かくれんぼの人々
ちょっと来て、と言われてファリナに連れてこられたそこには、何だかとんでもない数の誰かがいた。知らない者達が数十人、知ってる者達も数十人。イルクがいる。サイアスがいる。リーレスがいて、アルスがいて、ルウロがいる。拓考までいた。
「な……何?」
戸惑って首を傾げる十織に、ファリナは満足そうな笑みを向ける。
「大変だったわ。やっと揃った」
どういうことかと目線で問えば、ファリナはにこりと笑う。
「これから、かくれんぼをするの。トールさん、付き合ってね」
……事情を聞いても、意味がわからなかった。
鬼はお父様よ。ほら早く、隠れてちょうだい、トールさん。
そう言われ、事情を訊く間もなく放り出された十織は、混乱した思考で律儀に隠れる場所を探す。
ファリナは十織を、王宮から随分離れた場所まで、魔術によって連れてきたのだった。そこは鬱蒼とした森で、飛び出た根や湿った土、枝を伸ばした低木などが邪魔をして、中々歩きにくい。しかし、隠れる場所は多くあった。十織は大きな木の陰に身を潜めた。そこに、
「そちら、一緒してもよろしいですか」
そう問うて近付いてくる男性に、訝しみながらも頷く。ありがとう、と笑みを見せた男性の髪は青灰、目は薄茶。年の頃は三十代前半ほど。ひとの良さそうな雰囲気だ。
「……あの、質問していいですか」
男性が横に座るのを待って口を開く。どうぞ、と視線で促され、この状況は一体何なのか、十織は説明を求める。
「ああ、貴女は、知らないんですか」
驚いたようにそう呟く男性に、胡乱な目を向ける。すると男性は、どこか寂しそうな憂いのある微笑みで、
「まあ、近いうちに、わかります」
そうはぐらかす。うやむやにされむっとしたが、しつこく訊いても応えてくれなそうなので、小さな溜息をつき視線を逸らした。そんな十織に、男性は独白するように語りかける。
「王様も、王女様も、魔術師の皆様も、あの精霊様も……この国は本当に、お優しい方ばかりです」
どこか、遠くを見つめる目。しばらくぼんやり中空を眺めて、男性は十織へと穏やかな笑顔を見せた。
「まあ今は……楽しみましょう。無粋な疑問も後悔も、後ですればよろしいことです」
その笑みがとても満ち足りて見えて、十織は苦笑する。楽しそうですね、と言えば、楽しいですよと男性はさらに笑みを深くする。いい歳した男性がかくれんぼではしゃぐのかと呆れながら、口では、
「よかったですね」
嫌味でなく、そう言う。男性は微笑んで、はいと頷いた。
どれから、しばらく。十織と男性の隠れている場所にリーレスの鼻歌が聞こえてきて、十織はその場からこそこそと移動を始める。ちらり、男性に目をやれば、彼は、
「貴女はお行きなさい。私はここで……待っています」
お話できてよかったですよ、と手を振り、十織を見送った。
次に十織は、小川の側にある巨石の影に向かった。そこにはすでに先客がいて、それはふわふわした薄茶の髪と、鮮やかな赤い目をした少年と少女だった。よく似ている。双子か、と確認するように口に出せば、こくりと頷きが返った。
「お姉さん、ここ、隠れたいの?」
「え? あ、いや、邪魔なら他探すけど」
「ううん。邪魔じゃ、ないよ」
少年が問い、少女が許可を出す。こっちこっちと手招きされ躊躇い気味に近付けば、少女は少年の背に半ばしがみつくように怯えつつ、あの、と十織に声をかける。
「貴女……も?」
“も”の意味がわからず眉をひそめれば、少年が呆れたように少女に言う。
「馬鹿、違うだろ。よく見ろ」
話が読めず険しい顔をする十織をびくつきながら凝視した少女は、ああ本当だと呟く。
「そっか……お姉さん、大変だね」
そして、同情的な視線を向ける。十織は険しい顔をさらに険しくさせたが、しばらくしてふうと息を吐くと、
「あんたに何がどうわかるのか、知らないけど。……あんたも、大変だね」
とりあえず、そう答えておく。人見知りなのか臆病なのか、怯える少女。庇うように対峙する少年。なかなかに難儀そうな兄妹(もしくは姉弟か)だとは、思った。
「……そう、だな」
