部屋の片隅で
「どうぞ」
私は、しずしずといった体で、そうっとテーブルにティーセットを並べた。
いつもならマグカップで何でも飲むのだけれど、今日はちゃんと名の通ったメーカーの、品のいいティーカップとソーサーに紅茶を入れた。それにスプーンだって、こういうときしか使わない物を前もって洗い直して添えてある。
花を飾るのはあまり好きじゃない。だんだん枯れていくのと、花粉が落ちるのが気になるから。でも、今日は折角だから花を飾ってみた。
お盆を片付け、下座の一人掛けソファーに座る。左斜め隣のソファーでは、主人がそわそわしてる。(……落ち着けよ)
壁がわの二人掛けソファーには、厳めしい顔の長男と、ガチガチに緊張しているお嬢さん。
「どうぞ召し上がって? 怜哉、あなたが好きなケーキ店の、新作のケーキよ」
「マジ!? あそこの!? ……あ、いや、ありがとう母さん。幸恵、折角だから頂こうか」
怜哉が隣のお嬢さんに話をふると、彼女は呼ばれた瞬間可哀想なくらいにビクッと体を跳ね上げ、消え入りそうな声で「いただきます……」と、言った。
怜哉が厳めしい顔をするのは、緊張してるから。久しぶりに見たわ、こんな表情。
小さいときから緊張する場面が苦手で、そのとき自分にとって嫌なことがあると、大爆発してしまう子だった。私はいつも周りに気を使って、気持ちを張り巡らせていたっけ。
小学校から少年野球を始めて、気持ちの力の抜き方が上手く出来るようになったのか、だんだん今日みたいな表情をすることは減っていった。
中学生になって、少しぶっきらぼうになったものの友達は多くて、いつも友達の話をしていた。だから私も怜哉の話についていけるよう、その子達の顔を必死に覚えたものだった。
高校生のとき、何の話のきっかけか、「俺は女の子は、ロングヘアの子よりショートヘアの子の方が好きだなー」と言い出した。
でも、幸恵さんはセミロング。結局好きになっちゃえば、髪型なんて関係ないものよね。
……いけない、いけない。怜哉のあれやこれやを思い出すと、笑いそうになる。
私は怜哉たちの背後の壁に飾ってある絵画を見て、平常心を保つことにした。
しかし何なのかしら。まるでお葬式ね、この沈黙。部屋に流れるのはフォークがお皿に当たる、小さな音だけ……。
「ねえ、怜哉の小さいときのビデオでも見る?」
「なっ! 何言ってんの、母さんっ!! そんなのやめてくれよ!!」
あら残念。場が和むかと思ったのに。
「じゃあ、オセロでもしようか?」
「父さんまで何言ってるんだよっ!」
しまった、怜哉を爆発させてしまったか。顔が真っ赤になってるわ。目もギラギラしてる。
とは言えこういうときって、どう話をすればいいのかしらね? グー○ル先生に、前もって相談しとけば良かった。ヤ○ー先生でもいいけど。
そのときだった。
「ただいまー」
我が家の潤滑油、次男の純哉が帰ってきたのだ。
手洗い・うがいを済ませる音が、この狭いリビングにまで届く。それと同時に、あきらかに場の空気が変わっていく。
「ただいま。あれ? お客さん? 兄ちゃんの彼女?? はじめまして、弟の純哉ですー。へえ、可愛い彼女じゃん。兄ちゃんもやるなあ!!」
純哉、ナイスッ!!!! 今夜は無理だけど、明日の夕飯はあなたの好物にする!!!!
可愛い彼女と言われた幸恵さんは、頬を染めて嬉しそうに笑ってる。怜哉も照れくさそうに、それでも「だろー!?」と笑ってる。主人もそれをニコニコと眺めてる。
「それで、それで? どうやって出会ったの? 二人はどれくらいつきあってるの? ……二人ともおめかしして、そういうことかっ! …………俺、邪魔かぁ!?」
ナイーーーーッス! 純哉ーーーーッ!!!! 一気に話が進んだわっ。ありがとうーーーーっ!! もう明日から、1週間好物を用意してあげるわーーーーっ。
怜哉は紅茶をぐいっと飲み干すと、背筋を伸ばして言った。
「父さん、母さん。おつきあいさせて頂いている、白川幸恵さんです。結婚することにしましたので、よろしくお願い致します」
そうして頭を下げた。幸恵さんも「お願いします」と、一緒に深々と頭を下げる。
「いや、こちらこそ、よろしく」
何がよろしくか分からないが、こちらも、主人と二人で頭を下げた。
ダイニングテーブルで、自分で紅茶とケーキを用意した純哉が眺めていた。
そのあとは皆で談笑して、私が夕飯の支度を始めると、「お手伝いします」と幸恵さんがキッチンに来てくれた。
そのとき、忘れられない出来事が起きた。
「お義母さん、怜哉さんにお聞きしたんですけど、小説投稿サイトにお話を投稿なさってるんですよね?」
!
怜哉のやつ〰〰っ!!!!
「どちらのサイトなんですか?」
「あ、あの、『小説家やってみよう!』よ。ってか、そんな話までしてるの?」
「『みよう』ですかっ! 私も投稿してるから、その流れでうかがったんです」
「えっ!? そうなの!! 『みよう』で書いてるの?」
「はい!」
それで二人でこそこそ、ユーザネームを教え合った。
……なんと彼女は、私の大先輩であった。それも人気作家さんである。ランキングで何度も目にしたユーザネームの、その人であった。
「先輩っ! いろいろ教えて下さいっ!! まだよく分かってない部分が多くて!!」
私は高まる感情のまま、大きな声で叫んだ。そして幸恵さんの両手を握ると、深々と頭を下げた。
私の大声が聞こえたらしい、酒盛りをしている三人が、不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「何でも無いわよ、オホホホ……」
時代が令和になっても、嫁姑問題はよく耳にする。しかし、私は幸恵さんとなら、上手くやっていける気がする!
二人で作ったご飯は美味しかったらしく、そのあとは楽しく、賑やかな夜になった。
夜、布団に入ってからしみじみと考えた。感情の起伏が大きい一日だったな、とーー。
そして私はこれからのことを思い、幸せな気分で眠ったのだった。