石動市
2026年 7月24日 金曜日 18:41
夕刻、警視庁。
日本の警察機構を束ねる大本である場所。
通常であればサラリーマン達が仕事を終えるような時間でも変わらぬ忙しさを見せていた。
「よっ、お疲れさん」
そんな警視庁の中を、公安警察に所属する三木源一郎は歩いていた。
道中、帰りがけの女性職員に声を掛ける。
「あっ、三木さん、お疲れ様です」
「高橋ちゃんもお疲れさん、もう帰るとこ?」
「えぇ、今日は七時半から合コンなので」
「おっ、それ俺も参加していいやつ?」
警視庁の廊下で、窓から差し込む夕陽を浴びながら三木は同僚の合コンと言う言葉に興味を示した。
「ざんね~ん、今回は弁護士の先生方が来るので三木さんみたいな安月給のおじさんはお断りで~す」
「おいおい、安月給は否定しないけどおじさんは酷くないか? 俺はまだ……」
「40歳は立派におじさんですよ、三木さん」
「はぁ……ったく、どっかの子供と同じこと言うな高橋ちゃん」
以前、誠に言われた言葉を思い出し三木は軽くため息を吐いた。
そんな三木の反応に、高橋は苦笑する。
「三木さんもこれで上がりですか?」
「いや、これから管理官に閼伽井の息子について報告を上げてから書類づくりだ」
閼伽井、と言う言葉に一瞬通路をすれ違っていく職員の目が三木へ向けられる。
だが三木の顔を見て、彼が公安であることを察すると何も言わずに通り過ぎていく。
「あぁ……例の子供の件ですか、三木さんも大変ですね」
「何、元上司の子供を見張るなんてのは嫌がらせの内にも入りゃしねぇさ」
「…………」
「帰りの途中、話しかけて悪かったな。 ほら、合コンに遅れない内にさっさと行きな高橋ちゃん」
笑いながら答える三木を見て、高橋は少し表情を曇らせる。
そんな彼女に気付いた三木は彼女の肩を軽く叩き、そのまますれ違って通路の奥へと進んでいく。
「……はい、お疲れさまでした三木さん」
「おう、合コン上手く行かなかったら次は俺を誘ってくれ、高橋ちゃんの誘いならいつでもOKするからよ」
「もう……ぜーったい今回は上手くいきますよーだ!」
通路をどんどん進んでいく三木へ、高橋はあっかんべーをしながら反論する。
三木はそんな彼女へ振り返らないまま、右手を軽く上げ目的の場所まで進んでいく。
「…………」
通路を歩いていく傍らで、三木を見てニヤニヤと笑う数人の職員が居た。
三木はそんな彼等を視界に収めても嫌な顔一つせず通り過ぎると、自らの上司が居る部屋に続く扉をノックした。
「誰だ」
「三木源一郎です、入室しても?」
「構わん、入りたまえ」
「……失礼します」
ノックをすると、室内から上司の不機嫌そうな声が返ってきた。
三木は上司の返事を聞き、ドアノブを捻り入室した。
「何か用かね三木君、私は忙しいんだが」
入室すると、三木の上司は椅子に座りながら机の上でゴルフクラブの先端を磨いていた。
「えぇ、閼伽井誠の件でのご報告をと」
「閼伽井誠……? あぁ、あの犯罪者の息子の件か」
「はい、報告を始めても?」
「はぁ~……三木君、私は忙しいと言った筈だ、そんな無駄な仕事の報告をされても困るんだよ」
報告を始めようとする三木に、上司は深い溜息を吐く。
「……無駄?」
「そう、無駄な仕事だ。 日本で唯一内乱罪を適用されて死んだ男の子供とは言え、所詮は高校生。 そんな子供の監視と報告なんぞを真面目にやられても困るんだよ」
「…………」
「君だって本当は分かってるだろう? 今、君がやらされている仕事は上層部からの嫌がらせという事くらい」
上司は三木の顔を見る事すらせず、ゴルフクラブを磨きながら言葉を続ける。
「閼伽井の件はこの国最大の恥だ、そして奴に関わっていた人間もな、正直な所上は君にも辞めて欲しいんだよ、だから嫌がらせの無意味な仕事を君に押し付けている」
「随分はっきり仰いますね、井波管理官」
「私は君を買っているんだ、だからこそ君の心変わりを願っての事だよ三木君、霞ヶ関からの一件は君の耳にも入っていると思うのだがね」
「……例のデアデビルとやらへの調査参加要請の話ですか、あれに関しては一度お断りした筈です」
「それでは困るのだよ、君の様に優秀な捜査員をこんな無駄な仕事に関わらせているほど我々に余裕は無い」
ジロリと、鋭い視線が三木を射抜く。
だが三木はそれを受けても微動だにせず、首を横に振った。
「答えは以前と変わらずノーです、自分は今受け持っている仕事を全力で遂行します」
