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第四話「揉め事の根は着々と」

「傭兵団を解散する!?」


 花帽童の集会所で、信じられないと言った声が上がる。

 今朝、鮑家に喧嘩を売りに行ったかと思えば、帰って来ていきなりこれである。留守を任され、事情の知らない部下たちには何が起こったのか分からない。

 そんな彼等を、一部始終を見て来た許抜山と趙拿雲が必死に説得していた。


「だから、その……鮑三娘と打ち合ったはいいが、鮑家の者に目を付けられてしまってな」

「だったら戦えばいいじゃねえか!」

「いや憎まれたとかいうことじゃなく……もっと厄介なんだよ」




 鮑三娘による突如熱烈な求婚から何とか逃げて来た孟均は、帰る道筋で二人に傭兵団解散の意志を伝えていた。


「鮑三娘から行方を晦ます為に、そこまでやりますか!?」

「いや、彼女のことはきっかけに過ぎないよ。そろそろ潮時だったし…… 幸い、『花帽童』という偽名しか知られていないが、どこから俺の素性が割り出されるか分かったもんじゃないからな」


 やるせない表情で無理に笑ってみせる孟均に、二人はそれ以上何も言えなかった。




「皆には、本当に済まないと思っている……」


 いつになく神妙な面持ちで頭を下げる孟均に、部下たちは抗議した。


「何だよ水臭いじゃねえかよ、主!」

「俺たちじゃ何の力にもなれねえってのか!?」

「傭兵団が解散したんじゃ、また盗賊に戻るしかねえぜ?」

「そうなっても……俺にはもう止める権限はない」


 許抜山と趙拿雲が顔を見合わせる。彼等を養ってきたのは、様々な仕事を引き受けて得た依頼料によるものだ。解散してしまえば再び路頭に迷う。許抜山たちが再び率いてもいいのだが、やはり「花帽童」の傭兵団である以上、孟均なしには立ち行かないだろう。

 不満の声の中、じっと考えていた張擒龍が提案する。


「では、貴方がまた何らかの事情で我等の助けが必要となった時の為に、表向きは解散で潜伏という形を取っては如何でしょうか? 主の声一つですぐに集合できるよう、独自の情報網を作って。 ……有り難迷惑とお思いでしょうが、今となっては我等には貴方が必要。何より皆、貴方を慕ってここにいるのですから」


 はっと顔を上げる孟均の目の前には、変わらず迎えてくれる部下たちがいる。孟均が誰の命も受けず、自分の意志と力で集めた者たちだ。思わず、胸が熱くなった。


「ありがとう……しばしの別れだが、許してくれ」




 そうして荊州で花帽童の噂を聞かなくなって一月が経った。孟均はあれから一切外出を控え、唯一素性を明かした許抜山とだけ時々連絡を取り合っている。おかげで傭兵団を指揮していた生活とは打って変わって平和な日常が続いていた。

 ただ一つ悩みがあるとすれば、あやふやにしてきた見合いの件である。


「殿がとても良い話だと持って来て下さってな。荊州でも高名な有力者の娘だそうだ」


 今まで何とか躱してきた話題だったが、ある日関羽に直接持ち出された。これまでにも幾つもの話はあったものの、関羽自身いい顔をしなかった上に、親子で腹を割る機会がなかなか持てなかったのだが、劉備に再三推されたのだろう。


「お前があまり乗り気でないのは分かっている。見合いをしたからと言って無理に娶る必要もないし、会うだけ会って気に入らないなら断ればいい。殿は別に、お前を追い詰めたくて勧めているのではない。むしろご厚意からだ」


