【一斉送信】序盤ザコのパワーインフレがコボルドにも波及した件
「なんで…………、コボルドがこんなに強いんだよ……」
7、8匹のモンスターに周囲を取り囲まれたその真ん中で、15才くらいの少年が1人、あお向けにひっくり返り、うめいていた。
リタの目には直立する魔物の足と、その向こうに広がる地平線、そして今しがた後にした村に建つ教会の尖塔が、地平線からぴょこっと突き出ているのだけが見える。
その塔の真上を、ついさっき朝の太陽が通過したところだ。
村を出るときはしっかり握りしめていた鉄の剣は、彼の右手からあと指3本分のところ。
さらに5歩離れた位置には、真一文字に切り裂かれた巾着袋と、そこからこぼれた薬草やら聖水のビンやらが散乱している。
少年の左足にも刃創が入り、膝から血がどくどくと噴き出ている。腿を伝って流れ落ちたものが、芝を真っ赤に染める。
これではまず立ち上がれない。
「おい。オレたち勝っちまったぜ?」
横たわるリタの周りで円を作っていたモンスターのうち1匹が、隣に立つ仲間にささやく。
「ああ。信じらんねえや。わしらコボルドなんて、いつも2、3秒でみんなやられちまうのに」
耳打ちされたほうが剣を構えたまま、応答した。
人間の子供を襲っていたのは8匹とも、コボルドという魔物だ。15才の男の中だとわりあい低身長なリタよりもさらに小さく、いちばん長身のものでも彼の肩に及ばない。
イヌ科の動物みたいに、鼻先が尖っている。
めいめい手に持っている得物は、どれもこれも赤さびの浮いたナマクラばかり。ろくに手入れをしていないのは一目瞭然だ。
「それも、まるでチートとかいう新奇な魔法の実験台みたいにな。昔よくオヤジに聞かされたぜ。クーカンダンレツとかいうチートで仲間5人を一瞬で殺されたのが、今でも忘れられないってよ」
「言うな! だが今回はそうはいかないみたいだぜ。このガキはどうも、チートなんざ持っていないみたいだ」
本人たちの一連の会話からも分かるように、コボルドといえば、スライムやゴブリンと並ぶ弱小モンスターとして周知されている。
だからリタも、チートがなかろうと、1対8だろうと、ゴリ押しでどうにかなると思った。
(このままだと、殺される――!)
先刻までの楽観はどこへやら、今や後悔と絶望だけが、少年の脳裏を跋扈していた。
声が出せるのならば、命乞いの1つもしただろう。しかし死の恐怖にとりつかれた体は、それ以前に大きく息を吸うことをもリタに許さなかった。
「おい。お前がとどめを刺せよ」
さっきの2匹とは別のコボルドが、やはり真横にいた1体の肩に手をかけた。
「え、なんでオラが? 言い出しっぺなんだから、お前がやれよな」
大役を任されそうになった個体は、これを即座に拒否する。
「つべこべ言わずにとっととやれよ。こいつに仲間なんかいたら大変だぞ」
その後もしばらく、押し付け合いが続いた。
これがコボルドの弱いとされる理由。
ひっきょう彼らは、勝利をつかむことに慣れていない。だからあと一歩のところまで敵を追い込んでも、最後の詰めをちゅうちょしてしまい、勝機を逃すのだ。
とはいえ、少年に仲間がいないのも確か。
チート能力があって当たり前のご時世。それを持たぬ彼を迎え入れてくれるパーティなど、あろうはずがなかった。
「お前、弟のかたきを討つんじゃなかったのか?」
「オラの弟を殺したのは、インリョクソーサが使えるヤツだ。人間なら誰でもいいわけじゃ――、うげっ!」
14回目の抗弁の最中だった魔物の声が、いきなり不自然に裏返った。
このコボルドがたまたまリタの正面に立っていたため、何が起こったのかは彼にも把握できた。
誰かがモンスターの背後から槍を突き立てて、穂先が体を貫通し、胸板から飛び出したのだ。
「なんだ!? 一体どうし――、ぐぎゃあっ!」
崩れ落ちる仲間のもとに駆け寄った個体も、脇腹を刺し貫かれた。
残る6匹もあっと言う間に突き殺され、程なくして折り重なった死骸の山が築かれた。
2体目以降の身にいかなる災いが降りかかったのか、先に打ち倒されていた少年は直接見ていない。
ただ、最初の1匹が絶命する光景と、他のものが発する断末魔の悲鳴から、それを類推することは容易だった。――何者かが、コボルドと戦っていると。
