城下の服屋
城下にはおかしな店がいくつもある。そう、いくつも。その日十織がふらりと入ったその店も、そうした中の一つだったということは、後々知った。
冷やかしに入った店は、服屋だった。何の変哲もない女性服――ローザリアの女性は長袖にロングスカートが通常だ。四季がないので衣替えもしない――が売られていて、不思議なことに全ての服が、
「……無地?」
である。随分地味だと思いながら適当に見回っていれば、あらいらっしゃい、と快活な言葉がかかる。
「何をお探しかね、お嬢さん」
そう訊かれて、別に何もと答える。しかし店主らしいおばさんは、貴女には何色が似合うかしらねえと呟きながら、主にスカートの辺りを見回る。
「あの、いいです。見てるだけなんで」
すぐに店を出ようとすれば、これにしようと引き留められる。
「あの……」
「髪も目も、珍しい、綺麗な黒だものねえ。服も黒にしよう。それで、華やかな柄を付けようか」
押しの強さに負けた十織は嘆息し、せめてショールか何かにしてください、と商品の交換を要求する。
「そうかい……? じゃあ、これにしようか」
おばさんは少し残念そうに真っ黒なスカートを棚に戻し、金糸で縁取りがされた黒の大判ショールを手に取ると、じゃあ始めよう、と笑った。
ヒルダと名乗ったおばさんの独特の押しに負けた十織は、今何故だか、片手に布、片手をヒルダと繋いで、瞑想している。瞑想といっても、大したことではない。ただ、思い浮かべているだけだ。この味気ない布を飾る、華やかな色を。
ヒルダは言った。この布を、貴女が思うもので飾ろう。そのための力は、私が貸してあげるから。
この黒の布を彩ると言われ、十織が思いついたのは一つだ。淡い花。薄白と桃色の……。
「あら、まあ!」
ヒルダの歓声に十織は目をぱっと開ける。
――散り際の桜。突然の大風に吹かれ、ひらひらと空を流れていく。
「綺麗ねえ! ……見たことないけど、お花だね」
綺麗だ綺麗だと連呼するので、桜というんですよ、と教えてやる。異世界の花ですよ、と付け足せば、貴女は異世界人かね、と今さら気付いたようだ。ヒルダは目を丸くする。
「そう。サキュラ、かい。こんなに綺麗なお花が咲くんだね。そっちには」
綺麗ねえともう一度言い、咲いてる時は見事でしょう、と訊かれる。十織は苦笑を返し、
「桜が一番綺麗なのは」
……その花が一斉に散っていく瞬間なんですよ、と答えた。
白と淡桃色の花が咲く一枝と、そこから風に吹かれて散りゆく花雪。染められた桜の花弁の微妙な色遣いは、まるで写真のような精巧さだ。それほど緻密に想像できたことに驚く。
「でも、よく思えば毎年見てんだよ、日本人だし。結構、覚えてるものなんだね」
日本を代表する春の花。桜が咲くと、人々は春を実感する。冬の寒さは終わり、じきに夏が巡りくる。
「桜、ねえ」
十織はその力強く儚い花を思い出し、しばしぼんやりする。
「……ル、トール? 夕飯食べに行くわよ」
と、セレフェールが扉の外で呼びかける。はっと意識を戻した十織は、少し待ってと答え、黒のショールを丁寧に畳んで仕舞う。
「ごめん、お待たせ」
小さく謝り、扉を開ける。並んで食堂へ向かう途中、今日の服屋の話をすれば、
「あら、そこ有名なのよ。おばさんに柄を付けてもらった服を着ていると、幸せになるって話よ」
セレフェールはそう微笑む。私もそこで服を買ったのよと言うので、今度揃えて着ていこうかと話はしばらく盛り上がった。