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第五話「綻びかけた想いの蕾」

 三娘はあれから数日、ぱったりと訪れなくなった。騒がしかった彼女がいなくなり、それだけで火か消えたように静かだ。

 誰も来ない部屋の中で、孟均は頬杖をついて虚ろに時を過ごしていた。


『ごめん』


 三娘の声が脳裏に甦る。感情が溢れ出すのを堪えている笑顔。泣くのは彼女の矜持が許さない。


(君が悪いんじゃない。全部……俺のせいだ)


 唇を噛んで目を閉じる。浮かぶのは後悔と自虐ばかりだ。




 少し前、玉華を見かけて話をした。この前のことを謝りたいと言う。


「孟均殿には孟均殿の生き方があるのに、それを考えもせずに……無神経でしたわ」


「いえ…勝手に苛立って当たってしまったこちらが悪いんです。心配してくれたことには感謝しています」


 神妙な面持ちの玉華に、優しく笑ってみせる。


 奇妙な感覚だった。玉華への想いは変わらないのに、あれほど心を占めていた鬱屈は消え失せ、こんなにも穏やかな気持ちで彼女と話していられる。三娘に明かすことで、心内のドロドロを出してしまったおかげだろうか。


「それで……三娘殿とは最近お会いになっていませんの?」


 ちょうど思い出していた時に名前を出され、ぴくりと反応する。最後に別れた時の言葉が蘇ってくる。


『今はちょっと無理だけど……』


「…しばらく、こちらには来ないようなことを言っておりました。やはり気まずくて……けれど約束をしました。次に会う時は、朋友だと」

「え……」

「それでは、これで失礼致します」


 訝しさに玉華の眉が寄るが、孟均はそこで言葉を打ち切り、踵を返した。

 三娘を拒んだことを、玉華はどう思っているのだろうか。最低の男と蔑むか。だがそれすらも、今の孟均にはもうどうでもよかった。




 鮑家から使者が来たのは、その日の夕方だった。


「関家より帰宅してから、しばらく気が抜けたようになっていましたが、昨日ふらりと外へ出て以降、戻って来ないのです。てっきりこちらではないかと…」


 三娘の兄、鮑豊にそう言われて、孟均の顔色が変わった。

 何事もなかったかのように振る舞い、帰って行った三娘。しかし彼女は人が変わったように元気をなくし、物思いに耽っていたという。ちょうど、孟均が沈んでいたのと同じように。

 そして……放心状態のまま彼女はどこに消えたのか。


(無事でいてくれ……!)


 窓の外に見える空を振り仰ぎ、孟均は祈るような気持ちで歯を食い縛った。




「あら」


 もうすっかり日も暮れた頃、大勢の馬の蹄の音に玉華は顔を出す。何事かと外へ出ると、そこには尋常ではない様子の親子らしき二人が転がり落ちそうな勢いで下馬する。


「そこの御夫人! 急ぎ、関孟均殿に取り次いで頂けるか」


 口も聞けない様子でいる父親に代わり、息子らしき男が駆け寄って来る。


「あの……貴方たちは一体…?」

「我等は鮑家の者だ。当主鮑凱と、次子鮑義が来たとお伝え願えるか」

「では三娘殿の!」


 目を丸くする玉華に、掴みかからんばかりに鮑義が詰め寄った。


「三娘が……攫われたのだ」


 玉華の顔が驚愕に歪んだ。




「廉康に連れ去られただと!?」


 関家の客間で、養父や他の者たちがいるのも忘れ、孟均は叫んだ。椅子を勧められた鮑凱は、娘の身を案じるあまり憔悴してしまっている。


「先程、廉康の使者から手紙が届けられてな……

『三娘を生きて返して欲しければ、花帽童一人で我が砦まで来い』と。

場所もなにも記されておらず……こうしている間にも娘は無事でいるのかどうか」


 悲痛な声で顔を手で覆う鮑凱に、その場は沈黙する。

 孟均は衝撃にガタガタと震え出した。


 三娘の元許嫁、廉康。卑劣な手段で三娘との勝負に水を差し、孟均に凄まれて撤退したが。思えば相当執念深い男だった。どうしてあれしきで諦めるとでも思ったのか。最初に三娘にちらりと示唆したものの、以降はそれ以上話題にもしなかった。彼女が忘れたがっていると汲んだつもりだったが、三娘に求愛されていたことを心のどこかで浮かれていたか。

