2.「指南役をやってくれないか?」
「マスター。もう一杯くれ~」
行きつけのBARのカウンター席で、スヴェンは一人酒を飲んでいた。いつもは二・三杯で終えるところだが、今日は軽く十杯を超えている。それから先は、何杯飲んだか覚えてなかった。
「いつもより多く飲むじゃないか。体壊すよ」
マスターと呼ばれた男性がスヴェンを気遣う。しかし、スヴェンはそんな気を知らずに酒を催促した。
「良いんだよ今日は。飲まないとやってられねぇんだぁら」
「……なにがあったんだい。そんなに酔って」
「何にもない。何にもないからだよぉ」
口調が乱れるスヴェンに、マスターは酒の代わりに水を出す。スヴェンはそれに気付かずに口にした。
「無いんだよ。冒険団が」
「なに言ってんだ。ここは冒険都市だよ。冒険団なんか腐るほどあるじゃないか」
冒険都市レイジング。それがスヴェンが居る都市の名前だ。多くの冒険者が住まうこの地は、必然的に冒険団も多くなる。
冒険団を追い出されたスヴェンは、自分を受け入れてくれる冒険団を探した。冒険団に所属しなければ依頼を受けにくくなる。つまり、生活が破綻してしまうということだ。
そして一週間、五十を超える冒険団を訊ねたが、
「違うってぇば……俺を雇ってくれるとこが無いって話」
「そういうことかい。まぁ確かに、昔ならともかく、今のご時世であんたを雇う物好きはいないだろね」
「言わないでくれよぉ。傷ついちまう」
事故の責任を負って六等級に落ちたおっさん冒険者。そんなスヴェンを受け入れてくれる冒険団は皆無だった。
しかも、
「あの《逃げ腰のスヴェン》も引退か……寂しくなるねぇ」
その汚名が、スヴェンを忌避させる原因でもあった。
どんな戦場でも、どんな難関な依頼でも、任務の成否はともかく、スヴェンのいるパーティは必ず生き残る。その戦い方は、石橋を叩きまくって渡らないほどのチキン戦法。そんな臆病すぎる立ち回りから、《逃げ腰のスヴェン》というあだ名がついた。一時は、ゲン担ぎとしてパーティに誘われることがあった。
「まだ引退するとは決めてないよ」
「けど無理じゃない? 冒険団に所属せずに依頼を受けるなんて。最近、個人で受けたことあったかい?」
「……ゼロだ」
「ほら。諦めて引退したら。今まで溜めたお金があるんだから、これを機に商売でも始めたらどうだい」
「商売ねぇ……」
口にはするものの、その気は全く無い。何だかんだ言って、スヴェンは冒険者という仕事を気に入っているからだ。
様々な地に訪れ、魔物や魔族と戦い、依頼を達成して人々から感謝される。そんな日常を好んでいた。いつかは引退するだろうが、それはまだまだ先の事だと考えており、引退後も冒険に関わる仕事をすることがスヴェンの目標であり、それが冒険団の設立だった。
しかしこの歳で六等級に落とされ、さらには冒険団に入れなくなった今、その夢を叶えることができなくなった。
「ダメだ。ぜんっぜん思いつかない。俺は何をすればいいんだ、マスター」
「僕が知るわけないでしょ。どっかツテとかないの? 働かせてくれる人の」
「いねぇよ、そんなの。ずっと冒険者やってきたんだぞ。それ以外のツテなんてねぇよ」
「じゃあ冒険者のツテを頼ったら?」
「とっくに頼ったよ。二つ返事で断られた」
「……どこも大変だねぇ」
しみじみとした表情で、マスターはスヴェンから視線を外す。
全部に嫌気が差したスヴェンは、大きめの声で独り言ちる。
「あーあ。誰でもいいから雇ってくれよぉ」
「いいぞ」
期待していなかった答えが聞こえた。聞き間違いかと思い、声がした方を向く。
BARの入り口の方に、一人の男性が立っている。金色の長髪に、同色の髭を生やした彫が深い顔。綺麗なスーツを着ており、纏う空気がスヴェンとは違っているように思えた。
「ケヴィンさん……」
スヴェンがその男の名前を呼ぶ。ケヴィンは僅かに口角を上げた。