 沈んだ様子の息子に関羽はそう説き伏せるが、そんなことは孟均も分かっていた。だからこそ、尚のこと辛かったのだ。

 気に入らなければとは言うが、今の孟均にはどんな娘も心を捕えることは出来ない。断ると分かり切っている縁談を、どうして受けることが出来ようか。


「誰か他に、心に決めた者がいると言うなら、儂から殿に……」

「おりませぬ」


 痛ましい表情のまま、しかし孟均はきっぱりと言った。


「では、この話を受けるか」

「…………はい」


 抑揚のない答えに溜息を吐くと、関羽は立ち上がり部屋を後にした。


「言っておくが、気に入らないなら断れ。殿も儂も無理強いはせん」


 扉の音を、孟均はどこか遠くで聞いていた。




「聞きましたよ、今度お見合いをするんですってね」


 ついに、と微笑みを向ける玉華。張飛からもう話が伝わっていたのか、昨日の今日の早さだ。彼女が運んでいる桶を代わりに持ってやりながら、孟均は苦笑いした。


「早ければ来月にも祝言を上げることになるかもしれませんね」

「でも、まだ決まった訳ではないのでしょう?他にも幾つか来ているのですし」

「折角、殿が良い縁談をと持ちかけて下さっていますし……私ももう子供ではありませんから」


 表に貼り付いた笑顔と裏腹に、こうして話しているだけで心がじくじくと痛い。他ならぬ玉華と、こんな言葉を交わしたくはなかった。

 関羽とは、相手が気に入ったら受けるという話になっているが、もう相手が誰であろうと、孟均は最初から断る気などない。彼女以外の女性など、皆同じなのだから。


(これでいい……諦めるいい機会じゃないか)


 そんなことをぼんやり考えている孟均の元に、趙雲が駆け寄って来た。


「孟均、君の屋敷に誰か使者が訪ねて来たようだぞ」

「使者?今度の見合い先でしょうか」

「いや、それが鮑家の者と名乗っているらしく……」


 ガタンッ


 孟均の手から桶が落ちた。




「――そういう訳でして、貴殿の御子息との正式な婚約を許可願いたい」


 関羽の前に跪く使者は、鮑三娘の兄という鮑豊。彼によると、鮑三娘は自分を負かした者を夫とすると公言しており、一月前に乗り込んで来た孟均と打ち合って敗れ、嫁すことを承諾したと云う。

 寝耳に水の話に、関羽は言葉を失っている。


「しかし御子息は偽名を使っておられ、消息不明――率いていた傭兵団も跡形もなく、捜索に難儀しましたが、小耳に挟んだこちらの縁談からようやく御子息の手掛かりを掴み、こうしてお伺いに参上した次第です」


 唸っていた関羽だったが、鮑豊の話を偽りと蹴るのも早計で、また、少し前の孟均の不審な行動にも説明がつく。


「とにかく急な話で戸惑いの方が大きいのだが、今日の所はお引き取り願えないだろうか。息子に確かめたいこともござるし、後日改めてこちらに来られると言うことで」


「何卒、宜しくお願い申す。妹は御子息のことで日々想いを募らせ、一日でも早くお会いしたいと申しておりまする」


 関羽の申し出に、鮑豊はそう念を押すと、荷が降りたと言った風情で退室していった。


「――さて」



「何故、隠しておったのか、説明してもらえるな?」


 穏やかだが威圧を伴った声に、俯いていた孟均は顔を上げられないでいる。

 家族会議のつもりで呼び出した訳だが、同じ部屋には関羽親子の他、劉備、張飛らの家族も勢揃いし、好奇心の的になっている。

 鮑豊の口から鮑家荘の一件だけでなく、傭兵団のことまで芋蔓式にバレ、孟均の陰なる努力は水の泡となってしまったのだ。


「いやあ、しかし噂の花帽童ってのが孟均だったとはな! 機会がありゃ勧誘に行こうかって話が出てたとこだぜ。さすがは兄貴の息子だけはある、見直したぜ!!」

「益徳!!」


 茶々を入れる張飛をジロリと睨んで嗜める関羽。張飛は肩を竦めるが、懲りずに横の玉華にぼそぼそと耳打ちした。


「だがまさか、本当に筆降ろしに行ってるとは思わなかったぜ。いつまでもガキだと思ってたのが、意外とやるなあ」


(聞こえてます、将軍……)


 玉華にそんな下世話なことを吹き込まれるのがたまらず、膝をぎゅっと握り締める。彼女が夫を抓っているのが視界の端に映り、僅かに溜飲を下げたが。


 関羽は咳払いをすると、仕切り直す。


「何も傭兵稼業をするなと言うのではない。ただ、儂は忠告したよな。他に心に決めた者がおるなら、見合いは断れと。だがお前はいないと申して話を受けた。それでは縁談を持って来た殿のみならず、鮑氏をも謀り恥をかかせたことになるだろう?」

