タイム・マシンに乾杯
ドリコム大賞2
私は、スイスの山荘で、夕日を見ていた。目の前には、壮大な景色が広がっている。白い雪の世界。まるで、ミケランジェロの『最後の審判』である。
このガラスの部屋のチェアでは、妻と二人の子供が日光浴をしていた。私はニーチェの「ツァラトゥストラは、かく語りき」を読んでいる。
部屋は、暖房がきいて快適だった。
今日のディナーの前菜はエスカルゴ、冷たい玉ねぎのスープで、メインディシュは、牛ヒレのステーキ、フォアグラ、デザートは平目の煮コゴリ、イチゴのアイスクリームだった。このようなフランス料理だった。
少しまどろみながら、私は記憶を辿る。これまで、私はこのような光景を何千回、何万回見てきたことだろう。数え切れない古から・・・。
私はここからの眺めが好きだった。太陽が西の海に沈み、たそがれが現われる。星が輝く群青色の空はまるで童話の世界のようである。空に浮かぶ丸い月が幻想的で不思議な空間を演出する。この光景は遠い記憶を呼び覚ます。どこか暗いが、懐かしくてあたたかい温もり。それは、父や母に対する愛情にもとづくものかもしれなかった。
本宅は日本の山間のまちにある。ここの温泉は、唯と一緒に入るお気に入りの場所だった。故郷たる所以だろう。世界的な哲学者。宗教家、分子生物学者になっても、東京にも行かず、まだこの日本の田舎に引き籠もっている。生活の拠点はこの町なのだ。家は日本家屋に日本庭園だが、そばに高原伸安の生家という石碑が立っている。この記念碑は、私が死ぬというより世界が滅亡するまで、そこに存在し、その偉業は称えられるだろう。ここは、私が生と死と世界が別々であると思っていた子供時代を過ごしたいえである。タカハラ教のルーツなのだ。現在は、世界と生と私はひとつであるという立場を取っている。これは二十世紀最大の哲学者であるウィトゲンシュタインと同じ思想である。彼は『論理哲学論考』の中でそう言っている。
それに、あらゆる宗教の教祖たちもいっているではないか? “私は安全だ。何者も私の存在をおびやかすことはない”と・・・。宗教家は、優れた哲学者でもあるのだ。
私は夏に一度は,二十キロぐらい南に旅をしてここの別荘に行く。そして、吹雪の音を私は、スイスの山荘で、夕日を見ていた。目の前には、壮大な景色が広がっている。白い雪の世界。まるで、ミケランジェロの『最後の審判』である。
このガラスの部屋のチェアでは、妻と二人の子供が日光浴をしていた。私はニーチェの「ツァラトゥストラは、かく語りき」を読んでいる。
部屋は、暖房がきいて快適だった。
今日のディナーの前菜はエスカルゴ、冷たい玉ねぎのスープで、メインディシュは、牛ヒレのステーキ、フォアグラ、デザートは平目の煮コゴリ、イチゴのアイスクリームだった。このようなフランス料理だった。
少しまどろみながら、私は記憶を辿る。これまで、私はこのような光景を何千回、何万回見てきたことだろう。数え切れない古から・・・。
私はここからの眺めが好きだった。太陽が西の海に沈み、たそがれが現われる。星が輝く群青色の空はまるで童話の世界のようである。空に浮かぶ丸い月が幻想的で不思議な空間を演出する。この光景は遠い記憶を呼び覚ます。どこか暗いが、懐かしくてあたたかい温もり。それは、父や母に対する愛情にもとづくものかもしれなかった。
本宅は日本の山間のまちにある。ここの温泉は、唯と一緒に入るお気に入りの場所だった。故郷たる所以だろう。世界的な哲学者。宗教家、分子生物学者になっても、東京にも行かず、まだこの日本の田舎に引き籠もっている。生活の拠点はこの町なのだ。家は日本家屋に日本庭園だが、そばに高原伸安の生家という石碑が立っている。この記念碑は、私が死ぬというより世界が滅亡するまで、そこに存在し、その偉業は称えられるだろう。ここは、私が生と死と世界が別々であると思っていた子供時代を過ごしたいえである。タカハラ教のルーツなのだ。現在は、世界と生と私はひとつであるという立場を取っている。これは二十世紀最大の哲学者であるウィトゲンシュタインと同じ思想である。彼は『論理哲学論考』の中でそう言っている。
