第2話 祭の前日
式上荊は悪魔使いである。
悪魔使い――、魔界に住まう異能を使う悪魔と契約し、その力を自分のものとして使う人間。
一度、悪魔と契約してしまえば、死ぬまで契約の解除をすることはできず、一生を悪魔使いとして生きていくしかない。
そして、契約者である人間が死んだとき、契約は果たされ、悪魔はその魂を喰らう。
契約時の悪魔召喚は魔方陣を介して行われるが、契約した悪魔の召喚は少し勝手が違った。悪魔固有の魔紋が契約者の身体に刻まれ、魔紋を介して悪魔は召喚される。
荊の身体には五つの魔紋があった。
その一つが左の腰の上にある。入れ墨のようなしるし。
魔紋の示す悪魔の名前はツクヨミ。今、荊とセナが跨っている、人間一人を丸呑みにできるほど巨大な飛竜のことだ。身体を覆う宵闇色をした鱗は、太陽の光を反射し鈍く輝いていた。
騎士団の本部事務所からギルド・エリオス支部までは馬車で三十分かかる。けれど、そんな距離もツクヨミの翼なら数分で済んでしまう。
荊は人気のない適当な場所でツクヨミから飛び降りた。同時にツクヨミを魔界に還す。別れの挨拶は手短なもので、人の目につかない高さから落ちるのはいつものことだ。
すとんと難なく着地した荊の隣に、自分の羽で空を飛べるセナがゆっくりと降り立つ。
二人は何もなかったかのように大通りの方へと向かって歩き出した。
ギルド・エリオス支部。
ギルドは世界各地にある仕事の仲介事業所だ。国ごとの特色がある場合もあるが、基本的にな仕組みは変わらない。仕事を依頼する依頼主がいて、仕事を請負うギルドメンバーがいる。
エリオス支部はこの国では一番大きな支部であり、荊が所属するギルドだ。
「戻りました」
「こんにちは」
挨拶とともに現れた二人を、ぱっと花咲く笑顔が迎える。
「おかえりなさい、荊さん。こんにちは、セナくん」
朝焼け色の髪に黄緑色の瞳。アイリス・オーブシアリーは春の訪れのような少女である。
柔らかに目を細めたアイリスは丁度、ギルドから出ようとしていたところらしい。その腕には大き目のバスケットが引っ掛かっていて、足元には白猫――の姿をした悪魔であるネロが、ぴたりと寄り添っていた。
ネロは荊と契約する悪魔であるが、ギルドで働いている間はアイリスの傍にいることの方が多い。
談話スペースで給仕の仕事をするアイリスとともに、ギルドの看板猫としてギルドメンバーに可愛がられていた。
「こんにちは、アイリスさん。お出かけですか?」
「はい。買い出しに行ってきます」
「荷物持ちするよ」
ほとんど間髪入れずに荊が手を挙げる。
荊の贔屓目もあるが、アイリスは万人に可愛らしく見られる容姿であった。メイド服を着ていると使用人という印象が強く、豪奢な衣装を着た富豪よかよっぽどとっつきやすい。しかも、見た目の印象通りに押しに弱かった。素直で純朴な少女。
つまりは、絡まれやすいのだ。
そんな前置きなど吹っ飛ばしても、荊にとってアイリスは特別な少女だ。自他ともに認めるほど、一際大事にしている。
悪魔がお供についていようとも、行く先がすぐそこの市場だとしても、ギルドの近隣に住まう人間にアイリスには面倒な保護者がいると知られていても、同行できる状況ならば同行するのが荊だ。過保護ともいえる。
「俺も――」
「セナ君はお姉さんとお話しよっか!」
荷物持ちを申し出た荊に続くように声を上げたセナの言葉を遮ったのは、このギルドの受付嬢である蘇芳だ。
黄金色の瞳は、眼鏡のレンズなどでは隠せないくらいに好奇心で爛々としていた。桃色の長い髪を一つに結わいた三つ編みが、ご機嫌な犬のしっぽのように揺れる。心なしか、額からにょきりと伸びた二つの鬼の角も、いつもより元気に見えた。
