【緊急案件】無詠唱の即死魔法で無双する見せ場までヒロインに持って行かれた件
リタが旅立った日から起算して10日目。この日も相変わらず、朝はマリンとクリスのロールプレイから始まった。
「……クリス、もう9時なんだけど」
マリンが焦れったそうに時計を指さす。
「今日はテーブルにつくのが遅かったんだから、いいじゃない。食べ始めてからだと、まだ15分しか経っていない」
クリスは平然と、バターロールを手でちぎる。
「だからって、ご飯にきっかり20分とらなくていいじゃない! もう他の冒険者はみんな出てっちゃったわよ。先にスルタロギ見つけられたらどうすんの!?」
「それは困るけど、出発を数分早めたところで大きな影響はない」
「あーん、もう!」
7日目にクリスは前世の記憶を取り戻した。
しかしそれ以後も、マリンとクリスが朝やることは変わらない。8日目も9日目もそうだ。
2人のやりとりは一種の仮面劇で、これは女神スクルドに奉納する儀式なのだ。リタはそう思うことにした。
◇ ◇ ◇
「おうてめーら、レアアイテム置いていけ!」
ようやくクリスがパンを食べ終え、宿を出発してから約半時後。草原のど真ん中で、一行は4人組のパーティに呼び止められた。
服装から判断するに、4人は魔法戦士、パラディン、ウィザード、シーフのようだ。性別は、魔法戦士だけが男で、それ以外が女。
「何よ、あたしら急いでんだけど」
マリンがさもうっとうしそうに応答する。朝方ためこんだイライラを解消できていないようすだ。
「見え透いたウソをつくな。急ぎの用でこんな何もない場所をうろつく奴がいるかよ」
4人組の中心人物とおぼしき、魔法戦士ふうの男が追及する。
「てことは、こいつらはスルタロギのこと知らないんだな」
リタは仲間2人にささやいた。
仮に彼らが終末の剣について聞かされているのならば、マリンが道を急いでいると言ったのを、嘘だと断言はしないはずだからだ。
「あのね、あたしらがレアアイテム持ってるように見える? お世辞にも装備品が充実してるようには見えないと思うけど」
マリンの主張は正論だ。事実、リタたちの装備品は出発時と変わっていない。
リタは単なる旅装に、武器は鉄の剣。
マリンは皮の鎧に、柄が木でできた槍。しかも前者は、肌の露出する面積が隠せている部分の倍以上ある。
クリスは、染色もされていない薄もの1枚と、皮の円盾。
リタは駆け出しの冒険者も同然の服装。他の2人に至っては、それにさえ及ばない。
「レアアイテムがないなら代わりに金目のものをよこせ! 言っとくがな、オレたちは皆Sランクの保持者だ。下手に逆らわないほうが身のためだぞ。てめえらは何ランクなんだ? B辺りか?」
「DDよ」クリスが答える。「ところであなたたち、高い地位を誇るんだったら、こんなところで野盗みたいなことしてないで、他の人たちが目標を達成するのを手助けでもしてあげたらどうなの? ありがとうのひと言くらい、かけてもらえるわよ」
(余計なこと言わないでくれ……)
リタは思った。
「お前はバカか! そんなことをしたら、他の冒険者のランクも上がって、相対的にオレたちの重要性が低下するだろうが。ええい、これ以上はなしてもムダだ。DDランクのクズ共にオレたちの力、見せつけてやる」
「己の地位への執着。力を誇示したい衝動。自分たちよりも弱い者には何をしても許されるという錯誤。2度も人生を経験できて、それを直す機会に与れなかったの?」
クリスは短剣を足下の土に突き立て、何かの文字を刻み始めた。
ルーンとかいう魔法を発動しているのだと、リタには分かった。
「森羅万象にあまねく満てるエーテルの精霊よ、至高の存在に一段と近き者よ。今こそ我が火急の願いを――、うわっ!」
ウィザードが呪文の詠唱をし終わらないうちに、その真下で大地が真っ二つに裂け、彼女をパラディンとシーフもろとも飲みこんだ。
地面はすぐさま元に戻り、3人は肩よりも下が生き埋めになった。
