腐敗した現実……EGOISM・2
十一歳になったアジュは二つ三つ年上の子でも勝てぬほどに強くなっていた。武会に参加すれば確実に優勝し、魔術の腕も宮廷魔術師を唸らせるほどだった。大人にも劣らぬその実力に、周囲はみな驚きつつも褒め称えた。
「アジュさまは次期国王にもふさわしい」
「姫様となんとお似合いだろか」
「お父上も鼻が高いだろう」
大人たちのおべっかにもアジュは無関心だった。回りは姫とアジュが結ばれることを強く望み、そうさせようと画策していたが一切無視していた。
彼が結ばれたいと願うひとは姫ではない。
その願いが決してかなうこともないとわかっているのだけれど。
「のう、アジュ。もう休んだらどうじゃ。美味しい菓子があるというに」
時折、姫はアジュの鍛錬にまで顔を出すようになった。どれほどアピールしても一向になびかない彼に、どんどん興味と好意を抱きつつあるようだった。わがままな姫に集中の邪魔をされることも少なくなかったが、それも度重なると乱されない強靭さも身についた。
リッカのことを思い、鍛錬すればなんてことはないのだ。
「のうアジュ。わらわと茶をたしなもうぞ」
アジュは応えない。そのうち姫も黙ってアジュをうっとりと眺めるようになった。
剣も槍も弓も体術も一通りやってのけたが、アジュが好んだのは棒術である。その体さばきはすでに師を越えつつあった。剣や槍とやりあっても、引けを取るどころか逆に叩きのめしてしまう。魔法と組み合わせると、ほぼ敵はなかった。
天才としか言いようのない、すさまじい才能である。
「のうアジュ。そなた何故そこまで強くなろうとするのじゃ?」
小首をかしげる姫に、アジュはようやく動きを止めて答えた。
「……どうしても、やりとげたいことがあるんです」
『遂げられぬ想いなら、せめて塔から出してあげたい』
「そのために、力が要るのです」
『外も知らない姉さんのために……』
――アジュの内心の想いを知らない姫は、うわべの言葉を聞いてなんじゃと笑った。
「やりたいことがあるのならわらわがしてやるぞ。力がほしいのならわらわと結婚するが良い。魔神の力を与えてやろう」
とてもいいことを思いついたというように、姫は手を打った。
「そうじゃそうじゃ。アジュ、わらわの夫となれ。そうすれば全てが手に入るぞ? 何もかもアジュのものじゃ。なぁんでも聞いてやるぞ、ぞなたの望み」
きゃらきゃら笑う姫の申し出は、アジュにとって確かに魅力的だった。
リッカのために力は欲しい。そのために姫と結ばれても構わない。
どうせこの想いはリッカが姉である限りかなうことはないのだ。
「姫様……ほんとうですか」
アジュは問う。
「ほんとうに、ぼくの願いをかなえていただけますか」
「おお! ほんとうじゃ!」
アジュが乗り気なのだと喜んで姫は頷く。
「では……あの塔を」
「塔? あれか? 中を見たいのか?」
本当はリッカを塔から出してくれと言いたかった。だが、何故入ることの許されない塔にいる姉のことを知っている?と問われれば困ることになる。
口ごもるアジュの態度を応ととったらしい姫は、キョトンとしながら言葉を続けた。
「あんなところ見ても面白くもないぞ。いるのはわらわの身代わりだけじゃ。小汚い娘しかおらん。あと三年もすればいなくなる連中だけじゃ」
姫の言葉にアジュは眉を寄せた。
「……『三年もすればいなくなる』って……?」
……身代わり?
姫の?
……リッカが?
何故!
