第27話 血が結ぶもの
ツクヨミの翼があれば街中の移動など瞬く間である。
街中からは目に見えないほど高くを飛び、病院の上まで行くと垂直に下降した。ツクヨミは途中で魔界へと送り還され、荊だけが病院の敷地に降り立つ。勢いを殺すように地面を滑ると土煙が舞い上がった。
派手な登場であるが、それを見ていたのはたった一人だ。
「式上」
病院の外壁に寄りかかっていたセルクは、背中を浮かすとつかつかと荊へと歩み寄った。空から現れることについてはもう何も感想はないようだ。
セルクはきょろりとあたりを見回し、荊が一人であることに不思議そうに首を傾げる。
「アイリスたちはどうした」
「屋敷にいます。どうやらお屋敷の方々はナターシャさんを餌にして、アイリスのことを釣り出したかったみたいで」
きょとんとしていた表情は、荊の言葉の意味を理解して一変した。瞳孔を開かせ、顔色を青白くし、感情のままに荊の胸倉を掴み上げる。
荊の身体を持ち上げてしまいそうなほどの力は、彼の行動を責めるものだった。
「置いてきたのか!? あの子が狙いだと知っていて!?」
「だから、置いてきたんです」
荊は事務的にアイリスを屋敷に置いてきた理由を説明した。
ドルドの目的がアイリスだったこと、数十人の使用人がいたこと、騎士団の討ち入りを考えれば屋敷の人間を外に分散させない方がいいこと。
セルクの力は段々と緩んでいくが、指先は荊の服を離さず、憤りが感じられた。
「どうしてアイリスに固執するかは分かりませんが、女の子の命をもてあそんで一芝居打つくらいです。彼女があそこにいる限り、誰も屋敷から離れることはないでしょう」
「しかし――」
「アイリスがあそこにいるうちは、使用人たちの仕事は成功でも失敗でもありません。もし、失敗と判断されて、呪具で殺されるようなことがあっては困ります。そうなった時、アイリスが自分の罪だと塞ぐ姿は見たくありません」
人の命がかかっている。既に一人死んでいる。
セルクはぐっと声を詰まらせた。
アイリスが囮になってくれていることは、騎士団としては助かる話なのは彼女も分かっている。しかし、彼女の常識的な良心と騎士の誇りは、とっくに被害者であるアイリスに負担をかけることを良しとしていなかった。
荊は未だに自分の胸元から離れないセルクの手を握ると「あっちはあっちで手を打ってますから」と安全を保証した。
今や眠り姫と生贄は、氷の塔の囚われだ。そして、塔の主は荊である。誰の侵入も許されない。
セルクは荊の手を振り払い、ようやくと彼を解放した。
彼女には言いたいことがまだまだあったが、すべてを飲み込んだ。ここで口論をしても実入りはない。
不満げな顔で「心配ならば、さっさと助けに行けばいい話だな」と無理やりに納得をつけた。
「ペネロペは?」
「二人の解呪が終わって、今は呪具にかけられていた呪術について調べている」
「解呪できたんですね、よかった。にしても、随分早いですね」
「ああ、大体一人に十分程度か。騎士団が連携している呪術師も一緒に解呪を見ていたが、ペネロペは天才の域だと。かけられた術式の読み解きから解呪の方法まで、ほとんど見ただけで理解しているようだ」
荊は素直に感服する。
ペネロペの魔力の強いことと、解呪ができるということは知っていたが、専門家の目には天才に見える逸材だとは思ってもいなかった。
「魔力も相当強い。あれならどれだけ難解な術式でも、時間をかければ解けない呪術はないのでは、と言っていた」
続いた褒め言葉に、荊は「べた褒めじゃないですか」と改めて感嘆する。
荊は違う意味でも驚いていた。ペネロペの内向的な性格についてだ。それだけの技量があれば多少は自信を持っても良さそうであるのに、と。
反面、納得することもあった。彼女は基本的におどおどとしているが、解呪に関しては「できない」や「やってみないと分からない」と後ろ向きなことを言ったことがなかった。それは、呪術を確認した上で、できると判断しているということだ。
「……ペネロペも解呪の呪術師は同業者内で悪目立ちすると言っていたが、そもそもドス家といえば呪術師を名乗る者では知らぬ者はいないほどの名家らしい。呪術師がペネロペの名前を聞いて言葉を失っていた」
「へえ。いいところのお嬢さんだったんですね」
「だからこそ、不届きな連中に目を付けられていたのも事実らしい」
含みを持たせるような言い方だった。
それがいい話でないことは彼女の語り口から伝わってくる。
「……何かあったんですか?」
「呪術師が言うには、十数年前、突然にドス家は姿を消した、と。噂にはその頃の家長の一人娘が攫われて行方不明になったとか。ペネロペの名前に驚いたのは、彼女が名家の子供だからというより、その血筋が絶えていなかったことに対してだったようだ」
そこまでを語り、セルクはふうと一息をついた。
いつの間にか乾いてしまった唇を舐める。今日だけで何度、心臓が止まる思いをしたか。その度に身体のどこかに不調が現れるようだった。
残酷なことに、今日はまだ半分も終わっていない。
「セナとは話せたのか?」
セルクはそわそわとした様子で荊を見やった。
「……少しだけ。やっぱり、ナターシャさんに呪いをかけていたのはセナ君でした。彼は呪術師です」
セナ。屋敷の使用人。天才と称されたペネロペにも解呪できない呪いを扱う呪術師。そして、ペネロペと瓜二つの容姿を持つ少年。
「……血縁については?」
「自分では孤児と」
血の繋がりを疑うな、という方が無理な話である。不穏な想像ばかりが湧きたつ。
二人が口を閉ざすと、必然と沈黙が訪れる。聴覚が仕事をしなくなると、どんよりとした重苦しい空気を一層に肌で感じられた。
「そういえば、ペネロペが解呪の途中、気になることを言っていた」
セルクは口元に手を当てながら、静かに声を発した。この空気に耐えきれなかったのではなく、思いついたままを口に出しただけのようである。
荊は視線だけで続きを促した。
「呪具の作り手はナターシャ嬢を呪っている奴とは違う呪術師だと」
「ああ」
飛び出した相槌には忌々しさが滲んでいる。隠し切れなかった嫌悪だ。
「呪具を作った呪術師はドルド卿です。息子のイーサン君も呪術師。ハワード家は呪術師の家系だ」
酷く冷淡な声色。
荊は無機質に屋敷で知り得たことを話した。アイリスについて報告した内容の続きだ。
保護された女たちが辿る運命。呪いをかけられ、身体を汚され、呪具によって命を握られる。息子のイーサンまで呪具をつけられ管理されていたこと。
人を人とも扱わぬ所業。
荊は能面のように表情を消していた。おおよそ正気とは思えないそれを口にするだけでも、心の何かが削れていくようだった。