 迂闊だった。廉康への怒りも大きいが、何より。


「…………私の、せいです」


 口から漏れた言葉に、一同は注目する。


「孟均殿! どうか、どうか娘を探し出し、助けて下さらんか!!」

「勝手な願いと分かっているが、今一度傭兵団の再編成を!」


 鮑親子に嘆願されるが、孟均は聞こえないのか、うわ言のように呟く。


「俺のせいだ……俺があの時、彼女を…俺が…」


 息子の異常を感じ取った関羽は、今は話が出来そうにないと踏んで彼等を宥める。


「申し訳ないが、ご覧の通り息子は錯乱している。少し時間を下さらんか。落ち着かせたらこちらから向かわせる故、それまでにそちらで場所の割り出し等お願いしたい」

「そっ…そうですな。では、我々は一旦ここでお邪魔致す。ご迷惑をかけた」

「うむ、御息女の無事を祈っている」



 鮑親子を送り出した関羽が戻ってみると、集まった面々が孟均に声をかけている。


「こんなことになるとは……孟均、気持ちは分かるが落ち込んでいる場合ではない」

「男なんだからしっかりしろよ! 惚れた女一人守れねえでどうする!?」

「今こそ、日々の鍛錬の成果を出す時じゃないのか?」


 劉備たちの励ましの言葉も、孟均には届いていないようだ。


「兄者たちも…今の孟均に必要なのは、気持ちの整理です。このような乱れた心で出向いても、娘共々討ち取られるのが関の山。ここは一先ず、休ませることにします」


 普段、厳格な態度で接している関羽からは考えられない気遣いだ。孟均が正気だったら泣いて喜んだことだろう。これには劉備たちも心配ながらも、任せるしかなかった。



「雲長殿」


 孟均を部屋に連れて行った帰り、廊下で声をかけたのは玉華だった。先程と変わらず、すやすや寝息を立てている幼子を抱いたまま、唇を噛み締めている。


「まだ残っていたのか。我々に出来ることはない。帰られよ」

「私に孟均殿とお話させて頂けないでしょうか?」


 息子は錯乱していると言ったのを、聞いていたのだろうか。

 だが玉華の訴えかけるような目は、見覚えがあった。彼女のその目を最後に見てから、もう何年経っただろうか。


「そなたの説得一つで、今の状態の孟均が動くとは思えんがな」

「出来ます。いえ、させます!」


 瞳の中の焔がきらりと照り返り、関羽は止めても無駄だと悟って嘆息した。


「よかろう。好きにしなさい」


 腕の中の子を預かると、彼の部屋を顎で示した。そこへ向かう彼女の背中に、固い決意を感じ取りながら。




「……均殿。孟均殿」


 放心していた所に、聞き覚えのある声が降ってくる。優しくて心地良い、孟均の好きな声だ。


 と、突如激しく肩を揺さ振られ、現実に引き戻された。


「…っあ? ぎ、玉華……殿?」

「しっかりなさって下さい!」


 玉華の顔がいきなり目の前いっぱいに映り、慌てて周りを見渡して状況を把握する。

 自分の部屋で彼女と二人きり。一体何があったのか。今まで三娘のことで報告を受けていたのではなかったか。


「三娘殿の御父上は情報確保の為、戻られました。貴方も早く追って協力してあげて下さい!」


 焦るような声で必死で訴えかける玉華に、はっ、と力なく笑う。


「玉華殿、私は……私のせいなんです。三娘は、易々と攫われるような女子ではなかった。あの日、傷付けたりしなければ……彼女にそうさせたのは、私です」

「誰のせいだとかは、どうでもいいんです!! 今やるべきことは何ですか。三娘殿を助け出し、無事連れて帰ることではないのですか!!」


