第45話 墜落の金星
「……ホルス」
愕然とした様子のセナに続き、荊も窓際に立つ。
窓の外にいたのは巨大な鳥の形をした何かだった。
「鳥?」
ツクヨミと同じ大きさはありそうな金色の怪鳥――ホルスは悠々と滑空しながら、太陽の光に当てられてぎらぎらと輝いていた。
よくよく見れば形状こそ鳥であるが、その身体は金属でできている。小さな四角いタイルを並べた肌は艶やかで、波打つように動くとまるで蛇の鱗のようだ。
重そうな身体であるが、羽ばたく姿に愚鈍さは感じられない。
ホルスの心臓のあるだろう位置から強烈にドルドの魔力が感じられ、荊はすっと目を細めた。
遅れたペネロペも荊の隣に並び、ホルスの姿を目にして短い悲鳴を上げる。
「あれって魔物?」
「ちっ、違う。多分、魔法人形。で、でも、あんなに複雑で、難解なの、見たことない」
荊の質問に答えたペネロペは、こんな状況だというのに心底から感嘆していた。彼女の悪い癖で好奇心が顔を出そうとしている。
「…………ホルス。特別な魔法人形で、俺が作った」
セナはきゅっと唇を絞り、悪行がばれた子供のように目を伏せた。
その告白により、荊とペネロペには激震が走る。
「ぅえっ!? ええっ!?」
「……作った? あれを?」
ペネロペは言葉を失い、荊は驚きのままに窓の外の怪鳥を指を差した。
「緊急時に必要だからって、言われて」
「……なるほどね、あれがドルド卿の逃走手段だったわけだ」
ドルドが騎士団に押し入られようとしても、この屋敷から逃げなかったのは、ホルスがあったからだと荊は結論付ける。確かにあれがいれば慌てて逃げる必要もなさそうだ。
「庭で水やりしてた魔法人形とは全然違うね」
「ホルスは魔石以外は全部、金でできてるんだ。木でできた魔法人形とは魔力伝導が違う。核に使っている魔石も一つじゃないし、埋め込んだ術式も特別。魔力を与える奴が意のままに操作できる」
荊は空を飛ぶ金でできた怪鳥の存在よりも、それを作り出したというセナの存在の方が驚きだった。
この幼さでどれだけの勉強をしたのか。
知識を詰め込んだとして、それだけでは創造はできない。この屋敷ならば必要な材料や道具は揃ったかもしれないが、それを実現する技術がなければ意味はないのだ。
荊はドルドがセナを贔屓していた理由が、容姿だけではないと確信する。セナは天才だとか奇才だとか、そういった言葉で表せる枠組みからも外れているように思えた。
「じゃあ、ホルスはドルド卿が動かしてるの?」
荊はふいと歪んだ嬌声を上げる老人を見下ろす。
ドルドは恍惚とした表情を浮かべ、半開きの口から涎を流し、濁った目をうろうろとさせていた。とてもじゃないが魔力を行使してどうこうできるような理性があるようには見えない。
荊の疑問に答えるように、ホルスの甲高い鳴き声が響いてくる。
空に対空した鳥は大きく嘴を開けていた。
ぴかっと口の中が輝く。太陽光の反射ではない。口内にある光源が光ったのだ。
「え――?」
ビープ音のような機械的な音とともに、ホルスは青光りする光線を吐いた。陽炎が揺れる。
眩しい光はハワード家の土地を分断するように地面を抉った。手入れのされていた草木は瞬間で燃え上がり、光に触れた屋敷の壁は焦げ落ちる。
人形なんてとんでもない。空飛ぶ金塊は紛れもなく兵器だった。
「……魔力が制御できてないから暴走してる」
セナは至って冷静に状況を解説していたが、荊とペネロペは突然に繰り広げられた一幕に呆けていた。
二人は怪獣映画に出てくる巻き込まれただけの一般人のように目を瞠る。ホルスの姿に釘付けだった。状況が分かっていないが、あの化け物が危険なものということだけは分かっている。
荊はあれが人造であることが一番の脅威だと思った。悪魔が人智を越えた異能を使うのとはわけが違う。
ホルスが次の光線を吐き出し、荊ははっとかぶりを振った。
今はホルスの存在について考察している場合ではない。金色の怪物はどうにも適当に光線を吐いているように見える。次の標的はどこになるか分からない。
――早々に処理しなくては。
「セナ君がなんとかできたりする?」
「……魔石に込められてる魔力は全部クソジジイのだから、俺には干渉できない」
セナはくっと悔しげに握り拳を作った。
