第39話 双生の青い鳥は鳥籠から飛び立つ
セナは荊の肩越しに突然に現れた存在を見ていた。大きな目をこれでもかと見開き、はくはくと口を動かして音にならない悲鳴を叫ぶ。
まるで怪物を目撃した様相である。
そういう反応もしたくなるだろう。前触れなく現れた少女が、自分と鏡合わせの容姿なのだから。
「だ、……誰……? なんっ、え?」
荊はちょっとした不穏を察知していた。
今のセナにペネロペの存在を受け止める余裕があるとは思えない。
気絶しないよな、と気遣うように少年の顔を覗き込む。ただでさえ血の引いていた顔はさらに色悪くなっていた。セナはぽすんとその場に崩れ落ち、そのまま後ろに倒れそうになるのを荊に支えられ、なんとか上体を起こしたままでいる。
乱入者の存在に驚愕するセナに対して、ペネロペもまた混乱していた。
感情のままにここまで来たはいいが、どうしていいのか分からずに焦っていた。あまり人とのコミュニケーションが得意でないペネロペには、この事態は不得手中の不得手である。
荊は神妙な顔で成り行きを見守った。口を挟むのは野暮だと思ったのだ。
初めて顔を合わせた兄妹は、沈黙のまま見つめ合う。時が止まってしまったようだった。お互いが、お互いの存在を目に焼き付けている。
先に動いたのはペネロペだ。
ごくりと喉を鳴らし、胸元で祈るように自分の両手を握る。その手は小さく震えていた。
すうと大きく息を吸う。
「ぼ、僕は、ぺっ、ペペ、ペネロペ・ドス。かっ解呪専門の、呪術師、で――」
全員が緊張の面持ちである。飛び出しそうになる心臓を押さえこみ、自分以外の一挙一動に気を配っていた。
「ふ、ふふ双子の! い、いも、うと……!」
その一瞬は誰の呼吸音すら聞こえなかった。しんと静まり返り、耳を突き刺すように耳鳴りがする。
誰も動かず、誰も声を出さず。飛び出すことの許されない膠着状態。
荊はきょろりと視線だけで不安げなペネロペと無反応のセナとを見比べた。
ペネロペは言い切ったぞという達成感を浮かべながらも、反応が返ってこないことにもじもじとしている。
対するセナは思考を手放していた。荊が心配していたように、事実を受け入れる余裕がなく、処理の限界を越えてしまったようだ。
しんとした沈黙、ぎこちない空気。
いつまでこれが続くのか、と不穏が混じり始めた頃に、セナがいきなり羽をばさりと大きく広げた。
「は、あ――? い、妹……?」
ようやく、意識が現実に戻ってきたらしい。
セナは愕然としながら、ペネロペの言葉を繰り返した。ペネロペは顎を引き、控えめに首肯する。
セナは何度も何度も瞬いた。目に見えている光景が本物なのか、未だに疑っているのだ。
「俺の……、妹……」
ペネロペの存在を認めてか、広げられた羽がゆっくりと下ろされていく。
彼女の自己紹介によって、セナの心には杭が打たれていた。罪悪感を刺激する一撃。事実が呑み込めていけばいくほど、その杭は深く潜っていく。
「解呪の――」
セナは息を詰まらせる。
解呪の呪術師。セナが傀儡人形を介して殺そうとした邪魔者。
「それが、妹……?」
セナの心臓がどくどくとうるさく騒ぐ音が荊にも聞こえてくる。動揺に血液の暴れる音だ。
荊は冷や汗にびっしょりと濡れた背中を励ますように叩いた。セナはのろのろと顔を上げる。蒼白に染まった顔に浮かぶ表情は、後悔と恐怖と狼狽である。
「俺、は、俺が、殺そうと――」
「ちっ違う! 僕、生きてる、から!」
セナは困惑していた。その原因が、妹がいたことになのか、人を殺そうとしたことになのか、殺そうとした相手が妹だったことになのか、自分でも分からなくなっていた。
ペネロペのフォローもしどろもどろなもので、この場を明快に仕切るには不足である。