「くそっ! 抜けない」
上半身をよじったり、腕だけでも引き抜こうとしたりと、懸命にもがく。
だが土はびくともしない。
「ムダよ。〈オセル〉に〈ラーグ〉をバインドして、地面が固まるのを早めてある」
クリスは淡々と話した。
「バカな! わたしの能力はチートキャンセラー。相手のチートを無力化することなのに」
パラディンが悔しそうに恨めしそうに彼女をにらむ。
「ルーンはチートとは違う。生まれつき属人的に備わるものではなくて、大して厳しくもない要件を満たした人が、後天的に開発するもの。その方法は、人間にも開示されている」
「そんな言葉遊びが通用するはずないわ! この世界じゃ、魔法よりも上位の力は全てチートに分類されるんじゃないの!?」
「それは私も知らない。仮にそうだったとしても、ルーンは神の生け贄と引き換えに見出されたもの。人間に思いつく程度の力で打ち消すことはできない」
「人間に思いつく程度、ですって?」
マリンが小声で繰り返した。
リタもわずかながら感じたが、人間を軽んずるような含意に対し、反感を持ったらしい。
「お前、いつ魔法を使ったんだ? わたしはまだ、呪文を全体の4分の1も唱えてなかったんだぞ」
今度はウィザードがクリスに問いかけた。
「ルーンの引き金になるのは、呪文ではなく刻印。シラブルやスタンザといった時間的制約には、束縛されない」
「何だよ、それ。それこそチートじゃないか!」
ウィザードが拳を握りしめて地面を叩く。
だがクリスはそれには反応せず、残った魔法戦士のほうを向く。
「それであなた、まだ続ける気? この3人と同じランクってことは、あなたの強さもこの子たちとそんなに変わらないんでしょう?」
「うるせえ、それ以上しゃべるな! オレが手を下すまでもねえ。ファフニールがてめえらを骨の髄まで焼き尽くしてやるぜ!」
その瞬間、彼の目の前に巨大な竜が出現した。
2本足で立ち、肩の高さは、前世でいえば車道の脇に植えられる街路樹の倍ほど。真紅のウロコ、こぶのような角、2枚の翼。
簡単にいえば、ケラトサウルスをひと回り大きくし、翼竜の羽をつなげたようなものだ。
「驚いたか。オレのチートは再創造。過去に見たことのある魔法や魔物を、その場で再現する力よ」
「ファーブニル? それが? ……違うわね」
クリスの口角に、ちょっとばかり残虐な笑みが浮かんだ。
「さあ、オレたちがこれまで戦った中で最強のモンスターよ。あの生意気な小むす――」
青年が長口上を述べている最中、ファフニールなる生き物の全身から力が一瞬で抜け、赤い竜は前方につんのめるように倒れた。
「何をしたんだ、てめえ!?」
「〈ユル〉。死をもたらすルーン。悪いけど、時間がもったいないから使った」
魔法戦士は顔を大きく歪め、次の手を考えるかのように少しの間、硬直した。だがやがてくるりと後ろを向き、一目散に走って逃げた。
「うわあああああああ!」
「エーベルハルト!」
残された3人が、逃げた男の名を呼ばわる。
「魔法はもう解いてある。あとは自力で抜けられる」
クリスは歩き出した。
「あ、ちょっと待てって」
リタとマリンもその後に続いた。
◇ ◇ ◇
「ねえ、クリス。あいつらくらいなら、わざわざルーンを使わなくても、あたし1人でも対処できたんじゃない?」
先の戦場が見えなくなったころ、不意にマリンが口を開いた。
「私もそう思う」
クリスはマリンの目を見、正面から肯定する。
「だったら、あたしにやらせてくれてもよかったんじゃないの?」
「でも、私が戦うほうが早く終わった。朝ごはんで待たせたから、その分を取り戻したくて」
「歩くのと戦いに時間がかかるのはいいのよ! そのための時間を確保したくて、『早く食べ終わりなさい』っつってんのよ、あたしは」
「………………」
クリスはこれには答えない。
「あーあ、いいわよねえ。生まれ変わる前自分が何だったのか、知ろうともしてなかったのに、まさか神様だったことが判明するなんて」
