浦島太郎と私
童話&昔話シリーズ第一弾。
本編+本編直後+浦島太郎視点のおまけ+おまけの全4話を予定しております。
良ければしばしお付き合い下さいませ。
いってきます。
あなたがそう言うたびに、私は言う。
いってらっしゃい。
必ず帰ってきてね。
私はずっとここで待っているから。
「ふう……」
雲が一つもない空の下、私は溜息を吐いた。
今日やるべきことは終わったし、この後はどうしようか……。
そんなことを考えながら、とりあえず村周辺を散歩していると見知った人影を見つけた。
「あっ……太郎!!」
私は叫びながら大きく手を振った。
「ん?茜じゃないか。何してんだ?」
声に気づいて振り返った太郎に私は駆け寄った。
「ちょっとお散歩。やることないから何しようかなって考えてたの」
なんだそれ、と言いながら太郎は笑った。
太郎は何してるの、と聞こうと思ったが太郎が手にしているものを見て、その言葉を飲み込んだ。
「……太郎は海に行くの?」
「おう」
「太郎は海に行ってばっかりだね」
「まあ好きだし。俺漁師だし」
知ってるだろ?太郎は私に言う。
もちろん知ってるとも。
何度太郎が海を嫌いにならないかと思ったことか。
漁師をやめないかと願ったことか。
そんな心の内を隠して私は笑みを作って頷く。
「……もうそろそろ行かなくていいの?」
「おおそうだな。じゃあ、行ってくるよ」
「いってらっしゃい。気を付けて、必ず無事で帰ってきてね。私、待ってるから」
「茜は心配しすぎだよ。小さいころからあれだけ通ってるんだ。なんかあるわけないだろ」
太郎は笑う。
が。
なんかある時が必ず来るんだよ。
その時が来ても、絶対帰ってきてよ。
「……万が一ってあるでしょ?ちなみに待ってるのはお魚だから」
「俺じゃないんか!!」
たくさんの、たくさんの言葉を飲み込んで私は太郎と笑いあう。
その後私に背を向け、海に向かった太郎を視界に捉えながら私は溜息をついた。
私は前世の記憶を持っている。
いきなり何を言い出すんだコイツ、と思うかもしれないが信じてほしい。
私は二十一世紀の日本に住む成人女性であった。
まあ、成人したての大学生だったが。
サークルの皆で行った旅行で起こった事故で死んだ。
何も返せずに、早々と死んだ親不孝な娘で申し訳なかった。
後は頼んだ、しっかり者の弟よ。
……何を話していたんだっけ?
あ、そうだった。そうだった。
まあそんなわけで、私には二十一世紀の女子大生という前世の記憶があるのだ。
そんな私が転生したのは昔むかし、むかーしの日本っぽいところだ。
『っぽい』と表現したのには訳がある。
さて、ここで思い出してもらおう。先程の男のことを。
彼は私の幼馴染である。
漁師をしていて、海が大好き。
仕事じゃなくても散歩、とか言って海に行く。
というか大抵海にいる。
顔は平々凡々でちょっとばかしお馬鹿なところはあるが、心優しくいざという時には頼りになると評判の彼の名前は浦島太郎。
…………もうお分かりになっただろうか。
日本国民ならば一度は読んだことがあるだろう。
亀助けて、亀に乗って竜宮城に行き、乙姫さんに会って、三年ほどバカンスして玉手箱もらって帰ったら、七百年も過ぎてて友人知人は皆亡くなっており、ちょっと箱開けたらお爺さんになってしまったという、『どうしてくれるんじゃ、亀ごらあああぁぁぁぁぁ!!!』なお伽噺ある。
昔の日本で本当にこんなことがあったのかは分からないので『っぽい』と表現させてもらった。
まとめると、私は日本昔話の『浦島太郎』が存在する昔の日本に転生したのだ。
幼馴染の名前だけでそう決めつけるのは早計だと思うかもしれないが、実は私の前世の記憶はもとからあったものではなく、幼馴染に初めて会った時に思い出したのだ。