それに、あらゆる宗教の教祖たちもいっているではないか? “私は安全だ。何者も私の存在をおびやかすことはない”と・・・。宗教家は、優れた哲学者でもあるのだ。
私は夏に一度は,二十キロぐらい南に旅をしてここの別荘に行く。そして、吹雪の音を私は、スイスの山荘で、夕日を見ていた。目の前には、壮大な景色が広がっている。白い雪の世界。まるで、ミケランジェロの『最後の審判』である。
このガラスの部屋のチェアでは、妻と二人の子供が日光浴をしていた。私はニーチェの「ツァラトゥストラは、かく語りき」を読んでいる。
部屋は、暖房がきいて快適だった。
今日のディナーの前菜はエスカルゴ、冷たい玉ねぎのスープで、メインディシュは、牛ヒレのステーキ、フォアグラ、デザートは平目の煮コゴリ、イチゴのアイスクリームだった。このようなフランス料理だった。
少しまどろみながら、私は記憶を辿る。これまで、私はこのような光景を何千回、何万回見てきたことだろう。数え切れない古から・・・。
私はここからの眺めが好きだった。太陽が西の海に沈み、たそがれが現われる。星が輝く群青色の空はまるで童話の世界のようである。空に浮かぶ丸い月が幻想的で不思議な空間を演出する。この光景は遠い記憶を呼び覚ます。どこか暗いが、懐かしくてあたたかい温もり。それは、父や母に対する愛情にもとづくものかもしれなかった。
本宅は日本の山間のまちにある。ここの温泉は、唯と一緒に入るお気に入りの場所だった。故郷たる所以だろう。世界的な哲学者。宗教家、分子生物学者になっても、東京にも行かず、まだこの日本の田舎に引き籠もっている。生活の拠点はこの町なのだ。家は日本家屋に日本庭園だが、そばに高原伸安の生家という石碑が立っている。この記念碑は、私が死ぬというより世界が滅亡するまで、そこに存在し、その偉業は称えられるだろう。ここは、私が生と死と世界が別々であると思っていた子供時代を過ごしたいえである。タカハラ教のルーツなのだ。現在は、世界と生と私はひとつであるという立場を取っている。これは二十世紀最大の哲学者であるウィトゲンシュタインと同じ思想である。彼は『論理哲学論考』の中でそう言っている。
それに、あらゆる宗教の教祖たちもいっているではないか? “私は安全だ。何者も私の存在をおびやかすことはない”と・・・。宗教家は、優れた哲学者でもあるのだ。
私は夏に一度は,二十キロぐらい南に旅をしてここの別荘に行く。そして、吹雪の音を聞きながら人生と世界などに思いを馳せる。気がつくと、白くて明るい部屋にいた。
私の前に、同じ顔をして、同じ体格の、まったく同じ人間がいる。
狭い部屋で、一卓のテーブルを挟んで座っている。
「きみは、アンドロイドか?」
私は、彼の後ろの壁に掛かっているゴーガンの絵を眺めながらきいた。
題名は、“我々は、どこから来たのか? 我々は、何者か? 我々は、どこへ行くのか?”というタヒチの原住民を画いた畢生の大作だ。
この部屋は殺風景で他には何もない。
「レプリカントと言ってください。ぼくはあなたと同じ。性格も思考も、道徳も倫理観も信念も同一です。仕草や癖さえね」
「好きな食べ物や女性の好みさえ同じだとあまりいい気がしないナ」
私がそう言うと周りの景色が変わった。ピカソの“ゲルニカ”だ。床や天井や四方の壁も高性能のデジタル画面になっているので、まるで天空に浮かんでいる感じがする。ある種の浮遊感と不安感を感じる。
「なぜぼくがここにいるかわかりますね?」