「言わなかったことは本当に反省してます!! 殿のご厚意を踏み躙り、義父上を欺いたことは! 只々迷惑をかけたくないばかりに、却って浅慮な判断をして」


 悲痛な声で、床に擦りつけんばかりに頭を下げる。

 どうして養父たちを信頼出来なかったのだろう。認められたいと思う一方で、好意を煩わしく感じてしまったのだろう。つくづく、浅はかだった。


「そんなに気に病むことはない。そなたの幸せの為なら、恥など幾らでもかいてやるさ。ただ、鮑家の娘との縁があったのなら遠慮せずに聞かせて欲しかったがね」


 気にしてない風の劉備が笑って慰めるが、孟均はぎょっとして首を振る。


「彼女はその……違うんです!! 元許嫁という男に付き添って話を付けに行って…… 女傑と聞いて、腕を試してみたくなったんです。誓ってそれだけです! 結婚もはっきり断りましたし、気を持たせたつもりは全然」


 今にも泣きそうな程必死な孟均の言い分に、劉備たちはお互いの顔を見遣る。


「鮑三娘と言ったか。どのような娘だったかな」

「噂では、孟均の言う通り武芸を嗜む女丈夫ですよ。勝った者に嫁すという条件も本当らしく」

「だがなぁ。その条件を知っていながら、勝ったこっちが求婚を突っぱねるなんて、孟均も男としてどうなんだ? よっぽど厳ついブスだったのか」


 それぞれ勝手な推測をしていたが、やがて劉備は再び孟均に向き直る。


「我々はそなたが鮑三娘を娶るならそれは祝福してやりたいと思うが……違うのだな? 見合いを推し進めたのはともかく、どうしてそこまで結婚を嫌がるのだ」


 はっと顔を強張らせた。

 頑なになる理由。

 振り向けずとも視界の隅に僅かに入る存在。こちらの動向を窺おうと、じっと見ているのを感じる。明かすべきなのか、心の奥底の闇を――


(…………言えない!)


 目をきつく閉じた孟均の頭上に、その時意外な言葉が降りた。


「孟均。儂が責めておるのは、お前が自分の綺麗な面しか見せようとしないことだ。確かに主従においては、その関係は理想と言えるかもしれん。だが儂の子となり、劉玄徳に忠誠を誓った日から、お前は我々の仲間となった。欠点も失敗も、我々皆で受け止め分かち合う。それが劉備軍だ。

だからお前も……血の繋がり以上に、我等を信じて欲しい」


 それは、表向きは養父としての優しい言葉。しかし裏に込められしは――実父としての厳しい言葉。関羽の秘めたる愛情に、孟均は涙ぐみそうになった。


「すぐにとは言わん……全てはお前が決めることだ。今日はこれで終わりにしよう」

「そうだな。鮑三娘の件は、後日訪ねて来てからにしよう」

「孟均、悩みがあるんだったら気軽に言えよ」

「これも経験だ。君なら乗り越えられるさ」


 口々に声をかけると、劉備たちはそれぞれの屋敷に戻って行った。




 次の日、鮑家から仰々しい輿が到着した。後日とは言ったが、日も置かずに来るとは思わなかった劉備たち一同は呆気に取られる。


「お初にお目にかかる。三娘の父、鮑凱と申す」


 馬から降りた鮑凱が厳かに礼をした。

 鮑凱の纏う空気は、侠に生きる劉備たちに相通じるものがあるらしく、双方一目で好感を持てた。


「孟均の父、関雲長にござる。この度は、愚息がご迷惑をかけ申した」

「いやいや、貴殿を始め、劉備三兄弟の武勇伝は荊州でも語り草。御子息の強さも、それを思えば合点が行くというもの。そのような御方と縁が出来ることは、我々にとって何よりの名誉にございます」

「……そのことなんだが」

「ともあれ、ここで込み入った話も何です。我が娘にも挨拶させましょう」


 鮑凱が声をかけると、輿からすっと鮑三娘が降りて来た。予想を外れたその姿に、関羽は目を見開く。



 一方、部屋で待っているように言われた孟均、先程からそわそわと落ち着かない。てっきり縁が切れたと思っていた鮑三娘に探り当てられてしまったのだ。直感が伝えている――彼女は厄介だ。

