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第40話 諸悪の根源

 荊はペネロペ、セナの順で二つの小さな頭をくしゃりと撫でた。


「セナ君、さっきの話は一時中断。続きは俺が戻ってきてからね」


 わんわんと泣き続ける少年に、青年の言葉が聞こえているかは怪しいところである。

 荊は廊下の真ん中で抱き合う双子をここに残すことが心配だったが、それを解決するにはさっさとことを済ませるしかない。

 ひらりと上着の裾を靡かせる。

 真っすぐの廊下を行けば、辿り着く場所は一つ。荊の足に迷いはない。


 ――ようやくご対面か。

 荊はドルドの部屋の前に立ち、ふうと息を吐き出した。緊張はないが、殺意が先走って妙に身体が硬くなっている気がしていた。ぐっと肩を張り、余計な力を抜く。

 繊細な装飾のされた扉は特別製だ。

 荊は丁寧に二度ノックをしたものの、返事を待つことはしなかった。


「失礼します」


 そこは豪華絢爛の部屋であった。

 この屋敷はどこを見ても金がかかっているが、この部屋は一際に贅沢を尽くしている。しかし、同時に品のない部屋でもあった。


 角の生えた獣の剥製、素材も分からない甲冑、壁に掲げられた用途不明の織物。とりあえず値段の張るものをかき集めました、といった具合で、私室というよりは宝物庫といわれた方がまだ納得がいく。


 大きな窓の前、身なりの良い老人がこちらに背中を向けて立っていた。

 わずかに丸まった背中。やせ細った体躯であるが、上背は荊と同じくらいだ。血管と骨の浮き出た皺のある手を窓ガラスにぺたりとくっつけ、窓の外を凝視している。

 扉が開いた音は聞こえているだろうに、こちらには見向きもしない。


「こんにちは、ドルド卿」


 荊の声に振り向いた老人は、一言でいえば整った容姿の男だった。年齢によるハンデキャップを感じさせない。

 色素を失った白い髪、薄い茶色の目。日焼けを知らないような白い肌には青紫色に血管が透けて見える。加齢による皺はあるものの、瞳は爛々としていて、耄碌もうろくしているようには到底見えない。

 年相応よりも若く見え、品のある立ち姿だった。


「セナが用意したのか?」


 低いしゃがれた声。それは確かに老人のものだが、威厳に溢れた声色は人の上に立つ者が持つ独特の威圧感がある。


「お初にお目にかかります。名もなき孤島の死神です」

「そうか、ふむ」


 荊のふざけた名乗りは聞き流された。

 しかし、“死神”といえば因縁の相手であろうに、彼はその名を聞いても驚く様子も、怯む様子もない。


 ドルドは荊の頭の天辺から足の爪先までを何度も何度も視線を往復させた。値踏みする視線。最後にはじっと整った青年の容貌を見つめて、にやにやといやらしく口角を上げる。色の悪い唇の隙間から白い歯が覗く。


「綺麗な顔だ。あと十年早く出会いたかったのう」

「十年前の俺なら、挨拶の前に貴方のことを殺していましたよ」


 荊は愛想良く微笑んだ。

 言葉に嘘はない。殺意など微塵も見せず、荊はたおやかな様子でごちゃついた部屋を歩き進み、障害物にぶつかる前で足を止める。

 荊とドルドの間を隔てるのは執務用の木の机だけだ。

 物理的に距離が近くなり、ドルドは執務机に両手を置くと、身体を前のめりに乗り出して荊に顔を寄せた。きろりとした目は若い肉体を舐め回すように動き、荒い鼻息がはりのある肌を撫でる。


