06『流言』
パンデミックの後、世界のなにもかもが変わった。
パパの頭が二本の腕の化け物に変貌し、慌てて逃げだして隣家に駆け込み、隣家のおばさんは「様子を見に行く」と言って戻ってこない。自分で見に行く勇気も持てず、「食べて良い」と言われた食料を齧りながらおばさんの帰りを待つ。
もう、こんな生活を十日間も続けている。
最近、放送で少し遠い場所にあるパイナップルタウンが生存者を募集している放送があったが、外に出る気力がない。部屋から一歩たりとも離れたくないのだ。
「おばちゃん、まだかなぁ…」
ぽつり呟くが、誰も反応しない。動画をみて気を紛らわせようともしたが、広告の時点で動画アプリを閉じてしまう。
ずっと部屋の端から見える玄関をじっと見て、保存食を食べて、気づいたら寝ている。そんなことをずっと繰り返している。
電気をつける元気も湧かない。ただずっと、不安に押しつぶされているだけ。
「もう待つの疲れたなぁ……」
そう言いつつも、まるで身体が動かない。父親を置いて逃げてしまったこと、様子を見に行ったおばちゃんをまた置いてしまったこと。これらが私の身体を蝕んでいる。
いまさら、いまさら動いて何になるのだと。
壁に身体を預けたり、床に寝そべったり、私は動き出せないでいる。
それが嫌だと分かっているから。それがだめだと分かっていても。
夕方の日差しが窓から入りこみ、再び一日の再放送が終わる鐘が鳴った。
一昨日も昨日も今日もパイナップルタウンが生存者募集の放送をしていたが、行く気力がない。もしかしたらおばちゃんもいるかもと思ったが、そんな甘くないことなんてよく知っている。
「おばちゃん、まだかなぁ」
一日の再放送と、私の期待と知っている未来の再放送だ。
またこうして一日が終わって、私はまた同じ言葉を吐いて……。
そんなことを考えていると、だ。
ピンポーンと、玄関のチャイムが鳴った。
「え…………」
掠れた声が出た。一瞬だが、身体全体に力が入った気がする。
続けて、ピンポーンとまたチャイムが鳴る。
機械の故障は考えられない。それに、遠目からでも扉のガラス越しに人の影が見える。人の影はすぐに離れたかと思いきや、一分も経たずに再びガラス越しに現れた。そして今度は扉を叩き、
「いるんだろう! 助けてくれ! 近くに化け物がいるんだ! 頼む!」
男性の声が聞こえた。
焦りで上ずっているが、重音の声が響いている。扉は、叩いているより、ぶつかっているという表現が近いだろう。
「知らない人……でも………」
助けを求めており、しかも近くには父親のような化け物がいる。既に家の主はいない。ここで見捨てても、大した問題は…。
「助けなきゃ……!」
問題はある。それは心だ。
また見捨ててしまう。と、それがどれだけ恐ろしいことかはこの十日間の全てが教えてくれている。
私はおずおずと、しかし同時に焦燥感に駆られて廊下を早歩きし、玄関のドアに手をかけた。
「はい、大丈夫……です……!」
「よかった助かった。ありがとう! ――――ありがとう」
プラスチックと金属の擦れる音と共に、感謝の声が聞こえ、やがて声の主である男性の姿が。
「ありがとう、―――――扉を開けてくれて」
男性の姿をした右半身。左は頭と腕が一体化し、牙のある口のついた巨大なミミズの頭がかすれた鳴き声を出しながら扉の隙間から首を入れてきたのだ。
「――――ぁ」
男性は? なんで化け物が? 人の声がしてたのに。擬態してた? でも人の姿で。でも化け物で。
色んな疑問が放出し、目の前の恐怖から思わず後ずさる。
化け物はミミズの頭を空中でゆらしながら、小音のスピーカーのような掠れた声で玄関に侵入し、土足のままこちらを捉えて歩き出す。
「ぁ、ぁ、ぁぁぁぁああああああああああああああああああああああ!!!!」
しりもちをつき、骨を打つ痛みで全身に活力が入り、そして眼前に迫るミミズの化け物に悲鳴をあげた。
這ってでも後ろへと下がる私に、ミミズの化け物は玄関の履き替えスペースに足を取られて盛大に転んだ。しかしミミズのような頭と円柱の口に生え並んだ牙はこちらを向いており、足元の些細な事故には見向きもしていない。
「なんで! なんでぇ! なんでぇ!」
私の叫び声も、威嚇ではなく獲物が叫んでいるとしか受け取られていない。その様に私は息も絶え絶えになりながらなんとか立ちあがろうとし、やはり恐怖が勝ってすぐに足が笑ってしまう。
化け物は壊れかけのスピーカーのような、そんな音を小さくしたような鳴き声で顔を上げ、足と腕を使って立ちあがろうとする。
「いやだ! いや! やめて、来ないで、来ないでぇ!!!」
散々喚きながら、私は誰が見ても無様といえるような様相でしりもちを着いたまま後ずさるしかない。
後ろは壁で、隣の部屋に入りこめばいいものを、今の私にそんなことを考えるほど思考に余力は残されていなかった。
とうとう壁に背中が当たり、もう隅の隅まで追い詰められてしまったという実感が私の恐怖心を更に煽り立てる。
「あぁ、はぁ…はぁ…、――――ぁ」
ミミズの化け物は段々と身体の体勢を整えはじめ、床に映る影の大きさが化け物本体に比べ少しずつ小さくなるのを見た瞬間、私はぎゅっと両手で頭を抱えて目を瞑る。
その数秒後だった。
「おい、大丈夫か!?」