「私の尋問のためだろう。同じ顔の人間にきかれると、人はつい本当のことを喋ってしまう。違うかい?」
「顔だけではありません。考えることも全て同じなのです。ぼくはあなたなのです。だから、あなたの考えが読めるのです」
「私はここにいる。きみは私じゃない。いま世界を認識している私はここにいるのだから」
「おかしなことを言いますね。あなたが以前言っていたことと違う」
壁の一部に映像が浮かび上がる。
「この映像をご覧ください」
○テレビ。討論会。私が、クローン人間反対の急先鋒の美咲教授と対決している。
美咲教授「博士は、サイエンス誌上で記憶もDNAの中に包含されているとの立場を取っていますね」
高原博士「DNAには、性格、趣向、性癖、病気と言った個人情報もすべて取り込まれています。だから、コピーといっても、まったく同じなんです。もうひとりの自分がいるということになります」います。だから、コピーといっても、まったく同じなんです。もうひとりの自分がいるということになります」
美咲「自分がオリジナルかコピーかわからないということですか? アイデンティティーの危機ですね」
高原「まったく同じ人間です。私は多数だ」
美咲「イデオンがイエスにいった言葉ですね」
高原「良くご存知ですね」
美咲「私は、あなたが無神論者だと思っていました」
高原「私はタカハラ教の教祖ですよ。そして、仏教徒です」
美咲「確かに高原博士の研究は不老不死を可能にしたかもしれません。何回でも自分のコピーを作って、蘇えればいいんですからね。まるで不死鳥のように・・・」
高原「ゲームでリセットのボタンを押すのと同じように」
美咲「うまいことをおっしゃる。しかし、生命を作り出すということは、神の境域、神の匠です。そんなことをすれば、人類に必ず天罰が下るでしょう」
高原「確かに、同じ人間を作る行為は、宗教的に見れば非難されても仕方がないかもしれません。しかし、そのコピーまで否定することはできません。同じ人間なんですから。あなたはわかってない」
○同、テレビ。討論会。
美咲教授「もし仮にあなたの奥さんがクローン人間だとしても、あなたは彼女を愛することができますか?」
高原博士「もちろんです。もし、チョーファーがクローンだとしても、私はチョーファーを愛するでしょう」
美咲「信じられません」
高原「たとえコピーでもチョーファーはチョーファーです。もしチョーファーがチョーファーでないというなら、断固として私はその機械人間と戦い抜きます」
女性陣から、拍手喝采が湧く。
美咲「いくら同一人物だと言ってもDNAが同じだけでまったくの別人でしょう?」
高原「いいえ、まったく同じだと思います」
美咲「しかし、存在そのものがちがいます。もしあなたの前に自分のクローンが現われたとします。あなたは、それを自分だと思いますか? 思わないはずです。なぜなら、あなたはもうそこに存在しているのですから」
高原「もしタイム・マシンで過去や未来の自分に会う場面を考えましょう。たとえば、私が過去へ行き二十歳の私と会うとします。この場合、相手が自分ではないと言えるでしょうか?」
美咲「詭弁です。それに、タイム・マシンなどできません」
高原「量子論をよくご存じですね。私も次回までによく勉強しておきますよ(笑)」
○同、テレビ。討論会の続き。
美咲「もし、本物の奥さんとクローンの奥さんの二人がいたとしたら、あなたはどちらを愛しますか?」
高原「どちらのチョーファーも愛します」
女性陣が、ざわめく。
美咲「それは不道徳ではありませんか?」
高原「そうは思いません。もしあなたに、二人の子供がいるとして、どちらを愛するのかと聞かれてどちらか選べますか? 選べないでしょう? それと同じです」
美咲「ちがいます。ただの詭弁だ」
「あなたは何の容疑がかかっているのかわかっていますか?」
