遭遇する似た者同士
キィスは廊下を歩いていて、その二人を見て、音を立てて凍りついた。青と白、寒色のを持つ二人の青年に、見覚えはなかった。が、それでもわかる。……その二人が、たとえ後ろ姿でもわかるほど、尋常ならざる存在であることは。
「……あ、あ」
歯の根が合わず、かちかちと鳴る唇から空気とともに声が漏れる。それを聞きつけた二人が、揃って振り向いた。青灰色の目と、金紫色の目が、キィスを見据える。
「わ、ああぁ!」
そしてキィスは、あまりの恐ろしさに全力でその場から逃げだした。
……ということがあったんだ、とキィスが蒼白な顔で勢い込んで語るのを、セレフェールは冷めた目で見やる。
「へえ」
「何でそんな冷めてるんだっ?! やばいよ、あれ、何だよあれ!」
軽く錯乱しているキィスに向けて、セレフェールは深い溜息をつく。それが何とも焦燥した様子なのにようやく気付き、キィスはやや冷静になる。
「……どうしたんだ?」
そう尋ね、そういえばトールはどこへ行ったのかとそこらを見回す。セレフェールはもう一度溜息をつき、両手で顔を覆ってうつむく。
「……トールが、消えたわ」
キィスは口をぽかんと開け、嘘、と呟いた。
十織はその妙な青年の後について、どこかわからない暗い場所を進んでいた。ついていく義理はないが、今さら引き返せないのも確かだ。
「……ここ、どこ?」
答えがないのをわかっていながら何度目かの問いを口にすれば、青年はちらりと十織を見、足を速める。
「もうわずかで“外”に出る」
何一つ答えになっていないが、しつこく訊いても納得できる答えが返りそうにない。十織は黙って、もう少しついていくことにする。
けれど、もうわずかと言う割にどこへ行き着く様子もない。痺れを切らせた十織は、思いつくまま再度口をきく。
「……あんたは、さ」
ぽろぽろと、唇から言葉が零れる。
「日本人じゃ、ないよね」
長い黒髪、黒い目。十織より頭一つ分ほど高い背。黄色人種に近い肌の色。一見すると異世界人のようだが……その雰囲気は、この世界の人々とも、十織とも違う。むしろもっと根本的に、人間ではないような気すらする。
「……あんた、何なの?」
悪いものではなさそうだ。しかし、善いものとも、限らない。青年は、何も答えなかった。
叫び声を上げて逃げていった人物には二人とも興味がない。すぐ視線を戻し、向き合う。
「……奇遇だな」
「……ああ」
出会ったことは一度もなくとも、互いの存在は知っていた。彼らは彼らの世界を共有しているからだ。
イルクとサイアス。蔵書室と西塔の者は、今、それぞれの領分から出て、同じ場所へと向かう。その先にはきっと、彼らの仲間が他にも集まっていることだろう。
「いつか……こういう日が来ると、予想はしていたが」
案外早かったものだな、と淡々とイルクが言う。
「私には、長かった。……ああ、しかし、ここ最近は、時間の流れも早く感じていた」
それに答えるサイアスの落ち着いた声音。二人は肩を並べ、足を前へ出す。彼らのような者達にでも、やらなければならない仕事はある。その仕事を片付けるために動き出すまで、少しは余裕があるだろう。
「……あの娘には、会ったのだろう」
ぽつぽつと語る彼ら。異世界から来た娘は、今頃きっと、彼らの向かう先にいる。こことは違う世界から来た者。
「ああ、会った。……少し、似ているな」
誰にとは、あえて言わない。そんなこと、わざわざ言うまでもないからだ。
イルクとサイアスは、それからただ静かに廊下を進んだ。
連れて行かれた先には、森。穏やかで、温かく、ぽっかりと日の当たる……“聖なる”とでも形容したくなるような、森だ。
「……ここ、は」
眼前には異様な光景があった。多くの見知らぬ者達が、背を伸ばして立っている。その数、五十ほど。広くもない森の広間は、ひとで溢れてしまっている。
「……何、なの?」
何が何だかわからないが、尋常でないことだけは、今はっきりと理解した。
“お前も来るか。来るなら、ついてくればいい”
いきなりどこかから現れて、前置きも何もなく、ただそう言われただけついてきただけ。この場にいる理由一つ、十織には見当もつかない。
蔵書室は普段通りに回っていた。仲間が一人失踪したというのに、それであからさまに動揺するのはキィスのみ。セレフェールも心中穏やかではなかったが、キィスよりは表面を取り繕えた。
廊下に本をばらまいて消えた十織。すぐに捜索するべきだと訴えたセレフェールにアラバサスは首を横へ振り、明日の朝まで待ちなさい、必ず戻るから、とそう言う。根拠一つない言葉なのに妙にはっきり言い切られたため、強く出られなかった。キィスにもそれを説明したが、セレフェール同様、納得していない。今すぐ、王宮中を駆け回り捜しに行きたいのだろう。それを我慢してそわそわしているのが、傍目にわかる。
「……どこに行ったの? トール」
十織は、どこへ行ったのだろう。本当にすぐ、戻ってくるだろうか。
――セレフェールには、わからない。どれだけ近くにあろうとも、十織はやはり、セレフェール達とはどこか異質な人間だから。
青年の話を、十織は半分も理解できなかった。
――もうすぐ空が染まる――決めなくてはいけない――世界が変化する――
端的でまるで戯言のような言葉の羅列は、十織に混乱だけをもたらした。眉をひそめる十織の前で青年が短く話し終えた後、その場にいた者達は皆、潮が引くように去った。
「……どういうこと?」
十織と青年だけが残る。青年は振り返り、十織の目を見る。しかし、答えはない。
「……私は、何で連れてこられたわけ」
質問を変えても、青年は答えない。静かに十織を見つめるのみ。
「お前は……何故、元の世界に、戻らない」
逆に問われ、言葉が喉に詰まる。勝手だろう、と一言言い捨てればいいだけなのに。十織が目を伏せれば、青年は静かに息を吐き、
「いずれ戻る、覚悟だけはしておくことだ」
そう言い、十織の頭をぽんと叩く。振り払うでもなくそれを受けた十織は、ふと視線を感じ、振り向く。そして、
「うわ」
実に嫌そうな声を上げ、顔をしかめた。
十織からやや離れた場所に並び立つ二人は、揃って十織の苦手とする人物だ。
「何であんたら、ここにいる」
さりげなく青年の手を払い、十織は彼らと向き合う。……イルク、そしてサイアス。
「俺が呼んだ」
青年の言葉に、十織は訝しむ。一体どういう繋がりだ、という目をして三人を見比べる。
「随分、おかしな組み合わせだけど」
言外に事情を説明しろと含ませ言えど、誰も口をきかない。十織はしばらく青年を睨みつけていたが、その口から余計な言葉が出ないことを知ると、さっと身を翻した。
「……じゃあ、いいよ」
仕事に戻るから、と十織が一人歩き出せば、青年はその背中に向かいようやく口を開く。
「もし明日にでも、その想いが変わったならば。俺を呼べ。ジルオール、と」
十織は足を止め肩越しに振り返ると、強い語調で返す。
「そんなことは、ありえない」
身を翻すと、彼らの下を去った。
夜の間に戻ってきた十織は、誰に会ったとか何を聞いたとか、そうした一切を、誰にも話さなかった。ちょっと、と一言で誤魔化しきった。
「……そう」
セレフェールが、淡い微笑みを浮かべただけで抱擁一つしなかったことに……十織はそれからずっと、気付きはしなかった。