東陸道の光
1963年
東陸道 発足から2年がたち
産業は、軍需と農業が殆どであり
東陸道は、何か地域興しを考えていた
北上管区横手市では
防衛隊第5、第7師団との合同で
雪像やかまくらを1月から2月に行っていったり
秋田管区の管区庁所在地の秋田市では
青森管区の青森市と国鉄と連携し
東陸道2大七夕祭りツアーを行ったりした
盛岡では、青森管区や秋田管区のあまりある労働力を使い工場誘致を積極的に行っていた
一方
大曲では、交渉の末、国からある計画を許可された
それは輸出花火を振興する大会を毎年夏に行うという画期的なイベントだった
だが、陸上防衛隊第7師団横手駐屯地の部隊と第9師団大曲駐屯地の部隊が反発した
理由としては、大曲駅東口には陸上防衛隊の大規模な物資基地があり
大会の際に蝦夷人民共和国軍の南侵で補給網が混雑で使えないという事態になるのは困る物だった
その南隣にある横手市は
北上や山形を通じて東京につながる拠点であり
此処が関東や東海からの観光客の混雑で国防上の問題があるとして反発していた
一部では、横手市の知名度を死守したいこともあったが
数ヶ月の交渉の末、東陸道知事が
防衛省と交渉し
何とか合意に至った
79年には、
同じ分断国家である
ドイツで花火大会を行い
東西ドイツを騒がせた
その数年後にドイツが統一されたのを見て
日本も統一の兆しが見えたが
蝦夷人民共和国の北樺太占領による混乱と海軍膨張で
統一は先送り
2001年には統一戦争になり、花火大会は中止されたが
終戦の1週間後の
11月5日(終戦を10月28日の国連安保理決議を前提とするため)
に花火大会を実施
大いに賑やかに終わった
その一方で
横手市内の冬祭りの雪像、かまくらイベントは
防衛隊の北と西への分散移動で、規模が縮小
気づいたら、とっくに大曲に観光客数を抜かれていた
と言う結末に
だが、軍事用の土地が解放され大規模な商工業が次々進出
労働力需要が高まっていったのだった
だが、大曲でも労働力需要が増え
おあいこさまになったとさ
終わり
次回で一旦打ちきり