今度は高いソプラノ声で、私の安否を確かめる声が響いた。びっくりして目を開けると、まっすぐ見える廊下の先、つまり玄関に高身長の男性が立っていた。
誰なのか? そんなことを思う前に男性は駆け出し、姿勢を起こそうとするミミズの化け物に体当たりを噛まして再び床に伏せさせる。するとそのまま、腕に隠していた長く鋭い包丁をミミズの首あたりに思い切り差し込み、床ごと貫通させる。
「おい、君! 怪我はないか?」
「ぇ、ぁ…………」
「この化け物は人体の急所が急所にならない! すぐに逃げるぞ!」
青年はもう片方の腕に隠していた長い包丁をミミズの化け物の背中あたりに力いっぱいに振り下ろす。赤色の液体は出なかったが、初撃で勢いを失くした化け物が更に弱ったように見えた。それでも、青年が死なないというように、化け物もまだ動く。
青年は刺した包丁を踏みつけ、ミミズ頭を踏みつけて、壁際に追い込まれた私の腕を強く引いた。
「すぐこの場所を離れるんだ! 他に住んでる人はいないな!?」
「ぁ、―――はぃ。私、だけです………」
「よし、よく今まで頑張ってくれた! ここに居ればすぐにでも化け物が集まってくる! すぐにでも安全な場所に運ぶが、大丈夫そうか?」
「あ、安全な場所………」
このまま離れてしまっても大丈夫なのだろうか、いいのだろうか、と、私の中で何かが生存本能とせめぎ合う。だけどその青年はぐいぐいと私の腕を引っ張っている。
「君は十分に耐えた! そうだろう!? 怖い気持ちはよく分かるとも。それを責めるなんてできない。まずは安全な場所に行こう。そうでなければ、自身の贖いとも恐怖とも向き合うことは出来ないさ」
「……………ぁ」
まるでこちらの考えの一端が分かるかのように、その青年は私に私の求めている言葉を言ってくれた。
それだけでも、私の脚には力が入った。
「一人でいると碌な考えが浮かばないんだ。分かるよ。さぁ、こっちへ」
「は、はい」
「あ、後靴で上がってごめんね。緊急だったから思わず……」
「いえ、………私も、ここの家の人じゃないし……」
「そうなのかい。でも、聞かないことにしておくよ。話したくなったらいつでも話してくれていいとも」
青年の顔はサングラスでよく見えないが、言葉尻が丸いことに安心感を覚える。強く腕を引っ張っているのも、心配が強く出ていることが良くわかる。
小刻みに動く化け物を置いて、玄関に差し掛かった時、青年は「あぁそうだ」と言ってポケットからマスクを取り出して私につけるように促す。
「パンデミックは巷の人曰く、ウイルスによるものだって話を聞いた。実際どうなのかなんてわからないけど、つけておくに越したことはないよ」
「あ、ありがとうございます……。あの、あなたは……」
「そうだったそうだった。夏だからどうしても蒸れて外したくなっちゃうんだよね……。よいしょっと」
そう言って、青年もポケットから新しいマスクを出すとすぐにつけた。
「さて、行こうか。―――あぁ、外にいる化け物はここら一帯は少ないから緊張する必要はない。まぁ見つかる可能性はあるから、余裕をもって行動をね?」
「は、はい」
「よし、良い子だ。中学生くらいかな? 僕は大学生だから後輩のことは守ってあげないとね」
青年は自らを大学生だと告げて、私寄り先頭に立って周囲の様子をうかがいながら道路に出る。その後をすぐに追ったが、青年は時折こちらの様子を気に掛けながら「大丈夫そうかい?」「休憩する?」と言葉をかけながら進んだ。
化け物らしい化け物を遠目で目にすることはあってもまず絶対に近寄らなかったからか、かなり遠回りしながらも、青年はなんでもいいような談笑をしながら、私の気を持たせてくれていた。
「聞きたいんだけど、どこの中学校出身なの? もしかしたら本当に後輩かも」
「朝羽中学校、です…」
「朝羽かぁ。僕は十六夜出身なんだよね。分かる? あのデカいところ」
「分かります。私の友人が通ってました」
「そうなのかい!? もしかしたら、友人さんはまだ大丈夫かもしれないなぁ」
正直、青年の話は分かるが、気持ちの整理は全くついておらず、ただ返答するだけといった時間だったが、その青年は全くめげることなく雑談を続けて、
やがて放送にあったパイナップルタウンと言う場所が近くに来た。
「この辺は整備されてるから化け物はほとんどいない。一応、すぐそこにある検問所みたいなところで健康診断みたいなことされて、オーケー出たら入れるよ。何か質問はある?」
「特に、ないです……」
「そうか。僕は別でやらなくちゃいけないことがあるから、ここでお別れになるから、思い残すことはないかな?」
「え………、あ、はい。大丈夫です。ありがとう、ございます」
まさかここで青年と別れることになるとは考えていなかったが、これ以上この優しさにかまけるべきではないと、私は言葉を飲み込んだ。
「僕は地区外に住んでる異母兄弟が心配でね。望みは、………正直、かなり薄いんだけど、それでも確認しておきたいからさ…。あの時、十日前の着信を無視しなければよかったなって、今でも後悔してるけど」
「………」
「後悔してるけど、それでも贖罪とは違うけど、僕は今の自分に出来る精一杯をやるつもり。運が良ければ、また会おう」
「じゃぁ、それまで生きていて」と、青年は来た道を戻りながら手を振った。肩幅もあり、身長も高い彼が見えなくなるまで私は、その場に立ち尽くしていた。