目の前の私がきいた。
「殺人だろう。私は自分のクローンを殺した。たぶん。みんながそう言っている」
「あなたは、自分の部屋の中で倒れていました。気を失って。そばにはあなたとまったく同じ人間が倒れていた。こちらは血を流して死んでいました。傍には短剣が転がっていました。壁に飾っていた中世の短剣です。短剣からはあなたの指紋か検出されました。もっともクローンも同じ指紋を持っていますから、どちらのものかわかりませんが。あの夜一体何があったのですか?」
「わからない。記億がないんだ。酒を飲み過ぎていたか、ショックで記憶喪失になったのか?」
「それとマリファナとコカインでしょう?」
「今じゃ、だれでもやっていることだ。体の臓器は自由に取り替えられる」私は目の前の私を軽く見ていった。
「だけど、もし私が殺したとしても、私が自らこの手で作った物だ」
「いいえ。一人の人間です。あなたがいつも言っていることじゃありませんか?」
「でも、この人間のコピーを作る技術を発明したのは私だぞ! 私がいなければ、人類はまだ永遠の命を手に入れることはできなかったはずだ」
「あなたの人類への貢献は誰もが認めるところですし、ぼくも尊敬しています。でもあなたの言葉を借りるとクローンやコピーも立派な人間です。この映像を見てください」
○テレビ。報道番組。
高原「一言でいえば、同じ人間の創造です。血の一滴から自分とまったく同じ人間を創ろうとしているんです」
美人のインタビュアー「短い時間で?」
高原「ええ、ごく短い日にちで。それには新しく発明した成長剤とⅰPS細胞が鍵になります。魔法のアイテムですよ。それを妻が開発した量子コンピューターの”成長システム”に組み込むのです。あと、マインド・ケアは、最新のマインド・コントロールのモダンな新技術を使います。RHIC=ECOM(電子による脳内催眠とエレクトロニクスによる記憶操作)というものが一般的ですが、その画期的なものを使います。それでまったく同じ人間が誕生するのです」
インタビュアー「昔、血の一滴でまったく同じクローン人間を作ったという映画がありましたね? あの時主人公には過去の記憶があった。それに、何百万年も前の恐竜を蘇えらせたという話もありました」
高原「もうSFじゃないし、お伽話でもない。ところの科学の進歩を見たまえ。コンピューター、バイオ・テクノロジーを二極として、百年前には考えられない世界だ。もう、この世界はなんでもありの世界なんだよ」
インタビュアー「だからこそ余計に、人間の尊厳だけは守らなければなりませんわね。今ほど倫理観や道徳感が問われる時代はありません」
高原「痛いことを言うなあ。しかし、不老不死は人類の夢だ」
インタビュアー「それを博士は可能にしようとしているんですね。一滴の血からその人間のクローンを作ろうとしているんですから・・・。まったく同じ自分の。何回も生き返られる」「最初は、電子機品と生物のハーフのハイブリッドコンピューターで不老不死を得ようとしたんだ。スター・トレックのあのボーグのようなね」
私は、目の前の機械に言った。
「きみたちロボットやアンドロイドには、心があるのかね?」
「もし、それら個体が世界を認識するのなら、”自我”があることになり、それは”心”といえるかもしれません」
「もう一つきこう。きみは、たとえば動物やロボットは、考えることや夢を見ることができると思うかね」
「あのSF小説ですね」
男は頷いた。
「きみは、SEXの夢をみる?」
「ぼくは、心というものは、物質の流れ、極言すれば電気の流れだと思っています。心に浮かぶ記憶や映像や音は電気が実を結ぶところに存在するのじゃないかと。だから、動物も、アンドロイドも頭、つまり脳の中である一定の法則で電流が絡み合えば、それは思考や夢や全ての源になると思うのです」
