俺と幼馴染な彼女
言い忘れておりましたが、ちょこちょこ本来の話から捏造しております。
ほんのちょっとですが。
あと乙姫様は実は亀という話もあるらしいですが、この話は一番メジャーであると思われるほうにしています。
乙姫様と亀は別人です。
「さ、もっと召し上がってくださいな」
この世のものとは思えないほどの美貌を持つ女性が俺に酌をしてくれている。
顔は自他ともに認める平々凡々で、頭も良いとは言えない俺が何故こんな待遇を受けているかというと話は三日前にさかのぼる。
俺はとある村で漁師をしている、浦島太郎というものだ。
俺は海が幼いころから大好きで、ほとんど毎日海へ通っている。
二日前もいつもと同じように家を出て、その途中で幼馴染の茜と会い少し話してから、彼女に見送られながら海に行った。
そうそう。
俺には茜という幼馴染がいる。
彼女は幼いころから少し大人びていて面倒見がよく、器量好しと評判だ。
美人というより可愛らしいと評す方がしっくりくる顔立ちなのに、どこか凛とした雰囲気を漂わせている。
俺は小さなころから茜の幼馴染で羨ましいと言われてきた。
しかし、俺にとって茜はどこかほおっておけない雰囲気を漂わせた危なっかしい女だった。
俺が海に行こうとすると、心配と悲しみと恐怖をないまぜにしたような目をしていると気付いたのは何時のことだっただろうか。
また、彼女は海が恐くて仕方ないらしい。
前に一度だけ一緒に行こうとした時があったが、家から十歩も歩かないうちに足がすくんで動けなくなってしまった。
何か海に嫌な思い出でもあるのかと思いきや、茜の両親はまった心当たりはないらしく首をひねっていた。
ただその時の茜はどこか壊れてしまうんじゃないかというほど震えていて、『茜は海に出してはいけない』という村には暗黙の了解ができた。
茜は海を心底恐れているのに、俺が海へ行くときは見送りに来る。
そして毎度、『私は待ってるから』と口にする。
俺はそれを聞いて心配性だと笑っている。
でも本当は茜のその言葉を聞いて、ああ絶対に帰って来よう、そう改めて思うことができた。
漁に出ても絶対に無茶をしない。
茜の言葉は良い意味で俺を縛ってくれていた。
そんな彼女に見送られ、海に来た俺の目に飛び込んできたのは子供たちが大きめの亀を囲んでいじめている光景だった。
俺はすぐさま止めに入った。
「おい、お前ら!やめないか!」
「あ、太郎の兄ちゃん」
「えー!俺たちがみつけたんだから、どうしようと俺たちの勝手だろ!!」
亀を放しそうにない子供たちに溜息を吐いてから、俺はお金を差し出した。
「んじゃ、俺にその亀を売ってくれないか?」
「買ってくれるの?」
「おう」
「しょうがないな!じゃあいいよ!」
そうして俺は子供たちから亀を受け取った。
俺は亀を持ち上げ、海に放した。
「ほら、もう捕まるなよ」
そして俺はいつも通り漁に出た。
「浦島さん、浦島さん」
「?」
漁から帰ろうと、海辺を歩いていると誰かに呼ばれた。
「誰だ?」
「ここですよ、ここ」
そう言われて声のした方に目を向けると。
「え!?」
俺は目を疑った。
そこには今日助けた亀がいた。
亀は海の水面から顔をだし、こちらに話しかけていた。
「亀ってしゃべれないよな!?」
「あ、はい。普通の亀はしゃべりません。でも私は乙姫様に仕える特別な亀ですので」
「乙姫様?」
意味が分からないと俺は首を捻った。
「実はですね、海の底には竜宮城という城があるんです。その城の主が乙姫様です。昼に浦島さんに助けられたという話をしたら乙姫様がぜひお礼をしなければ、とおっしゃったんです。浦島さん、竜宮城に遊びに来ませんか?」
海の底の城、というものに興味がわいた俺は好奇心を抑えきれなかった。
そして、冒頭に戻る。
亀に連れてきてもらった竜宮城はこの世のものとは思えないほど美しいところだった。
上手い料理に、酒。
毎日が宴のような騒がしさ。
陽気で楽しい生き物たち。
夢のような楽園だ。
「お酒もどうぞ」
「ああ、ありがとう」
乙姫様が俺に酒を注いでくれる。
……平凡な俺がこんな美人に酌してもらえることなんてこの先もう一生ないだろうな。
さて、俺はもうそろそろ彼女に切り出さなきゃな。
「乙姫様」
「はい。なんでしょう?」
「俺、もうそろそろ帰るよ」
「……ずっとここにいてもいいのですよ?」
「いや、帰るよ」
乙姫様やここの者たちは俺にここへ留まってほしいと思っているらしい。
ぜひ、ずっとここにいて下さい。
何度もその言葉を聞いた。
それでも俺は帰りたい。いや、帰る。
「ここにいればずっと遊んで暮らせますよ?辛いことや苦しいことなんてほとんどありません」
「それでも俺は帰るよ」
「……何故ですか?」
「…………地上に俺を待っているやつがいるんだ」
目を閉じれば浮かぶ、幼いころから一緒にいた彼女。
俺が海に行くたび彼女は必ず言う。
いってらっしゃい。
無事で帰ってきてね。
私はずっと待っているから。