「……うん。大変、だったよ」
双子はふと顔色を曇らせ、どこか遠くへ思いを馳せた。今ではないところを見つめるその顔はまるで年取った大人のようで、十織は何を言うでもなく、意識が戻ってくるまで見つめていた。
長い時間が過ぎ、どこか遠くで笑い声が聞こえた。
「……でも、楽しいことも、あったね」
「……あったな」
双子はふと瞬きをして、過去の残滓を自らの中から追い出した。
「今も、それなりに楽しいんじゃない?」
何とはなくそう言えば、二人は赤い目を見合せて、
「ああ」「うん」
にっこりと微笑んだ。
またしばらくして。私達はここにいるから、お姉さんはもう少し奥に隠れた方がいいよ、そう助言され、十織はさらに森の中を進んだ。
それから、随分多くのひとと話をした。老人、壮年の男、夫婦と子供、三十路過ぎの女、若い母親、幼い姉弟……彼らは一様に、優しい笑みを浮かべていた。そして、十織ばかりを奥へ奥へと誘う。まるで、ここで止まってはいけないとでもいうように。
促されるまま、森を進む。かくれんぼの鬼は、近付いてきているのだろうか。アルスや、ルウロは。ファリナは? いつまで隠れ続ければ、見つけてくれるのだろうか。
――隠れ続ける十織は、いずれ、小さな不安を感じ始めた。実は誰も自分のことなど捜してはおらず、たった一人、ここに取り残されているのではないかと。
「……冗談じゃない」
勝手に連れてきておいて放っておくなどあまりに無責任すぎると、十織はちらり背後を見る。トールさん! とファリナの明るい声が聞こえてくるのではないか。トール! と怒ったような声でアルスが叫ぶのではないか。リーレスやルウロ。リーエスタにセレフェール、キィス。トール、と誰かが呼ぶのを、望んでいないと言ったら嘘になる。
「誰か……早く、見つけなよ」
優しい笑みで留まる者達は、一足早く、かくれんぼを終えていることだろう。
「十織、さん?」
すぐ見つかってしまうような広い空間の真ん中で、背後をじっと睨みつけていた十織は、突然名を呼ばれ振り向いた。誤りのない完璧な発音、それを口にできるのは……。
「拓考……さん」
同じ日本人である、彼の青年だけ。拓考は、先ほど出会った者達と同種の笑みを浮かべ、
「そんなところに突っ立っていたら、見つかってしまいますよ?」
おいでおいでと手招きをする。十織はそれに従い近寄った。太い幹の影に隠れた二人は横に並んで腰を下ろし、どちらともなくほっと息をつく。何故かわからないが、落ち着いた。
訊きたいことは沢山あるはずなのに、十織はそれを言う気にならない。そもそも何でかくれんぼなんかしてるのかとか、参加しているひと達は誰なんだとか、どうして十織まで参加しなければならないのかとか、何故イルクにサイアスに拓考までも参加しているのかとか。……気にはなるが、何となく、訊く気になれない。
ただ、傍にいることの方が、大切だとは感じた。言葉よりも、ずっと。
しばらく二人、微妙な距離で隣にいた。する拓考はふっと苦笑し、
「十織さん。私はもう疲れたので……ここで休んでいます。貴女はもうちょっと隠れ続けていなさい」
十織はむっとし、私も疲れましたけど、と文句を言う。まだ若いでしょう、と拓考はその背をぽんと叩く。
「……もう少しだけですよ。私の分も頑張って隠れてきてください。ね?」
そう優しく微笑まれて、十織は結局、その場を去った。まだ、隠れ続けなければならないようだ。
夜が訪れる頃、ようやく十織は見つかった。最後から二人目だった。
「よく隠れたね、なかなか見つからなかったよ。……さ、あとはアルスだけだ」
先に見つかった者達は、もうどこにもいない。どこへ行ったのかと訊けば、見つかった者から一抜けさ、といたずらっぽく告げられる。
「……それ、私、損してるようなもんじゃないですかね」
疲れと呆れと苛立ちで大きく溜息つきつつ睨めば、リーレスはくすくすと笑う。まあそう言わずに、と宥められ、この場に残っている者……リーレス、ファリナ、ルウロとともに、森の奥へと歩き出す。
――あと一人。全員を見つけるまで、かくれんぼは終わらない。