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死神と呼ばれた悪魔使いは追放された異世界で生贄少女と生きていく  作者: 真名瀬こゆ
第2部 第3章 因果はめぐる糸車

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第44話 憎悪による呪いの詞

 攻撃的な棘のある空気。対峙する荊とドルド。有耶無耶になっていた優劣が明確なものとなった。

 この街の領主でありながら、闇そのものである男は酷く憤慨していた。対して、荊は余裕で小癪な笑顔である。


「……嫌がりはしても反省はしてないみたいですね」

 

 荊は一仕事を終えてもなお、ドルドの前から動かなかった。

 ドルドから溢れかえる怒気。アイリスを横取りされた、といきり立っていた時とは比べ物にならない。顔を真っ赤に染め、身体を細かく震えさせていた。薄い皮の下、額にはしっかりと血管が浮き出ている。細いものは何本か切れていても不思議ではない。


 荊は呆れながらも、ある意味で感心していた。

 降伏ではなく、反抗をとる好戦的な精神は、それに伴う戦闘力がなければ成立しない。しかも、首と片足くらいしか動かないというこの状況でだ。

 呪術師としては相当に腕が立つのだろう。

 ただし、こんな事態に陥っているのに、ここまで躍起になっている姿はもはや滑稽である。


「それじゃあ、もう一つの贈り物をあげますね」


 まるで死の宣告だ。

 ドルドはぴたりと時が止まったかのように固まった。それから、緩慢な動作で荊を見やる。

 汗に濡れた皺の寄った首筋がてらてらと光っていた。冷気の漂う寒い部屋で身体を濡らしては寒くて仕方ないだろうに、汗は次から次へと吹き出している。

 荊はふんと鼻で笑うと、冷たい目で嘲った。死を恐れる顔をしているが、恐れずとも、そう簡単に逃がしてやるつもりはないのだ。


「絶対に使わない力なんですが、今回は特別ですよ」


 荊は手を打ち鳴らせない代わりに、ぱちんと指を鳴らす。悪魔召喚の所作。


「シャルル」


 鎖に巻かれた真っ白の腕が二本、何もない宙に現れる。

 荊の顔の横からにょきりと生えた妖艶な女の細腕。それも肘から先しかないという中途半端なものだ。同じく何もないところから伸びた鎖が、腕が自由になることを許さないと何本も伸びて絡みついていた。

 透明感のある白雪のような肌。細く女らしい節のない指が、誘うように荊の顎を撫で上げる。


 ドルドは唐突な怪奇現象に目玉を痙攣させた。目の前の青年が急に何者か分からなくなる。

 ドルドには荊について予備知識があった。名もなき孤島で死神に遭遇し、ルマの街に戻ってきた者の口から聞いたことだ。死神だと名乗った青年は大鎌を振るい、氷の魔法を使い、恐ろしく狂暴な猫を連れていた、と。

 それ自体は本当の話だが、この話には決定的な部分がかけている。

 死神を名乗る男の正体は悪魔使いであり、契約する悪魔を呼び出すということ。そして、その異能を使いこなす。

 ドルドがそのことを知っていたのならば、こうも簡単に篭絡されなかったかもしれない。


「楽にして下さい」


 荊が手を伸ばすと、その手の上にシャルルの白い手が覆いかぶさる。黒い革手袋をしたす指と指の隙間に、真っ白の指が絡みついた。

 ぺたりと重なった手は大きく広げられ、親指と薬指がドルドの左右のこめかみを押すように添えられる。


「生体機能を治癒します」


 それはシャルルの秘儀であった。

 治癒という異能が可能にする技。衰えた生体機能を回復する――、ようは寿命を延ばす力だ。力を永続的に使い続ければ不老ともなる神秘の力。

 しかし、それは命の理に逆らう技であり、荊がドルドに断ったように()()()使()()()()力であった。実際、この力のことを荊は契約する悪魔たち以外に公言したことがない。一生使う気もなかった秘めた技なのだ。


 強すぎる力には、相応の代償が必要となる。

 荊の魂が持つ精力は悪魔五体と契約したうえで、ほとんど限度なく使っても疲労もないというほど膨大である。シャルルの秘技は、その荊の精力を根こそぎ持っていくほど精力を使う。並大抵の悪魔使いでは絶対的に精力が足りず、使うこともできない御業だ。


 そんな禁じ手を使おうと決断するくらいには、荊には怒りがあった。人の命を蔑ろにする狂人に対して、絶対に逃がしはしない、どうしたって罪を償わせるという強い意思。ドルドがこんなに辛いのならばいっそ死んでしまいたい、と思うところがスタート地点だと荊は思っていた。


「これで貴方は長生きできる。末永く苦しめよ」


 荊はドルドの顔を掴む指にぐっと力を込める。

 身体の機能を回復するという効果によって、ヘルの氷によってできた怪我も治っていく。手や腕やにできた穴が塞がると刺さっていた杭は霧消した。身体に絡みつく氷の蔦はそのままであるが、粉と化した骨も元に戻り――、いや、元よりも頑丈な状態に回復され、あっという間にドルドは五体満足に戻った。


 見た目は老人のままである。変化はない。

 しかし、生体機能が回復されたことはドルド本人が一番実感していた。加齢による節々の痛みはないし、視界にかかる霞みもない。妙に頭もすっきりしているし、何よりも身体が軽いのだ。


 年を重ねるたびに鈍っていた五感が取り戻された奇妙な感覚。

 そうなると、彼には下腹部にある異物が一層に不快に感じられた。先ほどまでよりも冷たいそれは、肉欲に溺れることを許さないどころか、普段の生活にも違和感を与える。

 唇を接着していた氷も融けているのに、ドルドは一言も言葉を発しようとしなかった。怒りに染まっていた顔もいつの間にか青白いものに戻っている。むしろ、その顔は今までよりも老け込んでしまったように見えた。


