辻斬られる
いやぁ、こまったこまった。
俺はただ、平穏無事に定年まで小さく働ければそれでよかったんだ。
それなのに、ある日いきなり部長に呼ばれて言われたんだ。
「今年の時代まつりの清少納言、スカウトしてこい」
……は?
俺に?
俺は営業でもなくて、企画部の隅っこで資料コピーと数字合わせしてるだけのおっさんだぞ?
センスも無ければ、コミュ力もゼロ。
なのに「お前は京都生まれで街に顔が利くから」って。
いやいや、顔なんて利かねえよ、常連の喫茶店と立ち飲み屋しか行かないんだから。
それでも命令は命令だ。
サラリーマンは断れない。
だから、俺は東山三条の小さな喫茶店に通うことにした。
角の席、観葉植物の影。ここなら通りを歩く人も見えるし、なんとなく“張り込みっぽい”雰囲気も出せる。
店内はジャズが流れ、ランプの赤い光がカップの氷を照らしている。
俺はただ黙って、アイスコーヒーを頼む。
でもなぁ、人間ってほんとに難しい。
視線ってのはどうにもならないんだ。
窓の外を眺めているつもりが、気づけば隣の若い子に向いていたらしい。
ノートPCを叩くカタカタ音が雨粒みたいに心地よくて、つい耳を澄ませていたら、目線までそっちに引き込まれてしまった。
いやぁ、こまったこまった。
彼女は、明らかに警戒していた。
そりゃそうだ。中年男が観葉植物の陰からじっとしていたら、普通は怪しい。
「すみません、あなたを見ていたんじゃなくて、清少納言を探してまして……」なんて言えるわけがない。
コミュ力怪物の部長だって、「清少納言タイプの子」って無茶苦茶なオーダーしかできなかったんだから。
それでも俺は、日を改めて通った。
一度目は声が出なくて、二度目はタイミングを失って、三度目はもうコーヒーがぬるくなるまで指先を汗で濡らして座っていただけ。
上司からは「どうなってる?」と電話が来る。
「進捗は?」と聞かれるたび、胃がキリキリ痛んだ。
いやぁ、ほんと、こまったこまった。
そしてある日、カップを持ち上げた瞬間、彼女と目が合った。
その刹那、彼女はスッと目を逸らした。
その反応に、俺は悟った。
――俺は人をスカウトするどころか、人を怯えさせることしかできないんだ。
清少納言役の面影は、通りに現れなかった。
いや、最初から無理だったんだ。
あれは年に一度の行列で見かけた幻みたいな存在。
それを追いかけて、この喫茶店でジロジロしてた俺こそが場違いだったんだ。
結局、俺は喫茶店に行くのをやめた。
観葉植物の影の席は、きっとまた誰かの“普通の居場所”に戻ったんだろう。
俺にとっては“清少納言観測所”だったが、隣の彼女にとっては“厄介なおじさんの定位置”でしかなかった。
まったく、俺ってほんとに損な役回りばかりだ。
でもまあ、こうして「清少納言を探してます」なんて馬鹿げた言い訳を胸の中で繰り返してるうちは、まだ人生も少しは楽しいのかもしれない。
いやぁ、こまったこまった。




