大雅堂旧跡
公園まで桜の影が伸びていた。
午後三時。観光客のざわめきがいったん静まる。
私は町家を改装したオフィスの中で、エクセルのエラーと格闘していた。
「なんかあったら、遠慮せんとええからな」
声の主は“オトウサン”こと職場のオジサン。
デニムの扇子に、和紙の手帳。
京ことばっぽいイントネーションで話すけど、実家は大垣。
「君は“長女タイプ”やな。よう言われへん?」
言われません。
オトウサンを軽くあしらい、窓の外のねねの道に目を向けた。
小学生の集団が、引率の先生に「だまってあるき」と言われて歩いていた。
──ねえ、
なんで勝手に関係性妄想すんの?
職場でちょっと世間話しただけで、翌週には「俺、甘くなっちゃうな〜、うちの娘に似てるんだよ」だって。
知らんがな。
「オトウサンて呼んでもいいよ?」とか、冗談のつもりでも、本気で気持ち悪い。
あんたの娘だったことなんか、一度もない。
年齢も価値観も違う、ただの同僚でしょ。
それをどうしてそんなに曖昧にしたがるのかい?
笑顔で「うん、娘みたいだな」って言えば、何かが許されると思ってる。
“家族ごっこ”の傘を差して、自分の気安さを正当化してるだけじゃん。
私が笑えば、あんたは“人に優しくできる中年男性”になれるんだよね。
でも私、べつに優しくされたくて話してるわけじゃないし。
気持ち悪さを我慢してまで、擬似家族のフリをする義理もない。
今日の私を、きっと“反抗期の娘”扱いで捉えてんだろうね。
オトウサンそのロジック無敵じゃん。
あの人は、家族じゃない。
だから何も引き受けない。何も乗らない。
私の人生の主人公は、私だけだ。
いちいち関係性を定義しないと女と接せられないんですか。
またセル結合だ、勘弁してよ。




