プロローグ
中篇のような話です。あまり長くはありませんし、暗い話なのでご注意ください。
百年の昔、砂漠の中心にありながら水と緑豊かな国があった。
国の名はサンディーノ。ある日突然、一夜にして滅んだ夢の都。
今は激しい竜巻の中に眠るその国は、魔神の力で栄えていたという。
嘘か真か……それを調べるために私はここに来た。
砂漠の中のとある町、小さな古ぼけた家。
ここにサンディーノから生き延びた内の一人の老女がいると聞いて。
今、私の前に座っている老女がその人だ。彼女の名はシェリ。
サンディーノの真実を知る人物。
今や一人しか残っていない、サンディーノの語り部が話し始めるのを私はじっと待った。
しばらく私を値踏みするように眺めてから、老女シェリはゆっくりと話し出した。
夢の都の真実を。
***
……誰だい、アンタ。学者さん? 『砂の都』の話を聞きたいって?
夢の都じゃないかって? いいや、あれは砂の都さ。嘘と幻の中に建つもろくて汚い腐敗の街だ。
(吐き捨てるかのような彼女の物言いに私は驚きを隠せなかった。
極少数残されていた書物は全てがサンディーノを夢のような美しい都と称えていたからだ。何故ですかと問う私に、彼女は不意に笑った)
……そうだね、話してあげるよ。それがあたしの最後の役目だ。
(最後? ……確かに彼女は百歳をかなり越えていると聞いていたが、かくしゃくとしていてまだまだ元気そうに見える。
彼女は一輪の白い花を、大切そうに胸に抱いて話し出した)
……学者さん、そこに座ってよくお聞き。あたしが話すことだけがあの町の真実さ。
百年前、あの町にいたあたしは小娘で、何も知らずに暮らしてた。とあるお方のお世話をさせていただいて……そして真実を知ったのさ――。
***
サンディーノの街は広く、それ自体が国であった。町の周囲を高い石壁が囲み、すぐ外は砂の野が広がるというのに中は水と緑にあふれていた。食べ物に困ることなく、活気あふれる町の隅、ポツンと一つ高い塔がそびえていた。
活気のある街中とうって変わって古びた塔には出入り口が一つと、遥か高みに窓が一つだけ。
中に誰かいるのか、誰もいないのか……大人は誰もが知っているのに知らぬふりをする。
本当に知らないのは、町で無邪気に遊ぶ子供たちだけだった。
そんな子供たちが家へ帰り眠るころ、街中を駆けてゆく小さな影があった。
毎夜毎夜その影は塔へと駆けてゆく。
昼間は決して開かない扉は、その影を受け入れるときだけそっと開くのだ。
影は中へスルリと入り、扉は音もなく閉まる。
「ありがとう、サリュ」
「いいえ、アジュさま。さ、リッカさまがお待ちです」
扉の開閉をしてのけた老人が、小さな背をそっと押す。影の正体はまだ十にも満たぬ少年だった。冴え冴えとした月の光のような銀の髪と、まっすぐに人を見据える強い力を宿した群青の瞳、ふっくらと柔らかな頬の可愛らしい男の子。
アジュと呼ばれた少年は、長い階段を駆け上っていく。老人サリュはそれを確かめて扉のかんぬきを下ろした。
誰かに知られてはならない。かけがえのないこのひとときを。
アジュは螺旋の階段を羽が生えているかのように駆けてゆく。長い長い階段も、今の彼には障害にもなりはしない。やがて最上階、格子の降りたところにたどり着き、少年はその向こうに声をかけた。
「シェリ」
「……アジュさま。今お開けいたしますわ」
若き日のシェリが格子を上げる。ロープを引くだけでも重労働だが、そんなことは彼女にはどうでもいい。
この逢瀬を邪魔できないし、誰の邪魔も許さない。
中には狭い部屋ごとに娘がいた。どの子もほとんどアジュが入ってきたことに目を向けない。ひざを抱えてうずくまっていたり、ただぶつぶつと何かを呟いていたり、ぼろきれにくるまって動かない娘もいる。
ただ、アジュが向かう先の娘だけが違った。鉄の格子に白い手をかけ、アジュが来るのを待っている。
アジュより一つか二つ年上の幼い少女。月のない夜、新月の闇のようであり、なおつややかな黒髪と、雲ひとつない澄んだ昼の空を封じ込めたかのような水色の瞳。
ここにいる娘の誰よりも美しいその少女のもとへアジュは駆け寄った。
「ねえさま」
「アジュ」
手を取り合うこの二人は血の繋がった姉弟なのだ。
「アジュ、ねぇ今日はなにがあったの? 楽しい一日だったかしら?」
「ぼく、魔法をまた覚えたよ。もっともっと強くなるから」
真剣な表情で、弟は姉に言う。
「いつか、ねえさまをここから出してあげるから……!」
幼いけれども美しい姉と、幼いけれど利発な弟。そして、彼らが進む道は。