第34話 革命の狼煙に色はなく
ツクヨミの背に乗って荊とセルクとペネロペはドルドの屋敷へと舞い戻った。
空からの眺めは異様という他ない。
「どういうことだ」
屋敷を囲う壁を更に覆う人垣。外側から群がる白は騎士団の制服である。屋敷に入るための正門と裏門に半々に別れている。
そして、屋敷の内側には黒と白の使用人の制服だ。騎士団の数に相対するように正門と裏門とにいる。が、どうにも動きがおかしかった。
「ま、魔法人形が、あんなに」
使用人の制服を着ているのは木でできた人形。ざっと見ただけでも百はある。騎士団の人数の三倍はいる。
人形たちは身を挺するように、門の前で折り重なって壁を作っていた。騎士団の進行を止める物理的な足止めである。
「あ、あれじゃ、入ってこれない……」
「入れないということは、出られないことでもある。良くも悪くも均衡状態だ」
「とりあえず、アイリスたちのところに降ります。人形を蹴散らすにしても、今の状況を確認してからにしましょう」
ツクヨミは氷の塔に向かって急降下する。
激突する寸前に氷の塔はぽっかりと口を開き、飛竜の到来を歓迎した。ペネロペが情けない悲鳴を上げる中、ツクヨミが氷の洞穴のような道を突き進む。
派手な登場だった。
氷の塔の天井を潰して現れた黒の飛竜は凍った床の上に爪を立て、轟々と雄叫びを上げた。びりびりと空気を震わせ、その振動で氷の欠片が部屋の中を舞う。
ひやりとした空気ではあるが、見た目の氷結に想像するほどの極寒ではない。
「荊さん!」
「お待たせ」
身体を伏せたツクヨミの上から、セルクが飛び降り、続いてペネロペを抱き上げた荊が降り立つ。
「ペネロペ」
「うん」
ペネロペは荊の腕から離れると、ナターシャの眠るベッドにたたたっと走り寄った。
驚くのはアイリスとイーサンだ。
ペネロペがここに来るとは思っていなかったアイリスは目を丸くし、イーサンはセナと瓜二つの容姿に絶句している。解呪の依頼の際には姿を見なかったようだ。
ネロはするりと荊の足元に近寄ると、ベッドの方を見ながら、神妙な様子で「連れて来たの?」と尋ねた。
「ああ。色々ありすぎてね」
もはや、知らなくていいことまで知っている状況だ。
「ペネロペは大丈夫。どっちかっていうと問題なのは屋敷の皆の方で――」
「正気? オマエ、本当に荊? 有象無象まで助けるの?」
まるで化け物でも見つけたかのような目つきである。
「なんだよ」
「……別にィ、荊ってばすっかりイイ人だなって思っただけ」
ふい、とネロは顔を背けた。
ネロは荊が知らない人のようで面白くなかった。彼にとっての荊は、もっと淡白で無慈悲で怜悧な人間なのだ。平和主義のお人好しではない。
長い付き合いの悪魔が拗ねた様子に、荊はくすくすとほほ笑んだ。教会の惨事に疲れた心には、むつりとしている白猫の横顔が随分と可愛らしいものに見えた。
「俺は少し変わったかもしれないけど、君はいつでもいい悪魔だ、ネロ。いつもありがとう。これからもよろしくね」
「なっ――、馬鹿にしてるだろ!」
「してないよ。愛想尽かさないでくれるといいな、って思っただけ」
ネロはとんと荊の肩に乗り上げると「まあ? 荊がそう言うなら?」と鼻を鳴らした。荊が丁寧な口調で「よろしくお願いします」と言うと、さらに得意げにつんと鼻先を上に向ける。機嫌は直ったらしい。
「セルクさん、状況確認しましょう」
セルクは昨日とは様変わりしてしまっている部屋に驚いていた。お姫様が眠る寝殿が、今は氷帝の聖域だ。部屋の中心で眠るナターシャが生贄に見えてくる。
滑らないように慎重の足取りで荊の元へ辿り着くと、彼の肩の上の猫が「ヘル様の御業に平伏せよ」と甲高く鳴いた。
「……本当に言葉を扱うんだな」
驚きと疑いの目でネロを窺うセルクに、荊は「詳しい紹介は全部終わったら」とこの場での追及を強制的に止める。話せば長い。
「ネロ、でいいのか? こっちはどうなってる? 屋敷の連中に動きはないのか?」
「うん。何もなし。しいて言うなら、あのお嬢ちゃんの呪いが弱くなったかな」
「弱く? ……まさか、セナに何かあったんじゃあるまいな」
荊がはっとして「魔法人形」と手を打った。
「マホーニンギョー? 何それ」
「魔力で動く人形。それのせいで騎士団が門の前で足止めされてる。すごい数の人形だったけど、セナ君が動かしてるのかも」
それならば、ナターシャへの呪術に集中できないのも分かる。
