2 いずれ落ちてゆく
萌百合静香は、予備校で一緒だった少し変わった女の子だった。
当時から凄まじい才能の片鱗を見せていたが、年末ぐらいから顔を見せなくなった。
経済的な事情だ——という話を小耳に挟んだが、その後彼女がどうしたのか、何の話も聞こえてこなかった。
どこかの美大に合格した、という噂も聞かない。
萌百合と仲が良かった石井杏奈も「全くわからない」と言っていた。
あれほどの才能が、そんな理由で消えてゆくのか・・・。
孝之はその理不尽に、なんとも言えないやりきれない思いを持ったものだった。
そのついでに、自分なんかが親のスネかじりで芸大に来ていることに少しばかりの後ろめたさを感じてもいた。
それが・・・。
1年を経ずして、光の当たる場所に躍り出てきたのだ。
まだ何者でもない孝之を尻目に、美術雑誌で「驚異の新人」と紹介されるほどの場所に——!
やはり。
才能は、それを宿す者をただの凡百の中には置いておかないのだろう。
よかった・・・。
と思う反面、今度はえも言われぬ嫉妬のようなものも覚える。
生まれ持った才能———天才。
響孝之は今、芸大生である。
バリバリの現役合格だ。
倍率20倍以上。2浪、3浪があたりまえ。という世界で、数少ない現役合格者だ。
「響クン、すごいねー。」
「やっぱ、やると思ったよ。」
そんな称賛を浴びる中、ひとり孝之だけが怯えていた。
今は・・・・
芸大現役合格——という結果を出した今は、そんなふうに言われているかもしれないけれど・・・・。
この先、俺は本当にモノになるんだろうか・・・?
「うん。上手いなぁ。そうか・・・。浪人生だと思ったが、現役だったか。」
「我々も人間だからねぇ。間違えることもある。」
「君はいずれ落ちてゆくタイプだねぇ。このままじゃ・・・。」
最初の課題の講評のときに、孝之が教授陣から言われた言葉だ。
まるで、予備校の古瀬先生に言われたのと同じ言葉だった。
「皆さん。まずは合格と入学、おめでとう。しかし、もしここで何かが教えてもらえると思っているなら、それは間違いです。」
「我々は羊飼いのようなものです。羊を草のあるところに連れて行くことはできるが、どの草を食べるか、そもそも食べるかどうかは、羊しだいです。」
入学式の日、前に並ぶ教授陣から学生が最初にカマされた一発だった。
その言葉どおり、彼らは課題を出し、時おり回ってくる助手たちが意見を言っていくだけだ。
講評のとき以外、教授と顔を合わせることもほとんどない。
会ったところで、何か指導してもらえるわけでもない。
設備と環境だけはある。
あとは芸大生どうしで、あーでもない、こーでもない、と議論を交わしながら自分で考えるしかなかった。
浪人合格生たちは予備校時代からそうしてきたのか、難しい話を交わし合っている。
ただひたすらに「合格」を目指してきただけの孝之には、ちんぷんかんぷんな話も多い。
だいたい変わり者ばかりのこの世界で、孝之にはどれが冗談でどれが本気の会話なのか、区別がつかないこともあった。
そうして、最初の講評の日に孝之が教授陣から言われたのが、あの言葉だったのだ。
いずれ落ちてゆくタイプだねぇ——
他の学生もなかなか辛辣なことを言われたらしいが、孝之の耳には何も入っていなかった。
頭が真っ白になっていた。
俺は・・・・
いずれダメになるしかないのか・・・?
生まれ持った才能のない者は・・・・。