いちばんあとまで残った魔物が屍となって草原にくずおれる。すると辺りは急に静かになった。
間を置かず、リタの眼前に、槍を持った女が現れた。
「何コボルドと遊んでんの、あんた」
開口一番、彼女は言った。
両手を腰に当て、不敵な表情を浮かべ仁王立ちしている。槍は右の小脇に挟んである。
目が大きく見開かれ、黒い瞳は自信に満ちている反面、どことなく幼さも残す。顔立ちから判断するに、年齢は20才に達したか否かといったところだ。
女性にしては背が高く、リタとあまり変わらない。日に焼けた褐色の肌はいかにも健康的だ。
精悍な体格とは裏腹に肉付きは豊満で、特にバストはサッカーボールくらいある。
光をよく照り返すつやつやの黒髪は、腰まで届かんばかりの長さだ。
特に印象が強いのは着ている衣装。
指2本分程度の幅しかない皮ひもを、外を出歩くのに最低限隠さなければならない部位にあてがっただけなのだ。当然、肩やお腹は完全に露わになっている。
ビキニアーマーならば、リタもこれまで数え切れないほど目にした。しかしスリングアーマーなるものは前代未聞だ。
少なくとも言えるのは、普段着のほうがまだ防御力が高そうだということ。
「これが遊んでるように見える? やられかけてたんだよ」
絞り出すようにこれだけ、リタは反論した。
「ウソでしょ? コボルドって言ったら、その日冒険者になったばかりの子でも、そうそう負けたりしない相手じゃない」
戦士ふうの出で立ちをした女の声音が、わずかに笑いを帯びる。
もともと明朗で高めの声質だったのが、さらに長三度ほど上昇した。
「ウソなもんか。遊びでこんな傷なんて作らないだろう」
リタは気持ち体を丸めて、いまだ出血の止まらぬ膝を指さした。
「あら大変。早く手当てしないと化膿するかも」女は辺りを見回し、リタが落とした巾着に目を留める。「なんだ。ちゃんと薬草あるんじゃない。これ、使うわよ」
「うん。ありがとう」
リタは女戦士に向かって手を伸ばす。
「……何? その手」
先方はリタの意図を解せず、怪訝な目つきで問うた。
「いや、だから薬草使うんだろ?」
「使うけど、あんた乳鉢と乳棒もってるの?」
「乳鉢? 乳棒? どうするんだ、そんなもの?」
「ばっかじゃないの? 薬草をすり潰すんでしょうが! 乳鉢とか持たないで薬草だけ用意して、あんたこれどうやって使うつもりだったのよ?」
そう言われて、リタは急に恥ずかしくなった。なぜなら今の今まで、薬草はレタスみたいにむしゃむしゃ食べればいいと思っていたからだ。
そもそもチート能力を有する者は、回復呪文がごとき初歩的な魔法は初めから修得しているわけで、そうすると薬草を使う必要に迫られない。よって、これに関する知識は世間に流通しないのだ。
リタが押し黙っていると、しびれを切らしたかのように彼女は言う。
「あーもう! 分かったわよ。あたしも乳鉢とかないから、噛んで潰してあげるわ」
そして薬草を口の中に放り込むと、音を立ててそしゃくし、唾液を含んで柔らかくなったものを手のひらに吐き出した。
「ツバ付いてるけど、この際文句いわないでよね」
「ああ」
リタに苦情を申し立てる理由などなかった。
このうら若く妖艶な女戦士の唾液ならば、むしろ進んで浴びたいと思うなどと言ったら、倒錯だろうか。
「しみるわよ~。覚悟なさい」
そう言うときに限って、彼女の声音はすこぶる嬉しそうだった。
「あ、ああ」
リタが答えるや否や、槍使いは唾液のしみ込んだ薬草をリタの膝に押し当てた。
「痛ててててててて!」
激痛が走り、思わず声を上げる。
「ガマンしなさい。痛いほどよく効くんだから」
彼女の手の力は存外強く、リタがのけ反っても膝だけは微動だにしなかった。
ひょっとすると、真正面から腕比べをしても、軽く組み伏せられるかもしれない。
「あ、そうそう。言い忘れてたわ。あたしの名前はマリン。あんたは?」
リタの足を押さえつけたまま、女戦士のほうから自己紹介をしてきた。
「ぼくはリタ」
続けて少年も名乗る。
――と、ここまでがリタとマリンの出会い。リタの冒険の第1日目のできごとだ。
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