「久しぶりだな、スヴェン。ここに居るって聞いて来たんだよ。元気にしてたか」
ケヴィンは親し気な態度を振る舞いながら、スヴェンの隣に座る。
「お久しぶりです。そちらこそどうですか? 仕事で疲れてるんじゃないですか」
「あぁ。へとへとだよ。今日も仕事でこっちに来てる。明日にはもう帰らないといけないんだ」
「大変ですね」
「だが充実してる」
ケヴィンの顔に嘘はない。本心で言っていることを覚った。
ケヴィン・ウォーカーはスヴェンの同郷の先輩で、スヴェンよりも五年早く町を出て、レイジングで冒険者になった。優しく、正義感が強く、リーダーシップもある人で、学校中の生徒のほとんどがケヴィンの事を知っていて、憧れてもいた。それ故に町を離れることを惜しむ者は多かったが、ケヴィンは十年後に町に戻った。凱旋という形で。
二等級になるのにかかる年月は、平均して二十年。しかしケヴィンはその半分の期間で二等級になった。脅威的な昇級の早さに、数少ない一等級への昇級を期待した者は多かった。しかしケヴィンは当時所属していた冒険団を止め、故郷に帰って新たな冒険団を設立した。それが十年前の話で、スヴェンはその設立の手伝いをしたことがあり、その際に親しくなっていた。
冒険者の成功例を実現したケヴィン。ケヴィンが成功したのは、本人の才覚もあるが、努力してきたこともある。だから当然の事であるのだが、その逆に失敗例となったスヴェンは、彼を羨ましく思っていた。
「いいですね。そんな日々が送れて……」
「皆のお蔭さ。俺だけの力ではこんなことは出来なかったさ」
人格も良い。まさに冒険者の理想形の一つであった。
「大丈夫ですよ。ケヴィンさんなら。きっとどんな困難も乗り越えますし、困ったことがあっても誰か助けてくれるでしょ。町の人気者なんですから」
「じゃあお前も助けてくれるか?」
スヴェンは、ケヴィンの様子が変わったことを察した。
「どういうことですか?」
「俺を助けてくれないかってことだよ」
ふと、スヴェンはケヴィンの第一声を思い出した。
「俺を雇って何かして欲しいってことですか?」
「そうだ。うちに来て俺の仕事を手伝ってほしいんだ。そのためにベテラン冒険者の力が必要なんだよ」
「……詳しく聞かせてくれませんか?」
スヴェンが尋ねると、ケヴィンが「もちろんだ」と快く話し始めた。
「最近、冒険者の数が増えている。魔術具の発展で、なかなか死ななくなったのが原因だ」
魔術具。正式名称「魔法技術道具」。魔法を使うための補助道具で、使用者が使えない筈の魔法を使えたり、魔法の威力を高めたりすることが出来る。また、魔術により今までにない新たな魔法を生み出すことができるため、生活から戦闘にも応用できる便利な代物だ。魔石と呼ばれる魔力が込められた鉱石が必要となる魔術具もあるが、現在ではほぼ全ての冒険者が使用している。
魔術具の発展は人々に恩恵をもたらしたが、ある人間にはデメリットも与えた。その被害者の一人がスヴェンだ。
スヴェンの長所は危険察知。どんな場面でも冷静に動き、身に降りかかる危険を避けることが得意だ。その能力は今も健在だが、ある魔術具によってその能力の重要性が低くなった。
それが、《自動魔法伝導器》と呼ばれる魔術具だ。
親機であるサーバから子機のレシーバーへと魔法を供給し、予め登録した魔法を発動させる魔術具だ。子機が腕輪であることから、《リング》と呼ばれている。
使用できる魔法は攻撃・防護・移動・転移の四種類のうちの一つ。これらを自動または手動で使用でき、この自動発動が冒険者の生存率を上げる要因となった。
手動で使われるのは攻撃と移動が多いが、自動で使われるのは防護と転移が圧倒的に多い。
防護を自動で使えば、不意打ちをくらっても攻撃を防ぐことが可能となる。また転移ならば、一定の傷を負えば自動的にその場から離脱出来るので、その場で死ぬことは無くなる。