「なるほど、うまいことを云うな」
私は、もう一度訊いた。
「きみは、SEXの夢を見るのか?」
「ノー・コメントです。何の関係もありません」
男は初めて躊躇した。
「みるんだな?」
「あなたと同じですよ」
男は、話をはぐらかした。
「あなたのクローンも、細胞もすべてまったく同じコピーなのですから、脳も思考も精神さえもあなたそのものといえるでしょう。たんなるクローンじゃなく実物なのです。博士の記憶も性格もすべてDNAに包含されているという説には賛成です。もっとも、一滴の血からiSP細胞などを使って、クローンを再生するのであれば、記憶も性質も心の働きもすべては、血を採取した時点のものだと思いますが・・・」
「そう。私の考えもきみの意見と同じだ。いいことを言ってくれる。それでこそ、私のアアンドロイドだよ」
私は、ジッと目の前の男を見た。
「たとえば、人間の思考や想念といったものが電気ならば、自分はあらゆるところにいるし、原子そのものなら、万物の中にある。これは仏教の教え、そのものだろう」
「私はすべての物の中にあり、全ての物は私の中にある、という考えですね。前も言いましたがその考えには賛成です」
「それを、一歩進めてみよう。例えば、思考を司どる電気の流れや原子や電子がそこにあると仮定する。すると、そこには実際、私の考えや心が存在するのだ。そして、それゆえに絶対に安全で、消すことはできない」
「ウィトゲンシュタインですか?」
「そうだ」
私は、子供の頃よく考えたものだった。
“もし、ナノ・テクノロジーと人工知能の技術が発達すれば、人間と同じく感情を持つロボットいうかアンドロイドができるんじゃないかなと。手塚治が生んだ「鉄腕アトム」をテレビで観てそう思ったのだ。そもそも、いろいろ考える思考というものや、怒り、喜び、悲しみといった気持ちは、電子シグナルや分子の流れが作り出したものじゃないか。そもそも、自我とは自分が他のものとは違うものであり、この世界を認識するもので、その嗜好や好みや趣味とかが組み合わさってできるものだから。そして“自我”や“ボク”は一言で言えば、いま世界を認識しているものといえる。だから、科学が限りなく進歩すれば、自分と同じ人間のコピーができるだろう。果ては、機械のクローン版もできる。人間のコピーを作ることは、神の領域に属することだという輩は多い。ボクがやろうとすることは悪魔の仕業かもしれない。でも、これは小さい頃にした母親との約束なんだ“
「私を非難するとは愚かな人間の戯言だ。これによって、どんなに、革命的な臓器移植の発展や不老不死という太古からの人間の夢が叶ったのに・・・」
「それは、歴史が決めてくれるでしょう。後世の人間は必ず博士に感謝しますよ。良きにつけ悪しきにつけ・・・」
「それもこれも、山中伸弥教授のiPS細胞の発見があったからだ。あのiPS細胞によって不老不死や、手や足の再生、人間のコピーの創造など、神の領域への道が開けたんだ。まさに、いま、いまでは人間の血の一滴からその人間と同じ人間を作ることさえ可能になった」
「今度は、あなたの世界観や哲学や思想について、話してもらえませんか? 人工知能として、ぼくは心を持っているし、人間以上だと思っていますから。それより、あなたの思考や思想に興味があるんです」
高原伸安の思念に関する供述調書。
『私は“我想う(ギト)。ゆえに(エルゴ)我在り(あり)”という言葉が好きだ。その言葉を初めて聞いたのは小学校の時で、それ以来、私にとってその言葉は、一向宗の南無阿弥陀仏や日蓮宗の南無妙法蓮華経と同じような呪文になった。私の意見は、世界を認識する自分がいないと、この世界ははじめから存在しないというものである。つまり、私はこの世界の中心であり、私の認識次第では、この世界が魔法の国に変身するのだ。つまり、自分は世界を認識し、支配する神だという考えである。私がいるから、世界は存在するのだ。