しかも前世の記憶は幼少期、童話はたくさん読んだにも拘らず、日本昔話の『浦島太郎』をやけに主張してくる。
どう考えても、そういうことだと思うのだ。
……私の考えが間違えであるならその方がいい。
私はあの顔は平々凡々でちょっとばかしお馬鹿なところはあるが、心優しくいざという時には頼りになると評判の太郎という名の幼馴染が好きなのだ。ライクではなく、ラブの意味で。
彼はほとんど毎日海に行く。
私と彼の家はとても近くにあるので、彼が海へと向かうのをよく見る。
まあ朝に関して言えば、私はわざわざ早く起きて彼を見送っているのだが。
その度、私は彼に呼びかける。
いってらっしゃい、と。
帰りを待っている、と。
彼はその度おう、と笑うが、貼り付けた笑みの下で私がどんな思いでいるのか、ボケボケした奴は気づきはしない。
もう二度と帰ってこないのでは、と。
もう二度と会えないのではないのか、と。
太郎が少年から青年に変わり漁師という仕事を立派に果たし始めたその時から、彼が好きだと……幼馴染としての親愛ではなく女から男への恋情だと気づいたその時から。
私が奴の背中を、どれだけの覚悟と不安と恐怖を抱えて見ているのか。
そして今日も私は、夕方無事に帰ってきた太郎を見て泣きそうになるくらい安心して、ほっと息をつくのだ。
「茜はたまに変な顔するよな」
「喧嘩売ってるの?」
今日もまた海に行って魚を捕ってきた太郎は私に捕れた魚を渡しながら、そう言った。
喧嘩売ってんのか?売ってんだな。よし買おう。
そんなふうにニッコリと笑ったら太郎が慌てたように違う、と首を左右に振った。
「なんて言うか……泣きそう?いや、うーんちょっと違うような……ごめん。上手く言えないわ」
「……頭悪いからね、太郎」
「傷つくぞ」
「ていうか、いきなりどうしたの?」
太郎の指摘にドキリとしながら少しずつ話をそらそうとする。
「や、前から気にはなってたんだけど……なんとなく今日は聞いてみようかな、と」
「なにそれ」
自分でもよく分からないと言う太郎を呆れたように見る。
「で、どうしてなんだ?」
……そして、話をそらすのに失敗したようだ。
太郎を見つめる。
大抵いつも浮かんでいる笑顔はなく、真剣に私を見ている。
(『なんとなく今日は聞いてみようかな』か。……じゃあ私も)
なんとなく話してみようかな。
そう小さく呟いた。
「ん?何て言った?」
……何言ってるんだ。
言っても困らすだけじゃないか。
「いや……そうだね。私は母さん似だからこの顔を変って言うなら母さんのせいだけど」
「話を最初に戻すなよ。……まあ、言いたくないならいいや。本当は聞いときたいけど」
茜を元気づけようとして、無理やり聞き出して泣かせたりなんてさせたら本末転倒だしな。
少し悲しそうに太郎は笑って言った。
それを見た私は思わず呟いてしまった。
「太郎のせいだよ」
「……え?」
私の呟きを聞いた太郎からまた笑みが消えた。
そしてまた慌てだす。
「お、俺なんかした?ご、ごめん!!」
「……分かってないのに謝るの?」
「だって泣きそうだから!!お願いだから泣くな!」
なんと。私は泣きそうな顔をしているらしい。
おろおろと慌てる太郎に少し溜飲が下がる。
「何!?その顔!??」
「……ふふっ」
泣きそうなのに、少し笑顔な私にどうすればいいのか分からないらしい。
ちょっとは私の思いを知ってもらっとこう。
そう思いながら私は適当にはぐらかしたのだった。
私は太郎を失うことをこんなにも恐れているのに、何もしない。
このままでは私自身はもちろん太郎も不幸になるには違いないのに。
