならテメェらの奢りな!」
「えぇ……なんで?」
「るっせぇ、奢らねぇならアタシはいかねぇ!」
暴君の様な振舞いをする晶に誠は苦笑しながら、財布の中身を確認した。
「分かったよ、あんまり高く無かったら僕が奢るよ」
「っしゃ、ならさっさと行こうぜ!」
「はいはい」
再び、誠は笑うと今日の会議は終了となった。
そして、そのまま三人で牛丼屋で食事を終えると誠は深い眠りの中に落ちて行った。
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潮騒の音が誠の耳に響く。
彼の視界には雲一つ無い大空と無限に満ち引きを繰り返す海が広がっていた。
足元に地面は無く、空中に立っている様な状況が広がっていることに誠は困惑する。
「俺、確かに家で眠ったよな……?」
周囲を見渡しても同じ風景が続く事に困惑しながらも、誠は警戒を始める。
拳を握り警戒する誠に、不意に背後から声が掛けられた。
「そんなに警戒されると傷つくなぁ」
「だ、誰だ!?」
声のした方に振り向くと、少し離れた場所に銀髪褐色の肌にローブを一枚纏った男が立っていた。
年齢は誠より少し上程度だろうか、整った顔立ちに白い歯を見せながら笑顔を作り、右手を上げている。
「やぁ、閼伽井誠君!」
「……だ、誰ですか?」
笑顔を見せる男は、誠の名を呼ぶと一歩足を前に踏み出した。
それを見て、誠も一歩後ずさる。
「おやおや? どうして逃げるんだい?」
「そりゃ、知らない人がいきなり僕の名前を呼びながらニコニコ近づいてきたら怪しくて距離を取りたくもなりますよ!」
「むむ、そうなのかい? 日本人が繊細だと言うのは聞いていたがこれほどとは……」
誠の言葉に男は困った表情を浮かべると立ち止まり、胸に手を当てた。
「では自己紹介から、僕の名前はソロモン……かつてアモンと共に歩んでいた者だ」
男は、そう名乗った。
遅れてすまぬ、すまぬ…許して……ほしい!!!