「ねえ、マリン。マリンはどうして、終わったことにそんなにこだわるの?」
「何が言いたいのよ?」
「姉さんが――、前世で姉さんがいつも言ってたの。『過去そのものは動かせない。でもそれに対する受け取りかたは、いつでもいくらでも変えられる。誰かを憎む気持ちを正当化したい者には、どんなできごとだって苦しみの記憶としてしか蘇らない』って」
「それで?」
「過去は単なる事実でしかない。自分がいま何が欲しいのかと関連づけたとき、初めて意味を付与されるのよ。そんなもののために、あなたの時間を割く必要なんかない。姉さん、こうも言ってた。『人間とて、過去に囚われてそこから一歩も前に進めなくなるほど、みじめな生き物ではない』って」
「あたしは人間以下だっての!?」
「それは違う! マリン。あなたほどの人なら、昔のできごとによる呪縛なんか振り払える。刹那せつなを最大限たのしみながら生きるもよし。将来の困難に備えて、今はがまんするもよし。お願いだから、消え去ったもののために、マリンの現在と未来を空費することだけは止して」
「あーもう、黙りなさいよ!」
マリンは槍を手に取り、クリスに向けた。
「マリン、自分が何やってるのか分かってるのか!?」
リタが叫ぶ。
「何よ、あんたまでそいつに味方するの? たった1日でも、あたしと一緒にいた時間のほうが長いのに!」
「まずは落ち着けって。まだどっちかの肩を持つのは早いだろう!」
「うるさい!」
マリンが間合いを詰め、クリスに突きかかる。
「ムダよ」
クリスは円盾で槍をはじく。受け止めるのではなく、横向きの力をかけて、穂先の進行方向そのものを変えた。
マリンはその後も、何度か得物を打ちこんだ。
そのたびにクリスはこれを受け流し、隙を見て空中にルーンを刻んだ。
いつの間にかマリンの攻撃は、対象に到達することさえなくなった。――まるで、見えない壁に阻まれるかのように。
「〈ベオーク〉と〈エオロー〉のルーンを繋げた。あきらめなさい。あなたの槍は決して私に届かない」
盾持ちの説得が耳に入ったようすもなく、マリンは同じ試行を何度も繰り返した。
「どうしてよ!? どうしてあんたは自分が探してた目的だけじゃなくて、求めてもいなかった記憶まで手に入れちゃうの? それはあたしが欲しかったものなのに!」
いつしか、マリンのまなじりから涙がこぼれていた。
「私の過去は、はじめから私だけのもの。マリンの前世は他にある。私はマリンの何も取っていない」
「記憶のことじゃない! あんたがあたしから持って行こうとしてるのは――、あたしがこれだけは手離したくないのは――」。
「2人とももうやめるんだ!」
リタは思わず、二者の間に飛びこんだ。
誤って槍で貫かれるとか、見えない障壁に激突するとか、そんなことはみじんも考えなかった。
「ふんっ! どうせあんた、クリスにケガされたくないんでしょ?」
マリンが憎まれ口を叩く。
「バカヤロ。ぼくが心配してるのはお前のほうだ、マリン!」
「……あたし……?」
マリンはぼう然とした表情になり、槍をつかむ手をだらりと下げた。
「あ…………」
一方のクリスは、目を真ん丸く開け、小さな声を漏らした。
「だからってもう、ここまで来たら後には引けないのよ!」
マリンは再度槍を構え、クリスに向かっていく。
「マリン。死んだらごめんね。――〈アンスール〉」
クリスは右手の短剣で、新たなルーンを描いた。
にわかに突風が発生し、大量の砂粒や木の葉を巻き上げながら、槍使いに殺到した。
マリンの体が宙に浮き、後方へと吹き飛ばされる。
そして岩に激突した。
「う……、う……」
マリンは槍を取り落とし、体を丸めてすすり泣いた。
背中をしたたか打ちつけた痛さと、完敗を喫した悔しさ。
仮にリタでも、同じ目に遭えば人目を気にせず泣いただろう。
「マリンの手当てをしてあげて」
