擬態
──朝の総務課。
内線が一斉に鳴り、伝票の山が机に置かれる。
「すぐ対応お願いできます?」
「これ、急ぎなんで」
先輩方の声は軽やかで、でも微妙に競い合っている。
僕は笑顔を張り付けたまま、書類を抱え込む。
「はい、承知しました。こちらで処理しておきますね」
声を柔らかく、角を削って返す。
男の響きを抑え込み、丸みを帯びた調子を保つ。
昼前、備品の納品で重いダンボールが届く。
反射的に抱え込んだ僕を見て、周りが「助かるわあ」と笑った。
その一言に救われつつも、
“頼れる男”のポジションに寄りすぎないよう注意する。
「腰に気をつけてくださいね」なんて言葉を添えて、
自分の力を誇示しないようにバランスを取る。
昼休み、女性社員のテーブルは花のように咲く。
話題はスイーツ、子どもの習い事、週末の買い物。
僕は味の薄い相槌を用意して、会話に溶け込む。
「へえ、美味しそうですね」
「なるほど、そんな新店が」
ほんの一言で、場の空気を壊さずに済むなら、
冗談も野心も胸の奥で眠らせておく。
午後の会議。
数字を整理し、報告をまとめるのは僕の役割だ。
だが結論を強く主張すれば、空気がざわつく。
「皆さんのおっしゃる通りですが…」と前置きを添えて、
意見をやんわりと置いていく。
真ん中に立ち、誰の顔色も曇らせないことが、
この水槽で生き延びる術だから。
時計の針が17時を回り、退勤の時間。
パソコンを静かに閉じて、深く礼をして課を出る。
制服姿の店員が帰宅客とすれ違い、
館内のBGMは一日の終わりを告げるように低くなる。
自動ドアを抜け、七条通の風に触れた瞬間──
胸に張り付けた仮面が少し剥がれる。
烏丸七条の交差点。
赤信号に足を止め、西山の稜線が暮れ色に沈むのを見上げる。
ああ、ようやく“俺”に戻った。
声を低く張ってもいい。
歩幅を大きくしてもいい。
誰の視線もない。
京都駅のざわめきに背中を押されながら、
僕は擬態を解き、ただの若い男として、
暮れゆく西山をしばらく見つめていた。