 息子の状況をそれ程深刻視していないのか、紅昌はそんな彼をにこやかに見守っている。いつもと同じその態度は何も考えていないようにも見えるが、心配されてもどうしようもないので、孟均には却ってありがたかった。

 そこに養父が客人たちを伴って部屋に入って来たので、平伏する。


「孟均。鮑凱殿と三娘殿をお連れした。挨拶を」

「はい」


 言われて頭を上げた孟均は、一月ぶりに再会した鮑三娘を見て、驚きのあまり息を飲んだ。


 一人の貴人が、そこにいた。


 豊かな髪を結い上げ、化粧を施すことにより、きつめの面差しを和らげ色気を醸し出している。趣味の良い色合いの着物に薄い絹衣をふんわりと羽織ったいでたちは、どこからどう見ても一端の粛々とした姫君であった。馬上で怒号を上げ、矛を振り回して孟均と互角に渡り合った女傑と同一人物とは思えない。

 思わず呆けたままになっている孟均の前に進み出て、鮑三娘は恭しく跪く。


「お久しゅう……いえ、『関孟均』様としましては、お初になりまする。一月、貴方の伴侶となることを夢見て行方を追っておりました。この度、望み叶い今一度お会い出来たこと至福にございます」


 しおらしく礼を取る三娘の言葉に、我に返った。


(……何だ、この変貌ぶりは)


 再会して早々、持った印象がそれだった。

 しかし冷静になって考えてみると、彼女は婚姻の許可の為にここに来ているのである。相手の父母の前で、いきなり前の調子で乗り込んで来る方がどうかしている。例の勇猛ぶりが伝わっているとは言え、猫の一つや二つ被りもするだろう。


「さて、儂等がいては話しにくいこともあろう。ここは若い二人に任せて、退散する。

孟均、御父上には儂が話を付けておくから、しっかりとな」


 居たたまれないのを察したか、関羽は他の者たちを促して部屋から出て行き、孟均と三娘だけが取り残される。

 やがて彼女が「フーッ」と息を吐くと、張り詰めていた空気が解けた。


「立派な御父様ね。気に入ったわ」


 立ち上がり、開口一番地を出す三娘に、孟均は詰め寄る。


「何故ここに来た!!」

「大変だったのよ? 貴方は偽名だし傭兵団は速攻解散してるし手掛かりないんですもの。荊州で同じ年頃の若者を片っ端から調べまくったんだから。そんな時、劉皇叔がばらまいてた見合い話に行き当たってから、当人だった場合に撒かれないよう極秘に捜査してたのよね」

「そんなことを聞いてるんじゃない! 何故俺が君と結婚することになっているんだ!?」

「家の立て札に書いた通りよ。私と戦って勝った人が夫になれるって」

「あの勝負は、俺の負けにすると言っただろう」

「では、勝った私のものにおなりなさいな」


 ああ言えばこう言う。しれっと切り返す三娘に孟均は頭を抱えた。このようなとんでもない娘は類を見ず、ほとほと扱いに困る。無論、結婚など考えてもいないが、どうすれば説得出来るのか。


「廉康との婚約はどうするんだ」


 埒があかずにふと気になった点に話題を変えると、途端に三娘の顔が険しくなった。


「あんな男に少しでも義理があるなら、最初から婿探しなどするはずないでしょう? 約束通り鎧は作って届けてあげたんだから、廉康とはそれで終わりよ」


 この場でそんな話を持ち出されたことが不快だと言わんばかりに吐き捨てる三娘。素っ気無い言葉だが、表情には嫌悪感がありありと浮かんでいる。まあ先日の卑怯な振る舞いを見るに、気持ちは分からないでもないが。


「とにかく俺はあの条件を飲んだ覚えはない。最初に無関係と宣言したはずだ。君も廉康を追い払うだけで済むのを、何故そうまでして俺に拘る?」


「そのようなこと…わざわざ言わせるおつもり?」


 ふてぶてしい態度から一転、頬をポッと赤く染めて見つめてくる三娘。得体の知れない何かを感じ、孟均は訳も分からずうろたえる。


(まずい!!)