受付カウンターから飛び出した蘇芳は、アイリスのよりもずっと短いメイド服のスカートの裾がめくれるのにも構わず、かつかつと早足でセナへと詰め寄る。
「いえ、俺も荊君たちと一緒に――」
「そんなこと言わずにさぁ!」
蘇芳の口振りはセナの善意に訴えるようなものであるが、ぐいぐいとセナに身体を寄せ、逃げられないように手を握る行動は強制力を感じさせるものだ。
少年が体をのけ反らせると、その角度の分、蘇芳が前のめりになる。
「ちょっと、蘇芳ちゃん」
「ダメダメ、今度来たときにはあたしとお話しする、って約束してるから。ね♡ セナ君♡」
お誘いのふりをした逃げられないイベントだったらしい。
蘇芳の言う約束に心当たりがあるセナは、悔しげに「分かりましたよ」とどう聞いても嫌々な返事をした。
「できるだけ早く帰ってきてください」
満面の笑みの蘇芳本人を前に、死んだ魚の目をしたセナはいけしゃあしゃあと言い放つ。
見送りの言葉を貰った荊とネロは、言葉に出さずともできるだけセナの希望に沿ってやろうと心に決めた。
アイリスも同じようなことを思いはしたが、根本的になんでそんな依頼が出てきたかは理解していなかった。彼女にとって蘇芳は、ちょっと変わったことは言うが親切で仕事のできる受付嬢であり、とても腕っぷしの強い護身術の先生なのだ。
話しをするのが億劫、という発想には結びつかない。
いつもと違う街並み。
エリオスは首都というだけあって、この国で一番栄えている街である。
臨海の貿易都市。
普段から人が多く、活気のある街だが、豊穣祭を控えた街はその比でなく浮かれていた。そこかしこに吊るされた細工ランタンに、壁に掲げられた秋の実りを知らせる穀物。楽しそうな話し声、幸せそうな笑い声。
開催前日、すでに祭が始まっているのでは、と勘違いしたくなるくらいに街全体が浮足立っていた。
「毎年こんな感じなの?」
荊は目新しそうに当たりを見回す。
夏の終わりにこの世界に来た荊は豊穣祭どころか、二大祭事自体が初めての経験だった。
「私はルマの街でしか経験したことないですが、大体こんな感じですよ」
「へえ」
荊はもう一度、改めて周りを見渡し、少しだけ考えるように黙り込むと、「そりゃあ、ラドさんも忙しいわけだ」とぽつりと呟く。彼の頭の中では短くなった煙草をくわえたくたびれた男が力強く同意に頷いていた。
いつもの倍以上に騒がしい国を、勤務体制上、単純計算で半数になる騎士で警備に当たることになる。取りまとめ役として上官も下官の世話もするラドファルールには激務でしかないだろう。
アイリスは荊の小さな同情の声を拾い、心配そうな顔で首肯した。
「確かにラドファルール卿はお忙しいでしょうね」
「顔色すごくてさ、あんまり休んでないみたい。国の外でスレイヴが大量発生したとか、あと、勇者一行の入国審査がどうって――」
「えっ……!?」
雑踏にかき消されたが、アイリスの驚愕の声はそれなりの大声であった。
驚いたのは荊も同じである。有能であるがゆえに割を食っている騎士の話はただの世間話だ。そのヤマもオチもない話でどうしてアイリスがそんなにも驚くことがあるのか。
目を見開いた荊とアイリスは無言で見つめあう。
揺れに揺れて動揺している黄緑色の瞳を見て、呆けた様子の濃紺の瞳はすっと細められた。
「……もしかして、勇者一行に知り合いでもいる?」
疑問符こそついているが、荊は確信をもって尋ねていた。
この会話でアイリスが引っかかるキーワードがあるとすればこれしかない。
アイリスはうろうろと視線をさんざんにさ迷わせた後で、絞り出した震える声で「どうして、分かったんですか」と降参した。
「さすがにそんな分かりやすい顔されたらね」
荊はわざとらしく肩を竦める。




