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西塔の住人


 ――あの塔に近付いちゃ駄目よ。呪いを受けてしまうから。




 子どもに言い聞かせる寝物語のような忠告を、以前セレフェールから受けてはいた。それを信じて怖がるほど子どもではなく、また反発して冒険に行くほどに子どもでもなかった。正確に言うならば、今の今までそんな言葉はすっかり忘れていた。


 今、その塔を目の前にして。十織は、その言葉を思い出しながら静かに瞬きを繰り返す。


 ……誰かが、いる。







 長い螺旋階段を上る。くるくると回って、上っているのか下りているのか、段々判断がつかなくなってくるほどだ。その片手には書類の束。これが風にさらわれてこの塔の前まで飛んでしまったがために、今こんな状況なのだが。




 ――呪いの塔に住む者が、はたしているだろうか?




 少なくとも、十織ならば住まない。危ない橋は避けて通るのが賢明である。それでなくとも、こんな長い階段を使わねば部屋に行き着けないような場所、わざわざ住みたくはない。けれど確かに、塔の最上階に人影を見た。何度瞬きをしても人影は消えなかった。見間違えではない。


 そして、これはこれで愚かだとは思うが、十織はその人影が気になり最上階目指して塔を上っている。誰がいるのか知らないが、こんな塔の上にいるなんて酔狂な人間だ。……勿論、好奇心だけでわざわざ上ってくる十織も、随分と酔狂ではあるが。


 塔を上れば、空が少し近くなる。吹く風の温度も変わる。風景が、世界が変わっていく。それに憧れかつて天を目指した人間達は、神の怒りを買った。


 そう、それが呪い。今なお、人間を苦しめるものだ。


 螺旋を上りきる。たった一室、塔の最上階に当たる部屋の扉を開く。中には……。







 アルスはその日、ここ最近通いつめるようになってしまった王宮にいて、友人である魔術師ディクレイドとともに、問題児の十織を説得するために、廊下を進んでいた。このディクレイドは、十織の頑固さに参りアルスほど口うるさくは帰還を促さなくなったが、十織がローザリアに居残ることについては一貫して反対し続けている青年である。


「なあ、ディク」


 淡い茶髪緑目をしたディクレイドは、アルスに呼ばれ、何かなと首を傾げる。


「あいつはどうして……帰ろうとしないんだろう」


 アルスはぽつりと呟き、ややうつむく。一年間ずっと十織を気にかけ続けてきた者として、悩みもそれなりに大きいのだ。そんなアルスに、ディクレイドは真顔で言う。


「甘えだろうね」


 そう、断言する。甘え、と繰り返すアルスの目を見つめ、


「多分、元の世界よりも、ここの方が居心地がいいんだよ。甘えてるんだ。逃げてるんだよ。だから、アルス。君は、何も悩まなくていいんだよ。迷わなくていい。間違ったことなんて、たったの一つもしてないんだから」


 安心させるように、微笑む。その笑みを向けられたアルスは、甘えか……、と小さな小さな声でこぼし、廊下の先を遠く見やる。


「……ん?」


 そこに予期せぬ人影が右往左往しているのを見て、リーエスタと名を呼べば、耳聡い王宮魔術士はぱっと振り向く。


「アルス、ディク」


 困惑した表情に顔をしかめ、どうしたんだと近付く。リーエスタはちらりと上を見て、二人に歩み寄りながら、


「誰かが、上ってるみたいなんだ」


 ちらちらと視線を向ける先には、かの西塔。


「西塔に? 誰が」


 元からそれほどひとが近寄る場所ではない。ましてや、ここに上るなど。


「わからない。追いかけようにも、俺は上れないし、お前達も駄目だろ?」


 アルスとディクはそれに頷く。……そう、彼らの誰も、この塔には上れない。


「大丈夫、だとは思うけど。“あのひと”は、凶暴なわけじゃないしね」


 ディクレイドの言葉に賛成しつつ、アルスとリーエスタはなお心配げな顔で塔を見上げる。


「……誰、だろうな。“あのひと”に、認められたのは」







 言葉というのは残酷なものだ。片面ではお前が好きだと言いながら、もう片面では殺したいほど憎いという。どちらが本当かなど、考えるまでもない。


 兄は、私を幽閉した。こんな場所に閉じ込めた。わずかな食事と水だけを与えられ、この部屋で生きる時間は無用に長く。憎ければ、邪魔ならば、その手で一息に殺せば良かったのだ。その勇気すらなかった兄は、心底臆病者だったのだろう。


 それとも、家族だから、情を捨てきれなかった? 邪魔なだけの存在でも、弟だから、特別な気持ちがあった?