神父が評していた通り、セナは有能なのだろう。単純に魔力が強いだけでなく、呪術、魔法と使いこなしているようだ。
「どうするの?」
「理想は術師を止める」
「だろうな。セナを押さえるのが一番手っ取り早い。しかし――」
セナには――、セナだけでなく、屋敷の人間には呪具がついている可能性がある。無策に手を出すのは憚られた。
「俺は呪具を壊せるので、一対一ならどうにでも」
「片っ端から氷漬けにしていけば? ペネロペもいるんだし、解呪でもなんでも後からやったらいいじゃない」
「確かにな。どうだ、式上」
「傀儡人形はそれで止められますけど、呪具が動かなくなるかは判断できません。氷の中で呪具が動いて死ぬこともないとは言い切れませんし」
動きを封じるだけなら簡単なのだ。
すべての問題は呪具である。一つを壊すのに荊は触れて数秒、ペネロペで十分かかる。
片っ端に壊そうと屋敷に飛び込んで行っても、人の身体ながら理性を失い肉を食いちぎる傀儡人形に囲まれてしまっては本末転倒だ。
「呪具が発動するタイミングが分かれば、もう少し何とか――」
「荊さん!」
考え込む荊の言葉がアイリスの声に上書きされる。
ナターシャの元から二人と一匹の輪へと走り寄ってきた彼女は、肩で息をしながら「私にできることは終わりました」と報告をした。ナターシャがいつ死んでもおかしくない状況を抜け出したということた。
セルクと荊は素直に安堵した。
「ありがとう。お疲れ様、大変だったね」
労いの言葉ににこりと笑うアイリスの顔には、隠し切れない疲労が滲んでいる。
この寒さの中、額に汗をかいているのは福音の力を使い続けたせいだ。荊はアイリスの額を指で撫で、張り付いた前髪を横に流してやった。
「アイリスは少し休んで――」
「屋敷の中に行くなら、私も連れて行ってください」
意気揚々と参戦を掲げた少女を三対の目が鋭く射抜く。
「駄目だよ」
「アイリスの馬鹿!」
「駄目に決まってるだろう!」
全員が否定を返した。ほとんど反射で口を開いたのだろう。特に合図もなかったが三人の声は一斉に重なって強い拒絶となっていた。
しかし、アイリスは引かなかった。多少ひるみはしたが、負けじと対抗する。
「イーサン君に聞きました。呪具は”命を奪う”ものなんでしょう? それなら私にも壊せるかもしれません」
福音。
荊とネロはぐっと反論を詰まらせる。アイリスの主張がおそらく正しいと思ったからだ。
福音の力は効果こそ一様だが、起こせる現象には幅があった。ナターシャにかけられた呪術の進行を止めるように形のないものにも作用し、荊の首切り首輪を壊したように物を壊すこともできる。
効力からいって、屋敷の者たちにつけられた呪具は破壊対象のうちだろう。
「待て。壊せるにしたって、この屋敷を一緒に行くのは危険だ」
「でも、呪具が壊せる手段は多い方がいいですよね?」
「それは、そうだが……。第一、お前は戦えないだろう」
「私のことはネロくんが守ってくれます。指一本触れさせないって言ってくれました」
「ボク!? そりゃそうは言ったけどさあ……」
セルクとネロは困った顔で荊を見やった。アイリスが黙る気配がない。
「……ちょっと考えさせて」
荊は真剣な顔で思案をする。
この状況でアイリスは弱点であり、切り札でもある。動き一つで現状を打破できる可能性があった。
屋敷の人間は、まず間違いなくアイリスを求めて行動している。殺すためではなく、ドルドに献上するためだ。
騎士団に囲まれた状況で籠城を選択したということは、アイリスを諦めたわけではない。そして、逃げる手段も用意していると想定するべき。
ドルドがどんな指示をしているかは不明だが、任務に失敗すれば呪具が発動する。任務の失敗――今の場合はアイリスに逃げられること。アイリスをドルドに渡すつもりは微塵もないのだから、呪具は今壊すしかない。
相手が呪具がつけられただけで、自我のある状態ならばどうとでもなる。
イーサンに説得をさせ、順番で呪具を壊していけばいい。ただし、その順番待ちがドルドの耳に入れば、おそらく呪具が発動する、もしくは、傀儡人形に成り果てることもあるだろう。
ならば、呪具を壊されていると悟られないように、壊していくしかない。
誰に知られてはいけないか――、ドルド本人、傀儡人形を作れるセナ、ドルドに報告する者、他の呪術師。それはそれで押さえればいい。
「……この部屋を巣にしよう」
荊は皆の顔を見渡した後、ふいと顔をナターシャの眠るベッドへ向けた。