「結果、今後の道が閉ざされてもかね」
「構いません、俺は出世の為にこの仕事に就いたわけじゃありませんから」
「……正義感で世界は変えられんぞ」
「警察がそれを言っちゃあお終いでしょう、管理官」
三木の返しに、井波は口角を上げて軽く笑った。
「確かにな、では今後も好きにしたまえ三木捜査官。 明日からの出張も許可する」
「……やはり俺の動向に関しては掴んでいましたか」
「君が公安なら我々も公安だ、自惚れてもらっては困る。 ともかく今後は好きにしたまえ、出世と引き換えの自由を楽しみたまえよ」
「はっ、了解しました!」
「だが、君の自由を認める代わりに今の君の部下はデアデビルへの調査に参加させる、今後の君の職務は一人で行いたまえ」
井波は、ニヤリと笑った。
「……恩に着ます、管理官」
「人員を減らされて礼を言われるとはな」
「俺が何か問題を起こした時、被害が最低限になるようにとの配慮でしょう? 痛み入ります」
「……さて、何の事だかな。 今後は息子の調査の報告も不要とする、分かったらもう行きたまえ」
「はっ、失礼します」
三木は井波へ頭を深く下げ、退出する為に背を向ける。
「あぁ、そういえば一つ伝え忘れがあった」
「何でしょう」
「最近うちのデータベースを盗み見している奴が居るらしい、犯人を見つけたら伝えておいてくれ、もう少し上手くやれとな」
「…………了解です、きちんと伝えておきますよ」
「では行きたまえ、今後こちらから君へのサポートは最低限となるが……君の正義感がどこまで通用するのか見せてもらう」
井波の言葉に、三木は返事を返さずそのまま退出した。
「私だ、指示通り三木の部下は全てデアデビルの調査へ回せ、そうだ、今すぐにだ」
三木が退出した後、井波は机の上にある固定電話の受話器を取ると部下へ連絡をし電話を切った。
「……眩しい男だ」
一人、夕陽が差し込む室内で井波は言葉を溢し、再びゴルフクラブを磨き始めるのだった。
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2026年 7月27日 月曜日 15:03
「次は富山、富山です、お降りのお客様はお忘れ物の無いよう──」
富山県、富山市。
品川から発車した新幹線が、富山駅の中へと吸い込まれていく。
そして駅の出口から、先ほど新幹線に乗っていた人々が吐き出されるように外へと出ていく。
その中には、誠達の姿があった。
「よっしゃー! 着いたぜ富山!」
「結構時間掛かりましたね、峰先生」
「およそ三時間半は電車の中で缶詰だったからな……玖珂がああやって叫びたくなるのも少しは分かるが、あまり変な行動はするなよ玖珂」
「へいへーい!」
「こ、この後はホテルへ移動して自由時間で良かったですよね先生!? それならわたしは早速取材に──」
駅の階段から晶は勢いよく飛び出し、地面に着地すると両手を真上へ広げながら叫び声をあげる。
晶の後ろから、峰、岸田、花の三人が手ぶらで現れ駅前を見渡しながら今後の行動を話し合う。
「落ち着け岸田、まずはホテルにチェックインしてからだ」
「そ、そうですよね!? まずは落ち着いて情報を精査して……!」
「おーい、さっさとホテルで飯食おうぜー! アタシ腹減ったー!」
「はぁ……もう少し落ち着きがあるかと思っていたんだが……お前の統制が無いとこういうものか?」
妙にテンションの高い岸田や、早く食事にありつきたい晶を見ながら峰は頭を横に振ると後ろを向いた。
「み、みんな待って──え、何ですか?」
大量の荷物を持った状態で誠が現れた。
頭の上にはアモンが満足げな表情で乗っている。
「いや、何でもない。 これからホテルへ向かうと言っただけだ」
「そうですか……ホ、ホテルの場所はここからどれ位ですか?」
「タクシーで十分くらいだな、これから捕まえるところだ」
「りょ、了解です……歩いていくとか言われなくてよかったです」
「ははは、これ位で根を上げるなんてだらしないぞ誠!」
女性陣と自分の分、そしてもう一人の人物の荷物を持たされた誠は疲労の色が顔に濃く出ていた。
しかし、そんな彼の後ろから三木が笑いながら現れると誠が背負っている鞄を強く叩く。
「うわっ! ちょっと、三木おじさん!」
「わはは、頑張れ若人! おっさんは歳だから、そんな重たそうな荷物は持てないんだわ」
「ならせめて自分の分の荷物は持ってよ……おじさんの荷物が一番重たいんだけど」
「いやいや、ここはお前の力持ちな所を女子にアピールしてモテる場面だろ」