「……気に喰わないな。俺は傲慢な女は嫌いだ」


 三娘のような類稀なる美貌と武力では、尊大になるのも無理はない。だが孟均は、彼女の思い上がりには腹が立った。認めた者以外は歯牙にもかけない反面、手に入れる為なら相手の都合などお構いなし。まるで自分の方が男を選んで当然と言わんばかりの。現に孟均にそう言われても、本人はけろりとしている。


「傲慢がお嫌いでしたら、直しますわ。化物呼ばわりも返上して見せます。貴方を惚れさせるだけの自信は、ありますから」


 男なら誰でもくらりと来そうな不敵な笑みを見せ、今日の所はこれで帰ると言い残すと、三娘は父親と共に引き下がって行った。

 嵐のような時間が終わると、孟均はどっとその場にへたり込んだ。


(疲れた……)




「…で、お前はまたこんな所に来ていていいのか?」


 張飛は客間で茶を啜っている孟均に呆れた声をかけた。

 あれから数日。連日のように訪ねて来る三娘の猛烈な求愛に、孟均はぐったりしていた。それで、彼女が来る時間にはこうして張飛の自宅に逃げ込んでいる訳だ。

 無事見つからずに済むこともあるが、その時はその時でちゃっかり周りの者たちに挨拶に行く為、三娘の来訪はすっかりお馴染みとなり、今ではほとんど公認となっていた。


「俺も見たぜ。ブスとか言っちまったが、とんでもねえ別嬪だったじゃねえか」

「私はまだ、会ったことはないんですよね」


 玉華がお茶請けを運んで来る。孟均の好物をわざわざ出してくれる心遣いがとても嬉しい。


「愛想もいいし、ありゃ作法も相当厳しく叩き込まれてると見た。あんないい女にベタ惚れされて、お前何が不満なんだ」

「勘弁して下さい、彼女は苦手なんですよ!!」


 孟均はうんざりした様子で首を振って溜息を吐いた。劉備たちはすっかり三娘を気に入り、彼女ならばと既に孟均の嫁扱いである。

 関羽も口には出さないが、御父様と呼ばれて悪い気はしていないようだ。だが孟均にとっては冗談じゃなかった。


「三娘は普段矛を振り回し、男に罵声を浴びせるような女子なんです。将軍たちは、ここに来る時の娘姿しか知らないんですよ」

「いや噂で知ってるし……一途で芯が強いのは確かだろ。大体あの程度の欺きなんざ、可愛いもんじゃねえか」

「孟均殿。恋する乙女は皆、猫を被るものですよ」


 真摯な訴えも張飛夫婦にはまるで通じず、孟均は諦めて茶を呷った。分かっている。三娘の想いに応えられない本当の理由は、そんな所にあるんじゃないと。


「三娘殿がダメなら、どのような女性なら良いのですか?」

「っ!!?」


 心ここにあらずだった所に、不意に玉華に覗き込まれ、思わず茶碗を取り落としそうになるくらい仰天した。油断して、目の前の人がそうだと口を滑らしかねない程に。


「あー……あの、そうですね」


 ごにょごにょと言葉を濁しつつ、暗に特定の誰かを示す要素を口にする。


「笑顔の似合う人でしょうか」

「愛想じゃダメなのか?」

「いえ、ダメというんじゃないですけど……淑やかな方が」

「彼女は貴方の為に努めているのでしょう?お認めになれませんか」

「いやっ、あの……」


 言った側から双方に突っ込まれ、冷や汗を拭う。

 改めて思えば、三娘もまた魅力的なのだ。しかも孟均に好かれようと、日に日に女らしさを増してきている。これ程強烈に愛されるのは、普通幸せなことなのだろうな、と他人事のように思った。