私は臆病なのだ。
こんなにも彼を失うのを恐れているのに、同じくらい恐れているのだ。
前の私を奪った海を。
進めばどこまででも深くなり、時にはどこまででも高くなり人を飲み込む大きな水。
数年どころか生が変わり、名前が変わり、もう随分な時が経っているのに私は海というトラウマを克服できていないのだ。
何度挑戦しようと思っても海辺に行こうとするだけで足がすくみ、そのうち立っていられなくなる。
太郎が一緒に行ってくれようとしてくれた時もあったがそれでも無理だった。
情けないことだ。
再びあの巨大な水の塊は私の大切な人を連れ去ろうとしているのに。
私は何もできない。
私は何もできないのだ。
太郎に指摘された『変な顔』。
そこには太郎を失うかもしれない恐怖や不安がに滲み出ているのだろう。
しかしそれよりも、何よりも。
何もできない自分自身への憤りが、怒りが表れているのだろう。
そして、後悔するのだ。
何もしなかった自分を棚に上げて、亀をいじめていた幼い子供たちを、見たこともない亀や乙姫たちを憎み、恨んで。
私に太郎が『変な顔』と言った次の日。
太郎は私のところに帰ってこなくなった。
死亡フラグならぬ失踪フラグをきっちり立ててから、太郎は消えたのだ。
あれから三年が経った。
太郎はいない。
皆太郎は海に飲み込まれたのだろうと言っていた。
ボケボケ太郎以外には私の気持ちはバレバレだったので、皆が私を痛ましそうに見た。
実際、私は皆にそうさせるような顔をしていたのだろう。
真実を知る私は泣くこともできなかった。
何もしなかった自分が悪いのにどうして泣くことができるだろう。
私はまだ太郎のことが好きだ。
きっとこれからもそれは変わらないだろう。
結婚適齢期はとうに過ぎた。
村の皆は太郎への気持ちは忘れて、結婚して幸せになれと言っていた。
実際こんな抜け殻のような私を支えたいと、太郎のことを忘れなくてもいいからと、私を望んでくれる人もいた。
でも、そんなことはできなかった。
私にそこまでしてもらうほどの価値は、ない。
彼はもっと幸せになれる人だった。
今は可愛い奥さんと元気な男の子と幸せな家庭を築いている。
あの時の私の判断は間違っていなかった。
壊れそうで、壊れそうで、彼の自分を犠牲にした言葉に甘えてしまいそうだったけれど、それでも耐えたあの時の私はちょっと褒めていいと思ってる。
さて、ずるずるずるずると太郎を引きずっている私だが二年前からちょっと頑張っていることがある。
毎日欠かさず、少しずつ少しずつ前へ進んできた。
今日もその道を進んでいる。
「……もうちょっと」
「茜の姉ちゃん、今日はいつもより元気だな」
「ふふっ、そう?」
「うん!」
「でも無理しちゃだめだよ。この前みたいに倒れたら、少しの間は外出禁止にするって父ちゃんたちがしゃべってた」
「あらら……」
私の周りを囲んでいるのは、例の亀をいじめていた子供たちだ。
三年前、私が壊れずにいられたのは彼らのおかげだ。
彼らは最後に太郎を見たから、僕たちが兄ちゃんを止めればよかった、一緒にいれば、と自分を責めていた。
そんな彼らを見て、ここで私まで壊れたら彼らはどうなる。
たくさんの可能性を秘めた幼い子供たち。
何もできなかった自分のことで彼らに重い荷物を背負わせることがあってはいけない。
そう、自分を奮い立たせた。
実際は今のように子供たちに支えてもらっていて情けない限りだが。
それでも。
少しでも前に進まなくては。
「さて、もうちょっ……と……」
先に進もうとしたその時、何かが聞こえた気がした。
聞こえるはずがない。
でも、今確かに。
ドクン、ドクンと胸が鳴る。痛いほどに。
「っ……!!」
