死刑
ぶらっと一人で「庶民」に寄った。
阪急・大宮の駅すぐ、どんなに満席でも誰かが詰めれば席が空く不思議な場所。
立ち飲みなのに、なんだか“実家感”のある空間。
串カツ、まぐろ刺し(限定)、おでん盛り。
冷えたハイボールをぐいっと流し込んだときだった。
気づけば俺の隣に、少し風変わりな老人が立っていた。
英国紳士みたいなワイシャツに、くたびれたブリーフケース。
そして手には――まさかの『がきデカ』。
「……懐かしいですね、それ」
思わず声をかけてしまった。
「あれを“懐かしい”で済ませるかね?」
そう言って、その老人はにやりと笑った。
「法治と合理の名の下に暴力を不可視化するこの社会においてこそ、我々は“こまわり君”という極端な直裁さに学ぶ必要があるのだ。」
「……え?」
「“死刑っ!!”だよ。あの強烈な断罪のギャグ。それをただの一発芸として笑うか、それとも……」
彼は、ハイボールをひと口飲んでから続けた。
まわりの酔客たちは誰も気にしていなかった。俺だけが固まっていた。
「君、“死刑っ!!”って聞いて、何を思い浮かべる?」
「え、いや、こまわり君のギャグ……ですよね?」
「そうだ。それでいて、こまわり君こそが“近代社会の倫理の限界”をあぶり出した最終兵器だと私は思ってる」
老人はカウンターに小さなメモ帳を開き、なぐり書きをしながら話し始めた。
「“正義”とは、何か」
「“制度”とは、誰を守り、誰を壊すのか」
「“死刑”は、誰の手によって執行されるべきか」
「君、この串カツが1本100円で出てくる理由を考えたことはあるか?」
「……え?」
「それは“見えないところで誰かが動いている”からだ。養豚、屠殺、輸送、調理、配膳。」
「正義も同じ“誰がやるか”を見えなくしたとき、社会は安心する」
ハイボールを一口飲む。
「だが、こまわり君は違う“死刑っ!!”と叫ぶ。誰にも相談しない。手続きも理由もない。そこには、責任の全所有がある。恐ろしくも、誠実だ」
「……誠実、ですか?」
「“誰も裁かない世界”か“誰か一人が全部を引き受けて裁く世界”か。
制度とは、ある意味で“責任逃れの装置”でもあるんだよ。分かち合うことで、誰も引き受けない」
メンチカツをつまんでいた隣のおっちゃんが、ぼそっと言った。
「……せやけど、個人で裁いたら、それはただの人殺しやろ」
「そのとおり」と老人は笑った。「だから“滑稽”にするしかない!“ギャグ”にするしかないんだ。
笑うことで、暴力を暴力のまま見せずに通す。
そしてその笑いに、ヒリヒリした“痛み”が残るかどうかが、倫理の境界線だ。」
「こまわり君の“死刑っ!!”が、冗談にしか聞こえない今の世の中が、本当は一番危ういのかもしれないね」
老人はそう言って、指で書くように空をなぞった。
「“暴力を笑う社会ではなく、暴力を理解しようとする社会を作るために、我々は笑う”」
そこまでまくし立てると
「……あ、そうだもう一本頼もう」と言って、串カツを注文した。
俺はたまらず聞いた。
「爺さん……仕事、何してる方なんですか?」
すると、彼はくしゃっと笑って、ポケットから名刺を一枚、差し出してきた。
「これな」
酔いで少しピントの合わない目を凝らして見ると、こう書かれていた。
《京都府警察学校 教養指導部 非常勤講師》
「……え?」
——酔っていたのか、本気だったのか、今でもわからない。
でも、たしかにあの日の「庶民」では、串カツの向こうに倫理と暴力の匂いが立ちのぼっていた。
——大宮には、変なやつが多い。
だが、ああいう変なやつの言葉ほど、時に頭に残る。