「決め手となるのは……生意気かもしれませんが、この手で守ってあげたいと思えることですね」


 ぽつりと漏らした答えに、夫婦は不思議そうに顔を見合わせた。


「基準が分かりにくいよな。弱いってことか? なら三娘は違うな」

「確かに三娘殿は勇猛果敢で行動力があってしっかり者ですわね。支えがなくとも一人で生きていけるでしょうし……羨ましい完璧ぶりだわ」

「分からないのでしたら、それでも良いですよ」


 孟均は茶碗を弄びながら苦笑いした。


「孟均様ぁ~~~~!」


 それまでの空気をぶち壊しにする、甲高い声が響く。

 おかげで口に含んだ茶をブッと噴いてしまった。


「ここにいらしたのね? 探しましたわ孟均様!」


 家人には通さないように頼んでおいたはずだが、そんな事情は知ったことかとばかりに、三娘が屋敷に乗り込み、本人を見つけると嬉しそうに駆け寄る。


「酷いですわ。私の心を知っていながら、試すような戯れを」


 手を取られ、げっそりした表情になる孟均に、張飛はさすがに彼の心情を察した。


(モテる男って辛いよな……羨ましいんだか他人事で良かったんだか)


 実際はモテているから悩んでいるのとは少し違うが。


「それじゃあ、貴女が鮑三娘殿?」


 初対面となる玉華と三娘。顔を合わせた途端、二人して目を丸くした。


「綺麗な人!!」

「凄く可愛い!!」


 こうして不法侵入で割り込んで来た三娘だったが、めでたく張家の客人としてもてなしを受け、お互いに自己紹介をした。


「まあ、張将軍の奥方様? それでは叔母様ということになりますのね。でも凄くお若いわ」

「ふふ、そうね。年齢的には私たちほとんど変わらないわね」


 正確には孟均の義理の叔母なのだが、三娘は当たり前のように姪の立場でいる。彼女たちが意気投合しているのを、孟均は重い気分で見守った。


(これは、玉華殿が彼女の味方になるということか?)


「三娘殿は孟均殿の好みとは少し違いますけれど」


 案の定、玉華は茶を入れ直しながら話の種にする。


「可愛らしいお嬢さんじゃないですか。私は好きになりましたわ」

「嬉しい、叔母様!! …いえ、御姉様と呼んでも宜しいかしら?」

「ええ、私も同世代の友達が欲しかったから」

「俺としちゃ、噂の化物娘でも全然構わねえな。如何にも俺の姪って感じだろ?」

「うふふ叔父様ったら。分かってらっしゃる」


 和気藹々といった三人に、一人置いてきぼりの孟均は唇を噛んだ。別に三娘が誰と仲良くなろうが構わないが、問題なのは彼女が孟均の婚約者面していることだ。これでは彼女自身、あれ程疎ましがっていた廉康と変わらないではないか。


「守ってあげたくなる女性? それが孟均様の? いいでしょう、なってみせます」

「おいおい茶で酔っ払いでもしたか? 意地張んなって、今のままで充分いい女なんだし」

「そうですわ。私、貴女のような素晴らしい女性に憧れますもの」

「想い人の理想に近付きたいという女心です! 孟均様は夢見ていた運命の御方ですもの。御姉様は、どのような殿方を理想とお考えですの?」

「優しい大人の男性ですね」


 だから今の夫(※かなり年上)を選んだというのか?

 ちらりと張飛を覗うと、何故か彼は「チッ」と舌打ちしてそっぽを向いていた。大人というよりは、でかい子供である。


(確かに、俺にはない要素だな……)


 ふっと息を吐くと、話題の中心にいた割には存在を忘れていたらしい彼等も注目する。


「盛り上がっている所悪いが、三娘。俺との婚約の話をそろそろ取り消してくれないか? ここが気に入ったのなら、玉華殿の友人として来られるといい。だが、俺が君を娶る気などないと分かって欲しいんだ」

「何故ですの?」


 言葉を返してきたのは、三娘ではなく玉華。孟均の眉間に皺が寄る。


「貴方、御父上が縁談を持って来た時は会いもせずに引き受けたではありませんか。誰を娶っても良かったのなら、何故気心知れる三娘殿がダメなのです」

「それ…は、あの時は」

「貴方は真面目でとても良い人だと思っています。なのに近頃は、皆の厚意を拒んで困らせてばかり。何故?」


 黒い瞳で静かに与えられる責めに、孟均は言葉を詰らせた。普段大人しい玉華に、こんなことを言われるとは思わなかった。

 何故。その問いに答えることは、終わりを意味する。


「一緒に生きていってくれる。愛してくれる。これ以上の幸せなんてない。貴方はいつだって幸せになれるのに、いつもそれを捨てる選択をする。どうして自分一人が我慢して不幸であろうとするの? どうして見てくれる人がいることに気付こうとしないの。私は……三娘殿なら貴方を幸せにしてくれると思ってるのに!」


 ズキッ!!