私は走り出した。
後ろで子供たちが止めるように叫んでいる。
でもそんなことは気にしていられなくて。
走る。
走る走る走る。
今進んでいる距離を進むのに、いつもの速さなら何年かはかかるだろう。
足が震える。
疲れと、恐怖で。
でも今、行かなかったら私はもう二度とそこへはいけない気がしたのだ。
走って。
走って走って走って。
やっと。
見えた。
一面の、青。
私が怖くて怖く仕方がない、水。
いつだって私を飲み込みそうな、海。
太郎がいなくなって、少しでも臆病な自分を消したくなって、少しずつ進んできた。
歩いてきた。この場所につくために。
もしかしたら、水面の向こうに太郎が見えるかも、なんて可能性のない希望を抱いて。
まだ海辺の砂は踏めていない。
ここまできたのに足はガクガクに震えている。
なんでこんなに走れたんだろう。
今、海には何もない。
誰もいない。
走っていた時の私は太郎を求めて走っていた。
彼が帰ってくるわけがないのに。
さっき聞こえたのもなんとなく海の波の音が聞こえた気がしただけで、太郎の声が聞こえたわけではない。
でも、私の中の太郎はあまりにも海と一緒にいたから。
だからもしかして、なんて思ってしまった。
「ああ、もう。馬鹿だなあ……」
心は悲鳴を上げている。
希望を打ち砕かれた感覚。
でも頭の中で必死に、ラッキーと無理やり自分を歓喜させる。
トラウマ克服に一歩どころか百歩くらい前進できたじゃない。
せっかくだから生まれて初めての海を目に焼き付けよう。
そう思って顔を上げた。
青い。
広い。
潮の香り。
もっと感動するものだと思っていた。
でも相変わらず恐い。
ああ、やっぱり。
私が前へ進むには理由が必要で、それは太郎なんだな。
そんなことを改めて確認した。
「……ぉ……ゃん!!……!」
「ぁ!ぃ……!」
後ろの遠くの方から子供たちの声が聞こえた。
心配かけてしまっただろう。
外出禁止が本気で実行されてしまうかも。
そう思いながら私はゆっくりと海に背を向けようとした。
視界の水面に影が映ったような気がして視線を海に戻した。
「影だ…………」
不自然な影。
それはどんどん大きくなって、やがて。
やがて、人になった。
焦がれて、待ち望んで、諦めようとして、諦められなくて、諦めるのを諦めた、好きで、大好きで、愛しい。
彼が、そこにいた。
私は再び走った。
あんなに恐れていたのに、震える足を叱咤して。
「太郎っ……!!」
愛しくてたまらないその名を叫ぶ。
「太郎!」
「太郎っ!!」
太郎は目を見開く。
私が海にいることに驚いているのだろう。
そんなことを頭の片隅で考えたら足がもつれた。
転びそうになるところを慌てて太郎が受け止めた。
私を支えるその力強い腕。
温かいぬくもり。
幻ではないと、本物だと分かって涙が出た。
帰ってきてくれた。
太郎がいなくなってから、私は初めて泣いた。
「えっ!?茜!??ちょ、ま」
号泣の私を太郎がギョッとした目で見る。
そんな反応すら嬉しい。
なんで、とか。どうして、とか。
たくさん聞きたいことも責めたいこともはあるけれど。
混乱する彼に、話したいこともいっぱいあるけれど。
とりあえず。
「太郎。おかえり」
「!」
「待ってた」
そう言って私が笑うと、彼も笑った。
「ああ、ただいま」
ありがとうございました。
700年÷3年=233.33333…年
つまり竜宮城に1年滞在すると地上では約233年経つ。
233年÷12ヶ月=19.41666…年
1ヶ月で………ま、いっか!
途中で意味が分からなくなってきてやめました。
私の頭の中では1年=1日の計算。
100日くらい誤魔化した気がしなくもない。