しかも魔法を発動するための魔力は、サーバに内蔵された魔石から使われるので、使用者の魔力が無くても発動できる。
これにより冒険者の死亡率が低くなり、怪我で引退する者が少なくなった。
そして、それらを売りにしていた冒険者の需要も減ってしまった。
「それに伴って、副業感覚で冒険者になる奴がうちでも増えてきた。それ自体は良いんだが、新人で経験が少ないせいか、彼らのリングの使用数が多くなって、魔石の使用量が増えている。結果、経費がかさんで運営が圧迫されているんだ」
「全員に魔術具を支給してるんですか?」
「死なせたくないからなぁ……」
スヴェンが尊敬するケヴィンだが、彼にも欠点がある。それは、責任感が強すぎることだ。負わなくても良いはずの責任をしょい込み、問題解決のために奔走をする。その人格のためケヴィンを慕う者が多いのだが、彼のその性格を知っている者からすれば、いつか潰れてしまうのではないかと心配になっていた。
「うちの冒険者のほとんどが新人で、五等級以下だ。経験が少なく、判断力が低い。だから無茶をしてしまう。怪我も多くなって魔術具を損耗する。死ぬのに比べたら魔術具くらいどうってことないんだが、こうも人数が多いといずれは支援し切れなくなる。だから彼らを育てて、負傷を減らすのが最善だと考えた。そのために、彼らを教え導く指南役を探しているんだ」
「その役目を、俺にして欲しいってことですか?」
「そうだ」
ケヴィンの眼が真っ直ぐとスヴェンを見つめる。その眼は本気だった。
「けど、何で俺なんですか? 団内に出来る人はいないんですか?」
「いるにはいる。だが彼らは高難易度の依頼をこなすのに手が一杯だ。そのうえ指南役をさせてしまったら過労で倒れてしまう。……というか、既に副団長が倒れてしまった」
「だから余所から連れてこようとしてるんですね」
「そういうことだ。それに、お前なら適任だと思ったからな。まさに俺が求める人材と言っても良い」
「買いかぶり過ぎでは?」
「事実だ。危機察知能力が高くて滅多に怪我をしない。そのうえ経験豊富なベテランだ。お前以上の適任者がいるか? いや、いない!」
スヴェンは照れ臭くなって顔が綻んだ。こうも褒められると悪い気はしない。
「しかもお前が冒険団を探しているらしいじゃないか。どうだ? うちに来て指南役をやってくれないか?」
同郷の尊敬できる先輩からの頼み。しかもスヴェンは冒険団を探している。断る要素など微塵もなかった。
「分かりました。謹んでお受けいたします」
「そうか!」
スヴェンの返事に、ケヴィンは破顔した。
「よし。そうと決まれば早速行こう。お金は俺が払うから、今すぐに」
「今からですか?」
「言っただろ。明日には帰らないと行けないって。さぁ、早く帰省の準備を始めるんだ。それとも別れを告げる相手が居るのか?」
「いませんけど……」
「じゃあ帰ろう。準備が出来たら駅に来てくれ。寝台列車の切符は買っておくから……マスター、彼の分のお勘定だ」
ケヴィンは一千ビル札を一枚出してカウンターに置く。スヴェンが今日飲んだ酒の倍以上の金額だった。
「二時間後の十時に出発だ。待ってるぞ」
そう言って、ケヴィンはBARから出て行った。
残されたスヴェンは、グラスの残った酒を飲み干してから立ち上がった。
「まぁそういうことだ。この町とはおさらばってことだな」
「そうかい。ま、仕事が決まって良かったじゃないか」
「そうなんだが……」
スヴェンは少しだけ不安を覚えた。
「あの慌て様、なんか嫌な予感がしてきてな……」
頭の中で、得体のしれない猜疑心が湧く。幾度もスヴェンの危機を救ってきた警鐘が鳴っていた。
「けど了解しちゃったんだから、行くしかないんじゃない? それにあのケヴィンさんだろ。そうそう変な話になるとは思えないなぁ」
「……だよなぁ」
スヴェンは無理やり自分を納得させる。
「とりあえず、帰ってみたら分かるだろ」
そんな風に、あまり深く考えないようにした。