「ありがとう、シャルル」


 荊の手がドルドから離れる。シャルルは名残惜しそうに荊の手の甲を撫でた。それから、じゃらりと重い鎖の音を響かせながら姿を消す。


 ――結構きついな。

 荊は静かに息をついた。さすがに疲労が残る。身体が気だるさを訴える。それを誤魔化すようにぶらぶらと手首を揺らした。

 残ったものは氷の蔦にがんじがらめにされた老人、未だにぐずぐずと鼻を鳴らすペネロペ、努めて平然を保っている荊、そして、――飛び出した小さな背中、瑠璃色の羽。


「っ――セナ君!?」


 殺気に満ち満ちていながらも、ずっと静観を貫いていた少年は勢いよく飛び出した。荊を押し退けて前に出ると、ドルドの心臓を掴み取るように小さな手を突き出す。

 シャルルの秘儀の後でなければ、荊は制止に動けていただろう。逆を言えば、この時以外でなければ、セナがドルドに近づくチャンスはなかった。

 荊はドルドから距離を取らせるためにセナへと手を伸ばす。今はドルドの四肢は自由なのだ。その場からは動けなくても、近づけばドルドの方から触れることができる。呪術師であるドルドに触れられるのは得策ではない。

 荊の指先が華奢な背中に触れるよりも先にセナが口を開いた。


「――――――」


 音吐朗々(おんとろうろう)に読み上げられる呪詞は、荊には判別できる言語ではない。淀みなく紡がれる音の羅列。呪いの言葉であるのに、セナの口から出る音は神聖なものに聞こえてくる。

 荊に抱えられたペネロペが涙に歪んだ視界に兄の姿を映し、小さな声で「色欲の、呪術」と呟いた。

 荊は伸ばしていた手を下げる。

 これは少年にできる復讐で、自分が邪魔をしてはいけないと思ったのだ。

 ドルドは抵抗もしなければ、言葉を口にすることもしなかった。あんなに求めたセナが手の届く距離にいるのに、呆然とした目は虚空を見つめるばかりだ。


「ッ――粗末なもんおっ勃てるたび、串刺しになる気分はどうだよ! クソジジイが、一生っ、死ぬまで、苦しめっ!!」


 セナはぼろぼろと涙を落した。

 嗚咽をこらえ、肩を震わせる少年の心がこれで晴れることはないだろう。それでも、今までとはきっと見える世界が変わるはずだ。


「お、にちゃ――!」


 静かに見守っていた荊の腕からペネロペが飛び出す。

 セナの隣に並び立つと、いっぱいいっぱいに腕を振り上げ、ドルドの頬を平手打ちした。力のない一撃は物理的な痛みはなさそうだが、込められた想いは一入ひとしおである。


「ぼっ、僕は! 僕は、おっ、お前を、絶対に、絶対に許さないからな――! あ、謝っても、駄目だ! 絶対、絶対――、う、っうう……!!」


 ペネロペはセナの手を握ると、一緒になってわんわんと泣きだした。呪殺された祖父、呪術媒体にされた母親、ここにいない人の分も恨み言を言っているようだが、上手く言葉になっていない。

 それでも、ペネロペは一生懸命にドルドを責めた。息が詰まりそうになりながら、必死に声を張る。


 双子から敵意をぶつけられたドルドは、既にセナの呪いに囚われていた。セルクの時も呪術をかけてからの顕在が早いと言われていたが、それ以上の速度である。

 色欲に呪われた老人は喘ぎ声とともに呻き声を上げた。性的興奮に溺れながら、決して外れない貞操帯に苦痛をもたらされている。虚ろな目は何を見ているのか。聞き苦しい声は理性のある人のそれではない。


「――っ、――――!!」

「うっ、うう。うわあああああん!!」


 ペネロペとセナは号泣していた。お互いの手を力強く握り合い、自分が一人ぼっちでないことを確認すると、一層に涙が溢れてくる。


 荊はぐっと眉間を押さえる。どうしてもこの双子のこととなると涙腺が緩みやすかった。どうにか自分の涙を押さえこみ、二人の背中を慈しむように見やる。

 これからだ。

 この二人だけではない。ドルドに害されていた全員が新しく道を歩き始める。今日で悪鬼の首は取ったが、悪夢が消え去るにはまだまだ時間が必要だろう。

 ――皆が、笑える日がきますように。

 荊はすっかり善人的な思考が染みついた頭で、関りもない他人の幸せを願った。心の中でだけでのひっそりとした声に荊は苦笑する。

 悪くない気分だった。

 しかし、そんな気分は一瞬にして消え去ってしまう。


「――ドルド卿の魔力?」


 荊は不意に感じられた大きな魔力に、ぱっと窓の外へ顔を向けた。魔力はドルドのものであるが、その発生源は本人ではなく、この屋敷の外にあるようだ。

 視界に映る異常はなかったが、耳には甲高い咆哮が聞こえてくる。じっと見ていると、窓の外に一瞬だけ光輝く何かが横切ったのが見えた。

 その影は飛行物体だった。しかし、宵闇色をしたツクヨミの影ではない。


 荊がその正体を確かめようと窓へ近づくよりも早く、頬に涙を伝わせたままのセナが窓枠に飛びつく。きょろきょろと忙しなく視線を動かし、上空に何かを探していた。

 目的のものを見つけ、セナはぎょっと目を剥く。少年の目には金色の巨大な怪鳥が映っていた。

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