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脳死について

作者: mimura

 脳死って何だろう。生きてるってなんだろう。死ぬときはいつだろう。私には誕生日があるわけだが誕生日に私が生まれたわけではないだろう。受精卵が完成したときに私は生まれたのだろう。いや、もっともっと昔。父と母が生まれなかったら私は生まれていないのだから、父と母が育っているときに私が生まれたのか。いや、そもそも地球が、宇宙が始まったときに私は生まれていたのか。きっとそうだ。この世のすべては宇宙が始まったときに、すべての事象が決定されているのだ。


 死ぬときはいつだろう。医者が瞳孔の拡大、呼吸の停止、脈の停止を確認したときだろうか。いや、そこよりもう少しだけ先があるはずだ。それは第三者が死を定義しているだけで、一人称だと眠っているときと何ら変わりないのではないか? いや、そうでもない。死とは何だろう。わからない。


 脳死は死んでいるのか? 生きているのか?

呼吸はしている。内臓も生きている。心臓が波打っている。体も温かい。しかし脳波が出ていない。これは死んでいるのか。一人称で見たときには眠っているときと変わりないのだろうか。それだったら本人からしてみれば死と変わりない。しかし、第三者から見ると生きているとも判断することができる。脳死を死んだと判断することは本人にはすることができず、心臓、肺を止めるのは結局は他人である。つまり脳死は自分自身にとっては死と変わりないのではないか。

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