命運……FATE・1
保身だったのさ。王家は、姫は、愛娘の命、自分の命惜しさにほかの娘を踏み台にしたんだ!
(彼女の話を聞いて浮かんだ疑問があった。
魔人はそのことに気付かなかったのか?
強大な力を持っているのなら、その程度のことすぐに分かるはずでは?
思ったままを彼女に訊いてみる。彼女は私の質問にさらに声を荒げた)
魔神? ああ! あいつだってどうだってよかったんだよ! 王家の姫であろうがなかろうが、若くて美しい娘であればわかりゃしなかったんだ!
そんなやつをサンディーノはあがめてた。若いときのあたしもね! あの頃の自分には怖気がはしるよ、本当に!
(彼女の興奮が心配になってきた私はなるべく穏やかに話の続きを促した。
決意した姉弟はどうなったのですか?
サンディーノが滅びたということは、姉弟が魔神を倒したということですか?)
ああ……そうだね。続きを話そうか……。
***
それから、アジュはいっそう激しい鍛錬を重ねるようになった。限界を超えて倒れることも一度や二度ではない。それでもどうにか体を壊さぬように調整しながら、なお鍛錬する。
寝込んでいる暇などないのだ。時間は限られている。あと二年か三年で姉の運命は決まるのだ。一刻も早く強くならなければならない。
姫や周囲の人間はどうしてアジュがそこまで必死になるのだろうといぶかった。その都度アジュはこう言い訳した。
「至上の女性にふさわしい人間になりたいから」
こう言うと何も知らない者は皆納得した。アジュはまじめに考えているのだと。
王家の姫とつりあうような人間になるためなんだな、と。
姫など有頂天になって喜んだ。
「アジュ……わらわは嬉しいぞ。そこまでわらわのことを……!」
アジュが自分を好いていると疑わない姫は、始終上機嫌でいる。アジュがそこまで考えてくれているのなら、自分もアジュのために何でもしようとまで言い出した。
アジュはその言葉に甘えて見せた。
「もっともっと強くなりたいのです。だから……姫」
アジュの申し出に姫はさらに喜んだ。
王宮魔術師の禁呪を学びたいとの申し出に、姫は二つ返事で許可を出した。彼が本当に望んでいるものを全く知らない、哀れで愚かな姫君。
アジュが求めているのは強い力だ。比喩でなくこの国を壊してのけるくらいの力が必要なのだ。
この国を支える魔神を、殺すだけの力が……!
***
アジュが天才であるように、姉のリッカもまた優秀であった。魔法など初歩の癒ししか知らないサリュと、生活を補助するものくらいしか分からないシェリを師に、どんどんと自分で魔法を作り出していった。そして、アジュが王宮から学んできた禁呪の類もすぐに己が力に変えていった。
「わたし、このくらいしかできないから」
リッカの体は弱い。少し無理をするとすぐに熱を出してしまう。弱い体ではアジュのように鍛錬などできはしない。そんな弱い体だが、リッカはあきらめてはいない。
ひ弱な体では戦えない。ならば魔法で力を得よう。きっと一人では無理だから。リッカ一人でも、アジュだけでも、魔神を倒せはしないだろう。
ふたり、そのときのために足手まといにならないよう、必ず訪れるいつかの為に、力を蓄える。考えなくてはならなかった。強さだけでなく、美しさも。
生け贄に選ばれなければならない。魔神に近付くには、花嫁に選ばれる必要がある。
だが、それはまず間違いなくリッカが選ばれるだろうと、サリュもシェリもアジュも思っていた。塔の中の娘たち、その中でリッカは一際美しい。幼い頃からそうだった。
成長してもそれは変わらなかったのだ。
「……ああ、ほんとうに……リッカさまはお美しい」
シェリは泣いた。リッカたちのように希望を抱くことなど彼女にはできない。リッカやアジュよりも世間を知っているがゆえに、シェリの中の希望はいともたやすく死んでゆく。
魔神に挑んでも勝つことなどないだろう。そして二度と……二度とこの姉弟には会えない。
「シェリ。信じていて。わたしとアジュが生き残ることを」
まっすぐな。
「サリュ。あなた達をきっと護ってあげる」
リッカの言葉が痛い。
できぬことを望んでいるのだ、この姉弟は!