約束をした。
幼いころからの永遠の約束。
俺は茜のところに帰らなければ。
俺がそう思っていると乙姫様が諦めたように笑った。
「浦島様にとって、その方はとても大切な方なのですね」
「……ああ」
「仕方ありませんね。でも、出立は明日にしてくださいませ。浦島様がいきなりいなくなってはしっかりとした見送りもできなかったとなれば、皆が悲しみますゆえ」
「そうだな。そうしよう」
そして次の日。
竜宮城の門にはたくさんの者たちが集まってくれた。
「浦島様。これをお持ちください」
「これは?」
「玉手箱といいます。ここには浦島様がここで過ごされた『時』が入っております。これを開けずに持っている限り浦島様は歳をとりません」
「……歳をとらない、か。悪いけどそれは……」
「浦島様」
俺には必要ない。
そう言おうとした俺を乙姫様が遮った。
「お持ちください。ここには浦島様が過ごされた『時』が入っているのです。きっと地上へお戻りになり、大切な方の姿を見たらこの箱を開けたくなりますわ」
乙姫様は意味深にそう言い、笑った。
どういう意味だろうと首を捻りながらも、その先は教えてくれなさそうだったので諦めて、俺はその箱を受け取った。
「さて、もう本当に行くよ」
「……浦島様、ひとつ聞きたいことがございます」
「なんだ?」
「私は浦島様の目には魅力的に映らなかったのでしょうか?」
「……いや、十分魅力的だったよ」
艶やかな黒髪、澄んだ海の色をした瞳、赤く熟れた唇、真珠のような白い肌、この世のものとは思えないほど整った顔立ち。
男なら誰もが手に入れたいと思うだろう。
でも。
「ただ……俺には小さいころから一緒にいる幼馴染の方が魅力的なだけだ」
風になびく黒髪に、強くて弱くて勇敢で臆病な矛盾した感情を宿す黒い瞳、時には優しく時には厳しい俺を導くその唇、夏は日に焼け冬は白い肌、可愛らしく凛とした顔立ち。
この世のすべての男が憧れる容姿より、俺にとってはこの世でたった一人の、茜の容姿の方が魅力的だ。
「だから、ごめん」
「……そうですか。それは仕方がないですね。では私は浦島様より良い男子で私をこの世の誰よりも可愛らしいと評してくれる方を探しますわ」
「『可愛らしい』なのか?」
「はい、『美しい』は言われ慣れておりますの」
「ははっ!なるほど。うん、それがいい」
最後に俺と乙姫様は声を立てて笑った。
「さよなら、乙姫様」
「さようなら、浦島様。大切な方といつまでも幸せに」
そして俺は来た時と同じように亀の背中に乗って、竜宮城を去った。
「よろしいのですか?乙姫様」
「他の女子に懸想する殿方などお断りです。
……まあ、浦島様の大切な方が大した娘ではなければ奪うつもりではありましたが……」
乙姫は見たいと願ったものが見える水鏡をちらりと見る。
そこには三年の月日の間、一人の男を想って前へと必死に足掻いて進む強い女が映っていた。
その姿は目に見える美しさよりも、この世の何よりも美しいと乙姫は思っている。
「短く儚い生であるにもかかわらず、その命を一人の男に捧ぐ覚悟を決めるなんて。何て情熱的な想いでしょう。私、そういうの大好きだわ」
この娘になら一人の男くらい、一度くらい負けてやってもいい。
乙姫は艶やかに笑った。
「浦島様、もうそろそろつきます」
「そうか。ありがとな」
「いえいえ、こちらこそ。助けてもらった御恩は一生忘れません」
たったの三日間であったのに茜にだいぶ会っていない気がする。
いや、今まで会わない日はほとんどなかったのだから『だいぶ』で合っているかもしれない。
もうそろそろ水面だ。
「お別れです、浦島様」
「ああ、もう捕まるなよ。さようなら」
何時の間に目を閉じたのか。
俺は気づいたら、海の足がつく深さのところで立っていた。
目を、開ける。
「太郎っ!」
開けてすぐ聞こえてきた声に驚いた。
あいつは海が何より苦手だったはずだ。
そして、茜を目に映してさらに驚いた。
……なんか、めっちゃ綺麗になってないか!??
なんというか、前会った時にまだ少し残っていた子供らしさがなくなっていた。
大人の女になっていた。
たった三日間で何が!?
混乱する俺に駆け寄ってきていた茜が転びそうになった。
俺は慌てて受け止める。
すると、茜はいきなり泣き出した。
「えっ!?茜!??ちょ、ま」
なんで!?
いや、俺はどうすれば!??
さらに混乱し、慌てる俺。
俺はほとんど泣かない茜の涙にめっぽう弱い。
そういえば、竜宮城に行く前の日もこいつは泣いてたな。
いや、今はそんなこと考えてる場合じゃなくて!!
みっともなくおろおろする俺に茜は泣きながら、笑った。
「太郎。おかえり」
「!」
「待ってた」
ああ、安心する。
この声で、この言葉を聞いて俺はやっと帰ってきたんだと実感した。
俺も笑う。
「ああ、ただいま」
その後、泣き止んだ茜に地上では三年の月日が経っていると聞き、再び混乱に陥る俺が茜に笑われたのは余談である。
ありがとうございました。