 孟均は痛みのあまり呼吸が止まった。

 話している内に興奮してきたのか、玉華の息が荒い。心なしか、泣きそうになっている。

 玉華の言葉は、孟均の心を深く抉っていた。それは、彼の闇を見透かしていたから。


 何故、気付かなかったのだろう。自分が玉華の闇を感じていたのなら、逆も有り得るのだと。なのに呑気にも、自分は玉華を救える気でいた。そして思い上がりは、年月と共に恋へと形を変えた。

 だが……


 ズキ、ズキ、ズキ――


「玉華」


 張飛が腕を引くと、我に返った玉華が口元を押さえる。


「あ……ごめんなさい。私、酷いこと…言って……」

「御姉様……」


 三娘が戸惑いながら声をかけようとしたその時、


 ガタッ


 孟均が立ち上がった音を、全員が驚いて振り返った。


「孟き…」

「…………貴女に」


 絞り出すような声に、玉華がはっと目を見開く。


「貴女に……貴女にだけは。そんなこと……言われたく、なかった!」


 その表情を確かめる間も無く、孟均は猛然と部屋を飛び出す。


「孟均、てめえ!!」

「孟均様!!」


 張飛が机をバンと叩いて激昂すると同時に、三娘が彼の後を追う。

 震えていた玉華は、俯くとそのまま力なく座り込んでしまった。




「孟均様!!!」


 夕焼けに照らされる中庭は、風景として絶好の場所だった。そこに美少年が一人きりで佇んでいれば尚のことである。

 が、事態はそんな悠長な場合でもなかった。

 追い付いて来た三娘を振り返った孟均は、自分のために息を切らす彼女の姿に笑いたくなった。


「ごめん」

「え?」


 唐突な謝罪の意図が分からず聞き返すが、答えはなく、仕方なく作り笑いで和ませようとする。


「いえ……孟均様に断られるのにも、もう慣れましたわ」

「ごめん」


 孟均は、今までの自分があまりにも滑稽に思えて、もうどうでもよくなっていた。いっそここで全てをぶちまけられたら、どんなにいいだろうか。


「私のこと、お嫌いですか?」


 三娘の問いに、短期間で随分優しくなったもんだ、と心中せせら笑う。

 再会初日、傲慢な奴は嫌いだと切り捨てたが、それから彼女なりに精一杯頑張ってきたのが分かる。


「君のことは…正直、好きなんだと思う。打ち合った時、これ程までにわくわくさせてくれる相手はいなかったと、歓喜した。それに、自分のやりたいように生きる姿勢も羨ましかったし。尊敬してる」


 心は不思議と落ち着いていた。今もドロドロした奔流が内に渦巻いているのに。三娘に心底好ましい目を向けるのも、初めてだった。


「生涯の好敵手に巡り会えた。良い友人になれるんじゃないかな、俺たちは。君も無理して信念を捨ててまで、自分を型に嵌め込むんじゃないよ。女であることに囚われずに自分を貫ける君の方が、ずっと輝いてるから」


 三娘がこちらを凝視したまま、言葉をなくしている。

 

(変だな、告白しているのに)


 ああそうか、彼女の想いとは食い違っているからか。だから好きだと言っても、拒絶になるんだ。でも仕方ないじゃないか。彼女の望みには、応えられないんだから――


「関雲長は」


 彼女が聞いているかどうかも構わず、突然話を切り換える。


「今の父は、養父なんだ。親子の契りを交わしてまだ四年だけど、息子として認められるよう毎日必死になって頑張ってる。何せ、あの関雲長の息子だ。ちょっとやそっとで釣り合えるもんじゃない。今年からは、彼に子が生まれたこともあるしな。

……俺にとって、本当の雲長の息子となれるよう努めるのが精一杯で、自分が家長になるなんて、考えられない。余裕がないんだ」


 一気に捲し立てる中、心のどこかで警告する。


 ――こんなこと、彼女にぶつけたってどうしようもない。応えてもやれない相手に、全てを晒すつもりか。止めるんだ止めるんだ止め――


「何より」


 少なからず衝撃を受けている三娘の眼球が僅かに動く。これ以上、何を聞かせようというのか。孟均は、直後の彼女に同情した。


「俺には、心の内に住まう女性がいる」


 びくり、と三娘が大きく震えた。

 瞳が問いかける。何故?