大人から見たならば戯言だ。ひとこと、そう言えればどれだけ良かったか。
現実はあまりにも残酷で無慈悲で……つらいもの。
サリュもシェリも見なかったフリができれば苦しみはなかったろうか。
何もかも全てが夢であればよかったと、サリュは思う。
どんな悪夢だろうと、夢ならいつかさめて終わるのにと、シェリは思っている。
痛いほど、これが夢であればと願ってしまう。
途方もない夢と願い。
この悪夢のような現実が覆されることを望んでしまう。
それは罪だ。この街に住んでいる以上考えてはいけないことなのだ。
それでも、サリュとシェリは願ってしまう。
どうか。
彼らの目の前で、必死で力を得ようとしている姉弟を泣きそうな気分で見守りながら。
どうかお二人が幸せでありますように――。
***
運命の日はリッカが十四歳になる日に訪れた。
その日、城下では姫の誕生祭が盛大に開かれていた。もちろん城の中でも祝賀パーティーが開かれており、アジュもそこに出席していた。周りが勝手に決めた姫の婚約者として。
祝いの声が街をにぎやかにしている。住民はみな幸せそうに姫の誕生日を祝い、騒いでいた。
塔だけが違う。ここだけはいつもよりもずっと重苦しい雰囲気だった。
魔神の花嫁の選出が行われるのだ。一番美しい娘を贄にするために。
王家の姫が安穏と暮らすための替え玉を選ぶ儀式。
入ってきた兵士たちと司祭は無言のまま娘たちを見回し――結論はすぐに出た。
贄となるのは、リッカ。
昼うす暗い塔内にあってもリッカの美しさは損なわれることがない。贄を決めるために感情を殺した男たちも一瞬目を奪われたくらいなのだから。
選別はほんの一瞬で終了した。ほかの娘たちは隅に追いやられ、嫁入りの準備が始まる。
まず、余計なことを話せないようにリッカには声を封じる魔法がかけられた。
たくさんの宝石と、高価なドレスとが持ち込まれ、ひとつひとつ丁寧にシェリがリッカを飾ってゆく。こんな状況でなければ『よくお似合いです、リッカさまは本当にお美しい』と喜んでいられたのに、そう考えてシェリは心で泣いている。表情には出せない。
これは花嫁衣裳ではない。死に装束だ。
どれだけ美しくとも、喜ばしいものでは決してない。
――最後に薄いベールをかぶせて花嫁の準備は終わった。姿だけを見るならば、ため息の出そうな美しさだ。
「お前は『姫』だ。この日この時だけ王家の『姫』を名乗る栄光を許される。そのことを忘れるな」
兵士の言葉を、白いベールの下でリッカは無表情に聞いている。頷きもしない彼女に兵士はいぶかしげな視線を向けたが、それだけだった。
「魔神様の贄となることを至上の光栄と思え」
当たり前のように兵士はそう告げる。とても勝手な言い草を、さも当然のように言ってのけた。
今回の花嫁が何を考えているかも知らずにいる。このままこの腐りきった安穏の日々が続くと疑っていない。
たった一人の少女に全てを押し付け、背負わせることを当然と思っている。
少女の命が散っても、なんとも思わないのだろう。
そのままでいればいい。
リッカはベールの下からサリュとシェリをちらりと見た。
……今夜、月が出たら。
二人はリッカにそっと頷いて見せた。
迷いも惑いもそこにはない。
ただ、進むだけだ。
今宵、月が出たら、百三十八代目の花嫁が、魔神のもとへと赴く。
さぁ、破滅への道へ。