んふ、と姫はにんまりした。
「アジュだから教えてやろう。どうせ成人すれば誰ぞから聞くことであろうしな……」
――姫が語ったそれは、サンディーノの公然の秘密であった。知らないのは成人、十五歳前の子供だけ。知ってしまえば皆が目を逸らし、知らぬフリをして黙認する事柄だ。けれど、ほかの誰でもないアジュには知らぬフリができない話であった。
「この国が魔神の力で栄え、潤っておることは分かっておるな? 魔神はな、古代の契約によってサンディーノを守護しておるのだ。契約の内容は、王家の代々の姫をささげること。姫が花嫁として赴くことで魔神はサンディーノに恵みを与えておる。だが、高貴なる王族の姫が、そのような品物扱いされるなど王家の血が許さぬ。
だから――代わりじゃ。姫と同年同月同日に生まれた娘で、一番見目良い娘を姫と称して魔人に捧ぐのじゃ。娘にも良いことなのじゃぞ。嘘でも姫と名乗れるのだからな。 下賎の身には余る幸せじゃ、魔神の贄になれるのじゃからな」
高慢な笑い声がアジュの身を打った。衝撃はあまりにも大きい。
それでも彼は声を絞り出した。姫に動揺を気付かれないように何とかつくろって。
「一番見目良い娘といいましたね、そのほかの娘はどうなるのですか?」
「無論、死刑じゃ。わらわと同年同月同日生まれの娘などわらわ一人でよい。ほかにはいらぬわ」
あっさりと――さながら花を摘み取るのと同じように無造作に姫は言ってのけ、笑った。
「もともと魔神の贄としてのみ生まれた身。生きながらえても意味などない。そうじゃろ?」
そこから、アジュは姫とどういう会話をしたのか覚えていない。機嫌よく帰って言ったので、迂闊なことは言わなかったようだ。姫のことなどどうでも良かった。
告げられた真実があまりにも痛かったから。
――その晩、アジュはリッカに逃げようと言った。全てを話し、この腐りきった国から出ようと。
リッカは首を横に振った。真実を聞いて憎しみも怒りも燃え上がったけれど、逃げるわけには行かない、と。
「なんで? 姉さん!」
「アジュ、わたしひとりじゃないわ」
濁った国の犠牲になっているのは、リッカだけではない。ほかにも娘はいる。
そしてサリュとシェリもいる。身を粉のようにすり減らしてアジュとリッカに仕えてくれている二人。見捨てて逃げてくださいと、サリュもシェリも言うのだけれど。
「アジュ」
逃げることはできない。リッカがいなくなろうが娘が贄になることは変わりない。逃げたとしてもリッカたちが逃げたことはすぐに知れ、サリュとシェリは殺されるだろう。
それに、魔神の力から逃げ切れるかどうかも分からない。
「わたしと、生きる覚悟はある?」
ずっと、リッカは考えていた。生きてやる。生き抜いてやる。
人を人とも思わぬこの国を決して許しはしない。
殺された娘たちのために。汚されたシェリのために。
そして、自分のために。
「魔神を、倒すのよ」
強くなれ。生き抜く力を手に入れろ。それしか自分たちに生きる術はない。
アジュはすぐに頷いた。迷いは微塵もない。
「姉さん、誓いを」
鉄格子越しに手を伸ばす。触れる。握りあう。
「あなたのために、あなたとともに、生きるよ」
「あなただけよ、アジュ」
そうっと触れるだけの口付けがなされ、誓いは為された。
正気ではない。サリュは泣きながらそう思う。
正気ではない。シェリは突っ伏して嗚咽する。
それでも……それでも。
「愛してる」
「愛しているわ」
それでも、これしかないのだ。
幼子が選ぶ道としては、あまりにも過酷で重いもの。
出会わなければ済んだだろう。ほかの子と共にアジュは大人になり、あるいは姫と結ばれたかもしれない。
出会わなければ終わっただろう。ほかの娘と同じようにリッカは殺されるか、あるいは魔神の贄になったかもしれない。
けれど、出会った。出会ってしまった。違える道はもはやない。
リッカ十二歳、アジュ十一歳。
これより二人は生きるために、戦う。
生き抜くために、子供が選ぶ道は。