二十世紀最大の哲学者といわれるウィトゲンシュタインも言っているではないか。「自分は絶対に安全なのだ。自分は傷つけられることはないのだ」と。もちろん、これは自分の存在のことである。そして。「世界と生は、ひとつである」とも主張している。
私の友人はたとえきみがいなくなろうが、ぼくがいなくなろうが世界はちゃんと存在するし、悠久の昔からも、これからの未来永劫なんら変わらなく存在すると主張して、その考えを変えることはなかった。しかし、その友人の考えは、間違っている。そもそも、時間なんて概念を取り入れることがおかしいのだ。でも、前に言ったように、デカルトの言葉を想い出せ。“我思う(ギト)、ゆえに(エルゴ)我あり”、だろう? ”私”がいないと”世界”は存在しないという意味だ。
だけど、”私”が死んでも、この世界は存在するだろう。そう推測できる。みんなもそう思っているし、私もそう思う。たぶん、この推理は正しいはずだ。だから”私”が死んでも、“私”はこの”世界”のどこかに存在するはずだ。そうでないと、おかしい。これは、正当な論理だ。
仏教流に言えば、輪廻転生の生まれ変わりを意味して、”私”は万物の中にあり、”世界”は万物の中に在る。魂は不滅で永遠なのだ。そういえるだろう?
世界はずっと前から存在していた。ゆるぎなくそこにあったなどと自信をもっていえるだろうか。世界はわずか五分前につくられたのではないか? 私が、この質問を目にしたのは、たしか哲学の本ではなく、脳医学の本だった。かつて、ある哲学者が投げかけたこの疑問にあなただったらどう答えるだろうか? 子供の頃の記憶があるじゃないですか、ある建物を見たり、また古い新聞を開いたりして、何年何月何日にこういう記事がでているじゃないですかと、反論するだろうか? しかし、そんな証拠さえ五分前につくられたのかもしれないのだ。この世はすべて自分が作り上げた幻でないとだれが確信できるだろうか? この世はすべて精巧な夢ではないとだれが言えるだろうか? それは、神が七日間で世界を創造したというのと同様に、証明できないことなのだ。
量子論も、わたしにとっては魅力的な理論だ。パラレル・ワールドの世界だ。つまり、この宇宙は無限の多宇宙から成り立っているという考え方だ。この世はあらゆる可能性の世界が存在している。ヒットラーが世界征服している世界もあれば、ケネディが生きている世界もある。もちろん、わたしが大金持ちでチョーファーと結婚して、子供がいる世界もある。ありとあらゆる世界が混在しており、空間、時間という観念もない。あらゆることが考えられる。よく、あの時酒を飲んでいなかったら、何かをしなかったら、ああならなかったら、あの日が晴れていたら、何かをしていたら、こうなっていたらetc。数え切れない選択肢があり、無限の世界が広がるのである。
そして、死というのは、この世界から別の世界への移動なのだ。つまりは視点がこの世から別の世界へ移るだけのことだ。
仏教でいうところの、輪廻転生の教えも同じ考え方から出ていると思う。つまり、自分が死ねば、別のものに生まれ変わるという思想である。パラレル・ワールドが理性から生まれたものなら、輪廻転生は感性より出でしものといえるかもしれない。二つは双子の兄と弟にも似ている。そして、どちらも詩的な、感覚的な匂いさえおびているように思える。
いくら科学が発達しても、人類がこれまで追及してきた“我々は、何処から来たのか? 我々は、何者か? 我々は、何処へ行くのか?”という謎は解き明かされないだろう。永遠に・・・。それがわれわれの性というか、アイデンティティーなのだから。