 いつになく激しい口調で責め立てる玉華から、孟均は顔を逸らした。この娘は、自分を物語の英雄か何かだと思っているのか。しなければいけないのはもちろん分かっている。行くべきだ、と。だがどういう訳か、身体が動こうとしない。非常時だと言うのに些細な拘りに心を囚われ、気が萎えてしまっている。こんな有り様では、赴いた所でまるで使い物にならない。


「私には、彼女を救えない」


 孟均の呟きに、玉華はそれ以上の言葉も失い息を飲む。何を言っているのか分からないという表情だ。


「私は、彼女に酷いことをした。そんな私が、彼女を助けられますか? 今だって、三娘が死ぬかもしれないというのに、どの面下げて彼女と会おうかなんてくだらないこと考えてる……。貴女に幻滅されても仕方ない、そんな人間なんです。三娘にもう一度会える資格だって、本当なら私には無…」


 バシッ!!


 言葉の続きは、頬への衝撃によって途切れた。じんじんと熱くなる片頬を押さえ、ぽかんとなる孟均。

 彼を平手打ちした玉華は、憤りに肩を震わせている。


「幻滅とか資格とか…そんなこと、どうでもいいって言ってるでしょ!?」


 声を詰らせそうになりながらも、彼女は孟均を見据えている。


「酷いことをしたとか、そういうのは終わってからいくらでもやればいい!! 会えなくなってから死ぬほど後悔したって、二度とやり直せないんだから!!」


 激昂した玉華の瞳から涙がポロポロ零れて、孟均を愕然とさせる。自分が泣かせている、と三娘の時の悔いが再びが湧き上がったが、それ以上に玉華が隠してきた心の一端に触れたような気がした。


「お願い……あの娘は誰でもない、貴方を待っているの。その貴方が来てくれなかったら、彼女は何を信じればいいの? 何を支えに、耐えていればいいの? 貴方しかいない!! だから早く……早く助けに行ってあげて、今度こそ手を離さないで!!」


 腕に縋り付き、号泣する玉華。たった一度会ったきりの彼女に、何をそんなに思い入れるのだろうか。同じ女だからか、それとも……同じ想いを抱えているのか。

 呆然となっていた孟均は、無意識に肩に手をかけ、玉華の顔を上げさせた。


(三娘!?)


 一瞬、涙で濡れるその顔が三娘と重なり、思わず目を瞬かせる。


 不意に、頭の中の霧が晴れていく。悩んでいた自分は一体何だったんだと一笑したくなった。彼女が心配なら、すぐに飛んで行けばいい。傷付けたとか、そんな確執は関係なしに。

 そう、関係ない。孟均にとって、なくてはならない存在だから。単純なことだ。


「三娘を、助けに行きます」

「……はい」


 迷いを吹っ切った声に、玉華の顔にみるみる喜色が浮かぶ。それはまるで、玉華自身が救われたような……孟均が見た中で最も美しい表情で。今もなお、胸が痛むのを感じつつ、彼も安心させるために微笑んでみせる。

 玉華の頬に残る涙を指で拭き取ろうとして……止めた。自分の役目じゃない。


 そして孟均は、弾かれたように部屋を出て行った。それを見送っていた玉華だったが、何か思い出したのか、彼が戻って来て扉から顔を覗かせる。


「あの……さっきは錯乱していたとは言え、あのような」

「私のことはいいから! 早く行ってあげて」


 心情を打ち明けたのが恥ずかしかったのか、謝ろうとする孟均に苦笑して袖を振る。照れたように頭を下げた孟均が気を取り直して行ってしまうと、玉華は手を合わせた。


「どうか……貴方たちだけは」




 許抜山を通じ、花帽童の傭兵団に連絡を取った孟均は、鮑家荘へと馬を走らせた。娘の捜索に神経を張り詰めていた鮑凱も、彼が駆け付けたのを見てほっと力を抜く。


「鮑凱殿、御息女は必ず助け出します。だが迂闊な行動は控えられよ。廉康は卑劣な男。下手に押しかければ三娘に危害を加えかねません。我等傭兵団と協力し、場所を割り出しましたら、その後のことはお任せ頂きたい」


