古川マルクの過去
これは、蝦夷人民共和国最後の首都管区長である
古川マルクの過去である
古川マルクは
1963年5月23日に
当時のソ連の北サハリンで産まれ
65年7月に
ソ連の蝦夷人民共和国の政治、軍事強化や交流の一貫で、母と共に移民
父の故郷である小樽市で暮らしていた
学校は全て最優秀で首都大学に進学
1988年
蝦夷人民共和国の公安関係に従事
札幌オリンピックの警備の担当の一人だった
その後 1991年4月に公安から政治部に転身
社会党の柊と
国の平等と繁栄を語り合ったが
その後、ソ連が崩壊し
柊に引きずられ、気付けば、首都管区長に乗り上がった
だが
その後の統一基調に
付いていけず、柊達の反統一勢力についてしまい
統一戦争に流され
樺太義勇軍により
旭川市市内で拘束
裁判で懲役刑を言い渡され
宮城州立仙台刑務所に服役
その後、美唄市の刑務所で服役していた柊が朝鮮にいる有志達に救出され、
朝鮮と満州を巻き込んだ共和国を建国したさいに
外交の裏手続きで
柊が石生首相に手回しし
マルクを日本国外追放と言う形で、刑務を消し
満州共和国の中央方面軍司令官に就任
柊 大統領退任後
軍部から降り
満朝警備保障に天下り
その後、柊の腹心として、貫いていった
これで終わりです
それと
来年1月当たりに新作を予定