第1話
普通の人に言っても、信じてもらえないことが世界には色々と多いと思う。
その中でもオレのくだらない人生の体験上では、『オレたちは魔術学校の錬金術学科に通っている』と言ったときによく起こる。
魔術なんて怪しげなもののことを、正常な頭をしてる人に言っても、『信じられない』と言われてしまうのは、ある意味においては仕方のないことだろう。
実際に魔術学校に通っているオレでも、たまにそう思うくらいだ。
なので魔術を信じてもらうことは、初めから半分は諦めてる。
人生は諦めが肝心だ(オレは人生の半分くらいを諦めてる気がする)。
でも運が良いことに、魔術を信じてもらえたとしても、次に『錬金術が何なのだか分からない』、と言われることがある。
有機的な畑を耕して、有機的な肥料をまき、有機的な作物を育てる、みたいな普通の有機的な生活をしていれば、錬金術なんて金属的で無機的なものには、数学大学で扱う数学並みに接点がないことだろう。
だから、知らないのも無理もないかもしれない。
オレだって自分に興味のないことは、全く知らない。
たとえば『メビウスの輪を素数の回数だけ反転』とかいうことを、他人に突然言われても、何が興味深いのか、いや、何を言っているのかすら分からない。
簡単に言うとすれば、錬金術というのは魔術の一部で、元素記号『Au』の金を作り出す術のことだ。
こんなことを言うと、錬金術師は大金持ち間違いなしのうらやましい職業のように、思われるかもしれない。
つまり、それと同時に錬金術師の卵であるオレたちも、同様にうらやましがられるわけなのだ。
だが、必然的にというか、逆説的にというか、世の中にそんな甘い話が、コーヒーを出す店のテーブルの上の砂糖みたいに、山積みの状態であるわけではない(店のメニューを見て、一番安い食べ物しか頼めない日が続くと、あって欲しい、いや、あるべきだ、という考えが脳裏に浮かぶけどな)。
魔術というのは、『卵の上に乗っても、卵を割らずに歩行する』くらいに、元々成功する確率が低いものではある。
だが、卵の上に軽くて丈夫な板を置くとか、卵を固くするとか、何とか割らずに済むようにする方法は、探せばないでもない。
魔術師と呼ばれる連中も、日夜色々と研究をしているしな。
しかし、錬金術というのは魔術よりもさらに成功する確率が低い。
その『何とかする方法』が魔術よりもずっと少なく、なかなか見つけることができないのだ。
『錬金術じゃなくて、魔術をやれば良かった』とこぼす錬金術学科の学生は、錬金術学科の校庭を歩けば探さなくてもそこかしこで発見できる。
校庭に落ちてる実験用の魔術石の破片の数よりも多くて、使い魔のフンよりも少ないくらいの数だろう。
ちなみに去年の錬金術学科の卒業生で、金を作れたのは何人だろうか。
一〇〇人も卒業生がいるのだから、難しいと言っても五、六人くらいはいるのだろうか?
ところが答えは0人という、数えるまでもない何ともバカげた数字だ。
つまり単純計算で考えると(厳密には計算になってないが)、オレたちが大金持ちになる確率も0パーセントなわけだ。
これでもうらやましいだろうか?
0という数字を発見したのは、数学上の大偉業だそうだ。
しかし、オレとしては大発見だかなんだか知らないが、なんてくだらないものを発見してくれたのだと、誰か知らんが偉大な数学者とやらに一言文句を言いたい気分だ。
まあ、仮に0が一に変わったところで、その一に入れる自信もなければ、気位もないがね。
世の中の錬金術師たちも、そんな確率が低いことをやり続けるのは無理だと考えるようになったのか、やり続けるうちに無駄だと思うようになったのか、あるいは最初からそんな眉唾な話は信じてなかったのか、何なのかは知らない。
ともかく金を作る代わりに別の魔術をやるようになった。
そして金を作らない別の魔術のことも、錬金術だと呼ぶようにした。
そして、自分たちは錬金術をやっているのだから、錬金術師だと名乗るようになった。
なんだか詐欺みたいな話だが、世の中に名が体を表さないことなんて、いくらでもあるだろう?
特に昔のものではそういうものが多いし、『錬金術もいつからあるのか』と言われたら、当然のように大昔からあるわけだ。
もっとも錬金術師たちは世間に対して、『金を作ることはできない』と公言してるわけではない。
その代わりに『金を作ることは、しようと思ったらできるけど、究極の術なだけに準備を整えるのがとても大変だから、軽々しくはできない』みたいなことを軽々しく言っているのが、偉大な錬金術師だったりする。
その偉大な錬金術師は、ニコス・フラメルという名前で、錬金術の世界では知らないものがいないというくらい有名だ。
大ベストセラーの『金の生成法』という錬金術の奥義が記された魔術書を書いている。
だが、大金を出して買っても、中身は何もない魔術書なので、もちろん金を作り出すことなどできない。
小石ほどの大きさも無理などころか、砂粒ほどの大きさでも作れない。
錬金術をやっていると、『世の中は間違っている』ということを学ぶことができる。
別に錬金術をやってなくても、いくらでもどこででも学べることのような気もするけどな。