 劉備も、関羽も、玉華も聞いた。それなのに何故。何故言わなかった。何故その人と添い遂げなかった。


「望んでも叶わぬと分かっている。言うことも許されぬ。ただ心に秘めて、朽ちるのを待つしか術がない。道ならぬ故に、明かせず報われず消せない。そんな恋が、ずっと心に燻り続けている。今も」


 言った。


「だから、その人以外は皆同じだ」


 誰にも言えなかった秘密を。


「けど、君は違う。君のことは好きだから」


 何年も心に巣食っていた闇を。


「この想いを抱えたまま契りを結ぶのは、君を侮辱することになる」


 溢れ出す奔流に身を任せながら。


「それは、許せない」


 目を閉じた。



 沈黙が訪れる。暗闇の中、一人きりになった錯覚を覚える。

 いや、そう感じるのは先程からだ。三娘の気持ちも何もかも考えずに吐き出した。

 後悔と焦燥が押し寄せる反面、抱え込んでいたものを投げ出したように心が軽い。本当はこうやって、誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。自分は彼女の好きな、「大人」ではないのだから――


「それ程までに愛しているのね、その御方を」

「ああ」


 頷き、再び闇に思考を委ねようとする孟均の耳に、やけにさっぱりした声が届いた。


「そっか……まあ、しょうがないか。

…ごめんね、嫌な思いさせちゃって」


 三娘の口調が砕けた物に戻っていた。その心情は分からないが、孟均にとってはこの方が彼女らしくて好ましかった。


「孟均はさ、そういうのともゆっくり付き合っていく気だったんだろうけど……私、全部ぶち壊しちゃった! 昔っから他人の気持ちとかに疎くってさあ。今回も引っ掻き回すだけで結局空回りで……本当、馬鹿みたい」


 だんだん語尾が小さくなっていく三娘に孟均は焦る。こんな罪悪感を持たせる為に話したんじゃないのに。


「その御方みたいに振る舞うことは出来るけど……正直、勝てないや。何て言うか、重みが違うのよね。それに、言ってたじゃない。型に嵌め込んだら、私じゃなくなっちゃう」


 わざと明るい声で早口に言い切ってしまうと、三娘は背を向けた。頭を掻き毟ったせいで折角結った御髪は乱れ、風に靡いている。

 その様子に心を痛めながらも、孟均は彼女の言い方に引っ掛かりを覚えていた。まるで、彼の想い人のことを知っているような…?


「三娘、まさか誰のことか知って……?」

「ん、まあ孟均の好みも聞いたから、それが一番自然かなって。

正直言うと一目見た時から、あんな女性が近くにいて貴方が何とも思ってない訳がないって気付いてたの。

さっきキレたのも分かるわ……想い人に別の娘との仲を応援されちゃね」


 三娘に見抜かれていたことに、孟均は変な汗が出てきた。

 周りの誰一人気付いていないのに、この洞察力。いや、それだけ彼女が孟均のことを見ていたからこそ、だろう。

 色んな意味で、顔が熱くなった。だが続く言葉に、思わず俯いた顔を跳ね上げる。


「だから……もうこんなことは止める。不毛だから。もっと早くに気付いてあげれば良かったな。へへ…」


 鼻を啜る音に、孟均は奥歯を噛み締めた。


『ごめん』


 二人の声が重なり、三娘は盛大に吹き出す。


「今はちょっと無理だけど……今度会う時は良い友人になれるよね。

また手合わせがしたいな。付き合ってくれるでしょ?」

「ああ」

「それじゃ」


 後ろを向いたまま手を振ると、三娘は振り向かずに駆け出した。それを見送る孟均は、無意識に彼女の行った方へ手を伸ばし……


(俺、女の子を傷付けたんだな)


 一人、ただぼんやりと事実を認識した。

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