 その後、趙拿雲たちが続々と集い、孟均の顔を見て嬉しそうに声を上げる。


「主、聞きやしたぜ。俺らの出番だってな」

「俺ら傭兵団が頼りになるってこと、見せて差し上げますよ!」


 変わらぬ心意気で接してくる面々に感極まり、孟均は頭を下げる。


「皆、すまない。都合が良い話だが、どうか協力して欲しい」

「水臭いですよ。主さんの言うべきことは、そうじゃないでしょ?」

「俺らはいつでも一心同体じゃないですか」


 部下たちにバシバシと叩かれ、苦笑しながらも頷く。


「そうだったな……では頼むぞ、お前たち!!」




 それから二刻程後、廉康が根城にしている廃墟を見つけた一同は、三娘がここに連れ込まれたという情報の元、襲撃する手筈を整えた。


「一人で来いとは言ったが、廉康のことだ。手下を大勢配備してくるだろう。見つからぬよう傭兵団でこれを叩き、その隙に突破する」


 厳しい顔で鎧を身に付ける孟均に、他の者たちはさすがに心配になる。


「でも主、少しは休んでからの方が良くないですか? もう真夜中ですし、お疲れの状態で出る訳には……」

「いや、三娘の無事を思えばこうしている時間も惜しい。どの道、目が冴えて眠れる状態ではないからな」


 喋りながらもきびきびと手を動かし、あっという間に馬に乗る孟均を見て、


(あれほど三娘を疎ましがってたってのに……こりゃ情にほだされたか?)


と顔を見合わせる部下たちだった。



「では鮑凱殿、留守をお願い致す!!」


 颯爽と傭兵団を引き連れ、出陣する孟均。鮑凱はその姿に、父である関羽を重ねていた。


(血は争えんな……三娘を頼んだぞ)




 廉康の砦では、手下の劉登と宋文達が鮑家の方角から来る騎馬に気付き、警戒網を敷いていた。

 そこに現れたのは、何とも派手な鎧を身に付けた男。


「お前が花帽童か!!」


 本当に一人でのこのこ来たことの愚かさをあざ笑い、矢を浴びせかけようと手を上げる。


 と、門の上で矢を構えていた手下が次々と落ちる。


「何だ!?」


 よく見ると、暗がりの中に黒装束を来た賊が潜み、矢や石を打ってきている。男があまりにも分かりやすい仰々しさだったので、周りが目立たなかったのだ。


「くそっ、打て打て!」


 指揮を宋文達に任せ、廉康に報告しようと踵を返した劉登は、その時手下の一人に声をかけられた。


「何だ、今それどころでは…っ!?」


 振り向こうとして、首筋に刃を押し当てられ、言葉を飲み込む。


「一言でも発すれば殺す」


 抑揚のない低い声の主は只者ではなく、恐らく花帽童のものだった。影武者を仕立て上げ、劉登たちの目を逸らさせておいて、その隙に自分は死んだ手下の鎧を剥いで砦をよじ登ったのだろう。


「三娘のいる場所まで案内しろ」


 剣を喉元でちらつかせられ、劉登は顔面蒼白で汗を垂れ流すしかない。


「どうした、早く行って来ないか」


 宋文達が振り向き様に指示するが、彼等の背中しか見えない状態で何が起こっているか分からない。


「はっ、只今。さあ、参りましょう」


 代わりに孟均が答え、剣を突き付けたまま劉登を促した。


(待っていろ、三娘……!)

一応、サイトに載せていた分はここまでです。

果たして長年放置していた話を完結できるのか。次回、最終回!

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