「年は?」

「冬に十八になります」

「わしのことが好きだろう? それでここまでやってきたのか? 可愛いのう、可愛いのう」


 じっとりとした愛でる瞳、ねっとりとした猫なで声。

 皺の寄った手が茨の手首を掴む。老人の見た目に想像するよりも随分と力強かった。加減が効かずにドルドの骨の方が折れてしまうのでは、と思えるほどだ。

 捕まれた瞬間、荊の心臓にばちりと静電気のように痺れる刺激が走る。


 ――呪術。

 荊はぴくりともしなかったが、ドルドは不思議そうな顔で小首を傾げた。小さな刺激は何度も繰り返し、荊の魂に触れようとしている。しかし、その必死のアプローチが届くことはない。


「おや……?」


 ドルドはきょとんとした顔で荊の顔を見上げた。その表情は純粋にこの状況を疑問に思っているようだ。


「驚いた。本当に節操がないんですね」


 口ではそう言いながらも、荊は冷静そのものだ。わざとらしく驚きの表情を作って口元を押さえる。


 荊は自分の考えを改めた。ドルドは想像以上に本能で生きている男だ、と。顔を合わせて早々に呪術をかけてこようとは。かけられようとしている呪術がどんなものかは分からなかったが、あの問答のあとでいいものであるはずがない。

 荊はドルドの無駄な努力を止めることはしなかった。それどころか、掴まれた手首を捻り、相手の手首を掴み返す。


「……貴方、自分が置かれた状況をご存じですか?」


 荊が怪訝に尋ねた理由は一つ、ドルドの行動があまりにも猟奇的だったからだ。

 ドルドはぎょろりと皺を押し上げるように目を剥き、荊の顔に穴を開けんばかりの視線を向けていた。荊の魂をどうにか手籠めにできないか、とあれやこれやと試行錯誤している。


 荊の質問に対する返事はない。

 ドルドは荊の言葉など微塵も聞いてはいなかった。おそらく、彼の頭に残っている荊の情報は、その容姿と十八という年齢だけである。


「何が貴方をそうも肉欲に溺れさせるのです」


 もはやこれは独り言だ。返事の代わりにか、荊の魂にちょっかいをかける刺激の種類が変わった。

 荊はふうと仕方がなさそうに息をつくと、掴んでいたドルドの手を机の上へと引き寄せる。


「ヘル」


 ドルドが荊の手の内をどれだけ理解しているのかは分からないが、ぱきぱきと空気が凍る音がしても動揺する様子はない。十中八九、気がついていないだけであろうが。

 荊は自由な手に氷の杭を持った。

 鋭くとがった切っ先を持つ透明の凶器は小刀くらいの大きさで、心臓を打ち付けるには丁度いいサイズだ。


「痛みがなければ、まともに会話もできないんですか?」


 そう言うが早いか、荊は呪術に励むドルドの腕にそのすいを思い切りに刺した。ぷつり、と皺ついた肌に突き刺さった氷の杭は、簡単に老体の細腕を貫通する。

 皮を裂き、薄い肉を貫き、骨を砕く音は、古い木材を蹴り折るような、脆いものを壊す音だった。


「――っ!!」


 悲鳴も上がらない。

 目を白黒とさせたドルドは、自分が害されたことを瞬時に理解できていなかった。通り魔にでもあったような表情だ。身に覚えのない凶悪にたまたま狙われた無関係な人間の顔。


 ドルドは痛みを訴える腕と、冷ややかに目を細めた荊とを交互に見る。傷口はヘルの氷で覆われていて、血液が零れることはないが、確かにぽかりと穴が開いていた。突き刺さったものが透明なせいで、真っ赤な体内がよく見える。

 驚くことに、ドルドはこの状況になっても荊の手を離さなかった。未だに続く無言の訴えは荊を組敷くことを諦めていない。


「う、ぐ――!! なっ、何ということを……!!」

「それは俺の台詞ですよ」

「わしが何をしたと言うんだ!?」

「……本気で言ってます?」


 生きた氷は、一体化した腕を固定すべく、すぐ下にある机へと切っ先を伸ばした。机上にたどり着いた氷が結晶の模様を描き広がる様は、まるで根を張る植物のようである。

 ドルドの腕が宙に固定されて、ようやくと荊はその手を払い落とした。

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