 思えば、まだ幼いうちは、仲の良い兄弟だった。私は兄が王になるものと思って欠片も疑わなかったし、兄もまた弟が敵になるなどとは思いもしなかった。いつから、歯車は狂ったのか? そんなもの、私が生まれた瞬間から狂い始めたに決まっている。


 ――きっと、君にはわかるだろう? 私という存在の歪さを。







「……そんなの知らない。いいから、出してくんない?」


 十織はうんざりした様子で、扉に背を預けている。その目に映るのは、美しい青年。長い白髪に、一目見たら忘れない金の光を宿す紫の目をしている。その色彩から判断するに、この青年は王の血縁だ。リーレスより今少し若く、日陰に咲く花のような翳った魅力がある。


 十織は現在、この青年に軟禁されていた。いや、軟禁という言葉は、正しくないかもしれない。扉が開かないだけであるから。……何故開かないのかは、わからないが。


「兄弟の縁など、儚く散るものだ。ひとは、血の繋がりなどに惑わされることなく、その欲望を貫くことができるのだから」

「ねえ、訳わからない話はいいかげんやめて、出してってば」

「私は、欲望の被害者だ。ただ在っただけで、闇雲に命を奪われた」

「聞こえてる? 出せっての」

「元より死すべき命とは、あるものなのだ」


 先ほどからずっとこんな感じだ。埒が明かず、溜息を繰り返す。十織はこの塔を、好奇心のために上ったことを、今さらながら後悔している。名乗りもしないこの青年に捕まって、もうどれほどの時間が経ったのか。この部屋には窓がなく、日の沈み加減すらわからない。


 この部屋は、薄暗く、淀んでいる。早く出たいと思う反面……いつから、いつまで、ここにいるのかわからないこの青年の戯言が、耳にこびりついてしょうがない。だから、聞きたくないのだ。出せ出せと騒ぐのだ。


「あのさ、お願いだからさ、もう出して。勝手に部屋に入ったことは謝る。もう来ないから」


 しばらくして、結局根負けしてそう懇願した十織に、青年はようやくしっかり目を向け、一度口を閉ざす。


「……そうか、戻るか」


 初めて言葉を向けられ、内心動揺する。当たり前だろと返し、扉を開けて、と強く言う。


「もう……来ぬか?」


 無表情な青年からは、その言葉の意図も読み取れない。戸惑いながら縦に頷く。


「そうか……」


 青年はそして、実に呆気なく扉を開けた。かちり、と鍵が外れる音が響く。


「行くと、いい」

「……あ、ありがとう」


 先ほどまでまるで相手にもしなかったくせに、一度聞けばすぐ頷く。どういう人物なのかよくわからない。今ようやく、薄気味悪いと感じ始める。


「……来ない方がよかったんなら、もう来ないから」


 そう強調して部屋を出れば、その背に届く、静かな声。


「いつでも来るといい。……私は、サイアスだ」


 唐突な名乗りに、躊躇いながら言葉を返す。


「私は……十織。片倉、十織」


 サイアスと名乗った青年は、何の返事も返さなかった。




 塔を下りた十織は、三人の青年に出迎えられた。


「うわ」

「お前か!」

「予想できたことだね……」


 どれもうざったらしい人物で、十織は顔をしかめるとその横を無言で過ぎる。


「トール、無視するな!」


 が、それを三人……特にアルスが看過するはずなく、腕を掴まれ足を止める。


「何。放せ」


 ただでさえ困惑と精神的疲労で苛々しているのに、会いたくもない者に会ったのだ。普段よりもなお低く冷たい声音で睨みつければ、アルスはやや手の力を緩める。


「……お前、どうして、ここを上った?」


 答えずにはぐらかすとそれはそれで面倒で、十織は短く答える。


「書類がここまで飛んで、塔の上を見たらひとがいた。だから上った」


 その簡潔な答えに、そうかとアルスは手を放す。そのまま身を翻した十織の背に、今度はリーエスタが声をかける。


「塔の上でさ。“あのひと”と、何を話したんだ?」


 この塔にいた青年のことを、何やら知っているらしい。十織は体ごと向き直り、あれは誰、と質問を無視して問う。リーエスタはそれに困った表情をする。上手い言葉が見つからず、ええとと言葉を探していると、横からディクレイドが救いの手を差し伸べた。


「この塔の、住人みたいなものですよ。“あのひと”は」


 それは明確に特定する言葉ではなかったが、十織にはそれで十分だった。皮肉げに笑い、


「へえ。あのサイアスとかいうやつ、こんな場所に、住んでるんだ? ……だからあんな、何の意味もないことばかり、考えてられるんだ」


 そう吐き捨て、今度こそ三人を置いて歩き去る。




 その背を見つめながら、


「名前……」

「あちゃー、気に入られたんだ」

「全く……本当に、ろくでもない娘だよ」

 三人はそう言い合い、揃って溜息をついた。


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