暴走する怪鳥は今も我が物顔で空を泳いでいる。まだこの屋敷の敷地の内にいるからいいが、街に出てしまえばとんだ大騒動だ。
俯いてしまったセナは「壊すか、力尽きるのを待つか」と呟いた。浮かない顔。そう口にしたものの、どちらも現実的ではないと思っているようだ。
力尽きるのを待つのは良くない、というのは荊もセナの考えに同意だった。ホルスの原動力であるドルドの魔力はまだまだ残っている。悠長にしていては、ルマの街ごと焼け野原だ。
「あれ、セナ君が作ったんだろ? 壊れてもいいの?」
「え? あ、ああ」
淡泊な回答。セナはホルスに対して創造者としての思い入れはないようだった。
ならば、と荊は窓を開け放つ。焼け焦げたにおいと秋らしい乾いた空気が部屋の中へと吹き込んできた。
荊は窓枠に足をかけ、横目にペネロペとセナをを見ると、二人を安心させるように微笑んだ。
「荊……?」
「お、おい――」
「待ってる間、気の済むまでドルド卿を殴ってやるといい」
それだけ言うと、荊は外へと飛び出す。
窓枠から乗り出し、近くのバルコニーへと飛び乗ると、そこから屋根に上った。
ホルスに巻き起こされた風で空気が荒れている。強い風に髪の毛を遊ばれながら、屋敷の上空をくるくると旋回する巨大な怪鳥を見上げた。
「――すごいな」
思わず声が漏れる。
ホルスは見た目には美しい鳥なのだ。動きも造形もまさしく鳥。あれが一から作られた人形だというのだから荊は感心する。すべてが金でできているというだけあって、強い輝きには陰り一つない。
特徴的な鳴き声とともに、ホルスは遙か上の空を飛んでいた。
荊はぐるりと周囲を見回した。
二度、ホルスに吐かれた光線によって、焼けた帯状の焦げ跡が二つできている。庭や建物には燃えた跡があるが、まだ人に被害は出ていないようだ。
セナが手を離したことによってガラクタと化した魔法人形が、ごろごろとそこら中に転がっている。騎士団は門の前に重なっているそれをどかし、道を開けているところのようだが、突然に現れた金の怪物に今はその手が止まっていた。
氷の塔は心配無用の要塞であるから、中にいる人間に被害が出ることはない。
となれば、危険な場所にいるのはツクヨミが回収しきれていない使用人とドルドの私室にいる双子だ。
荊は屋根の上を駆けた。人のいない方へと移動するためだ。
口から光を噴く人形の好きにさせていては、屋敷が跡形もなく消えてしまう。
無作為に突っ込んでも良かったが、光線を吐くタイミングが測れていない以上、被害が最小限の場所で相手をすべきだと彼は判断した。
荊の動きが餌の動きに見えたのか、はたまた気が向いたからなのか、ホルスは手の届かない空から降りてくる。
風が舞い踊り、空を切る音が荊の耳を襲う。
ホルスは荊が行こうとしている先の屋敷の屋根で足を休めた。鋭い鉤爪に砕けた屋根が瓦礫となって降り注ぐ。
「言うこと聞いてくれれば早いんだけど――」
荊は視線を鋭くすると、ぎっとホルスを睨み付けた。
反応はない。
それは当然である。相手は生きていないのだ。殺気を察することもなく、本能が死に怯えるなんてこともない。
加えて、今の荊は精力が減り、弱った状態の魂である。上手く威嚇ができたとしても、それだけで服従させるには至らなかっただろう。
「これなら悪魔の方が可愛いもんだろ」
ふうと息を吐き出し、荊は手を打ち鳴らした。
「ヘル」
青鈍色の大鎌を手に、荊はそのまま羽休めをするホルスへと突っ込む。
ホルスは目玉も金色である。生き物ではないため、当然に瞳孔はなく、どこを見ているか分からないが、荊の存在は認めているようだ。
くいと首をひねり、生命の感じられない目が瞬く。
――魔力の持ち主と行動や思考が似るのかな。
ホルスはぱっと口を開くと、荊に向かって光線を吐く。青光の熱線。
ヘルの氷で嘴を拘束する間もなかった。
随分と好戦的な魔法人形は熱のある光を吐きながらも、翼を広げて空へ飛び立つ準備をする。
狭い屋根の上、荊は飛び跳ねて光を避けると、ホルスの首元に潜り込んだ。飛ばしてはいけない、と大鎌の切っ先が片側の風切り羽を落とす。
もう片側の風切り羽を落としたヘルは弧を描く。荊は屋根を蹴り、高く飛び上がった。大きく振りかぶった鎌を握る手に力を込める。