二人は言葉こそ交わしているものの、動揺と錯乱でできた急な傾斜を転げ落ちていた。まさに混沌である。
それでも、荊は静観を努めていた。
「ぼ、僕に、か、解呪、させて」
「……何、を」
「じゅっ、呪具、を」
「――っ!!」
セナの身体は瞬間だけ硬直し、ずるりと後退するように重心がずれる。逃げる動き。少年の心にあるのは恐怖と羞恥だった。
呪具のことを知っている、ということは、ドルドから受けた恥辱を知っている、ということ。
青ざめていた顔にかっと朱が走る。少年は今すぐにでも消えてなくなってしまいたかった。
「セナ君、逃げないで」
荊はようやくと口を開いた。
それから、セナを支える手はそのままに、ペネロペのために道を開ける。
呪具を壊すだけなら荊でもできるが、セナの自由を奪うそれを壊すのはペネロペでなければならないと思った。
「……う、ぐ」
セナは荊の腕に爪を立てる。どうしていいか分からずの苦し紛れの行動のようだった。荊はそれをしたいままにさせてやった。セナが受けた苦痛に比べたらなんてことのない痛み。
ペネロペはおずおずとセナへと手を伸ばすと、丁寧な動作で壊れもののように抱きしめた。更に包み込むように広げた羽で囲う。荊もそれに巻き込まれ、視界を瑠璃色に染めた。
ペネロペの作った羽の囲いは、世界をたった三人きりにするものだ。
「ごめん、ね。ごめん。僕、僕――、なにも、知らなくて――」
ペネロペは謝罪の言葉を重ね続ける。呪詞の代わりになのか、息継ぎをする間も惜しいとセナへと謝り続けた。
呪具にまとわりつく魔力が段々と弱くなるにつれ、セナの呻き声は大きくなっていく。声を押し殺すようにペネロペの肩に顔をうずめ、荊の腕をぎりぎりと握った。
「僕、が、もっと、もっと――ごめんねえ! おっ、お兄ちゃん!! ごめん、ごめん!!」
その時はようやく来た。
忌まわしい器具から、まとわりつような執拗な呪術が消え失せる。
「ひぐっ―――う、うわああああん!!」
呪具が解呪されるとともに、セナは大声を上げて泣いた。ずっと我慢していたものを爆発させるように、幼子のように心のままに泣く。
ペネロペも一緒になって声を上げた。枯れ果たすように涙を流し続ける。
荊は少年少女の怒涛の感情にむせ返る想いだった。ペネロペの羽に包まれているせいか、呪われた運命に苛まれてきた兄妹の再生が、世界のすべてと思えてくる。美しく悲しい生まれ変わりの時。
「……?」
荊は頬に感じた違和感にそっと手を当てた。指先が熱い液体に濡れる。
――泣いてる。
荊ははらりと自分の目から落ちたものに驚いた。熱くなった目頭を押さえる。自分の変化に驚くばかりだった。
荊が最近に泣いた記憶といえば、この世界に追放される間際に長年仕えた上司から伝えられた別れの言葉を聞いた時だ。その時だって、一粒を落としただけである。自分の命を捨てられてようやく泣いた男が、今は友人の想いに当てられて泣いている。
荊は荒っぽく涙を拭い、緩やかに微笑んだ。
「二人ともよく頑張ったね」
荊はセナを支えていた手を離した。腕を握りしめていたセナの手は、呪具の解呪とともに離れている。それでも、セナの身体が倒れることはない。彼のことはペネロペが支えている。
荊はゆっくりと立ち上がり、廊下の先を見つめた。
金の装飾のされた荘厳な扉。その向こうにある一つの気配。
「ペネロペ、セナ君をお願い。二人とも待っててね」
「い、荊――」
「罪を償わせないと」
冷酷な響き。
今となっては、最悪は殺してしまえ、と思っていた楽観もなくなっていた。簡単に殺してやったのでは、誰の気も晴れぬままだ。罪の重さの分の罰を受けてもらわねば。
それを執行するのが、荊にできる救いだった。




