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赤い空


 十織は夢を見ていた。夢だということが、夢の中でわかっていた。




 高校の制服である紺のセーラー。茶色のスカーフと膝上の長さのスカートが、風に吹かれて揺れる。一つにくくっただけの長い髪が、絡まるように背後へ流れる。


 坂を下れば、じき家だ。ふと空を見上げる。赤い、赤い空だ。夕暮れの光が、街を染める。ちらりと振り返る。背後はもう、夜だった。帰らなければ、と思う。




 帰ろう (――帰りたくない)


 家に帰ろう (――帰らなくては)


 あそこが私の家だから (――他に行く場所なんてないから)




 坂を下る。夜に追い立てられるかのように。







 アルスは夢を見ていた。夢だということが、夢の中でわかっていた。




 買出しを言いつけられて、かごにパンと果物を入れて帰る。視界の隅で銀色が揺れる。精霊返りだという銀の髪。そのせいか強い魔法の力。わずかに風を起こしてみる。梢が揺れてざわめいた。


 街から少し外れて、森の端にある家を目指す。目前に迫る夕闇の気配。ちらりと振り返れば、夜があちらからやってきていた。




帰ろう (――早く帰ろう)


家に帰ろう (――少し帰りづらい)


あそこが俺の家だから (――二人きりの家になんて)




 森までの舗装されていない道を進む。夜はすぐそこに迫っている。







 ひとは、家に帰らねばならない。そこに待つひとのいる限り。


 ――そう、待つひとがいない家ならば、帰らずともよい。けれどその時は、たった一人、どこか戻る場所を、見つける旅に出なければならない。




「……そうか、ジルオール。今、なのか。その時は」


 リーレスはくしゃりと顔を歪め、黒髪黒目の青年を見る。リーレスの父、その父、またその父、と何代にもわたって、ジルオールのことを、聞き伝えられてきた。――いつか来るその時、王は決断し、行動しなければならない。そしてそれは、問答無用で背負わされる責だ。


「ああ。……遠くはないと思っていたが、いざ時が来ると、俺もなかなか、思うところがあるな」


 この世界に愛着があったんだな、とジルオールは微笑む。リーレスは、口を開けば罵倒か嘆きが飛び出してしまいそうで、唇を噛んだ。ジルオールは悪くない。そしておそらく、誰が悪いなどとは言えない事態なのだ。


「……見ろ、リーレス。空が染まる」


 ジルオールの指し示す広大な空が、地平線の向こうから、見る見る間に赤く染まっていく。


「俺は、お前に期待している。猶予はあまりないが……やり遂げてくれ」


 空が真っ赤に染まる直前、ジルオールはそう言い置き姿を消した。







 赤い空。それは、世界が変わる前兆。




 空が赤く染まり、神の声が響く。世界を創りしは二人の神、しかし今残りしは一人のみ。


 一人きりの神は、世界に残った精霊と自らの種である人間を加護してきた。けれど、その神も世界を去る。神の手から解き放たれた世界で、残るはどれほどの命であることか。


 元より世界との結びつきが強い精霊は、全てが世界から去るしかない。そして人間は、決めなければならない。神を選ぶか、世界を選ぶか。……人間にだけ、選択の余地がある。


 リーレス自身はもう、決めていた。世界を選ぶ、と。そのための代償も知っていた。その代償を支払う前に、王として成さねばならないことも。


「私には……重すぎる」


 セレィスの王の責任は、遠き昔、神から授けられたもの。――すわなち、他人の人生を決め、終わりを与えるという、役目。




 セレィスの王がずっと受け継いできた約束事。それを果たすべき、時が来た。




 赤い空が世界を覆って、人々は夢を見た。同じ夢だ。


 家がある。誰かの待つ家が。そこに帰る。夜に追われて。




 幾人が、目を覚まして涙を流したことだろう。赤く腫れたまぶたで、朝までのわずかな時間を過ごしたことだろう。


 呆然とベッドの上に座り込んでいた十織は、窓から射し込む光に気付いて視線を上げた。目は赤い。頬に涙の痕がある。


 朝日は緩やかに室内を満たし、漠然とした頭を覚醒に向かわせる。ぎこちなく、手を動かす。足を動かす。窓を開け、早朝の空気を肺に取り入れる。冷たく、柔らかな風が吹く。


「……うん」


 すると、自然と落ち着いた。頑なに認めようとしなかった心の底の想いが、自然と湧き上がる。それは、




 ――郷愁。




 戻りたくないと、帰らないと、そういくら思っても、十年以上暮らした場所が、家族の影が、脳裏にちらつく。忘れられない。まだ、大切に思っている。帰りたい? わからない。でも、大切だというその想いだけは、確かなようだ。


「……そう、か」


 その事実だけはすんなりと受け入れることができて、十織はほうと息を吐いた。







 気分転換に朝の散歩を、と適当に王宮内を歩き回っていたら、ばったりアルスに出くわした。二人とも嫌そうな顔をしたものの、お互い同じような様相なのに気付き、揃って苦笑を浮かべる。


「お前もか」

「そっちこそ」


 顔を合わせれば口喧嘩ばかりしていた二人にしては、大きい進歩だ。妙な距離感を保ちながらも、会話が成り立つ。


 どこへともなく、並んで進む。ぽつぽつと言葉を交わす。


 それからふと、アルスが問うた。


「お前は……帰らないのか?」


 それはいつもと同じようで、微妙に違う問いの形。十織は躊躇い、それから、帰らないと答える。あの夢を見たくせにと落胆した様子のアルスに、溜息で告げる。


「あそこは大切だよ。それは本当。でも、私は、帰らない。……私がいない方が、きっと全部、うまくいく」


 そこにあるのは、諦観。アルスは何か言おうと思ったが、結局何も思いつかず、口ごもる。十織の真似をするように溜息。


「……強情」


 忌々しげにそう言えば、十織はにやりと笑う。


「強情で結構。第一、お互い様だろ」


 言い切る十織に、救いようがないとばかり、アルスは天を仰いだ。


「……もう、知るか」


 そして初めて、諦めの意思を口にした。


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