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五条楽園

誰ももう話題にしなくなった。

けれど、私は五条楽園で育った。

赤線の名残がまだそこにあった頃、

あの町で過ごした少年時代を、

私はいまでも「幸せだった」と思う。


思い出すのは、やさしい記憶ばかりだ。

たとえば、四軒先のお茶屋のおばさん。

手招きされて、おばさんの膝の上にのる。

あの膝は、たばこの煙とレコードの音といっしょに揺れていた。

針を交換する手つきは妙に丁寧で、

私は顔の形が変わるほどほおずりされて、

チョコレートとかブルボンをもらっていた。


私は音楽が何かもわからず、

ただ揺れる膝とお菓子の甘さ、ドーランの香りに包まれて、

それが「安心」というものなのだと、

知らないうちに覚えていった。


だから、今もバスで五条を通ると、

「この辺、昔お世話になったんよ」

なんて誰かが話しているのを耳にするたび、

胸の奥が、すうっと水に浸るような感触になったものだ。


懐かしさとも、哀しさとも違う。

今は、もっとはっきりした思いがある。


――私は、あそこに、確かに生きていたんだ。


それは誇りでもなく、恥でもない。

ただ、あの煙の匂いや、針が落ちる音や、

やわらかい膝の揺れといっしょに、

私の一部になっているというだけだ。


語られなくなった町。

けれど、その静けさの中で、私は今も、

あの記憶に、呼吸を寄り添ってもらっている。

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