去勢
──3次会。
数珠つなぎで流れ着いたのは、くらがり通りの小さなカラオケバー。
甘ったるい香水とカラオケのエコーが混ざり合い、僕の背広に染み込む。
狭いソファに先輩たちがずらりと並び、気づけば12人中、男は僕ひとり。
「主任、座って座って〜!」
ソファに押し込まれ、グラスを渡される。
心臓はドラムロール、背中には滝のような脂汗。
笑え、僕。
今夜は擬態の域を超え、精神的去勢ショータイムだ。
そして始まった──経理チーム3人の大合唱。
選曲は「恋するフォーチュンクッキー」。
揺れる肩、揺れる二の腕、揺れるソファ。
化粧は熱気で溶けかけ、アイラインは涙のようににじんでいる。
でも笑顔はキラキラ、声はズレてもパワフル。
「みんなをもっと!もっと!知りたーい!」
拳を突き上げるたびに、僕の魂は一枚ずつ剥がされていく。
声が飛ぶ。
「うちの旦那さぁ〜」「そうそう、それでね!」
「この前の旅行の写真見てくれる?」「え、まだ言ってなかったっけ?」
話題はバラバラ、声は重なり、笑い声は天井で反響する。
僕はただ、氷のグラスを手に微笑む。
誰も僕に返事を求めていない。
言葉の川は四方八方に分かれ、僕はその真ん中で溺れないように必死に立っている。
ときおり視線だけがこちらをかすめる。
「ね、主任もそう思うでしょ?」
だがもう話題は三つ先に進んでいる。
「ええ、まあ……」と口にした瞬間、返事は虚空に消える。
「キャハハハハハハ!!わっかんないよねぇ!」
笑顔だけが取り残され、頬の筋肉は痙攣しそうだ。
完全に置いて行かれている。
でも笑え、笑顔だけが、ここで生き残る術だから。
目が座った先輩たちが一斉に叫んだ。
「主任!立て!踊れ!!」
僕は震えるタンバリンを握りしめ、腰を浮かせた。
なんだろう、なんだろう。
屈辱的で、頭の中がぐちゃぐちゃで、
シャツは汗で張り付き、ネクタイは呼吸を阻む縄のよう。
自分がここにいる意味すら見えなくなっていく。
それなのに──気持ちがいい。
笑顔を貼り付けたまま、魂を捧げる舞踊。
「もう自分じゃなくてもいい」と思える瞬間。
恥と疲労とアルコールが溶け合って、
奇妙な快楽に変わっていく。
もしかすると、これこそが精神的去勢の正体かもしれない。
あぁ、壊れてゆく。
マスターは相変わらずカウンターの奥。
グラスを磨き、遠くを見つめ、絶対にこちらに介入しない。
助けてくれよ……ラストオーダーの一言でいいから。
だがその夜、彼はただ黙々と布巾を回すのみ。
──気づけば明け方。
四条通に出た瞬間、夜風の名残が顔を撫でる。
祇園の提灯が赤く揺れ、東山の稜線が赤く染まっていく。
「はあ……俺は、まだ男だ」
深呼吸とともに、汗は風に乾き、
この夜の屈辱と快楽は、祇園の赤に溶けて消えていった。




