魔術師寮と騎士寮の隙間
王宮の端には、隣り合って二つの寮がある。魔術師と、騎士。互いの領分で生きている割に、彼らは案外仲が良い。そして十織はといえば、本の取り立てで魔術師寮を訪れることが多いので、自然と魔術師とは仲良くなる。魔術師もとりどりで、騎士に負けないほど体を鍛えている者とか、魔術より槍が得意といった輩もいたりする。
その日、いつも通り本を返してもらいに魔術師寮を訪ねた十織は、成り行きで妙なことになっていた。
「トール、怖ければ俺と手をつないでもいいんだぜ?」
「やだ」
「そんな即答しなくてもいいじゃねえか」
「汗臭い、汚い、寄んな」
「……」
「さすがトール。的確に弱点突くな」
快活に笑うほっそりとした騎士の青年が、トールに撃沈された魔術師の男のいかつい肩を豪快に叩く。この騎士の青年……濃い茶色の髪と目をした彼、エルグに遭遇すると、十織は十中八九何かに巻き込まれる。
「トール、あんまりガイをいじめてやんなよ? こう見えて繊細なんだからさ」
「じゃあ、私に声かけなきゃいいんだ。強引に巻き込んだ癖に」
「だって、お前いると華やぐんだよ。中身はどうとして外見はいいしさ」
「一言余計だよ、エルグ!」
睨めば、エルグはちょろっと舌を出し、わざとらしく視線を逸らした。
……ガイルジオという名のいかつい魔術師。彼はふた月前に蔵書室から本を借り、今まで返しに来ていなかった。催促とともに本を奪取しに来た十織は、談話室にいたガイルジオと、彼と話していたエルグと会ってしまった。
「おお、トール、ちょうどいいところに!」
そして、逃げる間もなく、彼らの企みに引っ張り込まれたのだ。
――魔術師寮と騎士寮の建物の間には、ひと一人ぎりぎり通れるほどの隙間がある。その隙間の向こうには、精霊の住処があるという。
馬鹿馬鹿しいとは思う。が、その馬鹿らしい試みに、巻き込まれたとはいえ付き合っているのは、紛れもない事実だ。物怖じしないエルグの態度は鬱陶しいが、心地よくもある。
「これかあ……結構狭いな、っと」
隙間に体を横向きに入れたエルグは、蟹歩きで一行の先に行く。その後を十織が、結構楽々追う。さらにガイルジオが続こうとして、
「……おい、ちょっと待ってくれ! 体が入らねえっ!」
そう叫ぶ。それはそうだ、三人の中で一番大柄なのはガイルジオである。
「あー……、じゃあ、待っててくれ。俺達、先進むから」
「ちょっ! 置いてくのかよ、ひでえ!」
エルグ、トール! すがるように名を呼ばれた二人は首だけガイルジオの方を向け、
「まあ、しょうがないだろ?」
「無理矢理入ってこないでよ。詰まったら困るから」
呆気なくそう言い捨てた。ひどすぎだろっ! と悲痛に叫んだガイルジオは、狭い隙間に顔だけ差し込んで二人を見送った。
……その後ろ姿が非常に情けなかったことは、言うまでもない。
横向きに進む二人の前にも後ろにも、壁しかない。殺風景で汚れた冷たい壁、逃げ道は右か左……進むか、戻るか。
「……なあ、トール」
じりじりと先に進みながら、エルグが十織に話しかける。
「……何?」
その後を追いながら、十織は返事をする。エルグは顔を進行方向に向けたまま、
「お前さ、何で帰らないんだ?」
尋ねる。十織はまたかと溜息をつき、
「帰らないと、おかしいわけ?」
そう問い返す。エルグはしばらく黙り込み、別におかしくはないけどと言い淀む。
「おかしくは、ないけどさ。……帰りたくない?」
その訊かれ方は、あまりない。十織は頬を吊り上げるように笑む。
「……誰が、あんなところに、帰りたいなどと思うもんか」
それを聞いたエルグは、そうなんだと言ったきり、口を閉ざした。
……結局その隙間の奥に何があったかというと。
「エルグ、トール、秘密だよ?」
そこは、秘密の花園になっていた。この隙間を通らずとも来られる方法は、二人が行き着いた時すでにいた彼らだけが、知ることだという。
「秘密にしておくれ。たまには遊びに来てもいいから。ね?」
本当に美しい花園だった。白と青を基調とした、様々な花が咲き誇る日だまり。幼い少女と麗しい美女が、こんな場所を好まないはずがない。
「秘密にしてくれるなら、歓迎するよ。……よく来たね、二人とも」
花に囲まれる妻と子を見守りながら。珍しい色彩をもつ彼は、自らの娘とよく似た少年を膝にのせ、笑っていた。
「おいおい二人とも、奥には何があったんだよ、教えてくれよ!」
何もないと言ったのに、二人の様子から――面倒にも――何かがあったことを感じ取ったガイルジオが、しつこくそう迫る。うざったいと思いながら、エルグは適当にはぐらかし、十織は一刀両断の勢いで切り捨てる。
「ひどすぎだって、俺を仲間外れにするなよ!」
……それでもめげないガイルジオの問いは、しばらくの間続いたのだった。