今の私に一番大切なものは家族で、私は妻や娘のためだったら何でもする。たとえ、悪魔に魂を売り渡す真似でも・・・』
これは、高原教の基本をなす教義の元のアイデアである。
床、天井、四方の壁のデスプレイがサルバドール・ダリの「最後の晩餐」に変わっている。レオナルド・ダビンチとはまた意趣が異なった形而上的な絵である。
「私の頭の中を覗いてどうするんだ? これが現在の捜査方法かね?」私は、給仕された京懐石の後に出された“久保田”の大吟醸を飲みながら聞いた。
「あなたが心の中にどんな風景を画いているかが知りたかったのです。動機がわかるかもしれないので」
「私が何を望んでいるかわかるか? 家族を幸せにすることだけだ。何よりも大切だし、愛しているからね」
「あなたが、妻のチョーファーさん、養子のピティくん、娘の唯さんを心から愛しているはわかっています。ぼくたちと、同じ家族構成ですし、高原ファミリーなのですから」
アンドロイドは、私の方へ向き直った。
「ぼくがここに来たのは、あなたと世界や哲学の話をするためではありません。あの夜、何があったか調べるためです。問題は、果してあなたがあなたのコピーを殺したのか? その一点なのです。そもそも、あなたは本物の高原伸安博士なのですか? あなたが、コピーなのではありませんか?」
私のレプリカントは非情な質問をした。さっきからずっと私が恐れていた疑惑だ。
「何を言うんだ! 私が私じゃないと? バカバカしい。子供の頃からの記憶もあるし、第一この世界を認識している。ただ、あの時の記億がないだけだ」
「あなたはニセモノで、記憶は後から入れられたものかもしれません。最新のマインド・コントロールの技術を使ってね。RHIC=ECOM(電子による脳内催眠とエレクトロニクスによる記憶操作)の権威でもありましたね」
「何のために?」
「あなたが、オリジナルと入れ替わるために・・・」
アンドロイドは、悲しそうな表情をした。
「動機は?」
「家族を手に入れるためにです。偽者だと、それは無理だから」
「だから、私の世界観や道徳感を調べたんだな?」
「いま当局が、あなた流に言えば、あなたの家のお手伝いアンドロイドを調べています。あなたは自分の記憶操作をするために、彼女を使ったのかもしれません。そして、彼女の記録を消去した。でも、メモリーに何か残っているかもしれません」
「優秀なレプリカントだ」
「ありがとうございます」私は、彼の瞳の中に憐憫の情が浮かんでいるのを見逃さなかった。
部屋は、また衣裳替えをして、明るい白一色のシンプルなものになっていた。
「それじゃ、ぼくはこれで失礼します」
そのレプリカントは、立ちあがり、向こうをむいて出て行こうとした。
「この野郎が」
私も一緒に立ち上がり、久保田の瓶で彼の頭を殴りつけた。酒瓶は床に落ち、粉々になり酒の匂いが辺りに漂う。そのレプリカントは、ゆっくり仰向けに倒れた。彼は、頭から血を流し、その血が白い床の上に広がっていく。
「これは、レプリカントじゃない! 私のコピーだ。一体どうなっているんだ?」
私は、頭を抱えて、床にしゃがみ込んだ。
別の部屋のテレビ・モニターで、わたしは娘の唯と一緒に、ドンペルニオンを飲みながら、このドラマを鑑賞していた。肴は、エスカルゴと鯛のカルパッチョとウズラのフォアグラ詰めだ。
「パパ、どうしてこんな実験をするの?」
「アイデンティティーの問題のためさ。時々自分が本当の自分じゃないかもしれないと不安になるんだ。この世界はわたしのものであって、他のものじゃないことを証明したい」
「でも、パパはパパよ」
「だからこそ、この世界を認識しているのはわたしで、あいつじゃないという証が欲しいんだ。姿かたち、頭の中も同じ人間を見ていると可笑しくなりもするよ」
「そういうものかナ。私はもうひとりの私がいても気にならないけどネ」