「亡霊が。なんてみっともない無駄な足掻きだ」
一閃。黄金の首を断ち切る一撃。
刎ね飛ぶ首、残された首無しの身体。形を崩された魔法人形は、ぴたりと動くのを止めてしまった。
魔石に込められた魔力は残っているが、術式が起動していないようだ。ぎぎぎ、と耳障りな金属音が段々と大きくなっていく。
重い金属の身体は垂直に落ちていき、刎ねた首も後を追って地面に衝突した。金塊の落下、局地的な地震だ。
鱗が剥がれ落ちるように、ホルスの身体を作っていた金がばらばらに散らばる。
――終わった。
荊は屋根の上に着地すべく、空中で体勢と整える。
高いところから落ちることはよくやることで、荊は手慣れた様子で屋根に足をつけた。靴底がずずずっと屋根の傾斜を滑り、足が――止まらない。
「え?」
足が滑った。
荊はこんな間抜けな失態をするとは自分でも思っておらず、何の抵抗もできないまま、身体が重力に引っ張られる。呆けて驚いている間に体の軸が傾き、屋根の上から転倒し、地面へと落下した。
変な姿勢で屋根の上から飛び出した荊は、不格好な状態から、くるると旋転して地面へと足を着く。着地ばかりは綺麗な姿勢だったが、飛び出し方は誤魔化しがきかない失態である。
――びっくりした。
ホルスの残骸に囲まれ、荊はどくどくと暴れる心臓の上に手を置く。普段にはこんなドジな真似はしない分、酷く驚いていた。変な汗が止まらない。
足に力が入らず、がくりと膝が折れる。
「う、お――」
視界がぐるりと反転する。くらりと身体が揺れた。
「式上っ!」
転ぶ――、と思った矢先、荊を支えたのは白い制服の腕だった。
「……セルクさん?」
深い緑の髪と瞳。潔白な騎士団の制服。
慌てた様子で駆け寄ってきたセルクは、本調子ではない荊の顔を見て、心配そうに眉を寄せた。次いで、セルクの背後から飛び出すように現れたツクヨミが、彼女に負けじと心配そうな瞳で荊を窺う。
セルクの支えを借り、ふらつく足を立て直した荊は「ありがとうございます」と力なく笑った。
「いや。平気か?」
「ええ、すみません。慣れないことしたもので」
「――」
「ああ、ツクヨミもありがとう。大丈夫だよ」
足を滑らせた不注意も、ふらつくほどの疲労も、シャルルの秘儀による弊害だった。自覚してしまうと身体が休息を求めて抗議をし始めるのが感じられる。
今すぐにでも泥のように眠ってしまいたい。
「……ドルド卿は?」
「私室で拘束してます。セナ君とペネロペも同じ部屋にいますが、今のドルド卿には何もできませんよ。ダニエラさんは二階の部屋に転がしています」
セルクは安堵の表情で「ご苦労だったな」と荊を労った。
「後は騎士団の皆さんにお任せしますね」
「ああ、任せておけ」
双子を迎えに行かないと、アイリスが呪具を壊すのを手伝わなくては、ドルドやダニエラを縛るヘルの拘束を融かして騎士団に受け渡さなければ――、荊の頭にやらねばならないことがたくさん浮かぶ。
それなのに、どうしても身体が動かなかった。
働かない頭で疲れた身体を叱咤する。
荊の不調を察し、ツクヨミがその身体を背中に乗せようとその場に伏せた。青年にツクヨミの好意を断る理由はなく、お礼の言葉とともに黒く硬い背を撫でる。
「……なあ、式上」
神妙な顔をしたセルクが堅苦しい声を漏らした。被害者の今後の検討以外は片付いたというのに、どうにも重苦しい雰囲気である。
荊はきょとりと首を傾げた。黙って続く言葉を待つ。
「やはり騎士にならないか?」
セルクの目は本気だ。
荊は間髪入れずに「ご遠慮します」と笑顔で断りを口にした。セルクはその回答に納得がいかないようで、むっと唇を絞る。
荊は苦笑する。良い評価をしてもらえるのは有り難いことだが、今の荊としては、きちんとした身分は持たずに、自由気ままに生きてみたかった。
「騎士にはなりません。でも、俺はいつでもセルクさんの助けになりますよ」
友人に手を貸すのは当然だ、と荊は胸に手を当てて恭しく頭を下げる。気障な仕草。
ぱっと頭を上げた荊は、寸前でしてみせた所作とは正反対に、気の抜けた笑顔を浮かべていた。そこにあるのは親愛だ。
青年につられたセルクも柔らかく破顔した。