「だから晶や花ちゃんとかとはそういう関係じゃないって……」
「ごほんっ」
三木と誠のやり取りを静観していた峰だったが、わざとらしく咳払いをして二人の話を切る。
「仲が良いのは結構だが、そういった話は車の中でしてくれ閼伽……誠、それと保護者の方」
「いや、すいませんね先生。 目的地は確かセントラルホテルで?」
「はい、部屋の割り振りは新幹線の中で話した通りです」
「了解です、んじゃタクシー3台拾ってきますわ、先生はその間生徒達見ててくださいや」
峰の表情を見て、三木は彼女のイラつきを察したのか逃げるようにタクシーを駅前に拾いに行く。
「……お前の保護者は何時もあんな感じなのか?」
「まぁ、ははは……はい」
「クククク、楽しい旅行になりそうだ」
一連のやり取りを見ていたアモンは、誠の頭の上で大いに笑った。
その後、三木が捕まえてきたタクシーに二人ずつ乗り込むと誠達はホテルへ移動し荷物を部屋に預け休憩に入るのだった。
「つ、疲れた……結構体は鍛えたつもりだったんだけど……」
「ククク、まだまだ鍛え方が足りんということだ」
部屋に入るなり、誠はベッドの上に仰向けになって倒れると深く息を吐いた。
そんな誠をアモンは嘲笑う。
「お、中々良い景色だぞ誠、こっち来て見てみろよ」
「今はいいよ……それよりおじさん、今回は何で付いてきたの? いきなり旅行に俺も付いていくなんて言い出してさ」
「仕事があってな、丁度目的地が一致してたんだよ」
「そんな事言って、どうせ俺の監視でしょ?」
「おっ、良い勘してるな誠、それもある」
部屋に備え付けられた窓から外を見ていた三木は、振り返らずに頷いた。
「だが今回は本当に別件でな、向こう側に用事があるのさ」
「……向こう側?」
「外見てみれば分かる、この部屋の代金が異常に低い理由も多分これだろうな」
頭に?マークを浮かべる誠に、三木は窓の外を顎で指し示す。
誠は好奇心に打ち勝てず、ゆっくりとベッドの上から降りて窓の外を見てそれが何を指し示していたのか理解した。
「…………これは」
「あぁ、石動市の残骸だ。 最上階近い部屋なのに、予約をするときにえらく値段が安いから気になってたんだがこんなもんが見えるんならそりゃ安くもなるわな」
窓の外には、巨大なクレーターの様なものが広がっていた。
富山市の直ぐ隣にあった石動市は、富山市のある場所を境に完全に消失しておりクレーターの中には建物の残骸が残るのみだった。
「ここが……石動市……」
「先輩が本当にやらかしたのかは確定じゃあねえが……少なくとも関わっていたのは真実だ、けどそれはお前が気に病むことじゃねえ」
壁に寄りかかりながら、三木は神妙な顔つきで言った。
「だがもしお前がそう出来ないってんなら、しっかり心に刻んでやれ、それが犠牲になった人達への償いになるかもしれねぇ」
「……おじさん」
「それと、さっきあの先生も言いかけて辞めてたがここではあまり閼伽井って苗字は言わない方が良い」
「分かってる、俺の苗字を聞いてここの人達が刺激されるかもしれないからでしょ?」
「そうだ、東京ならいざ知らずここは爆心地の目と鼻の先だ、事件から三年経ったとは言え傷が癒えてない人は大勢居る」
誠は、三木の方へ振り向くと頷きを返す。
「分かってる、ありがとうおじさん」
「何、お前が問題を起こしたら俺も報告を警察に飛ばさなきゃいけないからな、忠告を聞いて大人しくしててくれるんなら俺も仕事が楽になる」
「はは、おじさんらしいね」
「厄介ごとが無くなったらそれはそれで飯の種が消えちまうんだが、あったらあったで面倒だからな、何事もほどほどにだ」
右手を銃の形で構え、誠に向かって発砲する真似をすると三木は部屋の入口へ向かって歩き始める。
「どこか行くの?」
「言ったろ、仕事があるんだよ石動市の方でな」
「……それ、俺も──」
「ダメだ」
三木は先ほどとは打って違って、冷徹な声で誠を制止した。
だが直ぐにいつものような明るい声色に戻り、言葉を続ける。
「ま、同室ではあるが俺の事は気にせず過ごしてくれ。 それと女の子を呼んでにゃんにゃんするときはちゃんと部屋の前にタグ掛けておけよ?」
三木はそう言って、二つある部屋のカードキーを持ち出すと部屋から出て行った。
室内には誠とアモンだけが残される。
「にゃんにゃん……?」
「……初心な男だ」
そして三木の残した死語について真剣に考え始め、アモンはそれに呆れた表情を返すのだった。