リタが我に返ると、右隣にクリスがいた。
マリンのほうを向いているリタに対し、クリスは彼女に背を見せている。リタとクリスが互いの右肩を突き合せる格好だ。
「クリスはどこへ行くんだ?」
「見張り。いま襲われたら、戦えるのは私だけだから。遠くへは行かない。私のことより、マリンのそばにいてあげて。――これからもあの子とパーティを組んでいたければね」
クリスはリタと目を合わせることなく、茂みのほうへ歩み去ろうとした。
その時リタはあるものに気づいた。
「待て、クリス」
「何?」
「右の肩から血が出てる」
「っ!?」
クリスは慌てたようすで、リタの告げる場所に視線を落とす。
左手のひらをそこに当て、付着したものを見てひどく驚いた。
「嘘……、でしょ?」
クリスの白い服が、右肩のところで破れていた。
露わになった肌に、人差し指くらいの長さをした切り傷が一直線に走る。そこから血が滴っていた。
「いつの間に…………。マリン、恐ろしい子。こんなこと、あり得ないはずなのに」
マリンの槍は届いていた。
そのことにクリスは、非常に衝撃を受けたようだった。
◇ ◇ ◇
その後、3人は来た道を引き返し、前日と同じ宿に泊まった。マリンの介抱は主にリタがした。
マリンは泣き寝入りに近い就寝のしかたで、眠りについたのも普段より遅かった。それを見届けてから、リタもベッドに入った。
翌朝、食事を終え宿を出るまで、3人は一度も会話を交わさなかった。
リタが時折ようすを窺う限りでは、マリンは普段と変わりがない。
逆に、クリスが多少彼女に気を遣っているようで、食べるペースも前日までより格段に上だ。
そして出発。
昨日は少しも前に進めなかったからか、心なしか3人の歩調が速い。
「あっ、川があるわよ」
マリンが行く手を指し示す。
そこには小川が流れ、木の橋が架かっている。
川といっても、幅は1メートル足らず。子供でも溺れない深さだ。
「昨日2回も渡ったはずなのに、少しも気に留めなかった」
川べりに差しかかると、クリスはかがんで覗きこんだ。
「えいっ!」
突然マリンがクリスを突き飛ばし、クリスは頭から転落する。
リタからすれば、前世でよく放送されていた「視聴者投稿お笑い映像集」などといった番組で、飽きるほど目にした光景そのものだ。――まさか、現物を間近で拝める日が来るとは思っていなかったが。
クリスは特に怒ったり慌てたりすることもなく岸に上がり、静かに言った。
「これで気が晴れた?」
対してマリンはにっこり笑う。
「それはこっから先のあんた次第よ。――リタ、見なさい」
リタの肩に手をかけて、改めてクリスを指さした。
見ると、ずぶ濡れになったクリスの服が体に密着し、ボディラインがくっきり浮き出ている。普段は真っ白な生地もほとんど透明になり、衣類としての役目を果たしていなかった。
「あ……!」
リタは反射的に顔を背けた。
「え?」クリスは思わず真下に目を転じる。「き、きゃああああああああ!!」
「あー、満足満足」
マリンは勝ち誇った表情で伸びをする。
「ちょっとマリン! なんてことしてくれるのよ!? 見られちゃったじゃない!」
クリスは隠すべきところだけ両手で隠し、顔を真っ赤にしてマリンに詰め寄る。
「忘れなさい。もう済んだことよ」
「済んでなーい! 現に私はまだ――」
「まだ……、何?」
「ううぅ…………」
(クリス、恥じらうって感情あったんだな)
リタは嬉しさを顔に出さないことに必死だった。
理由は第1に、マリンがそこまで打ちのめされたわけではないと分かったため。
第2に、過去生を思い出してからというもの、何かと人間離れした言動の多かったクリスから、まだまだ俗っぽさが抜けきっていないのを確認したため。
それから、目の保養になったのが少し。
「こらー! リタ、何ニヤついてるのよ!? このスケベ!!」
クリスに指摘されてようやく、結局自分の努力は功を奏さなかったということを悟ったのだった。