軍事施設跡
2005年4月1日
東陸道北上管区横手市
第7師団 横手分駐所兼軍事物資保管所跡
「此処が、陸上防衛隊第7師団横手分駐所兼軍事物資保管所跡ですか」
「規模は60000平方メートル」
史実で言うと横手第二工業団地付近と高速道路を挟んで北にある商業施設、観光施設を含めた物に匹敵
「此処に、南側に大工業団地、北側には駅前付近の商店街と市役所を移設するんですか」
「ああ、2年後に、平鹿郡域全てが横手市に統合合併が決まった以上、新しい町の拠点を作る必要があるからな」
「合併後の人口は12万人、そのうちの4万人が軍関係で利益を上げていましたからね」
「残りは、公務員、農業や個人商店等の自営業だったからな」
「っで、団地整備した場合の雇用創出は」
「5000人ぐらい出せれば、良いものだ」
「5000人ですか」
「4万人の内の1万人が石油卸売りや、隊員の酒場を職場にしてたんだ、ほかの3万人も防衛隊の兵器の部品工場の作業員や警備員だった。そのうちの一部が民需工場で存続するとしても1万人分の雇用先が必要になってくる」
「ですよね」
「残りの5000人分の労働力は、北上や大曲、秋田に割り振らせるとして」
「中長距離通勤ですか」
「海に面してないんだからしょうがない」
横手や大曲は、軍需で潤っていた
横手では、挽き肉が入った汁っぽい焼きそばやお麩が入った中華そば、細いうどんと言った麺類が人気で
大曲では、納豆が入った汁物が有名である
統一後は、グルメ観光で賑わっていく
ps 発祥は、全て史実と同じだと思って
一方、
その北の秋田管区大曲市 大曲駅東口
此処も、統一前は軍の物資拠点とされており
現在は、広大な更地になっている
問題は、更地をなにに活用するかだった
案としては4つあり
・ 地元商店街参加型の巨大モール計画
・ 大手小売店主導型の巨大モール計画
・ 駅前大駐車場と中核病院の建設
・ オフィス街計画
中でも、現実的だったのは、3番目だった
駅西口にある総合病院の老朽化が深刻化しており
東口への移転が有力視されていた
だが、病院の移転で、西口が寂れると商店街陣営が反発し、
オフィス街誘致を訴えた
その面倒な話に、大手小売店がショッピングモールを進出させたいと言ってきて
それを市会議員等が反発し、地元商店街参加型の巨大モール計画を出した
そして、言い争いの末
3番と4番の併用が決定
大駐車場計画を縮小し、雑居ビルや中層ビル(市条例改正)でテナント貸し出しやビル売却を行い
4年後、大成功を納めたのだった
横手市の通勤者2000人分の雇用先でもあったから
そのさらに2年後に、太平洋側で大災害が起きるわけだが
盛岡では、郊外にある基地跡を、大手小売店がショッピングモール計画のために買収し、土壌整備の後建設した
青森市や秋田市は、港等を活用し工業団地を形成
労働力を着実に集め
北上は、交通要所の点を生かし
ショッピングモールや観光施設を建設したり誘致しまくった
中でも東陸道内で有名だったのは
秋田管区大潟村に建設された
道営カジノである
日本統一時に
賭博法が一部改定され
国もしくは広域自治体が運営管理するに限り
カジノが日本でも認められた(カジノ内に派出所以上の規模の警察機能が待機していることが条件のため)
大潟村にカジノができたのは、航空防衛隊大潟基地が縮小され、軍民共用空港になったことと
減反政策の一環で、造られた
大潟村民は、道民税と村民税は無償だが、カジノ立ち入りが禁止されている
東陸道は、これにより大きな発展をしたのだった
終わり
途中で食べ物のことも入れたくなったら
遅れた