「初代の高原伸安はわたしだよ。あいつじゃない」
「フフフ」
唯は、悪戯っぽく笑った。
「パパのいうことはわかるわ。でも、私に言わせれば、この国の女王さまは私よ。パパじゃない。だって、この世界を認識しているのは私なんだもの」
わたしは、グラスのドンペルニオンを飲み干しながら、唯も大きくなったものだと思っていた。
「そう、、お前の世界ではね。それに、女王さまじゃなく、神様だ」
「私たちが何代目で、正統な血を引いているかどうかなんてどうでもいいじゃない? 私たちは私たちなんだから。いいえ、私は私というのが正しい言い方ね」
「いいこと言うね。わたしはわたしだ!」
「そうヨ。私はわたし」
わたしは、出て行こうとする唯の後ろ姿に声をかけた。
「今夜は久しぶりにタイ料理がたべたいナ。ママにトムヤンクンを作るように頼んでくれるかい?」
「わかったわ。ママにそう言っておくわ。料理ができたら呼んでね。部屋でドリーム・マシンを使っているから」
「今流行の夢を自由自在に見える機械か? 科学も発達したもんだな」
「よく言うわ」
唯が出て行くと、わたしはドンペルニオンをラッパ飲みにして笑った。
「そうだ。私はわたしなんだ」
気がつくと、白くて明るい部屋にいた。
私は、冬にはここの別荘に来て年末を過ごす。それが一家の恒例の行事になっていた。北には、無味乾燥な山脈が俯瞰できる。そんな夜の世界を目で楽しみながら、ガンガンに暖房を利かせる。そして、ロッキング・チェアにすわりながら、好きな推理小説を読む。それが私の一番の贅沢だ。
この部屋は、北一面が強化ガラスの窓になっていて、右の壁にはあのゴーガンの畢生の大作の“D’où venons-nous? Que sommes-nous? Où allons-nous?”が一面を占めている。
これは、タヒチの原住民の日常を描いた絵画だが、絵の右には大きな岩の上に眠る赤ん坊、中央には老若男女のさまざまな人々、左には、ひとり孤独に座っている老女が描かれている。この構図から見ても明らかなように、これは人間の誕生の始まりから死の終りまでを表していると云われている。『我々はどこから来たのか? 我々は何者か? 我々はどこに行くのか?』これは、人類が古より求めてきた。そして、求めていく。永遠のアイデンティティーだろう。この絵は、まさしく人生を表している。
今日の料理は、トムヤンクンとパッタイ。ママが造ってくれたタイ料理だ。
エスニックで辛いがおいしい。
「まあ、とてもおいしい」
唯が笑顔をみせる。
「ママは、料理上手ね。パパも、グルメだわ」
「タカハラ教の教祖さまだものね」と、ピティが言った。
「みんな、永遠の命を得たんだから、精神的にも同じものが求められるわ」
ママが笑った。
「だから、その教義は簡単なものでなければならないし、唱える言葉は一言、二言の短いものでなければならない。死ぬときに唱えるんだから」
私は、信者に諭すように説いた。
「あの“わたしは神だ!”“我おもう、ゆえに我あり”といったようにね」
唯が私をみた。
「法然の『法華教』―南無阿弥陀仏。親鸞の『浄土真宗』―南無妙法蓮華経。マホメットの『イスラム教』―アッラー・アクバル、インシ・アッラー。イエスの『キリスト教』―アーメン。とかいった言葉よね」
「単純なものが好まれるし、後世まで残る」
私は締め括った。
ドームの強化ガラスの向こうには、大きな青い地球がみえる。美しい景色だ。
私は、ロッキング・チェアにすわって読んでいたサルトルの『存在と無』を閉じて、左一面の本棚のデカルトの『方法序説』と望月教授の『IUT理論』の本の間に置いた。
数学も突き詰めていけば、哲学になる。
デカルトは、「未来は決まっている」という考えを生んだが、私はそう思わない。選択こそが人類の未来を決めるのだ。
ドリコム大賞2